学院の落ちこぼれ

 東京魔術学院は関東近辺の魔術師の卵が通う学校だ。

 学院は表向き私立星商学園を名乗り、一般の高校であるように偽装している。

 都内の一等地にドカンと居を構えているが、傍目にはごく平凡な都市型の高校である。しかし、一歩でも踏み入れればここが魔境であるとすぐに分かるはずだ。特殊な結界によって敷地内は広大な空間を内包している。迷宮のような校舎、昼でも暗い森、そして夜に光る河川など、魔力的な事象や存在に満ち溢れいてる。

 新入生の中には、学院の敷居を跨ぐだけで濃密な魔力にあてられて、気絶してしまう者がいるほどだった。


 そしてこの僕、柏木ヒロは東京魔術学院の一年生。

 ぴっちぴちの一年生にして、落ちこぼれである。

 しかもコミュ障だった。



§



 放課後、勉強熱心な僕は学院の図書館を訪れた。

 図書は、その名に相応しい巨大建築の中に、貴重な魔術書からえっちな本まで何でも揃っている。この間なんて悪魔崇拝の本にサキュバスの召喚方法が乗っていてたまげたくらいだ。善良な魔術師たる僕は、泣く泣くその本を手放したわけだけど、ちょっと惜しいと思ってしまうのは男のさがだろう。

 そんなヤバイ本がゴロゴロ置いてある関係上、警備体制は厳重だ。入館時には手続きが必要で、出る時にも魔術的なボディチェックがされる。貸し出しなんて制度はもちろんない。

 そんなわけで、とりあえず入館手続きの列に並んでいると、同じ列に知った顔があった。


「おやぁ? 柏木くんじゃないですか」


 早速話しかけてきたのは白髪の(黙っていれば)好青年、龍造寺恭弥だ。こいつは成績が上の下という程度のくせに、常に美少女二人を侍らせている。向かって左は小うるさい巨乳で、右は大人しい貧乳だ。僕はどちらかというとでかい方が好きなので、左右どちらかなら左を選ぶ。


「な、なんでしょう……」


 あがっていっぱいいっぱいな僕はかすれた声で返した。

 繰り返すが、僕はコミュ障なのだ。


「うわきもっ」


 巨乳に罵倒される。

 龍造寺は馬鹿にした目でこちらを眺めた後、こんな事を言い出した。


「君なんでこんなとこいんの」


「え、えっと……」


「あー、別に理由が聞きたいわけじゃないんだよね。はっきり言うけど、目障りだから消えてくんない?」


 思わぬ直球に面食らう。

 何か言い返そうとして、アッアッと言葉にならない。


 そんな僕を見て龍造寺と左が笑い出した。右は申し訳なさそうにしているが、貧乳に用はない。


「属性魔術が一切使えない落ちこぼれなんて、俺の視界に入ってほしくないんだよね。この龍造寺家の嫡男である俺と、お前みたいな落ちこぼれが同じ空気を吸っているってだけでも、許せないんだからさ!」


「そうよそうよっ!」


 真実は時に人を傷つける。

 いくら僕が【障壁】【結界】【魔防】【強化】以外の基礎魔術すら覚束ない落ちこぼれで、属性魔術に至っては一つも出来ないクソ雑魚だからって、それを僕に指摘するなんてあまりにも酷い仕打ちだ。この人でなしっ!

 もちろん正面きってそんな事は言えない。


 僕が無視したと思ったのか、龍造寺が僕の服の襟を掴んだ。


「おい、なんか言えよ」


 そのまま突き飛ばされる。

 痛い。

 ノロノロと立ち上がると、手前の列から一人の少女が出てくるのが見えた。


「大丈夫、柏木くん!」


 龍造寺と右が同時に舌打ちする。


「だ、大丈夫だよ、秋月さん」


「よかった……龍造寺くん、なんでこんな酷い事をするの!?」


 僕と龍造寺の間に割って入ってきた少女は秋月遥さん。成績は上の上で、普段は人当たりもよく、胸が大きい。つまりは完璧超人だ。

 そんな秋月さんが、茶髪のゆるふわロールを揺らしながら、龍造寺を問い詰めていた。


「君には関係ないことだよ、遥ちゃん。そんな奴に構うなんて時間の無駄だ。どうせなら俺と図書館を回らない?」


「意地悪な人とはそんな事しません!」


 一瞬で玉砕しやがったざまあみろ。

 なんて思っていると、龍造寺がちらりとこちらを睨みつけてきた。


「酷い誤解があるみたいだね。俺が意地悪だなんて」


 これみよがしにため息をつく龍造寺。


「なんか気分も悪くなったし、今日は帰るとするよ。それと、これは親切から言わせてもらうけど、付き合う奴はちゃんと選んだほうがいい。変な噂が立つなんて事もあるからさ。じゃあ、それだけだから」


 すごい早口で負け惜しみを言ったかと思うと、龍造寺はそのまま列から離れてしまう。置いていかれた形の左右も慌ててその背を追っていった。

 好き勝手暴れて帰りやがって、まるで嵐みたいな奴だった。


 ぼうっと龍造寺が去った後を眺めていると、突然視界が黒くなった。秋月さんが僕の正面を塞ぐように立ったのだ。自分の顔がカーッと赤くなるのが分かった。


「……柏木くん大丈夫でした?」


「う、うん」


「顔も赤いですけど……」


「き、今日は暑いな〜なんて」


 我ながら酷い言い訳だった。



§



 僕は落ちこぼれだ。成績は下の下の下、属性魔術は一切使えず、基礎魔術も四つしかまともに使えない。しかも、学費の支払いのためにバイトをしているので、頻繁に授業も休んでいる。

 そんな僕を見かねて手を差し伸べたのが秋月さんだ。

 彼女はあまりに優しくて、なんと放課後特別に、魔術の事を教えてくれる事になったのだ。そういうわけで、僕は授業が終わると毎日図書館へ通い、そこで秋月さんから魔術のイロハを習っていた。

 今日はこのレッスンが始まってちょうど一月。

 僕もなかなか魔術について分かってきた気がしないでもない。


 それにしても、美少女に手とり足とり教えてもらうって構図、ものすごくいい。特に机の上に乗っかる胸を横目に見るなんて、今しか出来ない経験だろう。


「もー、ちゃんと聞いてるんですか?」


「は、はひっ」


「クスッ。柏木くんは時々面白いですね」


 そう笑いかけた彼女の笑みがあまりにも素敵で、僕の胸はドキドキしたり苦しくなったり忙しい。

 ああ、可愛すぎる。

 秋月さんマジ天使……ってこれは死語か。


 普段ならこれで雑談はお終いで、また魔術の勉強が始まる所だけど、今日はこの続きがあった。


「面白いといえば、こんなニュースを見つけたんですよ。柏木くんは知ってました?」


 そう言って秋月さんが差し出して来たのは、魔術新聞の地方面だった。もちろん僕が新聞なんて購読しているはずもなく、載っている情報全てが初耳だ。

 今まで勉強していた道具の上に豪快に広げられる。

 まず僕の目に飛び込んできたのは、とんでもない記事だった。


『若作りババア!――六道会東京支部に落書き』


 六道会は京都に本部がある陰陽組織で、その歴史と規模は全国でも指折りだ。その名誉会長は二百年姿が変わらないという伝説を持つ方で、それを挑発する意図がある落書きなのは間違いない。

 これは戦争になるぞと頭痛がした。


「う、うわぁ……あの六道会に喧嘩を売るなんて何考えてるんだろ」


「違います、こっちですっ」


 よかった、流石にこんな記事が『面白い』はないか。

 プクーと頬を膨らませた秋月さんの指差す記事は、思いもよらないものだった。


「『天才少女また大手柄』……?」


『賞金稼ぎの仁科可憐さん(16)が28日、東京都内の山中に潜伏していた賞金首のハインリヒ・ギュンター(37)を討伐した。ハインリヒは強盗、殺人などの罪で50万Gの賞金がかかっていた大物だ。

これで仁科さんの獲得賞金は53万G。一足跳びに今季の賞金ランキング一位に躍り出た。仁科さんが賞金稼ぎとして衝撃のデビューを果たしてからまだ二週間、天才少女のこれからの活躍に期待したい』


 本文の間には『取材陣に対して「たまたまなのよ」と謙虚な対応』という煽りと共にローブ姿の少女の写真が載せられている。


「すごいですよね……あんな事があったのに、仁科さんはもう前に進んでいる。私、今でもあの時の事を思い出すんです」


「う、うん……」


 秋月さんが目を伏せた。

 僕は気の利いたことの一つも言えなくて、こんな時は自分自身が嫌になる。


 仁科可憐は僕や秋月さんと同じ東京魔術学院の一年生だった。成績は上の上、性格は自信家で、胸は控え目。正直、僕とは全く接点のない彼女の存在を、僕は一方的に知っている。

 彼女はこの学院の生徒にとって、例え学院から追放された今でも、英雄的な存在なのだ。


「仁科さんは正しい事をしたのに、どうして学院を去らなきゃいけなかったんでしょう。私、今でも納得出来ないんです」


「……」


「倫理規定があるから、人を助けちゃいけないなんて。おかしいと思いません?」


 僕は何も言葉が見つからなかった。

 秋月さんはきっと正しい。

 でも、僕はあの時――仁科可憐の退学取り消し運動に、学院側・・・として参加したのだ。今更どんな顔をして同意しろと言うのか。


「……すいません、私ちょっと変ですよね」


「そ、そんなことない、よ」


「自分でも分かるんです。仁科さんの事になると、色んな事がわーってなっちゃって、周りも見えなくなる事が」


 秋月さんは新聞を畳むと席を立った。


「今日はもう終わりにしましょう」


 泣きそうな声が印象的で、僕はもう一言だってかけられず、去っていく彼女の後ろ姿を眺める事しかできなかった。



§



『第十二条 TGへの超常の力の秘匿


会員は、いかなる場合においても、UG、魔法士、超常の力の存在をTGおよび一般人へ秘匿しなければならない。』


 魔法士協会倫理規定第十二条違反。

 それが仁科可憐の罪状だった。


 日本には妖怪という固有の幻想生物がいる。仁科家は代々妖怪退治を請け負う退魔師の家系で、彼女自身もその術を受け継いでいる――というのは後から知った事だ。

 人にあだ名す怪異の討伐は古来よりの仕事。

 しかし、戦後のUGアンダーグラウンドではその家業に陰りが見えた。魔法士協会が日本で幅をきかせるようになり、一般人相手の商売が禁止されたのだ。


「人知れず人を救い怪異を討つ」


 仁科家はそう方針転換して今日までやってきたが、妖怪がこちらに合わせてくれるはずもなく。妖怪が魔術師より一般人を狙うのは当然の帰結だった。

 仁科可憐が遭遇したのもそんな妖怪の一つで、今まさに子供を喰らおうとしている現場に立ち会った彼女は、子供の目の前で魔術を行使したのだ。もちろんそれは、協会の定める所の明確な罪である。


 学院はこれを問題視した。

 学院は終戦時に魔法士協会に敗北して以来、協会に媚びへつらう存在である。倫理規定という協会関係者すら縛り付ける絶対の掟を軽視する事は出来なかった。

 そして、協会の処罰が決まる前に、仁科可憐の退学を決定したのだ。


 不思議なことに、この決定は生徒会に漏れた。生徒会は生徒の利益代弁者である。彼らは仁科可憐の退学を阻止するための行動を即座に開始した。

 「学院批判演説」を皮切りに、授業ボイコットから教室占拠まであらゆる手段で退学の撤回を図る生徒会。これに学院の生徒の他に、反学院・反協会の活動家も合流し、新聞で連日取り上げるほどの騒動となった。


 人命より優先される倫理とはなんだ。

 学院が協会の言いなりになってどうする。


 学院に関わる様々な立場の人が二つに別れた争いに、僕は学院側で参加した。

 仁科可憐の行動は立派だけど、倫理規定は絶対なのだ。違反者は懲罰委員会をもって処罰される。第十二条違反は程度によるが死刑まである大罪だ。一時の情で許されるようなものではない。


 どこまでも燃え続けるかに思われた騒動も、終わるときは呆気ないものだった。

 仁科可憐が退学を受け入れた、ただそれだけだ。

 梯子を外された生徒会は抵抗を諦め、集まっていた生徒達も解散し、活動家はいつの間にか姿を消していた。学院も今ではすっかり普段の姿を取り戻し、誰もが何事もなかったかのように平穏を享受している。



§



 図書館の閉館時間ギリギリまで粘った僕は、ようやく勉強を切り上げた。司書に『猿でも解る基礎魔術』という魔術書を返し、とぼとぼ帰途につく。

 道すがら考えるのはやはり秋月さんの事だ。

 今日の秋月さんは様子がおかしかった。僕が好きな秋月さんは、ほんわかしていて、優しくて、胸の大きい人だったはず。でも、仁科可憐について話す彼女は、何かに追い詰められているかのように、ちょっと必死だった。


 銀杏っぽい木が両脇に植えられた長い一本道を歩いていると、木陰から一人の少女が現れた。

 龍造寺の取り巻きの右、つまりは胸がない方だ。


「……これ以上」


 右の少女がポツリポツリと話し出す。

 地味に右の声を聞いたのは始めてかもしれない。


「秋月遥に関わらない方がいい」


 その瞬間、世界から音が消えた気がした。木々のざわめきも、どこぞの研究室の爆発音も、耳に入ってこない。

 右の少女の発言だけが頭の中を駆け回る。

 ずいぶん剣呑な言葉だ。

 冗談って事はないだろう。目の前の少女は真剣な表情をしている。しかし、どうしてこんな事をわざわざ僕なんかに。そういえば、彼女は夕方にも秋月さんへ舌打ちをしている。二人にどんな因縁があるんだ。

 色々と考えて、結局なにも分からない。


「あ、あの」


「……それだけ」


 質問は受け付けないとばかりに、右は踵を返して去っていく。その後ろ姿がどこか秋月さんと重なった。

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