第8話 臥薪嘗胆の女(中編)

◆◇◇◇



 またしても、空間占有率が上がった。

「どうぞ」

「かたじけない」

 トルキダと呼ばれた女は、ファウナは一礼して椅子に腰かける。

 この家には三つ以上の椅子がない。真っ先に譲ったのはファウナだ。来客の目的が家主ともなれば、さすがに木箱に座らせておくわけにもいかないと思ったのか、フローラも席を空ける。渋々ではあるが。

 ほのかに残った女の匂いと、生暖かさに背筋がむず痒さを覚えながら、ミランはトルキダに向き合った。

「……それで、騎士養成所の教官殿が、どうしてこんなところに?」

「アクイラ訓練生とは、卒業した今でも手紙の遣り取りをさせていただいているのですが、彼女が大変世話になっているというミラン殿の身の上を知りまして」

「……お前、手紙に俺のこととか書いているのか?」

 隣の席に腰掛けるアクイラに目配せ。

「え、あ、いや、その……は、話の種にですね……」

 顔を真っ赤にしながら、しどろもどろになるアクイラ。

「……まあ、俺みたいなやつは珍しいだろうからな。で、どうしてまた、俺に会いたいと?」

「先ほどの話にも出ていましたようですが、私は養成所にて候補生たちに生存術を教えております」

 ミランは小さく頷き、先を促した。

「人間の生存は文明社会の恩恵あってこそ。それから隔絶された状況では、生きることそのものが困難です。その意味で、戦争などはまさに非日常の連続。戦時下における騎士たちの生活は必ずしも文化的であるとは言えません。腹が減っては戦はできぬと申しますが、これは揺るがぬ真理です。軍事において兵站は何物にも勝る大事であり、特に兵糧は部隊の生命線。戦況によっては兵站を断たれ、兵糧が尽きることもありましょう。しかし、それでもなお国のために継戦を選ばねばならない場合もあります。そういった非常時をいかにして乗り切るか、その知識と手段を叩き込む……いえ、もっと直接的に申し上げれば。食べることの有難みを教えるのが私の仕事でございます」

「ふむ。それで?」

「聞けば、ミラン殿は猟師。しかも、今は失われし狩猟採集文化の権化とのことではないですか。教練に活かすべく、その知識や経験を是非ともご教授願えればと」

「そのために、わざわざこんなところまで?」

 もちろんです、とトルキダは深々と頷いた。

「知識や経験を伝授していただくのですから、こちらから出向くのは当然でございましょう」

 ミランは内心で感嘆した。何という義理堅さと自己研鑽の高さ。騎士を育成する者もまた騎士ということか。

「……ミラン殿、断ってもいいのですよ。騎士、お嫌いでしょう?」

 ひそひそとアクイラが耳打ちをしてくる。

「確かに俺は騎士嫌いだ。だが、それはそれ、これはこれだ。俺はいま、猛烈に感動している。食べることの有難み。至極もっともだ。騎士の中にも俺たちの文化に理解を示す人物がいたとは。魔犬の時にも痛感したが、やはり、偏見はよくない。憎悪は乗り越えるべきなんだ。教官殿。俺程度の知識でよければ、喜んで協力させてもらおう」

「おお、ご理解いただけて重畳です」

 ミランの差し出した手を、トルキダが握り返す。

「……なんだか、ミランさんらしくないですねぇ」

「……悪食仲間が増えて嬉しいのかしら」

 背後で賢人二人がひそひそと何やら囁く。ミランは気にしなかった。

「では、早速参りましょう」

「ああ」

 どこへ向かうのか、二人は口にしなかった。必要もなかった。ミラン流の生存術を学ぶならば、森しかないからだ。

「で、では、自分はこれで……」

 自然な流れでその場から逃げ出そうとするアクイラ。

「アクイラ訓練生!」

「ひゃ、ひゃい!」

 アクイラはびくりと肩を震わせる。

「あなたも同行するのですよ」

「で、ですが、そのう……そうそう、これから任務がありまして……」

「今日は休暇でしょう、アクイラ訓練生」

「うぐ」

「貴女は他の科目は非常に優秀でしたが、生存術に関してはお情けで単位をあげたのをお忘れですか。補習をする良い機会です」

「……わかりました」

 どうやら、この教官に頭が上がらないらしい。アクイラはがっくりと肩を落としながら答えた。

「しかし、その訓練生というのは何とかしていただけませんか。これでも任官した身ですので……」

 かつてはどうだったかは知らないが、今のアクイラは十騎長――れっきとした士官階級であり、中隊を率いる身の上だ。訓練生呼ばわりは沽券に関わる。

 しかし、その教え子の懇願をトルキダは一蹴する。

「教え子はいつまでたっても教え子です。ましてや、あのような整理整頓が成されていない部屋に住む人間が隊長職などと、実に嘆かわしい」

「自分の部屋を見たのですか!?」

「せっかく駐屯地を訪ねたというのに、貴女がいないのが悪いのです。あの部屋こそ文明的とは言えませんね。それとも、あえて自主的に困難な状況に身を置いているのですか?」

 何という切れ味の皮肉。

 というか、お前。部屋を汚さないためにうちに来てたんじゃないのか――とは言えなかった。さすがのアクイラもたじたじ。隊長の威厳など木っ端微塵だ。

「とにかく、ついてきなさい。騎士の職務を全うするにあたって、彼の教えは決して無駄にはなりません」

「いや、でも……その、あれでしょう? 生存術に当てはまる範疇で、ミラン殿が伝授するものと言えば……」

 ちらり、とアクイラはミランを見た。

「極限状態で現地調達が容易な食糧となると、どうしても昆虫が主になるな」

 やっぱり、と賢人二人は顔を曇らせた。アクイラに至っては青ざめた。



◆◆◇◇



 蝉の声が豪雨のように降り注ぐ森の中を四人は歩いていた。

 ミランが先行し、トルキダ、ファウナと続いて、アクイラが殿を務めている。

 フローラは報告書の続きがあるので遠慮した。逃げたともいう。

 その意味で、ファウナもついてくる義理はないのだが、食べるのはともかく生態については興味がありますからと同行を選んだ。

 鬱陶しい藪を開きながら、ミランが背後のトルキダに言葉を向ける。

「緊急時における行動には優先順位がある。まずは安全地帯の確保。次に飲み水の確保。そして、火の確保」

 ミランは指を一つ、二つ、三つと順に立てていく。

「最後に、食糧の確保だ」

 トルキダが頷く。状況にもよるが、十分な水さえあれば人間はかなりの間、物を食べなくても死にはしない。この優先順位を間違えてしまうと、あっという間に生存が困難になってしまう。

「今回は優先される上位三つは確保できているという前提で説明する」

「ええ、結構です」

「拠点の近くに森があれば、おおよそ食べるものに困ることはない。問題はその見分け方。何が食べれて、何が食べれないか、ということだな。それなりの人数や道具があれば狩りなどもできるだろうが、体力が著しく消耗していたり、その土地の動物の知識がなければ返り討ちに遭う可能性もある。食べられる野草などは見分ける力が必要だ。間違って毒草を食べた日には死ぬしかないだろう。そういった諸々を考慮して、素人でも危険が少ないもの。それが虫……具体的には幼虫だ」

 意外かもしれないが、事実である。人より遥かに小さく、動きも鈍く、栄養も豊富に詰まっている。おまけに数も揃えやすい。幼虫というものは同じ場所に集まっていることが多いからだ。

 本当は貝類が最善なのだが、なにせレスニア王国は山国だ。大量の貝を捕獲できる場所で緊急時に見舞われることは皆無だろう。その意味で、幼虫は代用品として最適なのである。

「まずは――あれだ」

 ミランは少し先に佇む朽ち木を指さした。歩み寄って朽ちた幹に耳を当てると、皮をべりべりと剥いだ。ぼろぼろと崩れる。

 そこからひょっこりと顔を出す三尺ほどの白い物体。幼虫だ。背後から、うひぃという情けない声があがる。

「おお、これは天牛かみきりむしの幼体ですね」

 ファウナが興味津々とばかりに覗き込む。

「天牛の成虫は初夏にかけて地上に姿を現します。この大きさから察するに今年孵化したものでしょう」

 天牛の幼虫は生木を食べて成長する。木造建築が主流のレスニア王国において害虫の筆頭であり、林業家が材木に湧いた幼虫を駆除するついでに食べていたという話も残っており、この国の食虫文化としては王道と言える。

「この手の幼虫はだいたい食える。ただし、甲虫の幼虫……いわゆる地虫はやめておいた方がいい。基本的に土の味しかしないからな」

「地虫は腐葉土を食べますからね……って、食べたんですか?」

「ああ」

 ファウナの胡乱な視線に、ミランはこともなげに答える。

「だから、樹を食べているこっちのほうが人間が口にするには適している。ただし、樹液を舐める成虫だったらどちらでも問題ない。それに、あいつらは地中にいるだろう? 道具や体力の問題で穴を掘ることができない場合がある。ところが、こっちは朽ち木が目印になるし、枯死しているから樹皮もけっこう簡単に剥がれる。闇雲に地面を掘るよりは難易度は低いと思う」

「なるほど。森の中で遭難した時は有用ですね」

「が、どうしても排泄物に不安が残る。絶食させて糞をすべて出した後、火を通すのが確実だろう。でも」

「でも?」

「味さえ気にしないなら、そのままでもいけるぞ」

 ミランは幼虫をひょいと摘まんで口に入れた。ぶちぶちと表皮を噛み千切ると、ぶらんと内臓と思しき黄色い何かが飛び出る。

「ほう。生で食せるのは良いことですね」

 ファウナとアクイラが真っ青になったが、トルキダは目を輝かせていた。



「ああ、これもいいな」

 次にミランが見つけたもの。それは葛だ。

 短刀で蔓を断つと、それをトルキダに差し出した。渡された蔓は一部が不自然に膨らんでいる。

「これは虫こぶと言ってな。中には芋虫が入っている。これも朽ち木と同様に、見分けるのが簡単だ」

「葛に卵を産み付けるのは黄金虫の一種ですね」

 ファウナの補足が入る。

 虫こぶの部分を開くと、中から複数の白い芋虫が顔を出した。

「こいつは普通にうまいんだ」

「葛は豆の仲間ですからね。人間も食べられるものを食べているから、影響も少ないのでしょう」

「大きさは一寸ほどしかないから、数を集めないといけないけどな。一か所虫こぶができていれば、あちこちにできているはずだし、何より葛そのものも食べられるから一挙両得だ」

 トルキダが一匹を手に取り、口に運んだ。生で。

「とろりとした優しい口あたりですね。ふむ、固形に近い豆乳のような……やはり、豆の仲間を食べるわけですから、どことなく豆のような風味がしますね」

「いけるだろう?」

「いけますね。豆の汁物に入れてもいいくらいです」

「あの……実況は辞めてくださいませんか。アクイラさんの顔色が重病人のそれなんですけど……」



「おお、これもいいぞ」

 次にミランが発見したのは蛾の幼虫だった。

「それ、毒ありますよ?」

 ファウナが指摘する。三寸ほどの芋虫は毒々しい色彩を持ち、また全身を針のごとき体毛が覆っている。見た目から毒虫の類とわかる。さすがのミランも素手で触ったりはせず、落ちていた木の枝で挟んでいる。

「ああ、刺されたら腫れるな。このまま口に入れればひどいことになる。でも、火で炙れば毛はほとんど炭化するし、毒もなくなる。不思議だよな」

「……ああ、なるほど。それは合理的ではありますね」

 ぽつりとファウナが呟く。

 昆虫毒は蛋白毒であることが多い。蛋白毒の多くは過熱によって無効化することができる。古の信仰において、火を神聖視する理由の一つ。

 ただし、それも絶対ではない。加熱しても毒性を失わない種類もある。油断は禁物であるが、ミランが見つけた種は大丈夫らしい。

「では、早速火で炙ってみましょう。アクイラ訓練生、火を熾しなさい」

 返事はなかった。

 訝し気にトルキダが振り返り――そして、短く溜め息を吐いた。

「……情けない」

 アクイラは立ったまま気絶していた。



 そうして、ミランの講釈は日が暮れるまで続いた。

 衝撃的な展開ばかりであったアクイラはすっかり憔悴し、砦に帰るころにはまるで木乃伊みいらのようにやつれていた。

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