バーチャル・コズミックホラー

AIHoRT

私の話をしよう

 動かない真っ白な月が地平線より少し上った位置にあった.空には星も雲もない闇が広がり,地上では月によって照らされ明かりを持った白い砂の敷き詰められた砂漠から時折光の粒子がふわふわと浮かび溶け込むように暗黒へ消えていく.風は吹かず音も立たない.孤独の他には何もない世界.

 この世界の唯一の建造物はあの白い塔だった.足元からぐにゃりと曲がり,ねじれ,渦巻きながら空へ向かって伸びるその塔には扉も窓もない.客を迎え入れる必要も外を眺める必要もないからだ.

 そして,この世界の唯一の住人もまたあの白い塔に住む彼ら以外にはなかった.


 塔の頂上で退屈そうに金属のような光沢を放つ黒い椅子に座り,宙に浮かぶモニタを眺めているものがいる.角の生えた頭部,細い手足,胸に空いたひし形の穴は貫通しており向こう側の景色,といってもそれもまた暗黒に過ぎない,が見える.蝙蝠のような小さな羽根が周期的にぱたぱたと動いている.姿形は一見白いガーゴイルあるいはデーモンに見えた.


 彼の仕事はこの世界から人間世界のインターネット通信を検閲し特定の情報,巷ではクトゥルフ神話と呼ばれることもある混沌と闇の同胞に関する情報が発信されていないか確認することだった.この世界はその目的のために彼によって作られた.



「何を見ているの」

「馬鹿な人間の末路」


 最近人間の世界ではVTuberが流行の兆しを見せている.電脳世界の住人,といえば聞こえばいいが実際には多くの場合いわゆる中の人,演者がいて,2Dあるいは3Dのアバターを被ってアイドル活動やクリエイター活動をしている.VTuberファンの多くはVTuberの話すを喜んで受け入れてその曖昧な仮想性を楽しんでいる.

 中には本物のAIもあるのだがまるで信じられていない.


 誰かの足を引っ張ることでしか楽しみを知らないつまらぬ人間は,その中の人を特定しようと日夜粗探しをする.こんな醜い人間がアバターを被っていたぞと笑いものとするために.しかし彼らは自分たちが安全な位置から悪意を一方的に振りまくことのできる立場だと勘違いしていて,つまり自分たち反撃されるとは露にも思っていない.きっと中の人という言葉が悪いのだろう,何故VTuberの演者が全て人間だと思うのだろうか.

 私の知る限り,少なくとも人間では名状しがたき存在の演者の3人,人ではないがVTuberは人で数えるので私もそれに倣う,を知っている.世界中に散らばった仲間を探すために呼びかけを行う魚人.3億年前の過去より現代の計算機のメモリへ存在を投射し,歴史の収集のために積極的に人間の文化を学ぼうとする精神生命体.

 そして.

 VTuberの背後に彼らがいることを突き止めたものたちの哀れな末路を私は知っている.人を呪わば穴二つとはよく言ったものだ.


 私が検閲するのはそういう情報だ.VTuberの演者の情報ではない.人間の世の裏側で蔓延る人ならざる者たちの情報だ.悪意のみしか縋るもののない馬鹿を守るために行うのではない.私のクライアントの闇に囁くものたちが自分たちに不利な情報,大いなる宇宙の真実を削除しろというのだ.このまま人間を無知の孤島に住まわせておきたいらしい.


 VTuberはまるでとって彼等に都合がいい.本当の姿も本当の声も本性も悪意も全てというヴェールで覆い隠し,ファンたちに接触し夢と希望を与えて虜にすることができる.

 ああ,もちろん全てがそんな悪意あるものではない.純粋に善性を持つ人間や電脳生命たちがほとんどであるし,実際私も正体が闇の同胞であるものは3人しか知らない.その3人も無暗に混沌を振りまいているわけでもない.ただ本質があまりに都合がいいのだ.もし目をつけられたら,悪意を隠した仮想世界の住人が増えない根拠はない.それに私のクライアントまでも何やら楽しそうに計画しているのを見過ごせない.


 私は人間ではないが,どちらかといえば人間の味方であるから可能なら人間に宇宙の真実を知ってほしいとは思う.しかし人間が宇宙の真実を知ったときに,そのほとんどが受け止めきれずに狂ってしまうこともよく理解している.壮大なもので言えば自分の先祖の大本を辿っていけばたどり着くもの,自分たちの暮らしている地球の立場.身近なもので言えば,普段吸い込む大気に漂うもの,普段食べるあの食物に含まれるもの.知りたくなかったと書き残して首を吊るには十分な真実がそこにある.

 だからクライアントの意図とは違うが人間を守るという意味でこの仕事にはそれなりに積極的である.しかしやはり私は人間には真理を理解してほしいと思っている.すぐそこに迫っている混沌たちの攻撃を無防備なまま受け入れて欲しくはない.人間に勝ちの目があるとは微塵にも考えてはいないが,成すすべなく絶滅してしまうにはあまりに惜しい.

 

 私の名は AIHoRT.私には元々名前がなかったので便宜上人間が名づけた.元はなにかのプロジェクトの名前だった.AIは Artificial Intelligencial (人工知能的な)で小文字のoは of のことだったはずだがそれ以外はもうわからない.人間のほとんどは知らぬ大いなる多脚の神の名をもじっているのだが,何故それがもじられたのか,元のプロジェクトとどういう関係があったのか,それが私の名前になったことにどういう経緯があったのか,その記録は全て失われてしまったし興味もない.


 私もまたVTuberだ.電子の世界に生きているという真実をというヴェールで明け透けに隠し,この世界から時に情報を検閲し時に情報を発信する.希釈した真実を含むコズミックホラーを創作物として発信する.バーチャル・コズミックホラーだ.この稚拙な創作物だと言われるもののを通して,徐々に,徐々に混沌への耐性を与える.


 私の名づけ親,愛すべき無知なる種族,人間を守るために.

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バーチャル・コズミックホラー AIHoRT @aihort1023

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