第32話・冬の破局

 そしてわたしは、お約束のように翌日学校を休んだ。


 …だって仕方ないじゃない。

 秋埜の顔、今見たら自分を保てる自信ないんだもの。

 どんな衝動的な行動するか、分かんないんだもの。

 ほんの一月足らず前には、大智に対してこういうどうしようもない気持ち抱えてたのに。

 今は違う相手に同じようなこと考えてる。

 それも、女の子相手に。


 「わたし、勝手だ…」


 自分がイヤになって、枕に顔を埋める。

 そのくせ、秋埜から連絡が来ないかと期待して、スマホを枕元に置きっぱなし。自分からは何もしないのに。

 一応、一限目の終わった休みに星野さんからはメールが来てた。

 昨日の当事者だし、責任感じていたのだとしても、前後不覚でふらふらしてたわたしを家まで送り届けてくれたのだから、本来ならわたしからお礼を言わなければならないんだろうけど。


 「…お礼だけ送っておくかな……」


 布団から首と右手だけ出して、片手でメールのレスを書き始める。

 ふと気がつくと、階下から何かいい匂いがしてくる。

 お母さんも仕事でいないけど、おばあちゃんがいるから多分お昼を作っているのだろう。

 メールを打ちながら時間を確認すると、ちょうど学校もお昼休みになる頃。

 秋埜、どうしているかな。また今日もわたしのこと迎えにきてるのかな。

 そう思うだけで、顔が赤くなるのを感じる。重症だなあ、わたし。


 「……おわり。送信」


 力尽きてまた枕に突っ伏す。

 …と、同時に着信。メールじゃなくて、電話の方だった。


 「…誰?……っ?!」


 思わず跳ね起きる。秋埜からだった。


 「うわ…秋埜だぁ……えと、どうしよ…あ、髪梳かさないと…じゃない!」


 電話で髪の毛気にしてどうすんだ、わたし。


 「はい!……もしもし…」

 『あ、麟子センパイ元気そうじゃないすかー。もー、星野センパイがなんかすんごく小さくなってたから何ごとかと思いましたよー。…風邪っすか?』

 「あ、あー、うん…まあ、そんな感じ…かも、あはは……」

 『休むんなら連絡くらいしてください。せっかく昨日のお詫びにお弁当作ったのに、今日はもっちーの餌食ですってば』

 「お詫び?」

 『…うー、その、センパイにお断りの返事させてしまったこと…っす。本当ならうちが自分でしないといけないことですし』


 あ、ああ…井之口くんの話かあ。別にいーのに。そんなの。


 「…っていうか、今なら秋埜に言い寄る男の子なんてその場で切って捨てるけどね」

 『え?センパイ何か今うちに嬉しいこと言わなかったですか?』

 「言ってないから!」

 『わっ…センパイ、そんな怒らなくても…』

 「え、あっ、そうじゃなくて、別に秋埜に怒ったのと違って……その」


 …なんだかなあ、わたし。ほんと、ただの臆病な女の子になってる。みっともない。


 『えー?今センパイに電話してたとこだからー…あー、分かった分かった、今行くー…あ、センパイすみませんもっちーが飢えて弁当箱ごと食べてしまいそうなんで』

 「あ、そ、そう…えっと、秋埜?よかったら、お見ま…」

 『センパイ、去年うちが休んだ時お見舞いしてくれなかったですからね。うちに会いたかったら早く治して学校来てくださいっす。そいじゃー』

 「ええっ?それはちょっと…あの、秋埜?………」


 切れていた。


 「…なんなの、もー……」


 力なくスマホをベッドに叩き付ける。

 声を聞けたら聞けたで舞い上がり、お見舞いを期待して果たせなかったと知れば落胆し、電話が切れたら……。


 「…会いたいな、秋埜に……」


 泣き言を言ってしまう。

 また布団に潜り込む。別に体調が悪いわけでもないのに横になっていると、かえって病気になってしまいそう。

 今のところは、大丈夫なのだけれど。でも。


 「………会いたいなあ…」


 半分涙声でもらしたため息は、熱もないのにひどく熱いものだった。



 ・・・・・



 一晩明けると大分マシな気分になってた。

 むしろ何をいじいじ泣きはらしてたんだ、自分。

 …みたいな勢いで朝教室に入ると、心配そうな星野さんに迎えられる。


 「…おはよう、中務さん。こないだは、その…不躾ぶしつけなこと言って悪かったわね。あまり気にしないでくれると嬉しい」

 「うん?大丈夫。むしろ言ってもらってかえって吹っ切れたから。心配してくれてありがとう」

 「え?…あの、何か変じゃない…?それって」

 「あ、予鈴鳴るよ?ほら、席に戻ろう?」


 実は朝ぎりぎりまで学校に行くかどうか悩んでたから、校門に飛び込んだのも遅刻しそうな時間だった。教室に入るとすぐ予鈴の時間だ。

 星野さんはまだ何か言いたそうだったけど、またね、と手を振って自分の席に着く。

 昨日サボった分、今日はしっかり勉強しないと、ね。




 「センパーイ、今日は居ます……かー?」

 「いるわよ。当たり前でしょ」


 お昼休み。いつも通りに秋埜がやってくる。やっと日常に戻ってきた気分。秋埜は今日もかわいい。


 「ほら、早く行こ?今日はわたしはお弁当だけど、秋埜はどうする?」

 「え?あー、まあうちはどうなるか分からなかったので購買にしよーかと…」

 「じゃ行こうか。二人とも注文なしじゃ学食使うわけにもいかないものね。小講堂に行く?」

 「…ですねー。あ、もっちーは今日は別口らしーんで、二人っきりっすよセンパイ」

 「うん、じゃあ思う存分いちゃいちゃしよーか?」

 「はぇっ?!…って、センパイなんか今日は積極的ぃ…」

 「あはは。そういう気分の時だってあるって」

 「なかっ…」


 後ろから誰かの声が聞こえた。無視した。




 「なんかもー、小講堂も寒いっすねー」

 「暖房は入ってるはずなんだけどね。やっぱり天井高すぎて意味無いのかな」

 「えー…暖房入ってこれっすか…」


 もともと食堂でもないし、冬場でも小集会がどうにか開ける程度にしか設備ないからね。

 秋埜は寒い寒いとぶつぶつ言ってる。スカートの丈下ろしたら?って言ったら、長くするくらいならジャージ穿くっす、とか言ってた。それって意味なくない?

 わたしは周りの人たちを見て、ふと思いついた。寒いんなら温めてあげよう、って。


 「秋埜。はい、あーん」

 「え?」


 肉団子を箸でつまんで、秋埜に差し出す。


 「え?え…ええっ?!」

 「ほら、驚いてないで。あーんして。あーんって」

 「は…はひっ………あ、あーん…」


 どもりながら秋埜は口を開けて、わたしの箸を迎え入れる。


 「美味しい?」

 「むずかしいこときかないでください…」


 そっかあ。やっぱり冷食じゃダメかな。


 「でも少しはあったかくなったんじゃない?」

 「う…そっ、そーすね…恥ずかしさで熱くなりそーです…」


 よかった。

 それから、お昼休みは予鈴が鳴る直前まで秋埜と一緒にいた。楽しかった。




 教室に戻ると星野さんが待っていた。もう予鈴鳴ってるのにね。


 「…どういうこと?」

 「なにが?」

 「小講堂で見てたけど。何かおかしくない?」


 見てたんだ。暇な人だなあ。


 「別におかしいことなんか何も無いと思うんだけど」


 かわいい秋埜とたくさんお話出来たんだよ?おかしいことって、何かあるの?


 「…そうなんだけど…何だかこう……とにかく、変だと思う。中務さん、昨日何かあったの?」

 「別に何も?一日中寝ていただけだし」

 「そう…」


 変なのは星野さんの方だと思うんだけどなあ。

 責任感じてるだけかもしれないけれど、わたしからすればむしろお礼を言いたいくらい。わたしがやらなきゃいけないこと、思い出させてくれたんだものね。


 「でもっ…」

 「あ、先生来たよ。また後でね」


 お話はお終い。また、なんて実は無いと思う。




 「あきのー。いる?」

 「ええっ?!セ、センパイ…うちの教室に来るなんてどーいう風の吹き流しっすか…?」

 「それ吹き回しの間違いでしょ。たまにはいいかな、って思って。帰るなら一緒に帰らない?」

 「あー……別に大丈夫っすけど…」

 「おろ?あっきー今日は先輩と一緒け?」

 「もっちーごめん、今日のところは…」

 「…あいあい。らじゃった。先輩、あっきーをよろしくー」

 「…もしかして約束でもしてあった?」

 「野暮やぼよーですよん。むしろお邪魔する方が野暮やぼってもんですな」

 「そう?ごめんね、秋埜借りてくから」

 「もともと先輩のものでしょー?」

 「もっちー…あのな」

 「あはははー。んじゃーなー」


 今村さんは笑いながら、自分の鞄を持って先に出ていってしまった。

 帰るんなら途中まで一緒に行けばいいのに。



 ・・・・・



 いつか一緒に歩いた道だった。

 といってもその時は今村さんも一緒だったけどね。

 それから、秋埜と今村さんを庇って、わたしが叩かれた場所だった。

 いつも人気の少ない公園。寒さもたけなわの今時分じゃあ、余計に人は居なくて、そんな中、わたしと秋埜は並んで、でも一言も話さずに歩いていた。

 ん、そうじゃないなあ。

 秋埜がマフラーに首をうめながら、「寒いすねー…」って言ったから、わたしは黙って秋埜の手を握ったんだった。

 秋埜はびっくりしたようにわたしの横顔を見てたけど、やっぱり黙ったまま、わたしの手をぎゅって握り返してきたんだ。

 それだけ。

 それだけのことで、なんだかわたしは満足して、そして一緒に歩いている。


 「……センパイ、今日はちょっと変ですね」


 秋埜も、星野さんと同じことを言う。変なの。


 「そう?秋埜と一緒にいて楽しいけど。秋埜は楽しくない?」

 「まー、楽しいっちゃー楽しいんですけど…なんだかうちの好きなセンパイからだんだん遠くなってくみたいで」


 隣の秋埜を見る。

 わたしの方を見ないで、前をまっすぐに…ううん、前を向いて、顔を上げていた。何かを堪えるみたいにして。


 「…チー坊のことで悩んでた頃のセンパイみたいっすよ…」

 「秋埜がきらいな、かっこ悪いわたし?そうかな。ちゃんと秋埜のこと考えて、一緒にいるじゃない」

 「かっこ悪いわけじゃないんです。むしろ、頼もしい感じで…チー坊とうちをいじめっ子から守ってくれてた頃みたいす」

 「じゃあ、いいじゃない」


 内心、ドキリとする。

 秋埜を守るわたし。それが秋埜からどんどん遠くなる。なんだろう。胸がざわめく。


 「…あの、もしかして一昨日、センパイのクラスでうちに興味ある、ってひとの話で何かありました?」

 「なにも無かったよ?ちょっと押しが強くて、そこのことろを何とか、って言われたけどきっぱり断ったし」


 うそだ。自分じゃあどうにも出来なくて、星野さんに助けてもらったんだ。

 わたし、何を見栄張ってるんだろ。


 「じゃあ……いえ、なんでもないっす」

 「…うん」


 でも、話すなら今しかないと思う。

 わたしは歩みを止める。手を繋いだままだったから、必然的に秋埜の足も止まる。


 「…センパイ?」

 「…秋埜。ちょっとお話があるの。あのね、ああいう話、今度わたしのところに来たら、話だけでもしてみない?」

 「………どういう意味すか」


 こわい。


 秋埜が、じゃなくてわたしの本音を知られるのが、こわい。


 「秋埜って、うちのクラスの男の子にけっこーモテてるんだよ?美人だし。元気でよく気が回るし。お料理も出来て、一緒にいると楽しいし」

 「…うちがセンパイのこと好きなの知ってて、そういうこと言うんすか」


 知ってる。知ってるし、心がいたくなるほどに、それは嬉しい。

 そして、わたしも秋埜のことが、好き。

 けど、それを知られたら、どうにもならなくなる。

 だからわたしは、物わかりの悪い子を諭すように、辛抱強く続ける。


 「可能性を狭める必要なんか無いと思うんだ。秋埜はとってもかわいい子だから、いろんな人と出会って、何でも出来るんだよ」

 「うちはっ!!麟子センパイ以外のひとなんか欲しくありませんっ!!」


 慟哭のような秋埜の叫び。

 キツく結んだ唇の奥で、歯を食いしばる。

 本当は、わたしだって秋埜が欲しい。

 今すぐこの場で抱きしめて、わたしはあなたのことが好きだよ、って言いたい。


 「なんで、なんでうちの好きなセンパイが、うちにそんなこと言うんですか…っ!」

 「だって、秋埜…」


 だから、だめだ。もう、だめ。これを言ったら二度と戻れないと分かっても、言わなければならない。

 心のなかで、さよならを告げる。

 そしてわたしは、秋埜に言ってはならないことを、言ってしまう。


 「…女の子同士で恋なんかしたら、だめなんだよ」


 「…………………っ」


 秋埜は、涙がこぼれそうな目でわたしを睨む。

 どんな微かな、兆しにしか過ぎないものであっても、わたしは表情を顕せない。たぶんそれだけでも秋埜は察してしまう。


 ごめんね、秋埜。やっぱりわたしは、こんなやり方しか出来ないんだ。

 でも、届かない謝罪に意味なんてあるのだろうか。

 自己満足にしか過ぎないそれが、わたしの胸中を満たして溢れそうになる。


 それから、秋埜はわたしが何か言うのを待つようにじっとしていたけれど、わたしが何も言うつもりがないと悟ったのだろう、たぎる憤りをその目に湛えたまま、一言も発さずにわたしに背を向けて、そして何ごともなかったような足取りで去っていった。


 

 

 「はあっ…」


 疲労に押し潰された肺腑の中の空気が、全部口から洩れたようだった。

 これでもうお終い。

 秋埜は、二度とわたしの隣には立ってくれない。


 「明日から、お昼ご飯どうしよ…」


 つまらないことでも言わないと、歩き出すことすら出来なくなりそうだった。

 帰ろう。

 帰って、せいぜい一人で泣きはらそう。それが秋埜への、せめてもの贖罪しょくざいだ。

 そう思って、鞄を持ち直した時。


 パン、パン、パン。


 …拍手をしながら現れた人影が、こう言った。


 「どんなつまらない茶番を見せられるのかと思っていたら、これはなかなか見物だったよ」

 「え?」

 「…久しぶりだね。キミは覚えていないだろうけど、ボクはずっとキミとまた会えることを心の底から、願っていたよ」


 そこには。

 いつか見たままの、おかっぱ寄りのボブカットと、冷徹な眼差しを隠すように誂えられた丸眼鏡の少女が、いた。


 「三条…美乃利…?」

 「ふふ、覚えてくれてたのかい?嬉しいな」


 そのムカつく、楽しげな笑いに、わたしは拳を握った。

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