第22話・おくれてやってきた初恋

 「秋埜?」

 「はい、あなたのかわいいコーハイの秋埜です」


 何言ってんのよ、もー。

 みっともないとこを見られた、と思うよりも先に、秋埜に会えたことにホッとした。

 それから、全部見られていたことに気がつくと、羞恥心よりも腹立ちが先に立った。


 「…なんで?」

 「なんで、って言われましても。麟子センパイの様子がおかしかったから心配で後をつけてました、ってだけじゃ、ダメっすかね」


 そう言って、制服の上に着込んだダッフルコートのポケットに両手を入れたまま、首を傾げる。


 「そっ、それ、それストーカーの真似事じゃない!」


 いや、そんな。と、秋埜は片手をポケットから出して、頬を掻く仕草。


 「…ストーカーの真似事はセンパイの方っしょ。チー坊と緒妻センパイのやること影から隠れて見てるなんて、らしくないことしてるなー、って思いながらセンパイ見てました」

 「うっ…じゃあ秋埜はどーだってのよ」

 「うちはほら。別に見つかってもいーやー、ってつもりでしたし。最後までセンパイ気付いてくれませんでしたけど」


 そんなにか。そんなにわたし、前の二人しか見てなかったのか。

 それはもう、気まずいとか恥ずかしいとか、そんな体面のことなんかどうでもよくなって、自分が何やってるのか、ってただひたすらに惨めになるだけの指摘だったのだ。


 「それでセンパイ、気は済みました?」


 気が済むって、どういう意味なのだろう。

 わたし、どうしてあの二人を見てたんだ。

 緒妻さんと、大智の仲なんてとうに知って納得してたのに。


 「…仕方ないひとっすねー…センパイ、ほら、これ」


 一歩も動こうとしないわたしに、秋埜が近寄ってくる。

 ポケットをさぐって出したものは、ベージュ色のハンカチで、秋埜の普段を思うとずいぶん清潔なものだった。


 「いまのセンパイ、すんげーカッコ悪いっす。だからせめて、顔くらいキレイにしててください」

 「………うるさい」


 ハンカチをひったくって顔を覆う。そうしてわたしはようやく、自分が泣いていたことに気がついた。

 涙流すなんて久しぶり…でもない。緒妻さんと電話してたときもこんなことあったなあ、って思い出して。

 そうして、初めて気がついたんだ。


 わたしって、大智のことが好きだったんだ、って。



 ・・・・・



 カッコ悪い、とか言った割には秋埜はずっとわたしについていてくれた。

 子供の頃は、どんなけんかしたって、泣きながら帰ることなんか意地でやらなかったのに、もっと大きくなってから道々ベソ掻きつつ帰ることになるとは、思ってもみなかった。


 いつか通った土手の道を、並んで歩く。

 以前と違うのは、そろそろ足下の心配をしないといけないくらいに、日が落ちるのが早くなったこと。

 とにかく、寒さが増したこと。

 …そして、わたしが前を歩き、秋埜が後ろを歩いていること。

 顔を見られたくないから、と先に立ったのだから、我慢しなくちゃいけないことなのだけど。

 秋埜の姿が見えなくなるのが、ひどく不安を誘った。


 「秋埜?」

 「はい、センパイ?」


 だから、名前を呼んで返事が来ることを、何度も確認する。


 「ごめんね。呼んでみただけ」

 「りょーかいっす」


 秋埜にしてみれば迷惑極まりないことなんだろうな。

 顔を見られたくはない、でも存在を感じたくて声をかけるだけ。

 自分でも、めんどうなコだとは思う。


 「あきのー?」

 「はいはい、いますって」


 あー、だめだ。また半泣きの声になってる。どんなみっともない顔になっているんだろう。


 「あーきのー…」

 「センパーイ、そろそろ昨日までに名前呼ばれた回数を今日一日で越えてしまいそーですけどー」

 「うるさいなぁ…いいから返事してよ、あきのー…」

 「はいはい。今日のセンパイはカッコは悪いっすけど、弱っててなんかかわいいから、放ってはおきませんって」

 「うるさいなぁ…」


 ほんとに、今日のわたしはどうかしているんだ。名前を呼んでおいてうるさいとか、すごくイヤになる。

 …でもいいや。甘えさせてくれる秋埜がいてくれれば、それでいいや。

 それがどんなにあぶなっかしい思いなのか、その時のわたしは気付きもせずに、ただ根気よく返事をしてくれる秋埜の声をただひたすらに、気持ちいいものだと思って歩を続けるのだった。




 「落ち着きましたか、センパイ」

 「…うん。なんか、ごめんね」

 「いーすよ、別に。珍しいもの見れましたし」

 「どーいう意味よ」


 ホントに、涙声も収まってほっとすると、自分がしでかしたことを思い出して顔が赤くなる。

 土手の道を降りて町中に戻り、秋埜の家に向かう道と、自分の家に向かう道が分かれる交差点で、それでもわたしはまだぐずっていた。それはまーその、秋埜と別れるのが、なんだかいやだったから。


 「…で、センパイ。今日は家に帰りたくない、とか言い出したら流石にうちでも怒りますからね」

 「う…」


 そのまんまじゃないけど、言い当てられて少し絶句。

 だってさ…秋埜優しいんだもの。


 「今日のトコはいろいろあったりでセンパイも混乱してるでしょーから、構いませんでしたけど、明日からはこーはいきませんからね。もーちょっとセンパイ、しゃんとしてください。うちの好きな麟子センパイは、そーいう人だと思ってますから」


 その言い方はずるいなあ…。秋埜の好きな自分でいられるように、って思ったことが全部自分に返ってくる。


 「分かった。まだ時間かかるかもしれないけど、明日はもう少しましな顔を見せるわよ、ね」

 「期待してます」


 にっこりと笑い、そして秋埜は灰色のダッフルコートをまとった身を翻して去って行った。

 その際に「あー、寒いなー…」と呟いてたのを聞いて、今さらながら悪いことしたなあ、って思う。


 …秋埜はどうして今日、わたしのことを見てたんだろうか。

 わたしが大智の付き添いにいくようになってからのことを、思い出す。

 最初、秋埜はわたしが行くことにはあんまりいい顔をしてなかったと思う。

 それはその…嫉妬?だって自分でも言ってたし、まあありかなー、って自分でも思ってた。それで浮かれていたか、っていうと別にそんなこともなかったのだけれど。

 それで段々と、なんだか大智としっくり来ないように…あー、落ち込む。わたしひとりで浮ついて、全然大智のこと考えてなかったんだ。それは大智もいらいらするってもんよね。


 そういうわたしのこと、秋埜はずっと見てて、きっと呆れてたのかな。それともずっと妬いていたのかな。

 嫉妬…秋埜が、わたしと大智が一緒にいることを思って嫉妬していたって。

 そう思うとなんだか胸がざわつく、っていうかドキドキする。


 秋埜はわたしのことが好き。

 じゃあわたしは、秋埜のことが…たぶん、好きなんだと思う。

 それは今まで簡単に言ってた、大好きだよ、っていうのとは少し違うような、そうでもないような。違うのだとしたら、わたしが変わったということだろうし、前と同じなのだとしたら、それはきっと。


 …とっくに姿の見えなくなった、秋埜の立ち去った方角を見送る。


 「…はあ」


 あの子のことを思って洩らす吐息が、前よりもちょっと熱量を増したように、思えた。

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