第23話・わたしの問題

 「おはよー、秋埜」

 「…センパイ、校門前で待ち構えるとか、別人みたいっすね」


 失礼な。なんだか朝から秋埜の顔見たくて寒い中立ってたっていうのに。


 「昨日はごめんね。わたしすごく勝手なことしてたって思った」

 「きのうのことは別にいーですよ。それより朝からうちと一緒にいていーんすか?まーた例の噂のこととか…」

 「あー、あれ。別にもういいかな」


 実際、半月も経つと奇異な目もそんなに気にならなくなる。それにその間、秋埜が気を遣ってか今村さんとも一緒にいることが多かったし。

 クラスでも、星野さんなんかはまだちょっとツッコミ足りないようだけど、適当に笑ってかわす手管なら、結構お手のもの。

 …それに。秋埜との関係を自分で否定するような真似は、なんだかしたくなくなったから。


 「そすか。それなら別にいいんですけど」


 …?なんだかちょっと、煮え切らない態度の秋埜。

 まあいいか。朝から秋埜の顔を見られて、わたし結構、上機嫌。


 「お昼どうする?」

 「あー、いつも通りセンパイの教室行きますって。待っててください」

 「…たまにはわたしの方から行こうか?」

 「下級生の教室って気後れしないすか?センパイ一部で有名なんですから無理しなくてもいーすよ」

 「別にわたしがそうしたいんだから、構わないけど」


 並んで校舎に歩きながらの会話は、今までよりもちょっと暖かい。ちょっと変わった時間に顔を合わせるだけでも変化っていうのはあるものなんだなあ。


 「いつもと違うことするとまた変な勘繰りされるっすよ?いーからセンパイはうちが行くのを待っててくださいって。…それこそ、うちのやりたいことなんですから」


 秋埜がそーいうなら別に構わないけど、とわたしは前を向く。


 「…むー」

 「気に入らないですか?」

 「そういうわけじゃないけど。してもらってばかりじゃ気が済まないって」

 「センパイにはうちがちっさい頃に、さんざんいろいろしてもらったんですから。だからバランスとれてちょーどいいっす」

 「そんなものかな…」


 なんだかわたしがワガママ言ってるみたいな空気。ほんの何日か前までは、全然逆だったように思うんだけれど。

 これは秋埜の先輩としては忸怩たる思いがある。態勢を立て直そうとわたしは、こほんと一つ咳払い。


 「じゃあ、待っているわね秋埜。遅れてはだめよ?」

 「…センパイ、ハッキリ言ってそれキモいっす」


 なんだと。思わず凍り付くわたし。


 「まーまだ何も変わってなんかいないんすから。いつも通りでいきましょ?ではお昼に、センパイ」

 「…はーい」


 うーん。なんだかスカされた気分。わたしが空回りしてるだけなんだろうか。秋埜が何考えてるのか、よく分かんない。

 まあいいか。その辺もお昼に話してみよう。




 …って思っていたのだけれど。


 「この学校入ってよかったと思える最大の理由って、学食のうどんが美味しいことだと思います。うまうま」

 「もっちー、学食に来ると五回中四回はうどんだしなあ」

 「体はうどんで出来ている」

 「出来ててたまるか」


 何故か今日は学食で、今村さんも一緒なのだった。いや、別に最近多いから構わないんだけど。


 「…あっきー、それ美味しそうだからちょっと分けてくんない?」

 「やんない。センパイのお弁当は誰にも渡さない」

 「愛されてますなー、先輩。…先輩?」

 「あー、ああ、うん。そうかもね」


 わたしは自作のお弁当。特に予告もしてなかったけど、秋埜のために何かしてあげたくなってつい秋埜の分も作ってしまい、学食に行くと聞かされて恐る恐る手渡した大きめの弁当箱は喜んで受け取ってはくれたものの、学食で更にたぬきそばの食券を買う秋埜にちょっとがっくりきたのも、事実だった。

 いや別に秋埜がよく食べるのは知ってるけど、わたしのお弁当だけ食べて欲しかったとかー、なんか複雑というか…なんなの、この感覚。


 「お弁当が二人で三人分の座席占領するのもなんか悪いっすからねー。センパイもせっかくだしどーです?おそばじゃなくてチャーシュー麺大盛とか」

 「そんなに食べられません」


 秋埜は口ではそう言ってたけど。


 「…ふぃー、食べた食べた。んじゃ、邪魔者はこれで退散します」

 「え、もう?」

 「ちょっと数学で質問あるんですよー。もう先生もお昼終わったでしょ、ってことで。ほいじゃー」

 「ういうい。もっちー、先生問い詰めるのもほどほどになー」

 「それは先生次第。ではー」


 言うや否や、今村さんは自分のお盆を持って行ってしまった。なんか不穏なやりとりを聞いた気がするけど、気にしない。

 わたしのお弁当はまだ半分も残ってる。今日はご飯よりおかずが減るのが早くて、そろそろ喉が詰まってきた。給湯器から注いできたお茶はもう空になってて、もう少しお茶もらってこようかな、と立ち上がりかけると、


 「…センパイ、あんまあれ良くないっすよ?」


 …今村さんをにこやかに見送ってた秋埜が、声をひそめてわたしに苦言を呈してきた。

 苦言、というのは秋埜の顔が渋面そのものという感じで、何を言われても仕方無い雰囲気になっていたからだ。

 浮かしかけた腰を下ろして、すこしバツの悪い顔を秋埜に向ける。


 「もっちー、センパイの『邪魔だ~邪魔だ~』って空気はっきり汲み取ってさっさと行っちゃったんすから…」

 「え、わ、わたしそんな顔してた?」

 「顔してた、っつーかあからさまに面白くなさそうだったじゃないすか」


 そうなんだろうか。それはまあ、秋埜と二人っきりじゃなかったことにいくらかは落胆してたかもしれないけど。


 「…そんなんじゃまだ『センパイの問題』は解決にはほど遠そうっすね」


 ぴくり。

 なんだか久しぶりにその言葉を聞いたような気がして、箸を運ぶ手が止まる。

 わたしの問題。

 それって…。


 「…もう解決したんじゃなかったっけ?」

 「どーしてそう思えるんすか…」


 だって。

 わたしは…大智のことが好きだった。

 そのことに気がつくことで、わたしは変わった…って思うじゃない。

 呆れ顔の秋埜を前にするとそれも自信が無くなるのだけど。


 「まーいいです。今のとこは現状維持だとうちは思ってるんで。あとでもっちーにはフォロー入れておきますから。センパイ、いつも通りにしていましょ?」

 「そーだね…」


 それで楽しいことになるのかどうか、ちょっと不安があって。

 そして秋埜の「いつも通り」がわたしにはなんだか物足りなくって。

 それこそいつも通りの話に終始したのだけれど、なんだか上滑りした会話だったような気がしたのは、わたしだけなんだろうか。



 ・・・・・



 「だからここはカウンセラー室でも恋のお悩み相談室でもないって言ってるでしょうが。何度言えば分かるのあんたは」


 流石に恋のお悩み相談室ではないだろうけど、カウンセラー室は間違ってないと思うんだけどなあ、とわたしは最近お馴染みの保健室に入り浸ってる。


 「でも前回先生に相談した噂の件はアドバイス通り沈静化したのでその手腕を見込みまして。はい」

 「それは沈静化したんじゃなくって、ただ諦められただけじゃないのかしら」

 「…?」

 「分かんないならそれでいいわよ。で、今度は何ごとよ」

 「秋埜がなんかそっけなくって」

 「帰れ」


 犬に向かって「ハウス!」と言うような調子で言われた。


 「来年三十路を迎える独身女に向かって惚気るとはいい度胸してるわ、あんた」


 惚気てるつもりはないんですが、先生。

 それはさておくとして、気になったことを聞いてみる。


 「そんなに三十歳って引っかかるんですか?」


 同じ女としてはいずれ来る時に向けて、心構えの勉強になると思うのだけれど。


 「本人がどう思っていようが、周りの反応がね。区切りだかキリ番ゲットだかなんだか知らないけど、二十九が三十になったくらいでそんなに心境やらがパーッと変わるわけないっての」


 きりばんげっと?


 「…なんでもないわ、忘れて。ともかく、自分がどう思うかよりも周囲にどう見られるか、ってことがおっきいわけだわね。あんたが曝されていた噂と同じようなもんだわ」

 「えーっと、それってどういう…」

 「本人がどうあるのかよりも、周囲がどう思っているのかで本人まで影響されてしまう、ってこと。ま、噂話に左右されてない今の方が、あんた達らしいといえばらしいわね。…はい、紅茶」

 「あ、ども…って、先生コーヒー止めたんですか?」

 「あんたがコーヒー好きじゃないみたいだから変えたんじゃないの。飲めないとは言わせないわよ」


 わたしが好きなのは紅茶じゃなくて日本茶なんですけど。

 …と、やっぱり今回も言えず、ティーカップを素直に受け取る。自分の趣味を押しつけるような真似しない辺りは、好感が持てるのだけどね。

 しばらくは先生のコーヒー、わたしの紅茶、それと保健室のニオイが混ざった複雑な空気の中で、それ以上に複雑な静けさを堪能?する。まあけっこー、この先生と対峙してる時の微妙な緊迫感がわたしは嫌いではなかったりする。


 「…それで、今度はあんたの方が秋埜に参っちゃった、ってわけ?」

 「…そこまで単純な話じゃないと思うんですけど」

 「いやどう見たってそうでしょうが。好きな相手の態度がなんだか気のない風だから、振り向かせるにはどうすればいいのか、って相談なら私はお呼びじゃないわけ。お分かり?」

 「えーっと、それじゃ秋埜の身内としての意見を求めたく」

 「それこそ学校でする話じゃないわね…って、言いたいとこだけど、少しばかりあんたが可哀想だから付き合ってあげるわ」


 え、それってどういう…意味?

 わたしはティーカップをソーサーに置いて、思わず身を固くする。


 「んな緊張しなくたっていいわよ。単にいつも通り、ってだけ。あんたが秋埜にドキドキしてるよーには、あの子があんたにドキドキしてはいないから、ちょっと可哀想だわね、と思っただけのこと」

 「いつも通り、ですかー…」


 うん、正直なトコ、それほどがっかりしたわけでもない。だって今日の様子からしても、秋埜はいつも通り。

 わたしが気付いてなかったことに気付いてからも、今まで通り。

 …でもそれって、わたしも何も変わってない、ってことなんじゃないだろうか。

 わたしとしては結構な大転換迎えたように思うのだけれど。


 「それと、秋埜が言ってた宿題は、片付いたのかね?ん?」


 そう、それもある。

 っていうのも、わたしは…そのー、大智のことが実は好きでしたー…って気がついて、だから秋埜とのことが引っかかってたんじゃないかなー、って思って。

 大智には緒妻さんがいるんだから、じゃあわたしには秋埜が…って思うことの何がいけないのだろう。

 いや、女の子が女の子を想うのがいけないこと、って言われればそーなのかもしれないけども、そもそも秋埜の方からわたしに告白しておいて、わたしがその気になったら、そーじゃないです、ってそれはヒドすぎない?わたしみたいな純情な女の子を手玉にとって、ほんとーに秋埜は罪作りな子だ。でもそんなところも素敵。…って、何言ってんの、わたし。


 「…その様子じゃ、思うようにはいってないみたいだわね」

 「実はそうなんです」


 そもそもわたしの「思い通り」がどんな形なのかも分からないんだけどね。


 「まあ秋埜がいつも通りだってのなら、まだ回答は正解じゃないって見做してんでしょうけどね。センセイは再提出を所望のようなのだから、生徒としてはそれに応じなけりゃならないんじゃないの」


 そーですね。相原センセイに普通の先生生徒の関係で例えられると違和感ぶゎりぶゎりですけどね。

 …って言えればよかったんだけどなあ。現状、わたしがそれ言っても負け惜しみにしかならないわけで。




 『ま、話くらいは聞いてあげるから、また何かあったら来なさい』


 とゆー、心温まり頼り甲斐のある言葉を背に、わたしは保健室を出る。

 最初に入った時のぞんざいな扱いにくらべれば進歩しているというわけで、まことに結構な話。また来る機会、なんて欲しいとは思わないけれど。


 さて、と。

 わたしは担任に呼びだされていたことを思い出して、職員室へ向かう。

 というのもですねー。

 ちょうど後期の中間考査の時期が大智の送り迎えしてた時期と丸被りでして。

 ええ、おかげでそれはもう、試験の結果が急降下してたわけなんです。

 その件で大っ変に心配されてしまいまして、これからありがた~いお説教を頂戴しにいくとこなんですよねー。

 …なんてことは大智や緒妻さんには絶対言えないのだけど。二人の学校は三学期制なので、わたしたちの学校とは微妙に試験時期がずれていて、あんまりこういう感覚を共有出来ない。

 ましてや、大智の付き添いで中間考査の結果が悲惨なことになりました、なんて言った日には大智が切腹しかねないし。そしたらわたしは緒妻さんに一生恨まれてしまう。


 …と、わたしは結構二人のことを軽く考えられている自分に、少し驚いていた。

 あの出来事って、わたしには結構ショックだったはずなんだけれどなあ。

 それとも、ほんの昨日の話だっていうのにこんなに簡単に考えられるほど、わたしって強靱なマインドの持ち主だったんだろうか、ってそんなわけないし。大体、秋埜にちょっと距離置かれるような振る舞いされただけで動揺してるわたしが、そんな神経太いわけないよね。




 お説教自体はそんなに長引くこともなく、わたしは校門を出た。

 入学以来ずぅっと上位を保ったままのわたしにとって、たった一回の不本意な成績くらいでは先生ズの信用を失うこともないのだ。

 …とはいえ、普段公表されない順位表で自分の順位を確認させられ、入学後初の二桁どころか三桁も目前だった、という事実にはさすがにガクゼンとしたのだけれど。そりゃ先生なら心配もするわ。

 そして、そんなちょっとした動揺を抱えて歩くうち、学校と家のちょうど中間に差し掛かる頃。

 唐突な着信の振動は、のんびりスマホを取り出したわたしの全身を硬直させた。


 「…大智、って……なんで…?」


 呆然と表示されている名前に見入る。

 大智から電話がかかってくる出来事に心当たりがない。

 いや、あるにはある…けど、それはわたしの贖罪意識を喚起するだけのものであって、本来こちらから詫びなければいけないことのはず。

 そう思っているうちに留守電に入りかけ、慌てて通話ボタンをタップ。


 「はいっ!もしもし…?!」

 『………あの、俺だけど』


 慌ててたわたしと違って、向こうの声はやけに意気消沈。本当に大智なの?って思ったくらい。あるいは例の詐欺の新しい演出か…って、大智の番号なんだからそんなわけないだろうけど。


 「…うっ、うん……その、どうしたの?」

 『いや、俺…リン姉に、謝らないといけなくって…』

 「………は?」


 心の底から意味が分からなかった。 

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