第5話・彼女とわたしのオン・ユア・マーク
とは言ってもなあ。
何というか、ひどく気まずい別れ方をした相手にどんな顔をして会いに行けばいいかというと、それが難問なわけで。
授業中は気もそぞろ、そして昼休みの今になっても、同級生の誘いも断って未だに悶々としているわたしなのだった。
まず大前提として。
彼女、鵜方秋埜はわたしを知っている。
知ってるどころかわたしが無かったことにしておきたい過去のあれやこれやをー、まあその何というか、覚えていてだな、それでいてどーいうわけか近付こうともしてなかったわけだ。
…そこがわかんない。
あの子にとって楽しい思い出だったとも言い切れないし、それなら別に接触しようとしないっていうのなら、分かる話だと思う。
でもそうなると、わたしに自身について話を集めてた、って理由が無くなるし、それに相原教諭の言ってた、わたしの後を追うようにこの学校受けたって意味が不明になる。
いやもう、ホントに分かんない。
「…さーん」
…いや待て待て。
そもそも彼女のわたしに対するアクションの内容なんか、全部あの先生の口から出た話でしかないし。
「中務さーん?」
となると、最初っからあのいまひとつ言動に信頼のおけない先生の狂言かもしれない…。
「なーかーつーかーさーさーん、ってば!」
けどその場合、あの時のあの子の顔って…ううん……。
『パァン!!』
「ひゃいっ!!」
なっ、なに?!何ごと?!…と、慌てて周りを見回すと、目の前で合掌された両手が割れて、そこからクラスメイトの呆れ顔が覗いた。
「……ひゃい?」
「……え、何か…あった……です?」
「あ、うん。変な声がしたから。というか、今日は朝からボーッとしているけど、寝不足なら保健室にでも行く?」
それは遠慮申し上げる。少なくともここ数日ですっかり悪い意味で馴染んだ場所なのだし。
「ううん、大丈夫。おかげで目が覚めたし。ありがと、星野さん」
「いいけど。でも授業中は勘弁して欲しいところね。午後イチは古文なんだし」
ため息つくのと肩をすくめるのを同時にする、という器用な真似をする
それはまあ、彼女としても古文の授業で居眠りが出る心配もするだろう。何せ、連帯責任!、が口癖の足達先生の授業なのだから。
あの先生、教室で誰か一人でも粗相するだけで授業止めて全員に説教するもんだから、評判が悪いのだ。
「いえ、目を覚ますのが目的じゃなくって、来客。中務さんに」
「来客…?」
努めてキョトンと問い返すと、星野さんはそれなりに人の悪い顔で、言う。
「…ふふ、また告白の呼びだし?」
えええ…ちょっと今日は止めて欲しいなあ…、っていつ来たってお断りしてるんだけど。
だって、わたしに告白するよーな男の子って、大体わたしがよく知らない人ばかりなものだから。
わたしは、このかわいい容姿を最大限に生かして、将来性はあるけど転落の可能性も少ない人と一緒になり、安楽な人生を送るのだ。だから、わたしがよく知らない人と簡単に付き合ったりはしない。
公言こそしてないけど、クラスメイトはわたしのそんな態度は察するところでもあるのだろう、男の子にちやほやされそーな女子を除け者にするなどといった、ありがちな真似はされてはいなかった。我ながら世渡り上手なことだと思う。うんうん。
「後ろの方で待ってるから、行ってあげてね。じゃ」
「あっ…あー、うん、ありがとう」
興味が無いこともないのだろうけど、星野さんの場合わたしがどうするのか物見高く見物するような、悪趣味は持ち合わせていないっぽい。
ひらひらと手を翻しながら去って行く星野さんを見送ってから、わたしは足取り重く立ち上がり、教室の後ろ側の扉に向かった。
開いた扉のところには、待ちぼうけという様子の子は見えないので、きっと廊下で待っているのだろう。また慎ましいというか、遠慮深いというか。
それとも、上級生とか下級生とか…と、扉を出たところで思い、困った。
まさかとは思うけど。
「…ども。昨日は失礼しました」
…そして、その、まさかだった。
「えーと、改めましてー。鵜方秋埜、です」
「…えーと、なんだか注目を浴びてるみたいだから、場所変えない?」
「…あ、そーですね。スミマセン…」
いや、そんな
会ってみたいけどどう応対したらいいのか皆目見当もつかない相手、というのがどれだけ厄介なのか分かった。
けど、わたしの動揺を他所になんだか落ち込み気味にも見えるコを見ると、逆に落ち着いてくるのも分かった。
これはあれだろうか。先輩風、ってやつ?
「センパーイ、場所ですけど任せてもらっていーですかー?」
…吹かす暇すらなかった。ふふ、行動力旺盛なのは見た目通りってわけね。
仕方なしにわたしは、今日は頭の左側に結ってある栗色の髪の房を追う。
ま、こんな時に余裕を見せてコーハイに譲るのも、先輩の貫禄ってもんでしょ。
そして二分で見失った。
二階から一階に降りたところで左右を見たら、姿が掻き消えていたのだ。
だってあの子一切後ろ振り向かずにスピード上げて行くんだもの!
「…もー、どこ行ったってのよ……」
そういえば、空腹なのだった。考え事をしているうちに昼休みも半ばを過ぎ、僅かに残った時間も不意の来客で台無しにされた。
昨晩は、安らかな眠りの予感とかいってたくせに妙に高ぶってなかなか寝付けずにいたものだから、確かに寝不足ではある。子供か、わたしは。
空腹と寝不足。そして居眠りなどしようものなら、クラス中からひんしゅくを買う結果間違い無し。
わたし、詰んだ。
「……あーもー!帰る!」
「いや、帰んないでくださいってば」
「はひっ?!」
振り返ると、あの子が立っていた。
一階の階段だから、生徒の往来はそれなりに多くてまるで街の雑踏のようだ。
そんな中、困ったように笑いながら、両手に持っていたものをわたしに差し出す。
「はい。お昼、食べてなかったんじゃないすか?」
サンドイッチと、紙パックのカフェオレだった。
ふと包みを見ると、白身魚のフライサンドだ。タルタルソースが絶妙で、すごい人気のやつ。
「…えっと、これあなたのお昼ご飯じゃないの?」
「うちは食べましたよ。センパイ、食べてなかったみたいだから先に行って買ってたんです」
…ホントかなあ。こんな時間までこの人気商品が残っているとも思えないんだけど。
でも背に腹は代えられない。お腹と背中がくっついても代えるとこまではいかないのだ。
わたしはありがたく受け取り、落ち着いて食べられるところを探そうと周囲を見渡す。
「センパーイ、お代ください。手数料含めて三百五十円です」
ちゃっかり三十円くらい上乗せされてた。別にいーけど。後輩におごられるのもカッコ悪いし。
「………はい」
スカートのポケットから財布を取り出して、三百五十円ぴったり取り出して渡す。
「まいどー」
いや毎度も何もこれが初めてでしょうが。
そんなつもりで口を尖らしたのだけど、そしたらニコッと笑われてしまって、毒気を抜かれた気がする。
「立ち食いもなんでしょーし、あっち行きましょ?」
そして、窓から見える中庭を指さして言う。
人は多いけど、昼食も済んだのかベンチの空きは余裕あるっぽい。
わたしは後についていくのも面白くなくって、先に立って歩き出した。
…向かった先が遠回りだと気づいたのと、背中から聞こえた控えめに笑う楽しげな声が、わたしのしゃくに障った。
「うまいですか?」
「…美味しいわよ。どうもありがと」
「どうしたしまして」
好天に恵まれた、とは言い難いけど曇り八割晴れ二割、といった空の下、ちょうど日の当たるベンチを確保出来てわたしは空腹を思い出したように、提供されたサンドイッチを貪り食らった…ちょっと下品。
食べ終わったあとの包装を丁寧にたたんでポケットに収める間も、隣に座る彼女は低い位置でほおづえをついて、わたしの顔を見上げてた。
「…わたしの顔なんか見て楽しい?」
「楽しいっすよー。昔のこと思い出して随分変わったなー、って」
「……っ」
一番言われたくなかったことをさっくり言われて顔を逸らすわたし。
「センパイのその反応だと、昔うちと会ったことあったの、思い出したみたいですね」
「大智に聞いて思い出した。って、あなたは大智のこと覚えてる?」
「そりゃーもちろん。うち、六年の時にこの町離れたんで、センパイが中学生になった後のことは知らなかったんですけど」
「ふぅん…」
そういうことか。
わたしも自分の行状を改めたのが中学一年の秋頃からだったからなー。
その時分から伸ばし始めた髪はすっかり馴染み、肩の下まで伸びて先っぽに少しクセがついてカールしている髪は、多分わたしのトレードマークになってる。
なんというか、小学校の時の姿の記憶が周囲から薄れて、中学三年にもなるともー、男の子からの声掛かりが増えてきて、最初はちょっとどぎまぎもしてたけれどそのうちに、どーせわたしの外面しか見てないんでしょ、ってやさぐれた気分になり…まあ、他にもいろいろあって諸々を割り切ることにした結果が、いまのわたしだ。
改めて回想すると小学校の時の痛い自分からあまり変わってない気がして、落ち込む。
「でー、高校進学を考える時になって、あーあの助けてくれたセンパイいまどーしてっかなー、って思ったら、なんかオバさんが校医してる学校にいるよー、って話聞いたので、じゃそこにしようか、って。そんな感じっす」
「いやそんな感じって…ウチのガッコそれなりに進学校なんだし、勉強大丈夫だったの?」
「えー、うちこう見えても成績は悪くないんすよ?こんなナリなんで、結構誤解されますけど」
うん、それは分かる。わたしも初対面…じゃないや、再会の場面ではそのまんま「ギャル」扱いしてしまったし。
いちいち口にするのも余計なお世話、って気がしたのでそこは黙っておくけれど。
「それで、久しぶりに会った憧れの先輩は、どう?見違えたでしょ?」
その代わり、思いっきり気取って再会を盛り上げてみよう。きっとこんな感じが、今のわたしらしくて昔のあの子が喜びそうだ。
「そーですねー…」
頬杖を解き、意外に姿勢良く腰をかけ直して、彼女は真横のわたしをすっと見つめ、それから言う。
「…一般的にかわいくはなりましたけど。でも中身はあんまり変わってないです」
え。それどゆこと。
いやいや待って。確かについ今し方小学生の自分と今の自分を比較して軽くヘコんでいたけど。
その頃しか知らない子にまで指摘されるくらい、わたし変わっていないって、どーゆーことよ。
「ああいえいえ、別に悪い意味じゃないっす。昔の、自分でどーにかしようと動き回ってたところって、やっぱり変わってないなあ、って」
「…自覚は無いんだけど」
「え、でもセンパイ自分からうちに会いに来てくれたでしょ?そーゆーとこです」
わたしが気分を害したとでも思ったのか、あわてて付け加えると、顔を逸らして正面を向き、両手をベンチに下ろして軽く体を反らしている。
「うちがセンパイのこといろいろ聞いてたこと、オバさんは大目に見てくれてたんですけど、やっぱ自分が知らないところであれこれ調べられたりされると気味悪く思うじゃないないですか。だから、オバさんに言って、それとなくうちのこと知らせて、ってお願いしたんすよ。それで本格的に気持ち悪がられたらそれっきり、って思って」
それとなく、があれか。なんともやり方が不器用過ぎて涙が出てくる。
「オバさんには、伝えておいたよー、ってだけ言われてあとはどうなるかなー、って思ったらもう翌日センパイが来てくれて。うちも心の準備とか一切してなかったから、もー慌てて慌てて」
あー。そう言われるとなんだか懺悔したくなってくる。
わたしだって原因不明のやけっぱちで勢いこんだだけだったのだし。
そんな嬉しそうに言われても、その、困る。
まあそれはそれとして、もう一つわたしとしては、疑問があった。
「えっと、一つだけ。昨日、わたしと会って、どうしてわたしだって分からなかったの?校内で見かけたりとかしていれば、分かったと思うんだけど」
「それ、聞きますかー……」
天を仰いで嘆息、それから見せたのは、ほんの少し苦い感じの横顔。
「えと、流石にそこまでやったらヤバいかなー、って思って。それだけです」
ヤバい。
…のかなー。なんか今更って気もするんだけど。
まあでも。
彼女なりに線を引いていた、っていうのは分かって、わたしにとってもいろいろ懸念…じゃないなー、守らないといけないトコは守られた、って感じ。
まさか向こうから来るとは思ってなかったから、唐突とゆーかコントロール不可能な事態になる可能性だってあったんだけど。
別に普通の、いいコだよね。
「…そろそろ時間っすねー。戻りましょ、センパイ」
予鈴、ナイスタイミング。
並んで立ち上がり、おしりを叩いてホコリを払う。
それで気付いたんだけど。
「…センパイ、なにか?」
「え?うーん、やっぱりスカート短すぎない、それ」
「えー、今時普通ですよー。センパイもみじか…くしない方が良さそうですね」
「どーいう意味」
「秘密でーす」
あははー、と明るく笑って小走りに駆けてく。
まあ、急ぐほどの時間ではないのだけれど、置いていかれるのがなんだかイヤで、わたしも追いつこうと駆け足…の一歩手前くらいに移行。
それなら追いつくだろうな、と思ったところで彼女は、急停止。あやうく背中に激突するところだった。
「ちょっと、急に立ち止ま…え、なに?」
文句を言おうと声をかけると、振り返ってにっこり笑っていた。
「センパイ、うちのことは名前で呼んでください」
それはまたささやかな要求だ。
仲のいいコを名前で呼ぶくらいのこと、何ほどのことがあるっていうんだろう。
「秋埜、でもアキでもあっきーでも、好きなので構いませんけど、とにかく下の名前で。うちも、センパイのこと名前で呼びますから。麟子センパイ」
…と思ってたんだけど、自分が言われるとそれはそれで面映ゆい。そーいや、大智や緒妻さんにだって、愛称では呼ばれるけど名前そのものって呼ばれることほとんど無いしなあ。
「麟子センパーイ?はい、どーぞ」
「え、えと…こほん」
思わず咳払い。緊張してどーする、わたし。
「…それじゃ、これからよろしくね。秋埜」
まあそれでもなるべくなら、と精一杯の威厳のようなものを込めて。
わたしは初めて彼女の名前を呼んだのだった。
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