第4話・わたしの(黒)歴史

 「ヘタレ」

 「そもそも誰のせいだと思っているんですか。というかそれ以前に傷ついたかよわい女生徒に言うに事欠いて『ヘタレ』の一言とか他に言うこと無いんですか」


 あの後保健室に飛び込んだのは宣言したとおりの行動なので、わたし的にはなんの問題もない。

 なので、事情を話すなり深いため息とともに罵倒されたことに対して異議申し立てをする権利くらい、あると思うのだけど。


 「秋埜が何か反応したのくらい分かったでしょうに、何でそこで逃げ出してくるのあなたは」

 「逃げ出したんじゃないです。黒幕を問い詰めるために駆けつけただけです」

 「黒幕?」


 自覚のない悪を追い詰めるのって大変そうだなあ。


 「大体ですね、細かい事情とかどーして先生が従姉妹さんとわたしを引き合わせようとしたのかとか、肝心なことが全然説明されていないじゃないですか。おかげで余計な勘違いしてかかなくていい恥かいただけになってるんですけど」


 あの子がわたしのことを何かの形で知っていることくらい説明…はされていたっけ。思い出すと微妙な気分になる形ではあったのだけど。

 そうじゃなくって、そもそもこっちはあの子のことを知らないのだから、会わせる前にもう少し予備情報っていうか、ココロガマエみたいなものをですね。


 「だって、そんなに早く顔を見に行くなんて思わなかったもの。興味持ったにしても、もう一度くらい話聞きにくるものじゃない?普通は」


 っ…痛いところを…。

 それはまあ、冷静に考えれば昨日のわたしはどうかしていた。相原教諭に指摘されるまでもなく、いつものわたしなら、そんな気になるにしてももっと用意周到になるハズだと思う。


 「それに余計な勘違いっていうけど、何を勘違いしたっていうの。そちらこそ説明もなしに糾弾するような真似されてもね…はい、コーヒー。ちゃんと挽いたのだから、味わって飲みなさい」

 「…どうも」


 どちらかと言えばわたしはコーヒー党じゃなくて紅茶党でもなくて日本茶党なんだけれど。ああ、走ってのどが渇いたので、温めの番茶をくいっと一杯、あおりたい。


 「コーヒー、嫌い?」

 「…いえ、飲めなくはないです」


 とはいっても、親切で出してくれたものを断るのも礼儀にかなわないのだし。この先生の場合、同好の士を増やす意図でやってるだけのような気もするけど。

 仕方なくわたしは、砂糖もミルクも入れない熱いコーヒーを、一口だけすすってカップをソーサーに戻す。

 熱くて味なんか分からない。地獄のように熱い、って言ったのはどこの誰だっただろうか。

 まあ、昨日の今時分と同じ場所、同じ相手と同じような話をしているのだ。コーヒーくらい加わらないと何の進展も感じられないのだから、我慢しよう。


 「それで、勘違いの内容…ってのはもうこの際どうでもいいわね。秋埜とあなたの接点だけど…ああその前に、昨日見せたアレの話、どうしてあったのか、しときましょうか」


 その話、せめて昨日のうちにしておいて欲しかったなあ。


 「…どうしたの?難しい顔して」

 「なんでもないです」


 多分言っても無駄なんだろうなあ、この先生には。


 「なんでもないって顔で…まあいいか。ま、昨日見せたアレだけど、実際には結構前からあの子あなたのことは知っていたのよね。この学校に入ったのだって、あなたが入学したって知ったからだったし」


 えー…それは本格的にすとーかー…。

 って気分が洩れ伝わったのだろうか、たしなめるような目で睨まれる。身内が可愛いのは分かりますけど、もう少しわたしの方の心情も汲んでもらいたいものです、せんせい。


 「別に危ない話じゃないから、もうちょっと黙って聞いてなさい。あの子だってあなたに迷惑かけたくないから接触しようとしなかったのだし、噂みたいなもの集めて喜んでただけなのだから、可愛いものじゃない」


 可愛い…んですかね。スリーサイズまで調べ上げてたのは流石にどうかと…。


 「あ、体の数値は私が教えた」

 「せんせぇ……教育者の自覚あります?」

 「ああ、悪かったわよ、悪ふざけが過ぎたわ。あなた身長と体重の割には、と思って気にしてたからついうっかり」

 「うっかりで済まさないで下さい…あのー、身長と体重の割に、ってどーいう意味ですか」

 「え、あれだけ体重軽いのにその体つきって内臓とか骨格に問題があ」

 「はいセクハラそこまで!」


 …聞くんじゃなかった。



 

 まあそんな具合だったので、あまり実りのある会談、というわけじゃなかった。

 入手出来た情報となると、彼女…鵜方秋埜はわたしのことを知っている。けど、顔を知らなかった理由については教えてもらえなかった。

 名前と存在が分かれば顔くらい見る機会あると思うんだけどなあ。

 それと、過去にわたしはあの子と接触はあったらしい。

 いつどこで、となるとその点はあからさまに誤魔化されたのだけど。というか、知りたければ自分で調べろ、と明らかに面白がってるニュアンスだった。

 って言ってもね…。




 『で、私に電話をかけてきた、と』


 どこまでさかのぼればいいのか分からなかったし、わたしの周りで昔のことまで知っている、家族以外となると二人しか心当たりが、ない。

 そのうち一人には気軽に電話をかけるのも諸般の事情によりはばかりがあるので、必然的にもう一人の方に連絡をとるしかないわけだったのだけど。


 『うがた、あきの、ねー…うん、聞き覚えはないかな』


 …なんとも頼りのないことだった。


 「昨日は名前まで教えなかったから、それを聞けば心当たりあるかなー、って思ったんですけど」


 こんな話を家族の前でするわけにもいかず、自室でスマホ使っている。

 本当は家でスマホ使うとおばあちゃんがいい顔をしないのだけど、この際そうも言ってられない。

 ベッドの上で体育座りをしながらする電話には、なんだか密かごとでもしているような雰囲気もあるけれど、緒妻さん相手にそんなこと考えるわけもなく、親しい間柄で軽く相談している、ってだけのことだ。


 『うーん、あきの、ね。どんな字を書くの?』

 「えーっと、春夏秋冬の『秋』に、『の』は…あー、説明出来ない、あまり使う字じゃないし…なんか土とか木とかそんな字を組み合わせたような字でした」

 『えーと…ああ、分かった分かった。この字か』

 「え、それで分かるんですか?」

 『ん、ちょっとPCの漢字変換で』


 うわこの人自室にPC持ってるんだ。うちじゃあちょっと考えられない。


 『教えてもらってなんだけど、やっぱり見覚えないわね。あきの、っていうからあだ名みたいなのは無いの?』

 「確か教室では『あっきー』とか呼ばれてたような気がしますけど」

 『あっきー…、あきちゃん、あっちゃん、あきのちゃん……んー、何か聞き覚えがあるよーなないよーな…』


 電話口の向こうでうなっている緒妻さん。さっきは頼りないとか言ってゴメンナサイ、と思っているうちに、何か思いついたように、けれどどこか考え込みつつ、気付いたことを告げてくれる。


 『…大智の周りにいた女の子で、あきちゃんとか呼ばれてた女の子がいた、気がする。その子どんな顔とかしてるの?』

 「顔はまあ、キレイな感じですけど。ちょっと人懐っこくて、髪の毛は割と長くクセがあって、あと栗色の薄い感じ…って、ギャルっぽいトコあったから、染めたのかも」

 『それじゃ参考にはならないかあ。でもいいよ、大智に連絡して電話させるわね』


 わたしは微かに、息を呑む。


 「…いいんですか?」

 『いいって、何が?』


 瞬間、どっか緊張感みたいなものが走ったのはわたしの錯覚だったのだろうか。


 『別に大智に電話するくらいなんでもないって。他ならぬお麟ちゃんのためだものね』


 …思い過ごしのようだった。どうも、昨日緒妻さんには変なコトを聞かれたせいか、わたしが構えてしまうみたい。

 早速大智に連絡するから、と緒妻さんはそそくさと電話を切った。

 朝練があることが多い大智は、比較的夜寝るのが早い。だから緒妻さんも夜は遠慮して大智と長話するようなことは無いみたいだったから、電話する口実が出来て嬉しいのだろう。

 わたしの用事忘れて話し込んだりしてなければいいけど、と苦笑しているうちに布団の上に投げ出したスマホが着信で震える。

 相手を見ると、大智だった。また緒妻さんも随分速達を送ったものだ。


 「…はい、もしもし大智?」

 『どーせ誰からかかってきてるか画面に出てるんだから、その第一声意味なくね?』


 相変わらず女心というものが分かってない男だった。


 「緒妻さんに電話してもそーゆーこと言うのかね、キミは」

 『いやオズ姉の場合、俺から電話するとさんざん待たせてから電話に出るし』

 「…へー、意外。ワンコールで出るものだとばっかり思ってた」

 『俺も面倒くさくてさー、着信来てるの分かってんだったら早く出てくれ、って言ったら駆け引きだからー、って言われた。今更駆け引きするような間柄でもないってのになー』

 「…あはは」


 なんとなく、乾いた笑いが、洩れる。

 大智がわたしに緒妻さんの惚気のろけ話、なんていつものことなんだけど、緒妻さんが一緒にいないってことだけで、笑いが事務的になる気がする。

 やだなあ、こんなわたし。


 『…と、そうじゃないや、オズ姉に頼まれたこと。あのさ、リン姉。俺らが小学生の頃…あーっと、オズ姉はもう中学だったかな?まあいいや、とにかくその頃にリン姉が俺をかばってくれたその更に後ろにいたヤツ、覚えてる?』


 覚えてる?とか言われても。

 大体、わたしは五年生になっても相変わらずチビで泣かされている大智の世話で手一杯だったから、その後ろにいた子、って言われても。ねえ。


 『えーとな、リン姉ってその頃すんげえワンパクだっただろ?俺もリン姉の真似してさ、クラスでからかわれてた女子助けたことあったんだ。けど俺もまだ体デカくなる前だったからさ、結局一緒に泣かされてさ』


 …ん?


 『で、いつだったか、俺とそいつが一緒にいじめられてた時に、リン姉が颯爽と駆けつけていじめっ子連中追い払ってくれたんだ』


 ………えーっと。


 『…そろそろ思い出した?まあそんなことが何度かあったんだけど、その一緒にいたヤツが確か『アキ』って呼ばれてて、俺もそう呼んでたんだよ。小学の卒アルで隣に映ってたから思い出したんだ、確かに『アキノ』って名前だったと思う』


 …お、思い出したっ……。

 あ・の・こ・ろ・かぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!


 人に二つの歴史があるという。

 一つはいつまでも記憶に止め置く、美しき歴史。

 もう一つは、無かったことにしておきたい黒歴史。

 …その所業は、わたしにとってまさに黒歴史だった。


 『アキの話思い出したら、ついでにリン姉のやんちゃも思い出してきたな。あの頃無茶やってたもんなー』


 …大智に語らせたらどんな話が出てくるのか、自分でも分かったものじゃないので自分で思いだそう。

 あの頃わたしは…控え目に言って「ガキ大将」だった。

 それも、自分がトップ取って周りを従えていると勘違いしてる類の、痛い方だ。

 勘違いして欲しくはないのだけれど、弱い者いじめだけは、絶対にしなかった。自分でもしなかったし、周りにそんな話があったら真っ先に駆けつけて止めさせるどころか、いじめっ子を蹴り飛ばしてたくらいだ。


 …まあねー、あの頃わたしって、周りに「かわいい」って言われるのがすっごく、イヤだったわけで。

 自分の容姿のかわいさは自覚していたけど、なんだかそれで周囲が態度変えるのが面白くなかったというか、「わたしの中身をちゃんと見てよ!」…って思ってたんだろうなー…よく覚えてないけど。

 だから、小学校六年生にもなると男女の体格差はそろそろ逆転し始めるところで、本気の腕力で男の子に敵うはずなかったんだけど、結局「かわいい女の子」だったから見過ごしてもらえてたっていうか、あの子を酷い目にあわせたらえらいことになる、なんて意見の一致があったんじゃないのかなー。


 そして、そんな感じだったわたしが女の子らしく振る舞う切っ掛けになった理由っていうと。


 『おーいリン姉、黙り込んじまったけど、大丈夫か?』

 「……うっさいな。嫌なこと思い出しそうだから考えるの止めてただけだよ」

 『ははっ、懐かしいなー、リン姉のその口調。最近外見だけじゃなくて話し方まで昔と違ってきてたからなあ』

 「本当に、やめてよ」


 この鈍感男、という一言を辛うじて呑み込んだ。何か、これを言ったらわたしの中でいろいろなものが歯止め利かなくなりそうだった。

 でも、おかげでいろんな事を思い出したように思う。

 大智が言ってた「アキ」、今の鵜方秋埜という子のこと。

 顔なんかは覚えてはいないけど、きれいな栗色の髪が特徴的で、けどそのせいでいじめられてたような気がする。

 …ああ、今の髪も別に染めてたわけじゃないんだ。誤解してた。


 そして、彼女がわたしの顔を見てもわたしと分からなかった理由も。

 そりゃそうだよねー。あの頃わたしってば、もう男の子と見紛うばかりに髪短くして、スカートなんて以ての外のズボン姿。そして年がら年中顔にばんそこ貼り付けてたもんなー。分かるわけないって。

 けど、その時助けたのが彼女本人だとして、わたしにはそんなつもりもなかったのだし、そんなことでわざわざ同じ高校目指したりするのかな。

 ちょっと分からない。

 分からないけど、少なくとも彼女への興味はわいてきたように思う。

 それはまあ、子供ながら痛い真似してたなー、って自分への悔恨なんかもありはするのだけれど。


 『リン姉、俺もうそろそろ寝るけど、いーかい?』

 「あー、うん。ありがと。おかげでいろいろ分かったよ。緒妻さんにもお礼言っておいてね」


 時計を見るともうそこそこいい時間だった。

 こんな時間まで電話をしていたら、場合によっては家族の注意でも受けそうなところなんだけど、そこは日頃被って磨いた猫のおかげ。しょっちゅうならともかく、希にこんなことがあったって怒られるようなことはない。


 『そっちは明日にするよ。実はオズ姉、俺より夜弱いもんなー』

 「はいはい、惚気は次三人で会った時にしましょ。じゃあね、おやすみ」




 会ってみたいひとがいる。

 なんとなく、そのことが素敵なことに思えて、わたしは昨夜とうってかわった安らかな眠りの予感に、心躍らせるのだった。

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