死の牛乳:弐
ここで『死の牛乳』事件について振り返ってみる。
はじめに俺たちが演劇部から部室にもどってきたところからだ。どうも泡子は部室の鍵を閉め忘れていたらしい。琴葉が破天荒に部屋の中へと突入した。
すると琴葉の机の上に謎の牛乳が置かれていた。裏面にはマジックで『4/2、4/2』と書かれてある。
牛乳が死ぬほど嫌いな琴葉はこれを『死に、死に』と思い込み大騒ぎとなった。
「結局、お前の牛乳嫌いが原因なんじゃないか」
「な、なんの被害も出てないもんねっ」
さすがのもここも琴葉をフォローしきれないらしく苦笑いするだけだった。
当の本人は涙目を浮かべて必死に抗議する。
「何を言ってるんですか、これから害が出るんですよ! 死の牛乳を放置していたら何が起こるかわかりません!」
「そりゃ腐るまで放っておいたら大惨事だろうさ」
「きィィィ~っ!」
情緒不安定な部長は適当にあしらっておき、改めて牛乳を観察する。
これに呪いがかけられてるなんて思えないが、俺たちが部室を留守にしている間に現れたのはたしかなことだ。誰かが置いていかない限りはありえないことだろう。
つまりは何者かの意図によって今回の事件が発生している。いささか放っておける事案でもない。
ポイント一……何者かが俺たちの留守中に部室へと侵入した
泡子が鍵をかけ忘れさえしなければ起こり得なかったことだ。逆に施錠されていたら犯行に及んだのかという疑問が残る。
ポイント二……なぜ牛乳なのか?
そもそもの問いかけだ。留守を狙って部室に潜り込んだとくれば金銭を目的とするのがセオリーである。けれど実害は出ていない。全員の確認も取ってある。
そこに牛乳でなければならない理由が隠されているのか。強いて言えば琴葉が牛乳嫌いであることが犯人の狙いかもしれない。琴葉の机に置いてあったのも根拠になり得る。
では琴葉への嫌がらせ目的での犯行かといわれれば、そうとは言いきれない。もっと他に嫌がらせの方法はあるだろう。
これに関しても判断材料が足りないので保留だ。
最後のポイント……4/2、4/2はいったい何を意味しているのか?
手掛かりになりそうなものといえばこれくらいなものだ。
琴葉は当て字で『死に、死に』と読んでいるが若干無理があるのではないかと思う。死を強調するなら4を連続して書けばいいだけのことだ。
したがってこの暗号には他の意味が隠されていると俺は睨んでいた。
「……牛乳飲めばお乳も大きくなる」
「ぬぐっ……なんというジレンマなんでしょう!」
「……逆に今まで飲まなかったからお乳が育たなかった」
「貧しい土壌に花は咲きませんからね……一理あります」
真剣に考えている俺がバカのように思えてきた。
牛乳を飲めば胸が豊かになるなど学校のハナコさんと同等の迷信だ。栄養価は高いと聞くが、胸が膨らむとはまた別の問題だろう。
それにお乳というやつがあるか。もっと言葉を選んでだな……、
「……お乳?」
俺はその言葉にひっかかりを覚えた。
言い回しが気になったわけではない。もっとこう、言葉の並びに違和感があるというか……4/2、4/2との関連があるような気がしてならない。最近、どこかでこんなものを見た気がする。
それに胸の話題がついさっき演劇部でもしたばかりだ。
どうにも意図的なものが見え隠れしているような……。
――――いや待て。
俺の中で散らばっていたパズルのピースが見事に当てはまっていく。月並みな推理小説なんかじゃ、しばしばみられる表現だが、これ以外の表現が見つからないほど俺の中でしっくりきた。
「どうかした、稲荷くん?」
俺の様子に気がついたらしいもここに尋ねかけられる。
ちょうどいい。
「三人とも、少し集まってくれないか」
わちゃわちゃ騒ぐ琴葉と泡子も呼んで、俺たちはテーブルを囲った。
真ん中に牛乳を置き、俺は口火を切った。
「この牛乳の件だが……なんとなく背景が見えたから説明しようと思う」
「……背景?」
俺の言葉に泡子がすかさず反応を見せた――――これで俺の推理は確立されたわけだ。
まずはじめに、と事件の要点から整理する。
「一番異質なのは『4/2、4/2』と書かれた数字だ」
「賞味期限だとしても二つも書く必要がありませんからね」
「だからこれは別の意味を示すことになる」
「別の意味ですか……」
見当のつかない琴葉が困惑したような表情になる。
俺は続けた。
「世の中には言葉と数字を対応させたトリックが存在する。どちらかといえばなぞなぞに近いけどな」
「言葉と数字?」
「たとえば『1』は『あ』、『2』は『い』といった具合だ。『青』に対応する数字なら『15』となる」
「『秋』なら『17』ですね!」
「理解が早いな、琴葉」
俺に褒められて嬉しいのか、琴葉はにへらと照れながら頭をかいた。そこまで喜ぶものでもないと思うが、まあいい。
「……あれ? でもそれじゃあ『こ』より先に対応する言葉がなくなっちゃうんじゃ」
このトリックの欠陥に気づいたもここが疑念を呈する。
俺は説明を加えた。
「その通り。十一番目にくる『さ』を表す数字はもちろん『11』だ。けれどそれじゃ『ああ』の数字の羅列とかぶってしまう」
「あ、ほんとですね!」
「そこで肝になるのがローマ字によるシステムだ」
「「ローマ字?」」
新たな概念に琴葉ともここの二人がそろって顔を覗き込んできた。毎度おなじみの光景だが心臓が慣れないのでやめていただきたい。
俺はダンボールにしまってあるホワイトボードを取り出した。
「いいか、言葉っていうのはたいてい母音と子音で構成されている。たとえば『かさ』をローマ字に直すと『KASA』になるだろう。このKとSが母音で、Aが子音になる」
「A、I、U、E、Oが子音なんですよね!」
「よく知ってるじゃないか」
「以前ゆうやくんに教えてもらいましたからね!」
不意な台詞に俺はついドキリとしてしまった。自分でも教えたことを忘れていたのに、まさか琴葉が覚えていたとは驚きだった。嬉しいような、こっ恥ずかしいような妙な気持ちだ。
……気を取り直そう。
「つまりだ。あ行、か行、さ行の列と数字を対応させたものと、子音の並びを数字に対応させたものとを掛け合わせることで言葉を表現すればいい」
「ええっと……『柿』の『か』ならか行の一番目で『21』を。『き』はか行の二番目の『22』みたいな感じですか……?」
「そういうこった。縦があいうえおで横があかさたなの一覧表を思い浮かべるとわかりやすいかもな。11なら『あ』、32なら『し』になる」
ここまで理解できればあとは簡単だ。
話の根幹は4/2、4/2が何を表すか。
「4/2のスラッシュは母音と子音を区切る意味だと考えればいい。4はた行、2は『い』を表すことになるから」
「同じ理論でいくと…………『ちち』になりますね?」
「それこそが4/2に隠された答えだ」
「い、意味がわかりませんよ?」
琴葉のいうことも一理ある。牛乳に暗号化された『ちち』が書かれてあるからといって何が分かるのかと言いたいのだろう。
ただし今回の場合は条件がそろいすぎていた。
「ポイントになるのは二つ。一つは牛乳が胸を大きくするという迷信が存在するということ。もう一つは牛乳が琴葉の机の上に置かれてあったという事実だ」
「え……牛乳飲んでも胸って大きくならないんです……?」
「気にするのはそこかよ」
突拍子もない琴葉の言動にずっこけそうになる。
これもいつものことだ。
俺は隠されているであろう事件の経緯を語り始めた。
「第一になぜ牛乳が琴葉の机の上に置かれていたかということだ。これは単純に琴葉に牛乳を飲んでもらって胸を大きくしてほしいという犯人の願いからきたものだろう」
「…………はい?」
「気持ちはわかるが最後まで話を聞いてほしい。ついでに牛乳を選んだ理由もさっきの迷信を信じているからだ。犯人はよほど胸に執着があるんだろうな」
そのときロッカーのほうから物音がした。
しかし俺はあえて話を続けることにする。
「要するに琴葉の胸が大きくなることを切に願う人物が今回の事件の犯人ってわけだ。ご丁寧に暗号化された『乳』というキーワードを残してな」
「あ! 『4/2、4/2』の『ちち』って胸のことだったんだっ」
もここは腑に落ちたようでぽんと手を叩いた。
さて、前置きはこれくらいでいいだろう。
俺は確認するように今までの条件を復唱する。
「犯人は胸に執着があって、トリックを考えることに長けている。それでいて俺たちに交流のある人物ときた」
「……そんな人、身近にいるわけ…………あ!」
「わかったか?」
琴葉も思い当たったようでうつむけていた顔を勢いよくあげた。
その名前を口にする。
「幸太くん!」
「そういうこった」
琴葉がその名を口にした瞬間、ひと際大きい音がロッカーの中からした。
頃合いだろう。
俺は立ちあがってロッカーを開いた。
「…………あはは。やっぱりバレちゃったか」
「バレバレだ、バカ」
そう。
ロッカーの中から出てきたのは事件の主犯である演劇部の幸太だった。
その姿を目にして琴葉ともここが目を見開く。
「こ、幸太くん! どうしてそんなところにいるんですか!」
「いやあ、色々仕込んでたら思いのほか琴葉たちが早くに来たもんだからさ。しょうがなくロッカーに隠れてたんだよ」
なはなと幸太はバツが悪そうに苦笑いする。
「じゃあやっぱり幸太くんが……犯人、なんですか?」
「まあね」
「どどどどどどうしてです!」
「どうしてって……佑哉の推理の通りだけど」
「わたしのおっぱいを心配してなんですね!?」
さすがの琴葉も恥じらいを覚えたらしい。異性から胸が大きくなるといいね、なんて言われた日にはたまったもんじゃないだろう。
しかし、幸太の反応はどこか思っていたものと違った。
空を見つめるような、寂寥感がある。
「……あんな話をしたら…………誰だって大きくなって欲しいと願うもんだよ」
あんな話とはたぶん演劇部での胸の話だろう。幸太は琴葉と話をしていて、きっと憐憫の念を抱いたに違いない。余計なお世話にもほどがある。
だから話の途中で抜け出してこっそり部室まで牛乳を置きに来たわけだ。
「だが幸太。どうして暗号なんか書き加えたんだよ。お前のリスクになるだけだろうに」
「なんていうか、こればっかりは別物でね」
「別物?」
幸太の表情が打って変わる。
推理作家を目指す一人の挑戦者としての、不敵な笑みだった。
「僕のトリックがどこまで君に通用するのかを試したくってさ」
……なるほど、そういうことか。
色々な事件を解決してきたこともあり俺は多少周りから評価されている自覚がある。けれど俺は所詮俺でしかない。過大評価だ。
ただ幸太がそうまで言ってくれることに俺は誇りを感じた。
誇りついでと言ってはなんだが、ここらへんでこの事件に終止符を打つこととしよう。
「泡子」
「……ひゃいっ!?」
まさか呼ばれるとは思ってもいなかったのだろう。……いいや、いつ自分に話が振られるか内心どきどきしていたに違いない。
泡子がびくりとして変な声を出した。
俺は指摘する。
「お前、幸太の共犯者だな?」
「……っ!」
その反応、やはり間違いはないようだ。
事件は解決したと思い込んでいたらしい琴葉は再び熱をぶり返した。
「ど、どういうことですゆうやくん?」
「大したことじゃない。幸太は部室に侵入するにあたって鍵をどう開けるかが問題になった。そこで泡子に共犯を持ちかけたわけだ」
「ど、どうして! そんなことしてもバブルンにメリットなんてないはずです!」
「面白そうだからやった……とかそんなとこだろう」
「……今では後悔してる」
「バブルゥゥゥ~ン……っ!!」
真実の真実を知り、琴葉は大いに荒れ狂った。まったく、また部室を騒がしくしてご近所さんに怒られても知らないからな……。
……とは思いながらも、どこかで居心地をよく思ってる自分がいることに、俺は口元が綻(ほころ)んだのだった。
コトハのあめ玉 空超未来一 @mirai-soragoe
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。コトハのあめ玉の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます