『呪いの手紙:エピローグ』

言葉とあめ玉

 神 = ネ + 申

 ネ = 申


『ネ』の読み方を答えなさい。


 一週間もの間お付き合いすることになったこの問題の答えは意外なものであった。

『ネ』は『神』の半分を構成している。

 したがって半分のかみで『はんしん』……つまり『阪神』というのが俺の導き出した解答だ。


「こんなの他にも答えがありそうなもんだぞ……」


 実際、解答冊子には『阪神以外にも答えはあります』と記載されていた。いい加減にしてほしい。怒りのあまりビニールテープでくくりつけてやりたい衝動に駆られたが、ページ下のほうにある一文に目が留まった。


 ※言葉とは人それぞれのものです。


 ……どうせ読者のクレームをおさえることを目的に書かれているのだろう。しかしビニールテープを持ってくる気にはなれなかった。たぶん来月号もお世話になる。


「…………はあ」


 時が過ぎるのはあっという間だ。


「もう一週間なのか」


 自室のベッドに寝転がり、後頭部に手を回して天井を見上げる。

 同じ景色を見つめていた一週間前の俺は一週間後の俺のあり様を知らないだろう。


 おっぱい……女性の胸部に特有な膨らみのことを指す。また乳児に与える乳汁のことも意味する。乳房。


 たった一言。

 されど一言。

 言葉は驚異的な力を持つ。ペンは剣よりも強しとはよく言ったものだ。

 俺の場合、それは『おっぱい』だった。

 幸太の世界を変えようとして放った言葉。

 幽霊を生み出していたのは幸太の世界だ。つまり幸太の世界観を変えてやれば幽霊は消える。現実に俺が一言発しただけで幸太の世界はガラリと変わった。この世のものとは思えない姿の幽霊が巨乳美人に変身したのだから。

 世界は霧散し、俺たちは元の世界へと戻ることができた。

 そう。俺の言葉で全てを解決したといっても過言ではない。


「…………」


 寝返りを打ってため息を一つ。

 ……端的に言おう。


「……恥ずかしい」


 俺はおっぱいと叫んだ羞恥のあまり、この一週間、現象学研究会に顔を出せていない。部長には体調不良だと伝えてある。


「仕方ないだろう。幸太が寝言でおっぱいなんて幸せそうにつぶやくもんだから、おっぱい好きのスケベ太郎には効くんじゃないかって! それにインパクトもあるし世界観を変えるにはもってこいだ!」


 誰に弁明するわけでもなく、きしむベッドの上で熱く演説する。これくらいの熱意と純粋さを政治家には持ってほしいものだ。嘘八百も大概にしないといけない。


「まあ、事件の終幕としては綺麗に片付いたかな」


 本当に幽霊がいたのかはわからずじまいだ。

 俺たちの見たものは幻想にすぎないがアパートの壁ドンは起こっていた。酔わないと主著する大家の仕業かもしれないし心霊現象かもしれない。強いていうなら俺たちの妄想だったのかもしれない。決定的な 証拠がないのだ。

 人は虚構と現実の境で生きている。


「とはいえ、そろそろ自粛するか」


 俺だってもう高校生だ。

 おっぱいの一つや二つくらい口にする。……今のは決して舐めるとか食べるとかの『口にする』って意味じゃない。

 言葉はなかなか難しい。


「よし」


 枕元のスマホを手にコミュニケーションアプリを開く。部長アカウントを選択して無料通話のボタンに指をかけた。

 直前。

 プルルルルルっ


「うぉわっ!」


 なんたる偶然か、電話がかかってきた。それもかけようとしていた相手の名前が表示されている。


「まったく……これこそ心霊現象だな」


 通話ボタンを押し耳にあてた。

 緊張気味に定型句を口にする。


「も、もしもし」


 対して返ってきたのは普段とは違うものだった。

 どこかくぐもった憂鬱な声色。


「……もしもしわたし。今あなたの家の前にいるの」

「は?」


 何の冗談だ。まるで『メリーさんの電話』じゃないか。これくらい有名な話なら俺でも知っているぞ。

 ブツリっ

 途端、回線が途絶えた。


「からかってるのか?」


 あいつなりの配慮なのかもしれない。おっぱい星人にはありがたい。首に手をあて不審げにスマホを見つめる。

 ピンポーンっ


「……ッ!」


 心臓が跳ね上がった。

 このタイミングは誰だってそうなるだろう。今あなたの家の前にいる、なんてくだらない。きっとあいつのイタズラだ。

 一応、扉を開ける前に声をかけておく。


「どちら様で?」

「わたしです」


 と、風邪っぽい声。

 どうも本当に琴葉が来たらしい。びっくりさせるんじゃない。


「はいはい。今出るよ」


 チェーンを外して扉を開いた。

 まぶしい太陽が玄関に差し込む。

 一瞬目がくらんだが、すぐに視力を取り戻した。


「あれ?」


 取り戻したはずだ。

 なのに俺の視界には誰も映っていない。

 チャイムもさっきの声も気のせいだっていうのか?


「……っ」


 ぞわっと悪寒が背筋をなめた。

 早く部屋に戻ろうと扉に手をかけたとき、


「あっ! ゆうやくんいましたっ!」


 少し離れたところから元気のいい声が飛んできた。

 すぐさまその姿を捉えようと顔を出す。続く廊下の先から現象学研究会の面々が小走りでこちらに駆け寄ってきていた。

 猛烈な安心感と虚脱感に襲われる。


「お、お前ら……やっぱり来てたのか」

「チャイムを鳴らしたのに出ないものですから留守かと思ったのです」

「体調はどう? りんご持ってきたよ」

「……おっぱい星人」


 彼女たちのいつも通りの姿が精神安定剤となる。どうやら恐怖で思考が混乱していただけらしい。恐怖とは文字通り恐いものだ。


「電話なんかしなくてもチャイムを鳴らしてくれたら普通に出るよ」

「出なかったのにそんなこと言われても説得力ないですっ!」


 和やかな空気だ。

 女の子もおっぱいごときで動揺しないか。俺の心配も杞憂だったらしい。

 ははっと自嘲したところで、


「琴葉ちゃん、電話なんかしたっけ?」


 絶望的な一言がこぼれる。

 電話してない……だと?


「言われてみればしてないですねっ」

「もうっ、ちゃんと人の話は聞かなくちゃ」


 でへへっと頭に手をやり照れる琴葉。こちらはでへへっどころではない。

 電話してないということは、あの電話の主はいったい誰だ? 着信時は『伏見琴葉』と表示されていた。

 それに目の前の琴葉の声は鼻声なんかじゃない。健康そのものだ。

 よくよく考えてみれば琴葉たちのいた場所もおかしい。俺が扉越しに尋ねたとき返事は確かにあった。すぐあとに扉を開けたはずが琴葉たちは遠くにいた。いたずらをするにしても物理的に不可能な距離だ。


 ――誰だ?


「……おっぱい星人の様子がおかしい」

「どうしたのです?」

「…………」


 ……もしも。もしも、この話を三人にすればどうなるだろう。

 

 考えずとも答えは決まっている。


「ゆうやくん?」

「稲荷くん?」

「……いなりん?」


 言うか。言うまいか。

 俺は現在、三冊ほど読みたい本が積んである。加えてなぞ解きが二つ。

 今日は華の日曜日。

 小鳥のさえずりを聞きながら読書も悪くない。冷房の雑音でかき消されるが。

 いや、しかし。

 このままモヤモヤを残しておくのも気持ちが悪い。

 だが、それでも。

 …………。

 ……、



「…………なぁ、お前ら。ちょっとあめ玉でも食べないか?」

 

 

 数分後のこと。

 俺の部屋からとある女子の決まり文句が飛び出す。


「決まりですねっ!」


 ベランダの小鳥たちが飛び去っていった。



 …………



「思い返すだけで頭が痛くなる……」

「懐かしいですね! 結局『風邪気味のメリーちゃん』事件も未解決ですし……またかかってきたりして!」


 冗談はよしてほしい。

 そうやってフラグを立てるから次々と怪奇にまみれていくんだ。……まあ、最近はスリルなぞ解きも悪くないと思えてきたからいいが。


 琴葉たちと付き合ってからというもの俺の日常はガラリと変わってしまった。

 今じゃ両手で数え切れないけれど、一つだって忘れることはないだろう。

 いまだに分からないことだっていくつかある。

 そのうち俺たちの根幹にかかわるものが二つ。

 なぜ俺の世界が見えないのか。

 どうして琴葉は他人の世界を見ることができ、なおかつ舐めたあめ玉を用いることで能力を共有することができるのか。


「さて、今日の議題は重要ですよ! なんたって私たちの合宿について決めるんですからね!!」


 意気揚々にはねる彼女のことが不思議でたまらない。

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