真実の泡:肆
雷がやみ、雨もやんだ。
しかし空からの光は復活しない。これはいまだ二人の世界にいるということを意味する。幸太は寝ているけれど。
俺たちはここから脱出を図るべく作戦を立てていた。黒板に書き込んでは誰かが挙手し、黒板消しで修正する。
数分続いた。
それでも答えは見つからない。
思考にふけり、その場の全員が押し黙る。
コツンっ
誰もいないはずの廊下から、音が一つ。
どくりと心臓が跳ね上がり、ぞくりと背筋が凍りつく。
そろりと教室から顔を出した。
コツンっ。コツンっ
廊下の奥のほうからだ。
薄暗い闇の中、赤いハイヒールだけがぼんやりと浮かび上がっていた。
不安そうな琴葉たちに告げる。
「やつが来た。作戦はあとにして逃げるぞ!」
強張った表情で三人は首を縦に振る。生唾を飲み込む音が聞こえた。
眠る幸太を背中にしょいこむ。
教室から一歩踏み出すには勇気がいた。そこから先は足場のないフェンスの外のような恐怖。
後ろに控える三人を見やる。
彼女たちの視線は俺に集中している。
「…………」
これこそが俺の求めていたものなのかもしれない。
そう思えるだけで、ほんの少しの勇気が湧いた。
教室から一歩外に出る。
駆け出すと早かった。
どんどんスピードが乗ってくる。
俺の後に三人も続いた。
ハイヒールの音のする反対側のほうへ風を切っていく。
コツンっ。コツンっ。……カカカカカカカカカカカカカカカカカカカッッ
足数が唐突に増えた。
それだけ加速したということだ。
「……ハ、ハイヒールっ!」
「きっと今回の事件があったからだ! 強烈なイメージは印象に残る!」
「それが幸太くんの世界観に影響して幽霊がハイヒールをはいているとっ!」
「泡子と幸太のイメージで構成されてるわけだからな!」
相手の速度が徐々に増しているのがわかる。
追いつかれるわけにはいかない。
俺たちも足腰に力を込めて夜の廊下を突き抜ける。
ここは一階。
一階の教室を選んだのは階段を下りるのが一苦労だと判断したからだ。
「とにかく外に出るぞッ!」
校舎からグランドのほうに行き先を変える。砂場はゴム製の廊下に比べて幾分走りにくい。それでも走るしかないのだ。
ここには格技場や運動部系の持ち物を保管する建物があった。隠れる場所を選び放題というわけだ。
後ろの校舎から何かの飛び出す影が見えた。
その正体は四足歩行で俺たちを追いかける化け物だ。
「うっはぁ! なんだかパワーアップしてませんかねっ!」
「ひ、ひゃあぁぁっ!」
月明りに照らされる姿は異形そのものだった。死に装束のいたるところがビリビリに破れて、枯れた長い髪が風になびいて逆立っている。
特筆すべきはその四肢。脚の部位が長い腕にとって代わっていた。四本の腕を素早く動かしゴキブリのごとく追跡してくる。
その手には例の赤いハイヒール。
背中の幸太と汗だくの泡子を一瞥して、文句を言ってやった。
「お前らの頭の中はどうなってんだッ!」
「ボクはあんなの想像しないっ!」
つまり幸太の想像している化け物ということになるのか。どちらでもいい。めちゃくちゃ恐ろしいことに変わりないのだから。
にたにた笑いながらこちらを凝視して追いかけてくる。
精神が持ちそうにない。
だが、ここで思考を放棄しても何ら解決には至らない。
恐怖に耐え、大きく呼吸しながら、懸命に考える。
どうすればいい。
俺たちがこの世界から脱出する方法。
世界に吸い込まれた条件は二人の世界観の一致だった。
なら、その世界観を崩せばここから脱出できるのか?
それは不可能だ。
泡子の告白の際に彼女の世界観はガラリと変わった。
しかしこの世界に変化はない。
すでに二人の世界観はズレているのだろう。
ならどうする?
とにかく考える時間が欲しい。
「泡子っ!」
「はぁ、はぁっ」
「ヤツを消し去る方法とか知らないのか? 呪いのかけ方をがあるなら消滅させる方法もあるはずだ。時間を稼ぐだけでもいいから!」
「もうやったもんっ! お札付きの棒でもダメだったっ!」
「アレかああああっ!」
家に押し入ったとき、一生懸命振っていたあの棒だ。あれって除霊の最中だったのかよ! 幽霊のやつ涼し気な顔していたぞ。
頼みの綱は消えた。
ヤツを除霊する方法もない。
なら、どうすればいい。
「むにゃ…………おっぱい」
「本当にいい加減にしろよお前ッ!」
俺の背中で気持ちよさそうに眠る幸太の寝言が琴線に触れた。今すぐたたきつけたくなる衝動に駆られるがどうにか抑え込む。
「……そうか!」
寝言のおかげか、俺の思考が運よく解答の軌道に乗った。
この世界は泡子と幸太の二人の世界だ。ゆえに半分ずつの世界観が混ざっているのだと錯覚していた。
本当は違うんだ。
天候が回復したのは泡子の心境が変化したから。
逆に言えば泡子の世界観は幸太に比べてそれほど大きくなかった。幸太の世界が八割で泡子の世界が二割といった感じにだ。
「それに泡子はヤツの想像に関わっていない」
逃げ回りながらハイヒールの化け物をちらっと視界の端におさめた。あの姿かたちをかたどっているのは全て幸太のイメージだ。
これが意味することは、
「幸太がすべてッ!」
背中の重みに小さな希望を見出す。
「ど、どうしたんですかっ?」
「と、突然叫んだ……」
「……発狂」
「言いたい放題か! 分かったんだよ、ヤツを消す方法が」
「ほんとですかっ?」
「あぁっ!」
俺の言葉に三人の瞳に光が灯る。
琴葉はビシッと天を指さした。
お決まりのキャッチフレーズを口にする。
「決まりでうべっ!?」
盛大に転んだ。雨でぬかるんだ泥が琴葉の制服を汚す。
顔中、泥まみれになっていた。
「あのバカ!」
「あいたたぁ……」
琴葉はむくりと身体を起こした。その動作はのろい。
しかし俺たちの都合に合わせてくれるわけもなく、
「――――」
ケタケタと笑う四足歩行の女が迫りくる。
間に合わないと判断した。
「クソっ!」
どうしようもない俺は背中の幸太を泥だらけの地面に転がした。
ペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチ
何度も何度も頬を叩いた。こいつが起きればこの世界が崩れるかもしれない。
起きろ起きろ!
「琴葉ちゃんっ!」
「うにゃわああっ!?」
琴葉まで残り三メートル。
化け物のバネを縮めるような動作。
間違いなく跳びかかる。
「起きろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
「――――」
ためた力を爆発させ、琴葉との距離が一気に縮まる。
そのとき、
「……ぬぁに?」
幸太の重いまぶたが微かに上がった。
だがヤツは消えていない。
「ゆうやくん……っ!」
琴葉の頬に女の冷たい指先が触れる。
「……ッ!」
正真正銘、これが最後だ。
手段を選んでいる暇はない。
一か八か。
俺は構うことなく叫んだ。
「おっぱいッッ!!!」
時が止まった。
精神論ではなく、本当に止まったのだ。
琴葉やもここ、泡子は口を開いて硬直し、言われた幸太も目を大きく見張っている。
化け物の動きは空中で静止していた。
時は止まった。
俺の心臓は類を見ないほど激しく鼓動している。
この状態がどれほど続いたのかわからない。
時を動かしたのは誰でもない幸太だった。
「おっぱいがいっぱい!?」
直後。
空中で静止していた白装束の女の胸がボンっと膨らみ、日常生活では滅多に見かけない美人へと変貌する。
「………………」
言葉にならなかった。
ややあって女の姿が蜃気楼のように霧散してゆく。
「え? どうしてみんながここに?」
「…………ははっ」
気づけばそこは幸太の部屋だった。
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