真実の泡:参

 雲が騒ぎ出す。

 俺たちは学校に避難していた。校舎に入ってちょうど大粒の雨がグラウンドを叩きつける。

 もしもの場合に備えて逃げ出せるよう教室で待機することにした。

 俺はチョークを手に黒板の前に立っている。教師目線とは新鮮だ。


「まずは状況を整理しよう」


 カッカッと乾いたチョークの音が静まった暗い教室に反響する。中央に集まって着席している琴葉たちは書き出される黒板の文字を追いかけていた。

 幸太はまだ気を失っている。机に突っ伏したその姿は授業中に眠りこけている生徒のようだった。手元のチョークを投げつけてやりたい。


「第一に『どうしてこの世界に迷い込んでしまったか』について」

「はいっ!」

「琴葉くん」


 姿勢よく挙手した琴葉を熟練の教師っぽく当ててみる。緊急事態だというのに緊張感がなさすぎるのかもしれないが、冷静を取り戻すのにいい具合だ。

 委員長は意気揚々と答えた。


「わたしたちが迷い込んだわけは幸太くんの世界と泡子の世界が一致して目に見えない力が強くなったからだと思いますっ!」

「人の意識を引きつける磁力のようなものという認識で間違いないか」

「はいっ!」


 琴葉が席につき議題は次へと移る。


「これを踏まえて、なぜ幸太と泡子の世界が重なったかなんだが……」


 幸太はあいにく気を失っている。いびきをかいていないのが不幸中の幸いだ。

 そうなれば行きつく視線はおのずと決まる。


「……ボ、ボク?」

「当然だ。お前には色々と聞きたいことがあったんだ」


 同意するように琴葉はうなずいて後ろの席に体をむける。何も知らないもここはわたわたと二人を見比べて手を騒がせていた。

 俺は簡潔に二つのことを問いかける。

 どうして過去を含めた幸太のことを知っていたのか。

 なぜ心霊現象の話を聞いたとき異常なまでに怯えていたのか。


「さぁ、答えてくれ」

「…………」


 泡子はどこか後ろめいていた。片髪から覗く瞳がぎゅっと閉じる。袖から顔を出す手には力が込められていた。

 彼女は告白する。


「……実はボク…………八坂くんに呪いをかけたのっ!」

「「「の、のろい……?」」」


 聞き慣れない単語につい耳を疑ってしまう。

 いいや、ここ一週間で一生分聞いた気もするが。


「俺はけっこうマイペースなほうだ」

「それはノロい!」

「わたしの消しゴムすぐ首が折れちゃうんですよね」

「それはもろい!」

「ひ、卑弥呼って呪術師だったらしいね」

「それはやよいっ! ……ううっ」


 当の泡子がうるうると涙ぐみ始める。

 少し冗談がすぎたようだ。


「それにしても幸太に呪いをかけただなんて。どういうことだ?」

「ぐすっ……う、うにゅ……」


 結んだ唇をほどき、泡子が隠された真実を語る。


「ボクね、怖い話が好きなんだけど幽霊にあったことがなくて疑っちゃうことがあるの。だからって心霊スポットにいくのは怖くて…………あ、ここだけの話ね」

「泡子が怖がりなのはみんな知ってるぞ」

「こ、怖がりじゃないからっ!」


 顔を赤らめて抗議する泡子。

 適当にあしらって話を続けさせる。


「幽霊の存在を確かめたくって、でもそれができなくて悩んでるとき、すれ違った男の子の話が聞こえたの。『俺、幽霊に会って、みたいんだ』って。変な区切り方で喋る人だなって思ったけど、この人なら幽霊に襲われる呪いをかけていいのかなと思った」

「それが幸太だったってことか?」


 泡子は眠る幸太を見やって首肯する。


「呪いをかけるには相手のことを知る必要があった。呪いっていうのは相手の家に心霊現象を起こすことで。三日間くらいだけの小さな呪いなの!」

「お前、楽しそうだな……」


 好きこそものの上手なれではないが、自分の趣味を語ることほど饒舌になることはない。俺にもそんなものが欲しい。


「だから幸太の過去まで知ってたってわけね」

「心霊現象が起こったって聞いたときはさすがに驚いた。本当に幽霊はいるんだって嬉しかったけど…………」


 喜々としていた泡子の口調がつぼんでいく。


「八坂くんがに相談しに来たのはショックだった。『俺、幽霊に会って、みたいんだ』って言葉があったから後ろ髪をひかれる気持ちを乗り越えたのに。謝りたくて押しつぶされそうになった」


 教室の外の雨脚が強くなる。

 泡子も誰かを不幸に陥れる真似はしたくなった。自分のためにも相手のためにもなるウィンウィンの関係を望んでいたに違いない。

 しかし、結果として幸太の悩みの種となった。

 ……まったく、世話のかかるやつだ。


「泡子。一ついいか?」

「……うん」

「幸太の言ってた『俺、幽霊に……』ってやつ。たぶん聞き間違いだぞ」

「……へ?」

「幸太はお前と同じで極度の怖がりだろう? 幽霊に会ってみたいなんて思うはずがない。変に区切った話し方がポイントだ」


 泡子が聞いたのは『俺、幽霊に会って、みたいんだ』だった。

 けれど実際は、


「『俺、幽霊に会って、見たんだ』が正しいんじゃないか?」

「それって」

「寮で起こった心霊現象のことでも話していたんだろう。幽霊に会ってその姿を見たんだって、そんな意味だと思うぞ」

「そんな、うそ…………」


 泡子は顔を手で覆った。

 指の隙間から大粒の涙がこぼれる。嗚咽交じりの泣き声はひどく心に残った。

 彼女の背中を琴葉ともここの二人がやさしくなでる。

 俺に同じようなことはできない。したとして何の効果もない。

 だから俺は。


「心配するな。幸太を悩ませた心霊現象は全部偶然だって解決しただろう?」

「でもアパートの壁を叩く音はあの髪の長い幽霊った。あれがボクのかけた呪いの正体なんだって……」

「バカ言え。そんなわけあるか」


 強めな言葉遣いに泡子だけでなく他の二人もこちらに向いた。

 俺は止まらない。


「あの幽霊が見えたのは幸太と泡子の世界が一致したからだ。お前のせいじゃない」

「…………ほんとうに?」

「心配するなと言っただろう」


 それ以上は何も言わなかった。

 静まり返った教室。

 屋根から零れ落ちた雨露のはじける音。

 

 ――ふと微笑みがあった。


 彼女は言った。

 ありがとう、と。

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