『呪いの手紙:第四章』

真実の泡:壱

 幸太たちの日常を取り戻すことに成功した。

 その後といえば、今までの軋轢が嘘のように有意義な日曜日の午前を過ごした。

 一時間ほどしてもここと泡子が寮へと帰る。それから三十分で幸太もこの場をあとにした。

 残ったのは俺と琴葉だけ。


「わたしたちもそろそろお暇しましょう」

「そうだな」


 仁和に見送られ、部活寮地帯を歩んでいく。

 そういえば冷蔵庫に何も入ってなかった。

 スーパーに寄っていくか。


「それじゃお疲れさん」


 軽く会釈し、各々の帰途につく。

 ……はずだった。


「あ、まだ別れないです」

「でも寮のある道はそっちだろう?」

「スーパーに寄ろうかと思いまして」

「……俺もだよ」

「なんとっ! それじゃあご一緒しますね」


 パンっと手をうち、笑みをこぼす。買い物くらい一人でしたいものだが……いいか。

 とりとめもない世間話をしながら再び足を動かし出す。スーパーへの道のりは意外にも短いものだった。

 空は雲一つない晴天。


 どうしてだか胸がモヤモヤしてならない。


 すべての謎は紐解かれ、幸太たちの仲も紡ぎ直された。

 俺の解答に矛盾はない。筋立っているはずだ。

 けれど何かが狂っている。数学のテストで奇妙な数字が出たあの感覚に似ている。

 ぼんやりとそんなことを考え、あっという間に店内だった。


「いやあ、お店の中はやっぱり涼しいですね。九月の外は暑いですよ」

「……そうだな」

「どうかしました?」

「いいや」


 夢虚ろに返していたのか、琴葉が顔をのぞきこんでくる。

 話すなら確証を持ってからのほうがいい。

 ただ今は頭を休ませたい。休息のないスポーツはないだろう。


「おや。今日はレタスが安いですね」


 レタスなら水洗いして生で食べるのが一番だ。今日の晩は冷たいものがいいな。豚でも買って冷しゃぶでも作ろうか。

 レタスの品定めを終え、精肉コーナーを目指す。

 道中、琴葉はこう話題を変えた。


「幸太くんと仁和くん、ビックリするほど仲が良かったですね」

「あれほどまでとは思わなかったよな……」


 つい一時間ほど前のことを思い出す。まさか部室の中でプロレスごっこするなんて誰も予想できなかった。ジャーマンスープレックスをかけ合う友情とは未知数だ。


「でも仲直りしてしてくれてよかったです」

「俺もそう思うよ」


 精肉コーナーで白いパックに詰められた豚肉の細切れを発見する。値札を見て驚いた。今日の肉は安い。贅沢にしゃぶしゃぶ用を買ってもいいかもしれない。隣で琴葉も「安いですよこれは……」と感涙していた。

 肉を調達し、残るは卵などの日常的に使う食材を取ってまわる。今日は全体的に家計簿に優しい価格だ。幸運なことこの上ない。


「ゆうやくん」

「なんだ?」


 卵の賞味期限を確認しながら適当に返す。


「ずっと思ってたんですが聞いてもいいですかね?」

「……かまわない」


 卵から琴葉に視線を移す。

 変に鼓動が高鳴った。まるで俺が欲しているものを彼女が与えてくれるとばかりに期待しているかのように。


「アパートでの壁ドンは本当に大家さんがやったのでしょうか?」

「説明したろ。酔った大家が叩いたんだって」

「でも大家さんってお酒に強いんですよね? 壁を叩いてしまうほど酔っぱらうとは考えにくいような……。そもそも酔っているなら壁を叩くだけじゃなくて大声で叫びませんか? 声を出すのもストレスの発散に繋がりますし」


 喉が干上がった。

 反論しようとしても言葉が見つからない。

 同時に満たされる感覚があった。

 欠けているピースはこれだといわんばかりに。


「それと、もう一つ不思議なことがあるんですが」

「……言ってくれ」


 やっと絞り出せた声は上擦っていた。だが、それを気にする余裕もない。

 次の言葉が俺の心中を貫いた。


「わたしたちがハイヒールの音を聞いた直後に壁ドンが鳴り出しましたよね。普通あり得ないです。階段を上がりきってすぐ部屋の壁を叩くのは」

「――――」


 見ている世界が歪んだ。

 琴葉の主張は正しい。率直にそう認めてしまったのだ。

 俺の推測では壁を叩いたのは大家だと結論づけていた。

 けれど現実は、ハイヒールの音の直後に壁が叩かれ始めた。大家はまだ部屋の外にいるはずなのに。

 何者かが侵入していたとも考えにくい。大家と鉢合わせになる。

 それに壁を叩く音は不定期に一時間程度続いた。

 物理的に実現可能な過程ではない。

 これらが意味することとは。


「本当に心霊現象だってのか?」


『現在の壁ドン』は不正解だった。


 もしも心霊現象だと認めてしまえば真っ先に思い至ることが一つ。

 解決していないのだから、


「……今後も起こり続けるかもしれない」

「それってまずくないです……?」


 恐怖とは未知ゆえに生じる。

 幸太が怖がることはもうない。原因がわかっていて恐怖することはないからだ。

 しかし、本物の心霊現象ともなれば話は別だ。

 霊について詳しくは知らないが実害を及ぼす悪霊がいるなんて話は耳にする。

 壁を叩く霊がそうであるとすれば。


「幸太が危ない!」

「今は家ですかね?」

「気が抜けて家に帰ったんだ! きっと寝ているに違いない」

「それって本当にまずくないですか!? 助けに行かないと!」

「だからって俺は心霊に関する知識を持ってない。琴葉はどうだ?」

「わたしもです」

「くそっ!」


 やみくもに動けばいいというものではない。

 何か対策を練らないと。

 だが心霊に関する知識がないと始まらない。

 ……いや待て。身近にいるじゃないか。


「泡子だッ!」

「ですねっ!」


 俺たちの波長がぴったりと合う。

 泡子ならこの手の話に強いはずだ。

 どのような対処をとればいいか教えてくれるかもしれない。


「琴葉、連絡っ!」

「もうしてますっ!」


 スマホを耳にあて、泡子の携帯にコールする。

 一、二、三秒。

 …………。


「出る気配がないです」

「こんな一大事に!」


 何をしているんだと思わず悪態をついてしまう。

 ……いや、違う。

 こんな一大事だからこそ、か?


「あいつは何かを知っている……?」


 思い返してみれば、泡子の言動に不審感を抱いたことが何度かあった。

 泡子が知り合いでもない幸太をなぜ知っていたのか。

 あいつは幸太の心霊現象の話を聞いたとき異常なまでに怯えていた。

 あいつは寮時代に起こった壁ドンを知っていた。

 どれもおかしなことばかりだ。


「なんとしてでも泡子に会うぞ」

「どうしたんですか急に」

「あいつには聞きたいことが山ほどある」

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