呪いの紙:肆
四人でさえ持ちきれないほどのお菓子を持って演劇部寮を訪れる。
加えて幸太を呼んでいた。
「とりあえず中にどうぞ」
仁和に通されリビングのほうへと入っていく。
先日俺が座っていたポジションに幸太を座らせ仁和と対面させた。俺はソファの横で立っている。そのほかの三人は同じだ。
「…………久しぶりだね」
「…………そうだな」
表面上、二人の仲は険悪だ。
事情を知っている俺からすれば……まったく、正直になれないことほどやっかいなものはない。
ごほんと一つ咳ばらいする。
「それでは一連の心霊騒動に関する答え合わせをおこないたい」
「心霊現象? 呪いの紙のことか?」
「まあ最後まで聞いていてくれ」
足元のスクールバッグからホワイトボードを取り出す。ちょうど勝手が良いので部室のものを拝借させてもらった。
「相談の内容は今住んでるアパートの心霊現象を解決してほしいとのことだった。しかしそれは心霊現象なんかじゃなかった」
「……それじゃあいったい?」
「偶然だよ、単なる偶然」
幸太は俺を見上げて数度まばたきをした。
「心霊現象は何度も起こったんだよ? 偶然と決めつけるには難しい」
「偶然といってもただの偶然が重なったわけじゃない。規則性を持った偶然だ」
「規則性を持った偶然……?」
これまた矛盾した言葉に幸太が口をとざす。
説明を始めたほうが早そうだ。
ペンを握りホワイトボードに簡潔な事件の概要を書き込む。全員が見えるよう前に出して提示した。
「まずは『ハイヒールの音』から」
疑問
『いつも決まった時間に鳴る』
『夜遅くの時間帯に誰かが通るのは非日常的である』
『大家は普通の靴を履いていた』
「もしかして大家さんに会った?」
「お前の家から出るときにな」
そういえば幸太はあの場にいなかった。
ならこれも聞いておくべきか。
「幸太。最近大家さんが隣の部屋にいたことを知っていたか?」
「えぇ! 初耳だよそんなこと」
「だろうな」
「じゃあ大家さんがハイヒールの正体だってこと?」
「そういうこった」
これが『ハイヒールの音』の真相だ。
しかし幸太より詳しい事情を知っている琴葉が反論する。
「わたしたちが大家さんに会ったときはハイヒールじゃありませんでしたよ?」
「前の日の夜に部屋を訪れていたのなら外出するときもハイヒールをはいていないとおかしいんじゃないかな」
「それなんだ」
「「え?」」
琴葉ともここの声が重なる。
俺は端的に説明した。
「三人は察していると思うが大家は連日、合コンに参加していた。結果は大惨敗といった感じなんだが……」
「必ずいい人が見つかるよ……」
もここの哀愁漂う声音に一瞬、静まり返ってしまう。何も知らない仁和でさえ苦笑いになっていた。
……気を取り直して。
「合コン帰りの大家はたぶん隣の部屋でやけ酒でもしていたんだ。自宅に戻るといっそうさびしさが増すなんてよく聞く話だろ」
「要するに幸太くんの隣の部屋を訪れるのが習慣になっていたと?」
「三日ほどの話だがな。冴えているじゃないか、琴葉」
「でへへーっ。ほめても何も出ないですよ」
「この仮説が正しければ大家にはアパートを訪れる習慣がついていることになる。だとすれば部屋にもう一足の靴を用意していてもおかしくない」
「……部屋に別の靴を用意しておく。なにかと便利ですね」
「だろう? これで俺たちが会ったとき、ハイヒールをはいていなかったことに説明がつく。もう一足の靴を使っていたんだ」
「んむぅ……」
今の説明で琴葉は納得しきれないらしい。
確証がなく、あくまで推測だからな。
だが他にも根拠はある。
「腰痛だよ」
「はい?」
「腰痛が毎日ハイヒールをはいている証拠だ」
「ハイヒールなのに腰なんですか?」
「ハイヒールは意外に腰の負担がでかい。大家の腰痛もそれが原因だろう」
「三十路のせいじゃないんだね」
それはタブーというものだ。
琴葉も納得がいったようで上がった肩を下ろしていた。
そろそろまとめよう。
「つまり『ハイヒールの音』の正体は夜中に訪れる大家のものだってことだ。合コンにハイヒールってのも妥当だしな」
「あの音は大家さんだったんだ」
真実を知り、幸太の恐怖は少し薄まったようだ。血色が心なしかよくなっている。
いい雰囲気だ。
この流れを止めぬよう次へと進む。
「『壁を叩く音』について、これも合コン帰りの大家が関係している」
俺の言葉を推測してか幸太の顔が引きつった。
「まさか酔っぱらった大家さんがストレスをぶちまけるために壁を叩いたとかいうんじゃないだろうね……?」
「満点だ」
「そんなしょうもないことだったのっ!?」
壁ドンに身も心もボロボロにされていた幸太は悲鳴を上げた。恐怖の正体が合コンに失敗した三十代女性のものとは思ってもみなかっただろう。ちなみに大家さんがアルコール飲料の空き缶を大量に持っていたことも付け加えておく。
肩から力が抜けたようで幸太はソファに身を沈めた。
「『つかまれた腕』っていうのもちっぽけな理由だったりするんですかい?」
「これを見てくれ」
ポケットから取り出したスマホを操作して、とある画像を見せてやる。俺以外の五人が液晶画面を覗き込んだ。
幸太の家に泊まりに行ったときの写真だった。
心霊現象に遭って苦しんでいる幸太の姿。
なぜこんな写真を撮ったのかというと、
「ここだ」
画面の幸太を、ちょうど腕の部分をズームアップする。
「お前、自分で腕をつかんでるぞ」
「うわぁああ……ッ!!」
真っ赤な顔を小さな手で覆い隠しソファから転げ落ちた幸太。
これはすでに琴葉たちにはネタ晴らしした解答だ。彼の反応にくすくすしている。
「お前、腕を組んで寝る癖があるんだよ。だから誰かに腕をつかまれる現象に見舞われた。自分で自分の腕をつかんでるだけなんだが、それを心霊現象と勘違いしていたんだ」
「それ以上は言わないで! 羞恥で爆発しちゃうから!」
うぅ……と幸太は泣きべそをかく。
しかし彼はすぐに泣き止んだ。何か別のことに思い当たったのだろう。
「……あのさ、佑哉」
「なんだ?」
「アパートの壁ドンは大家さんが原因だったんだよね?」
「そうだ」
「でも寮のときも壁ドンがあったんだよ? 違う場所でも起こったからこんな偶然はあり得ないって話だったんだ」
「だからここに来た」
「へ?」
この際、心霊現象はどうでもいい。原因は解明できたし幸太が夜を嫌うこともないだろうから。
全員を集めてわざわざ答え合わせをした理由。ここ演劇部寮に来たわけ。
少し肩が強張る。
脈も速くなった。
緊張に見舞われる。
息を整えた。
言葉をそろえる。
「結論から言うぞ。『寮での壁ドン』『呪いの紙』の犯人は仁和だ」
言葉を理解した幸太が息を呑む。
そうして言葉を失った。
一方で仁和はうつむくことなくこちらを見つめていた。俺たちが再び来た時点で覚悟を決めていたのかもしれない。
「に、仁和くんが犯人?」
「どういうことです、ゆうやくん……?」
「寮で壁ドンがあったのは期末試験の前の日だったよな?」
「う、うん。たぶん二時頃だった」
「そのとき隣の部屋にいたのは誰だ?」
「えっ……それは…………」
幸太は向けていいのか戸惑ったのちに視線を横目で送った。
その先はもちろん仁和だ。
彼は目を伏せた。
「隣の部屋は仁和。これは部員からの確認をもらっている」
稽古中だったので申し訳なかった。愛想よく答えてくれたのは俺たちの目的を察してくれたからだろう。
答え合わせは続く。
「午前二時。あんたは何をしていた、仁和」
「…………テスト勉強だよ」
「あのゆうやくん。それとこれとどういった関係があるのです?」
「まぁ焦るな。ところでもここ」
「ひゃいっ!」
まさか自分に振られるとは思ってもみなかった彼女はソファからとび跳ねた。そこまで驚かなくていいだろうに……。
「もここは集中しているときに何をされたくない?」
「はいっ! …………ううん?」
「だから集中しているときは何をされたくない?」
「邪魔されたくない、かな? ……って当たり前かっ」
「それだ」
「ふぇ?」
俺の求めていた答えだ。
さすがだマミー。
「人間ってのは集中しているときに邪魔されると腹が立つ。当然だろう?」
「そうですけど……だからそれに何の関係があるのです?」
「まだ気づかないのか?」
「むぅーっ! ゆうやくんいじわるですよっ!」
「わ、悪い悪い」
琴葉がポカポカと俺の太ももを叩いてくる。何度もいわせてもらうが力が強いからシャレにならない。叩かれるのはごめんだ。
単調に説明しよう。
「その晩、幸太はいつものように夢を見ていた。同時刻、隣の部屋では仁和が勉強に勤しんでいた。集中していたんだ」
「はい」
「…………」
仁和は黙ったままだった。
ここで何も知らない幸太に一つ助言してやる。
「幸太。お前の寝ているときの癖『腕を組む』以外にもあるんだ。知ってるか?」
「癖?」
「癖ってのも少し違うけどな」
「んー? 寝てる自分を知る方法なんてないからねえ」
「いびきだ」
…………。
「……徹?」
ようやっと、もう一人の主役の登場だ。
「いびきだよ、幸太。お前のいびきは雷よりもひどい。爆音だ」
「それは言いすぎでしょ……?」
「ホントだ、バカ」
間抜けなリアクションに仁和は思わず苦笑していた。
事実を知った幸太があっと口から声をもらす。
「……もしかして、あの日の晩も」
「お前はいびきをかいてた」
幸太の顔からみるみる血の気が引いていく。
言葉を失った彼の代わりに仁和がすべての真相を語った。
「お前のいびきは爆音だよ。隣の俺にも聞こえるくらいにな。でもそんなのは寮に入ってから一ヶ月で慣れた」
普段なら気にすることなく生活できた相方の癖。
時期が悪かった。
「良い成績を取らなくちゃいけなかった。誰のためにでもない。高校三年間のスタートラインだ。大事にしたかった」
何事においてもはじまりは肝心だ。真面目な仁和には少し完璧主義なところが見受けられる。
「夜中まで必死に勉強して明日がようやっと本番だってときだ。お前のいびきが聞こえてきた。いつもなら気にすることなんてなかったさ。けど、テスト前日の俺は結構ギリギリで…………」
我慢の限界になった。
怒りが頂点を迎えた人間はその苛立ちを周囲に発散しようとする。物に当たるとは一般的な代表例だ。
彼の矛先は壁だった。
「お前に対しての怒りだったのか今でもわからない。とにかく溜まっていた何かが爆発して無我夢中に壁を叩いていた」
それが『壁を叩く音』の正体。
心霊現象なんていうちっぽけなものじゃない。
そこに人間の感情が存在する。
しかし、これだけではない。
仁和の物語にはまだ続きがあった。
「呪いの紙も俺がやった」
「二枚目の紙なんてヒントも出してくれたな」
「さすが俺が見込んだだけの男だ」
「やめろ。俺は言葉遊びが好きなだけだ」
「どういうことですかゆうやくん! わたしたちを置き去りにしないでください!」
「ちょっ、痛いから!」
同様に太ももを連打してくる。そろそろ脚の限界が近い。
俺はホワイトボードを書き直し、足早に進めた。
「紙に書かれた『呪い』に似た文字。これが意味するものとはなんなのか」
→ →
人
「注目すべきはロの部分が右矢印になっていること」
「部室でぶつぶつ言ってましたもんね」
「余計なことはいわんでいい」
ホワイトボードの空白に呪いをひらがなとカタカナで書き連ねる。
「最初は『のろい』とみれば何か分かると思った。でも違った。どの視点から考えてもロと矢印にはつながらない」
「……むむ? ちょっと待ってください。ロといえばカタカナにありますね」
「いい線いってるぞ」
「ふっ!」
「琴葉の言う通り『ノロイ』とカタカナで書けば共通した形がでてくる。ここからどうするのか。ロが矢印なんだから代入すればいい」
横書きで書かれているのだから、
ノ ロ イ
ノ → イ
と表すことができる。
「ここで『二枚目の紙』が効力を果たす」
ノ本には気をつけろ。
やることは単純。
ノ→イに書き換えれてやればいい。
これもまた横書きでかかれているのだから、
――――体には気をつけろ
完成した言葉の連なりを一目見て、仁和は小さな拍手を送った。
「まさか幸太以外に解かれるなんてね」
「僕以外?」
「これはお前に送ったプレゼントだからな」
「え……?」
仁和の言葉が何を意味するのか、幸太にはさっぱり理解できないようだ。
代わりに俺がフォローをいれる。
「呪いの紙はスランプ続きのお前を刺激しようとしてのことだったんだ」
「そういうこと」
仁和はすべてを告白した。
夏休み前のこと。
壁ドンをおこなった彼はすぐ我に返ったらしい。何か言い訳を探さなければならないと考えた。
思いついたのが呪いの紙だ。壁ドンの正体を呪いだと思い込ませればよかった。
「紙に書くところまではやった。でも、それ以上はできなかった。お前が相当怖がりだって知ってたから」
「…………」
「俺は壁ドンの罪悪感に呑まれてお前のことを避けてた。謝らなくちゃいけないって頭では理解してた。でも俺には勇気がなかったんだ」
「…………」
「お前が部活を辞めるって知ったときは心臓が止まりそうになった。俺のせいだって自責して、がんじがらめになって、お前に話しかけることすら、もう…………」
それから一か月後が過ぎた。
二学期をむかえ、ちょうど幸太への後悔がなりを潜めた頃。
「なんの因果か呪いの紙が机の中から出てきた。それでこのアイデアをひらめいたんだ。呪いのロを矢印に書き直して幸太のアパートに入れてさ。打算的だって我ながら思うよ。創作の刺激になればいいと願いながら、本当は恐がって俺のもとに相談しに来てくれないかなんてね」
仁和らしい不器用で思いやりのあるやり方だ。
しかし皮肉にも、それは幸太のトラウマを呼び返すこととなった。
「だから二枚目の紙をつくって稲荷たちに渡したんだ。呪いの紙を解決するヒントになればと思って。ちょっと演技臭かったかな」
そこに彼の芯があった。
本音。
純粋な想い。
俺にはないものだと羨ましく思う。
「こんな機会を用意してくれた稲荷たちには本当に感謝している」
「言ったろ。俺はなぞ解きがしたかっただけだって」
「そうかい。それでもありがとう」
「…………」
「幸太」
面として二人の視線がつながる。
「本当にすまなかった」
立ち上がり、深々と頭を下げた。
一秒、五秒、十秒。
秒針がいくら時を刻んでも頭を上げることはない。
きっかけとなったのは誰でもない幸太の一言だった。
「なんだよそれ」
「え……?」
「なんだよそれバカじゃないかッ!」
耳鳴りがするくらいの怒声で彼は糾弾した。……いや怒声ではない。そこには別の感情が見え隠れしているように思える。
「心霊現象がこわかったのは事実だよ。それが結果的に退部する原因になったけど僕が本当に怯えていたのは……こわかったのは……」
声が震えている。目尻には涙が浮かんでいた。
「僕がこわかったのは徹が離れていくことなんだよッ!」
「っ」
仁和の呼吸が止まる。
目は大きく見開いていた。
「お前、それって……」
「いびきがうるさかったなら直接文句を言えばいいじゃないか。壁を叩いて僕をこわがらせたと思うなら笑い話にすればいいッ! なんで、なんで話してくれなかったんだよ……。僕は徹に避けられることが一番こわかったのに……」
想いは言葉にしなければ伝わらない。
伝えようとしなければ亀裂が生じる。
結局、彼らは同じだった。
言葉にする勇気がなかっただけ。
たまたま言葉を伝える機会がなかっただけ。
けれど、もう終わりだ。
「……ごめん。ごめんな、幸太」
「僕のほうこそ、いびきがうるさくてごめんっ」
「だからそれはいいんだって」
互いに互いを想い、涙が零れる。
言葉は伝わった。
これでもう心配はない。
「雨降って地固まるってな」
窓の外に広がる晴天を見やって、口元を緩めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます