呪いの紙:参

「…………」


 日曜日の午後。

 穏やかな青空。休日出勤。

 去年の今頃は何をしていたのかなと窓の外を見て郷愁の念に駆られる。

 しばらくしておもむろにもここが立ち上がった。


「お菓子でも買ってこようか? コーヒーだけじゃ口がさびしいしね」

「さすが我が部のマミー! わたしコーラが飲みたいです」


 コーヒーを飲んでいるのにどうしてコーラを求めるのか。理解しがたい乙女心のかたわら俺も注文する。


「すまん。俺はミルクティーを頼む」

「ゆうやくんってばコーヒーを飲んでるじゃないですか。なぜミルクティーなんです?」

「コーヒーのあとはミルクティーで味をしめる、そう決めてるんだ。っていうかコーラを頼むやつに言われたくない!」

「むむっ、コーラを馬鹿にする人は許さないですよ!」

「こらこら、八坂君が起きちゃうから」

「「ふんっ」」


 もここの注意で少しばかり頭が冷える。ここは幸太ともここに免じて引いてやるとするか。……いつかはミルクティー色に染めてやる。


「泡子ちゃんは何かいる?」

「……欲しいものがわからない」

「そっか。一緒にお店で探す?」

「……うん」


 もここの母性が最大にまで解放されているせいか、普段から子供っぽい泡子がさらに幼く見える。指をくわえていても不思議じゃない。


「それじゃあ二人とも、仲良くね」

「いってらっしゃいー!」

「……旅立ちは別れなんかじゃな(ぴしゃり)」


 使い古された決まり文句をドヤ顔でキメる泡子だったが、彼女の勇ましい背中はもここによって扉の先へと消えてしまった。さようなら。

 部室に残ったのは俺と琴葉の二人。正確には例の腕をつかむ寝相をさらしている幸太もいる。


「二人だと静かですね。なんだかおひまです」

「現象学研究会なんだから研究でもすればいいだろう」

「ゆうやくんはどうします?」

「俺はなぞ解きの続きだ。もっとも心霊現象のほうじゃないけど」


 カバンの中から『神 = ネ + 申』の掲載された雑誌を取り出す。これがまた難問でずっと解けずじまいでいるのだ。

 気分転換にはちょうどいい。

 テーブル越しからのぞきこんでくる琴葉が怪訝な顔をした。


「大学生の数学ですかね……? 高度になると漢字までも計算の一部に……」

「バカいえ。これはなぞ解きだ」

「休憩のときまで頭を使うとは……。ゆうやくんの脳みそは社畜なんですね」


 放っておいてくれ。これが俺の趣味なんだ。

 残りわずかのコーヒーをすすって暗号を解読する。

 しかしどうにも思考が働かない。もやがかかっているような、エネルギー不足のような、それすらもまともに自覚できなかった。


「どうかしました?」

「ちょいと頭が痛くてな。うまく考えがまとまらない」

「やっぱり脳みそくんもぜいはあなんですって」

「そうかい」


 脳みそくんってなんだとツッコむ気力すら湧かない。思いのほか俺は疲労困憊のようだ。ここ最近は慣れないことばかりだったから無理もない。

 せっかく開いた雑誌にさえ目もくれず、イスに背中を預けて天井を仰いだ。無機質な白が目に優しいような、そうじゃないような。


「コンニチハ」


 真っ白な視界の中心に半透明の球体が登場した。小さな気泡を内包したそれには見覚えがある。

 あめ玉だ。

 琴葉があめ玉を俺の顔の前で泳がせている。


「……なんのつもりだ?」

「ゆうやくんに元気になってもらおうと思いまして」


 まさか女子の舐めたあめ玉で俺が元気百倍に回復するとでも思っているのか。なんという偏見だろう。


「俺を何だと思っているんだ。極限変態扱いか」

「違いますよ。糖分を補給してリフレッシュしてもらおうと思っただけです」

「……なるほど」


 疲れた脳には糖分がいいから一理ある。

 決して俺を変態扱いしたんじゃないんだな。


「……すまん」

「ゆうやくんこそわたしのことを何だと思ってるんですかー!」

「だから悪かったって」


 頬をふくらませてポカポカ叩いてくる。これがか弱い女子だったら可愛いもんだろうに相手が悪い。琴葉は俺よりも力が強いのだから割とシャレにならないので早いうちになだめておく。


「まったくもう。ゆうやくんはいつもこうです」

「あめ玉、いただくぞ」

「……どうぞ」


 どこか不機嫌な声音に気まずくも口にあめ玉を放り込んだ。

 今回はソーダ味。微弱なシュワシュワが凝り固まった脳みそをほりほぐしてくれるようだ。貴重な甘さが後頭部にまでしみる。あめ玉とはこれほど素晴らしい嗜好品であったか。


「うまい」

「ふふっ、それはよかったです」


 彼女の機嫌はすっかり元通りだ。女心と秋の空という。この場合は果たして適応されるのか。

 お節介かきなのは知っていたが意外なところで思い知るものだ。


「コーラ、コーラ♪」


 取り出したノートに奇妙なマスコットキャラクターを描く琴葉。

 問題は山積みだというのに陽気なものだった。これで人望はあるのだから驚きだ。

 ……いいや、こうだからこそ自然と人が集まるのかもしれない。

 ここにきて思い至る。

 伏見琴葉はなぜ相談に乗ったのか。相談に乗ること自体は不思議ではない。彼女の交友関係は広く、人望も厚い。ただ明るくて愛されるキャラクターだけでは成立しない。

 物事には必ず理由がある。

 疑問はおのずと興味へ昇華していた。


「なあ、琴葉。どうして幸太の相談に乗ったんだ?」

「え?」


 かつての俺なら絶対になかった言葉。

 琴葉は虚をつかれた顔をしていた。

 俺は質問を取り下げない。

 その先の答えこそ、俺の求めているものだと思ったから。


「どうしてと言われましても……んむ?」


 目的を持っての行動ではなかったのか。

 彼女はどう答えたものかと迷っていた。

 じりじりと過ぎてく時間。先ほどの質問は無粋だったのかもしれないと思い直してしまうほどに長い。

 じっとりと額が汗ばんできたとき、


「これが答えになっているのかはわかりませんよ?」


 と前置きをして始めた。


「前にも話したと思うんですけど、わたしって昔から人の世界が見えてたんです。オーラみたいなものから以前のおばあさんのように具体的なものまで。共通していえるのは他人の気持ちに敏感ということで」

「…………」


 俺は適当に頷いた。

 彼女は世間話でもするように続ける。


「誰かが悲しい思いをしていたらダイレクトに気持ちが伝わってきます。幸せだったらわたしも舞い上がっちゃって……なんというんですかね。持ちつ持たれつではないんですけど、誰かなしではわたしの人生ってありえないんです」


 俺とは真反対の生き方だなと思った。

 自由を謳歌するために他人の犠牲はやむを得ない。だからって他人を踏みにじるわけではない。俺だって善人ではないが悪人でもないのだ。誰かがつらそうだったら同情するし、ひどければ手を差し伸べることだってある。

 しかし自由のためなら他人の世界と隔絶するのもまた事実。琴葉のことを避けていたのも、なぞ解きをするために家へ帰りたがるのも、つまりはそういうこと。

 俺は俺のために生きている。

 だからこそ彼女の生き方には賛同を得られない。

 理解しがたいはずだった。


「こういう場だから言えますけど、ゆうやくんも変わりましたよね」

「……俺が?」

「変わったのか元からそうだったのか。でも、初めて会った日と比べてすごく人柄がいいなって。見ず知らずの幸太くんのためにここまでしてくれるなんて思いもしませんでしたから。正直なことを言っちゃうと、です」


 本心をさらした琴葉がえへへと頬かいて苦笑する。

 俺だって最初は乗り気ではなかった。心霊現象というなぞ解きをしてみたいと思ったのが騒動にかかわった動機だ。けれど今では、自分でいうのもなんだが、幸太や仁和のために奮闘したいと思う。

 琴葉のように他人のために生きることなんてできなかったはずの俺が、だ。自由を投げ捨ててでもアスファルトに汗をちらして探し続けている。

 彼女は最後にこう言葉を紡いだ。


「わたしは誰かのために涙を流すことはできます。でも力になることはできないんです。わたしにはそうするだけの力がありません」


 そんなことはないと否定してやろうと思った。

 けれど次の言葉が俺を突きさす。


「ゆうやくんにはそれができるんです。誰かを救う手をあなたは持っている。そうして必ず誰かに手を差し伸べようとする。おばあさんのときも、幸太くんのことも。だからわたしはあなたと一緒にいたいと思ったのかもしれませんね」


 飾り気のない無垢な言葉が俺の言葉を奪う。

 何といえばいいか言葉が出ない。

 けれど、しかし、それでいい。

 余計な言葉は必要ないのだから。

 ただ一言だけ。


「ありがとな」

「こちらこそありがとうございますです!」


 互いに言葉を交わした。

 

 ――――直後のことだった。


『YES、YESYESYESゥッ!』


 艶めかしいガチムチの男性を想像させるメロディがどこからともなく流れる。

 ……本当に言葉が見つからない。


「おっ、電話ですね」

「着メロかよ!」

「洋画にハマってまして、筋肉がぶつかり合うっていいですよね胸がたぎります! ……もしもし?」


 琴葉といい幸太といい、もう少し雰囲気というものを大切にしてもらいたい。らしいといえばらしいが……。


「……はあ」


 大きく息を吐いて肩をすくめる。

 雑誌のなぞ解きを続ける気分にはなれなかったのでカバンの中にしまった。

 しばらくして通話を終えた琴葉だったが、なにやら部室内をあさり始めた。本棚の中、積まれた段ボールを探っては別の場所へと移る。


「琴葉?」

「いえね、ちょっとエコバッグを探していまして!」


 話によると電話の相手はスーパーのもここからだったそうだ。なんでもお菓子のスーパーセールが開催されるようで至急勝負用のエコバッグが必要とのお達しだ。袋をもらえばいいだろうに、さすがは我らが お母さま。


「あれ、あれー? カバンちゃんどこですか?」

「なにやってんだ。俺も手伝うよ」

「感謝ですゆうやくん!」


 席を立つと身体が凝り固まっているのを改めて実感した。長い間座ったままだったことを思い出す。

 そりゃアイデアも閃かないわけだ。


「わたしはこちらを調べるのでゆうやくんは向こうを!」

「了解」


 それほど切迫することもないだろうに琴葉の様子は尋常じゃなかった。遅すぎると売り切れになってしまい、もここに雷を落とされるのかもしれない。

 しょっぴかれる琴葉を想像して小さく笑う。


「……ん?」


 お目当てではない物が段ボールの中から見つかった。

 ホッチキスで止められた二枚のコピー用紙『呪いの紙』と『二枚目の紙』だ。こんなところにしまわれていたとは、重要な参考品であるというのに。


 → →

  人


 ノ本には気をつけろ。


 そもそもの話、二枚の用紙に相互関係は見られるのか?


「いや」


 俺は知っている。呪いの紙の送り主が仁和であるということを。

 そして気づいていたはずだ。

 二枚目の紙の書き手も同様に彼であることを。

 根拠は二枚目の紙を見つけたのが仁和であったことだ。これが発見されたとき違和感に思った。毎日掃除されているはずの部屋から未発見の物があるなんておかしい。重ねて、見つかったのは俺の調べたはずの本棚だ。見落としていたとは考えづらい。

 つまりは仁和がタイミングを見計らって取り出した。


「なにサボってるですかゆうやくん! 今は緊急事態なんです」


 真っ青な顔で訴えかけてくるが自然に無視する。

 ではなぜ仁和が二枚目の紙を俺たちに渡したのか。直接は言えないメッセージを暗示している可能性がある。しかも呪いの紙に似た筆記体でだ。

 二枚の紙には必ず相互関係が存在する。

 俺はそうにらんだ。


「まずは呪いの紙からだな」


 注目すべきは呪いのロの部分が右矢印に代わっていることだ。

 言葉に関する難解な問題を紐解くには第一に最小化させることが手っ取り早い。いつか話した『赤坂』の話に似ている。

 日本語の最小はひらがな。


 のろい


 と脳内で変換してみせる。


「いいや、ひらがなではないか?」


 ここから次へつなげる道が見通せない。

 なら次は……と考えたところでダンボール箱にホワイトボードが埋まっているのを見つけた。書き出すにはちょうどいい。


「ゆうやくん!! ホワイトボードじゃなくてエコバッグなんですよ!」

「…………」


 エコバックの檀上はスーパーだ。なぞ解きに必要なのはメモ書きと相場は決まっている。その点ホワイトボードは優秀だ。書き直しが速い。

 のろいを消して次の手に出てみる。


 ノロイ

 noroi


 カタカナにローマ字とあらゆる形に変換してみた。ここから正解へと導く光を見出さなければならない。


「…………ん?」


 ひとかけらの光が視界のすみにちらついた気がした。見逃してはならない。

 俺はあめ玉で補給した糖分をフル活用した。たとえ思考回路が焼き切れるとしても諦めるつもりはない。


「…………っ」


 そうして――――俺の瞳に光がやどった。


 すべてがつながり闇に埋もれた真実への道を見つけ出す。

 と同時に……、


「ありましたよゆうやくん! 速攻でいってきます!」


 埃まみれの琴葉が封印されていたエコバッグを発見した。タイムリミットはすぐ目の前にせまっているらしく、扉に手をかけ飛び出そうとしている。

 その背中に声をかけた。


「まあ待て。俺も行くよ」

「……へ? お菓子でも買うんです?」


 首をかしげる琴葉。

 ああ、と俺は首肯した。

 悪戯っぽく、


「演劇部への差し入れが必要になったからな」

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