呪いの紙:弐

 渋々顔を出した部室にはいつもの二人に加えて幸太もいた。


「ちゃお、一日ぶり」


 入り口近くのソファに全身を預けてぐだーと気だるげにしている。

 というか……、


「ソファなんてあったか?」

「幸太くんがもってきたんですよ。この部室には寝る場所がないからって」

「いくらお金持ちといえどやることが大胆すぎる」

「今回の依頼のお礼だよ」


 寝転びながらピースサインを向けてくる。

 その顔は笑っていた。


「……お礼だって? まだ解決してないだろうに気が早いぞ」

「僕はもう満足だからね。気楽なもんさ」

「何も解決してないのにか?」

「解決することが重要なんじゃない。相談に乗ってもらうことこそが依頼だったんだ」


 平穏な日常にもどったような幸太のその態度を俺は認めることができなかった。

 冗談じゃない。まだ何も変わっていないだろう。

 妙に塩らしい幸太の台詞につい言い返してやろうと思ったが、


「みんな演劇部に訪れたんだってね」


 俺より先に幸太が口を開いた。


「誰から聞いた?」

「部員からだよ。久しぶりに連絡が来てさ」


 スマホに視線を落とし、自嘲気味に笑う。


「…………」


 心霊現象を解決することは大切だ。

 だけどその前に、俺は幸太のことを知らなくちゃいけない。

 いや、知りたいんだ。


「なぁ、幸太」

「なんだい?」

「お前はどうして部活を辞めた。何があった?」

「ええっと……あまり言いたくはない……かな」


 当然のことだった。

 一つや二つ他人に触れられたくないことなど誰にだってある。俺にとってのそれは自由の束縛であり、幸太にとっての演劇部だった。


「頼む」

「…………」


 それでも止めれやしなかった。

 こんな台詞が自分の口から出るとは驚きだ。

 俺と幸太の目が合う。こんなことがつい最近もあった気がした。

 幸太から力が抜けた。


「…………つまらない話だから、肩ひじ張らず聞いてくれると嬉しいよ」

「もちろんだ」


 それから少しの間があった。

 必要な時間。

 決して無駄ではない。

 窓を揺らす風の音。木枯らしが舞っている。

 吹奏楽部は休みのようだ。

 どこからか発声練習が聞こえる。早口言葉で滑舌を鍛えているらしい。

 金属バッドがボールを捉えた甲高い音が響く。対照的に何かがハマったようなラケットで球をはじく低い音が続いた。

 息を吐く音がした。


「演劇部を辞めたのはね、恐怖心が僕を打ち負かしたからなんだ」

「恐怖心?」

「夏休み前の……ちょうど期末試験あたりの話。僕は創作のことで悩んでいた」


 仁和から脚本や推理小説が書けずにスランプに陥っていることは聞いていた。

 それは今もなお続いている。


「何度も何度も苦しんでは七転八倒を繰り返してた。心が折れそうになったことなんて数え切れないよ。それでも諦めることなく頑張れた」

「仁和か」

「徹がいてくれたから僕は足踏みせずに進められたんだ」


 仁和にとっての幸太がそうであるように、幸太にとっての仁和も一蓮托生の存在なのだ。

 そんなとき例の事件が起きた。


「徹は真面目なもんだから必死になって勉強していたよ。それを除けば本当に静かだったな、あの日は」


 音もなくソレがやってくる。


「午前二時くらいかな。何かの音がすると思って目を覚ました。最初は気のせいだと思ってたんだけど段々ソレが大きくなってきて……」


 気づいたときには怒り狂うような暴音が幸太を襲った。


「三十秒くらいだったかな。今と比べると優しいのかもね」

「部活を辞めた理由は心霊現象が起こったからなのか?」

「ううん。心霊現象なんてただのきっかけに過ぎないんだよ」


 次の日の朝。

 怖がりの幸太は一睡もできずにテスト当日を迎えたらしい。別にテストの成績が悪かったわけじゃなかった。


「つらかったのはね、もう一度起きるんじゃないかってずっと疑心暗鬼になっていたことなんだ」


 いつ来るかわからない恐怖で精神をすり減らした。それがスランプと重なってノイローゼに近い状態になったわけだ。

 彼の話には続きがあった。


「相談できる友達がいればよかった。だけど徹の様子もどこか変だったんだ」

「変といいますと?」


 琴葉が合の手を入れる。

 眉にしわを寄せて幸太は答えた。


「テスト前だからピリピリしてたのは知ってた。でもなぜか心霊現象のあった次の日から僕のことを避けるようになって」

「…………?」


 どうしようもない胸の引っ掛かりを覚えた。魚の小骨がのどに引っかかったときだってまだマシだったはずだ。

 幸太は最後にこう言った。


「親友すら失った僕はもうどうすることもできなくて。これ以上我慢できなくなって僕を苦しめる全てから逃げ出した。言い訳なのは重々承知してる。でもこれが僕のすべてなんだよ」

「そうか」


 俺の声はどこか上の空だったかもしれない。別のことに意識がいっていたからだ。決して薄情ではないことを明記しておく。


「……ひぐっ」

「もここ、泣かないでください」

「そう言うことはちゃんも目が潤んでる……」

「…………」


 幸太は静かにソファへ顔をうずめた。

 ただ、一言。


「佑哉」

「なんだ」

「……僕は、変わらないのかな?」


 くぐもった声だった。

 どんな感情が今の一言を口にさせたのか。

 俺には分からない。

 けれど。


「そんなことはない」


 即座に否定してやった。

 この部活に入ってまだ数日だが、自分で言うのも恥ずかしいが、俺の中の何かが変わっていくのを自覚している。

 俺だって変われているんだ。

 幸太が変われないわけがない。


「……そっか」


 それっきり彼は黙りこんだ。

 ここからが俺の踏ん張りどころだ。

 真実を見失えば誰も救われない。

 真実さえ見つければ必ず救われる。

 簡単なことだろう。


「…………」


 首に手をあて、思考の海に飛び込んだ。

 今の話で気になったのが一点。

 心霊現象のあった次の日から仁和の様子がおかしくなった。

 テスト直前でピリピリしていたはずが急にしおれて幸太を避けるようになった。

 なぜだ?

 テストが終わってストレスから解放されたからか?

 それなら幸太を避ける必要がない。むしろどこかへ遊びに誘うのが道理だ。


「テストの終わったことが関係ないとすると」


 残る原因は心霊現象ということになる。

 心霊現象が起こったから幸太を避けるようになった。

 これはいったいどういうことだ。

 そもそも『心霊現象』自体を知っていたのか。


「……知っているじゃないか」


 俺は確信を得ていたはずだ。

 仁和は『壁ドン』のことを知っていると。

 つまりは、


「壁ドンが起こったのを知ったから幸太を避けるようになった?」

「さっきから独り言ですね……」

「……友達いないの?」

「頼むから放っておいてくれ」


 間髪入れずツッコんでおく。

 心霊現象が起こったのを知ったから避けるようになった? 自分に霊が乗り移るんじゃないかと危惧したから?

 いいや、仁和なら幸太の相談相手に名乗り出るはずだ。

 だとすれば、どうして避けるようになった?

 親友だからこそ避けるようになったのか?

 ぐるぐるぐるとメビウスの輪の上で踊らされているかのような錯覚に襲われかけた、そのときだ。


「ぐごォォオオオオオオオオォォォォォォォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉ~っっ!!!」 

「……嘘だろおい」


 ソファで眠りに落ちたらしく部室内に幸太のいびきが轟いた。耳を塞がないと鼓膜が破れそうなほどの音響兵器である。


「相変わらず強烈だなッ!」

「……阿鼻叫喚!」

「意味は違うけどニュアンスは分かるぞ!」

「えっ!? 何か言いましたかっ!?」

「なにもねえよ!」

「……阿鼻叫喚!」

「意味が違くないですかっ!?」

「もういいんだよ!」


 しばらくの間はずっとそんな感じだった。

 五分ほどしてようやく落ち着きを見せ始める。疲労困憊の父親のいびきそのものだ。


「何も考えられなかったぞ……」

「……建物にひびがいきそう」


 これだと隣の部室にも迷惑をかけたことだろう。下手をすれば校舎全体に響き渡ったかもしれない。そう思えてしまうほどには酷かった。


「部長さん。お隣さんに謝っとくのをおすすめするよ」

「あとで挨拶しておきます……」


 吹奏楽部にも負けないくらいの大音量。小柄な身体のどこからそんな爆音が炸裂するのか、これも心霊現象の一つとして考えるべきだ。

 仁和も苦労したんだろうと苦笑いする。


「――――あいつも、苦労?」


 自身の言葉にひっかかった。

 頭をひねってみるが音響兵器のせいか明瞭な思考に至らない。

 ひとまず落ち着こうか。

 コーヒーを入れて各自の席にもどる。

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