『呪いの手紙:第三章』
呪いの紙:壱
日曜日の朝。
小鳥のさえずり。わたがしのような入道雲。
窓から差し込む光に呼ばれた気がして目が覚めた。……いや、この表現はない。
喉が少し痛い。そういえば冷房をつけっぱなしだった。慌ててベッドそばのローテーブルにあるリモコンで電源を切る。
朝というものはどうしてこうも小鳥のさえずりがよく弾むのだろう。
俺が住んでいるのはマンションの四階。ベランダに小鳥がとまっているのかもしれない。耳をすませば車の通行や子供たちのはしゃぐ声なんかも聞こえる。なるほど、小鳥の声がよく聞こえるのは一番近くの音だからかと、どうでもいいことを考えながら寝返りを打った。
今日はたまの日曜日。昨日は徹夜だったり演劇部だったり日用品の買い出しと目まぐるしかった。自由をモットーとする俺にとっては毒々しい一日だ。
しばらくしても寝付けなかった。熟睡だったらしく余計な睡眠は必要ないみたいだ。
「よっと」
ぼさぼさの天然パーマをかいて大きなあくびを一つする。
テレビ左上に表示されているのは午前九時。昨日の就寝は午後十一時だったから十時間も眠っていたことになる。
「寝付けないわけだ」
も一つ大きなあくびをして目に浮かんだ涙をふきとる。画面には日アサと呼ばれるアニメが流れていた。戦闘が売りのアニメらしいが、外の小鳥のさえずりと相まって、なんだかくすぐったい気持ちにさせられる。
枕に腕枕という贅沢な状態で寝転がり天井を見つめた。
「…………」
八坂幸太を取り巻く一連の心霊現象。
主な出来事は、三点。
一つ、『謎のハイヒールの音』
二つ、『壁を叩く音』
三つ、『つかまれた腕』
三つ目に関してはすでに解決済みだ。
「腕組しながら眠る癖、だな」
謎を一つ解明できたのは幸いだった。
けれど調査を進めた結果、新たな心霊現象が発覚した。
変更 二種類の壁を叩く音
『アパートでの壁ドン』
『寮時代での壁ドン』
壁を叩く現象はそれほど難題ではない。何者かが向かい側の壁から叩けば成立する。例えばアパートの大家が叩いた可能性だって考えられる。
状況は一変した。
空間・時間の異なる条件下で同じ心霊現象が起きていたのだ。
以下は現状の謎を一覧にしたものである。
一つ、『ハイヒールの音』
二つ、『現在の部屋での壁ドン』
三つ、『寮時代での壁ドン』
「諦観すればそれほど難しいことじゃないな」
現時点で俺はこれらの出来事を心霊現象だと考えていない。何者かの故意的もしくは偶発的な行為が重なって生まれているものだとする。
この事件に関与していると思われるのは二名。
大家と演劇部の仁和だ。
「可能性があるのは間違いなくこの二人のどちらか」
もしも大家が犯人であった場合。
壁ドンの正体はお酒で酔った大家がつい幸太の部屋の壁を叩いたからだということになる。壁が分厚くてもアルコールの入った力ならあり得る話だ。ハイヒールの音にも説明がつくだろう。
問題は『寮時代での壁ドン』が未解決のままになってしまうこと。知り合ってもいない大家が幸太の寮に忍び込むなど考えるだけ馬鹿げている。
「仁和のほうはどうだ?」
一緒の寮に住んでいたのだから『寮時代での壁ドン』は可能だ。調査のときに壁を調べてみたがアパートと比べて薄かった。仁和の出来心がしでかしたのかもしれない。
とはいえ現在の壁ドンを実行するのは不可能だ。あの仁和が空き巣じみたことをするわけもない。
それに彼は最近まで風邪で寝込んでいた。連日の『壁ドン』は行えない。
「……ああ、わからん!」
いつの間にか小鳥のさえずりは聞こえなくなっていた。頭をくしゃくしゃにして部屋を出る。洗面所で顔を洗い朝食を済ませた。
気持ちをいれかえて、再び自室へ戻る。
分からない答えを手探りで求めるのは愚行に等しい。
分かるものから整理するのが最短の道のりだ。
「紙に書き出すか」
スクールバッグからルーズリーフを取り出し筆記用具を並べる。テレビのスピーカーから流れる音だけで物語を想像しながら、分かっていることを紙の上に書き出していく。作業は十分程度で終わった。
大家に関して
フリフリの服装が好み(?)
アルコール飲料の入ったごみ袋
薄化粧
ハイヒールを履いていなかった
男の嘘を見破るのが得意
腰痛持ち
酒に相当強い
幸太との面識あり
幸太を狙っている(?)
我ながら見返してひどい内容だ。
机の上だけを見ると男に飢えた三十路の女性じゃないか。
「……次だ」
気を取り直して二枚目の紙に移る。
仁和に関して
幸太とは未だ仲たがいしている
しかし幸太想い
いい声
真面目そう
風邪を引いていた
黒ぶちメガネ
「…………どうしてこうなるんだ」
俺はいったい何を見てきたんだと呵責する。何が黒ぶちメガネだ。
悲観することはやめよう。何もいいことはない。
……そうだ。
「まだ大切なことを書いていないじゃないか」
カリカリとシャーペンを躍らせて黒ぶちメガネの隣に追加する。
『壁ドン』のことまで知っている
『呪いの紙』の送り主は仁和
仁和が騒動に関わっていると確信した最大の理由。
琴葉が見た世界で壁を叩くような音が聞こえた。つまり仁和は寮時代での『壁を叩く音』を知っていたのだ。
もう一つ。呪いの紙の送り主が仁和であるという事実。これは会話のなかで気づいたことだ。仁和は呪いの紙のことを噂で耳にしたと言っていた。
紛れもない嘘だ。その根拠に、俺は呪いの紙なんて噂を聞いたことがない。俺が転校生だからなんて可能性は捨てきれないが、クラスメイトが呪いの紙についての会話をしているところに出会った試しがない。
「幸太だって悩んだ挙句に相談したんだ。他のやつに軽口をたたくとも思えない」
幸太、ゲンカク、送り主しか知らない情報を仁和が握っている。
よって送り主=仁和という方程式が完成した。
ここまでが演劇部寮でわかった一連の解答。
「だからってこれ以上は無理なんだよなあ……」
情報量は多い。とはいえ、それらが必ずしも事件につながるわけではない。なにか大切なパーツが欠けている気がした。
それと新たに浮上した『二枚目の紙』の謎。
こちらから先に解いたほうが事件の解決につながるのかもしれない。
横書きで、ただ一文。
ノ本には気をつけろ。
一つ解決すれば次の問題がポンと出てくる。まるでポケットをたたくとビスケットが出てくるようで嫌になった。
「……はあ」
どうしたものかと首に手をあてる。
するとチャイムが来訪を知らせた。
息詰まっていたところだ。ちょうどいい。
「はいはい。どちらさまですか?」
「おはようござい――――」
顔を見た瞬間ドアを閉めようと試みたものの、相手も見越していたようでドアノブを固く握られてしまう。
ドアは半開きの状態で静止した。
「な、なんの用だ部長さん? 今日は日曜日のはずだけど……っ」
「日曜日も部活なのですよゆうやくんッ!」
ギリギリと歯を食いしばる。
琴葉は相変わらずパワフルであった。
「ぐううっ……」
手が汗ばんでくる。朝とはいえ九月の半ば、まだまだ暑い。
のどかな空はいづこへ。
「……あ」
「へ?」
俺の手からドアノブの感触が消えた。
瞬間。
力の均衡が崩れ、
「がふっ!?」
ドアの角が琴葉のおでこを強打する。勢い余った力と重力に導かれ、琴葉はあられもない姿で崩れ落ちてしまった。
「……おい」
大きなたんこぶを作ったまま動かずにいる琴葉に小さく声をかける。
「い、生きてるか?」
「……ま……よね……」
生存は確認できた。
「な、なんて言った?」
恐る恐る、聞き返す。
「……来てくれますよね……部活……」
「…………」
涙と、鼻水と、たんこぶと。
さすがの俺も、この罪悪感にはかなわなかった。
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