嘘つきの仮面:弐

 幸太のアパートから十分ほど。

 俺たちは学生寮の敷地内に来ていた。

 雰囲気はごく一般的な住宅街。綺麗に壁塗りされた新築があれば還暦を迎えたおじいちゃん一軒家もある。

 なにより学生数がすごい。俺の家の近所を見渡せばその過半数が高齢の人たちばかりだ。一方で学生寮地帯はといえば活気と青々しさで溢れかえっている。


「土曜日の午前ですからね。部活に向かう生徒がほとんどなんだと思います」

「ちなみに俺たち『げんかく』は活動しないのか?」

「徹夜で活動してるじゃないですか。冗談がうまいんですから」

「……そうですね」


 現象学研究会の活動は研究することじゃないのかよ。よほどそう言ってやりたくなったがここもグッと飲み込む。前にも似たようなことを思ったな。


「……それにしても、さっきのいなりんのツンデレは新鮮だった」

「俺がいつツンデレなんてした!」

「ゆうやくんを手のひらの上で踊らせるとは大人の女性ってすごいですね」

「憧れちゃうよね」

「お前らなあ……」


 頭痛がするのは徹夜明けのせいか。

 意識するとまぶたまで重たくなってきた。


「着きました! ここが演劇部さんの寮ですっ!」

「ふおぉっ」

「…………普通じゃないか?」


 もここの過剰な反応があったものだから期待を裏切られた気分だ。

 三階建ての木造住宅。クリーム色に塗られた外壁に赤い屋根。オシャレといえばオシャレな外装だが演劇部全員が住むとなれば狭いんじゃないかと思う。家の前の表札には演劇部と書かれていた。


「……ちなみにボクたちの寮はもっと小さい」

「…………」


 絶対入寮するものか。そう胸に誓う。

 琴葉が演劇部寮のチャイムを鳴らした。


『ちょっと待っててください』


 高校生にしては低めの男性ボイスが返ってくる。ほどなくして声の主が姿を現した。

 俺とは違った直毛の短髪。丸まった髪型で黒ぶちメガネをかけている。身長は高いほうで引き締まった肉体だ。

 何よりもその声。演劇部で活動する理由として声優を目指すからというのはよく聞く話だ。この男子生徒の場合もそうだろう。イイ声してる。


「お久しぶりです、仁和(にんな)くんっ!」

「おっ、伏見さんじゃないか」


 琴葉を見て早々、彼の表情が緩んだ。

 仁和徹(にんなとおる)。彼のことは道中で聞いていた。特に八坂とは仲が良かったそうで一学期のうちは何をするのも一緒くらいに意気投合していたらしい。

 廊下ですれ違ったもう一人の男子生徒だ。あのとき見た険悪な世界は一学期末のいざこざが原因みたいだ。琴葉も詳しい事情までは知らない。

 ちなみに寮で『壁ドン』があったのも期末試験のあたり。


「なんでお前がそんなこと知ってるんだ?」

「……情報屋だから」


 明らかに嘘をついている。パーカーの影に隠れた顔は冷や汗でいっぱいだった。

 とにもかくにも仁和から話を聞くことが最優先だ。


「お邪魔します」

「邪魔するなら回れ右」

「あいさ」

「待て待て帰るな琴葉」


 声の印象と違って、もののほか気さくな人柄なのかもしれない。

 廊下を渡りリビングに通される。家の中も綺麗な内装で新築の匂いがした。テレビ、本棚、ソファ、机、と生活に欠かせない品々がそろっている。

 俺たちはソファを勧められ腰を下ろした。

 気を遣ってくれたらしく冷房までかけてくれる。


「すみません、突然押しかけちゃって」

「いいよいいよ。みんな部活で学校に行ってるし」

「仁和くんは参加しないんです?」

「つい昨日まで風邪を引いてて寝込んでたんだ。病み上がりだから休んどけってね」


 だから一人で寮に残ってたのか。


「なおさらすみませんっ!」

「大丈夫だって。それより話って何?」


 冷えたお茶を透明なグラスに注いでくれる。気配りのできるいい男だ。

 仁和の質問に琴葉は応答しなかった。こちらに視線を飛ばしてくる。

 俺が話せ、と。


「あなたは?」


 こちらを一瞥して尋ねられる。

 仕方がない。


「俺は稲荷佑哉。同じ一年、だよな? よろしく」

「お前も一年なのか。仁和徹。よろしくな」


 差し伸べられた手を握り返すとちょっぴりぬくかった。手っ取り早く済ませるのが互いのためだろう。

嘘を見抜いたあの女性を思い返して気合いを入れる。

 今回はスピード勝負だ。


「稲荷、話っていうのは?」

「部活を辞めた幸太のことで聞きたいことがある」

「……ああ、幸太の」


 この反応、仁和に何か思い当たる節があるのだろう。

 話が早い。


「単刀直入で悪いが聞きたいことが二つある。この寮で起こった心霊現象のことと幸太について教えてもらいたい」


 一度で相手が理解できるよう口調・テンポ・言葉遣いに気を配って演じる。さてさて、演劇部員に見抜かれるのかどうか興味深い。

 その前に、あめ玉を使って仁和の世界を確認しておこう。だが初対面の人間の前で変態行為は避けねばなるまい。琴葉にはこの旨を事前に伝えてあった。ひじで小突いて合図をおくる。


「(……どうだ?)」

「(……すごく嫌な世界です)」


 焦り。不安。悲しみ。後悔。怒り。

 感情の絵の具をぐちゃぐちゃに混ぜた色だと琴葉は言った。


「(それになんだかドンドンって響く感じもあります)」

「(……お前、音まで聞こえるのか?)」

「(あくまでイメージの世界ですから)」


 棚から牡丹餅。

 仁和の意識にかかわらず彼の深層心理では壁ドンのことを知っていることが確定した。

 あとはゆっくりと調べていくだけだ。


「それで、どうなんだ仁和」


 俺は仁和の言葉を待った。同様に三人の女子も口をつぐんでいる。

 ようやっと紡がれたのは、


「心霊現象が起こってたなんて知らなかった。でも一時期、幸太が何かに怯えていたのは薄々感じていたよ」


 一時期とは幸太が部活を辞めたあたりのことか。

 幸太が演劇部を辞めた理由は寮の部屋で『壁ドン』があったから? しかしそれだけで辞めてしまうのはどうも腑に落ちない。

 首に手をあて深くまで考え込む。


「幸太の何を聞きたいんだ?」


 麦茶をすすり、仁和が返してくる。

 では手始めにこんな質問をしてみよう。


「幸太って怖がりだよな?」

「超がつくほど怖がりだ」

「今さら感が否めません……」


 琴葉ともここが顔を微妙そうな顔をする。幸太が超怖がりだってことくらい俺だってわかっているさ。

だけど確認しておきたかった。昔から怖がりだったのかを。


「それじゃあ次だ」

「おう。何でもいいぞ」


 先の質問が軽かったからか適当な調子で仁和はうなずいた。

 波長がぴたりと重なる。


「幸太はなんで演劇部を辞めたんだ?」

「…………っ」


 仁和は心臓を矢で貫かれたかのような反応を示した。

 感情を揺さぶるのも一つの戦略だ。仁和には悪いと思っている。


「……幸太が辞めた理由」


 彼は口の中で何度も吟味し、反芻した。

 見ているこちちが息苦しくなるほどに。


「理由…………」


 重苦しい口調。一度口に出してしまえば死んでしまうかのような、何も見えない道に一歩踏み出す恐怖。

 琴葉のあめ玉がなくとも仁和の世界は目に見えた。

 冷房の音が否応に鼓膜を震わせる。窓の外から蝉の鳴き声が鮮明に聞こえた。

 言葉の先を、口にする。


「俺だって分からない」

「…………」


 嘘をついているようには思えなかった。

 その言葉はどこか影がかっているように感じる。


「……けど、何も知らないわけじゃない」

「何か心当たりがあるんだな?」


 仁和が首肯する。

 これがきっかけとなり、彼は縷々として話し始めた。


「あいつ脚本のことで悩んでたんだ。本来は推理小説なんかを書くんだけどさ。何度も相談されたよ。僕には才能がないって」


 幸太が物書きをしているとは知らなかった。

 誰も口を挟まない。


「俺はあいつと一緒にやりたかった。大丈夫だって何回も言ってやった。他の同期も先輩たちだってそうだ。あいつの明るさには救われてた。物語だって最高なんだよ。演劇部の太陽みたいだなって誰がか冗談まじりに笑ってた」


 仁和は遠いところを見つめた。

 戻れなくなってしまった過去を羨望するように。


「あいつは諦めなかった。陽気ながらすごい負けず嫌いの頑固者でさ。誰も思いつかないようなトリックで世界一の作品を生み出すぞって鼻息を荒くしてた」


 付き合いの短い俺でさえ容易に想像できる。

 あの幸太ならやりかねない。


「……それでも辞めちまったんだよ」


 幸太が部活を辞めた理由。

 それはきっと過度なストレスだ。何事においてもストレスは人を狂わせる。幸太のストレスとなったのは実力不足による劣等感や罪悪感、それと心霊現象だろう。一方向からのストレスには耐えられたはずだ。実際、幸太は劣等感や罪悪感に耐えながら奮闘していたそうだから。

 そこに寮時代の壁ドンが起こってしまった。それが引き金となって別ベクトルからの重圧にやられてしまったんだ。

 馬鹿な仮説かもしれないが怖がりの幸太にとって相当なストレスだったに違いない。いつ起こるかわからない恐怖に怯えることほど苦しいことはないだろう。


「悪い、初対面なのにここまで……」

「いやいいんだ。俺も聞きたいことがあるからさ」

「ん?」

「噂で耳にしたんだが、幸太の家に『呪いの紙』が届いたそうじゃないか」

「ああ」


 そうだ、と言いかけて俺は口をつぐんだ。

 再び問い返す。


「呪いの紙はたしかに届いたが……それは噂で聞いたのか?」

「そうだよ」

「本人からではなく?」

「あいつとは部活を辞めて以来話せてないしな」


 出口の見えない暗闇に、真実へつながる一筋の光が見えた気がした。

思わず笑いがこみあげてくる。


「ど、どうかされましたかゆうやくん?」

「……不気味に笑っている」

「茶化すんじゃない。それで呪いの紙がどうしたんだ?」

「いいや、その……幸太のやつ、大丈夫かと思って」

「そうじゃないから俺たちが動いているんだ」


 呪いの紙が心霊現象にかかわっているのか現状ではわからない。けれど呪いの紙が届いたからこそ、幸太が悩み相談に踏み出したのは事実だ。ビビリのスケベ太郎には耐えがたい。


「そうだよな……」


 仁和は力なく笑った。

 それにもう一つと仁和は言った。


「あいつの推理小説はどうなってる?」

「推理小説?」


 突拍子もない質問で肩をスカされた気分だった。

 対する答えを俺は持ち合わせていない。

 一番交流の深い琴葉に目をやった。


「そうですね。一学期はよくお話してくれていましたが二学期になった今では聞いていないかもです」

「スランプってことなのかな?」

「どうでしょう」


 よくよく思い返してみると幸太の部屋にあったノートパソコンには埃がかぶっていた気がする。最近はパソコンで書くのが主流と聞くので幸太もきっとノートパソコンで書いているのだろう。

 だとすれば全く手をつけていないことになる。


「……仁和?」


 質問者であるはずの彼の反応がない。

 二度呼びなおしてみて、ようやっと返答があった。


「すまん、思い当たる節があって」

「そうか」

「…………」

「…………」


 それから空気が死んだ。考えるのに必死だからか、それとも話題がなくなったからか。

 とにかくこのままではらちが明かない。

 俺たちがやるべきこと。残るは一つ。

 心地のいいソファから重い腰をあげる。


「きゅ、急に立ち上がりました……」

「……トイレはもっと早くに行くべき」

「幸太の部屋に行こうと思ったんだ。人を勝手に失禁ギリギリ人間に仕立てるな」


 ほら見ろ、あのダンディボイスの仁和が声高らかに笑っているじゃないか! とんだ恥をかかされたものだ。脈絡もなく立ち上がった俺にも非はあるが……。


「幸太の部屋ね。ついてきなよ」

「助かる」


 元幸太の部屋は二階だそうで、階段をのぼって右に白いプレートのかかった部屋があった。プレートには『八坂 覗くと大変なことになるよ☆』と書かれている。大変なのはスケベ太郎のほうだ。

 部屋に入る前にふと隣の扉を目にした。

 プレートには仁和とある。


「机やベッドなんかは残ってるんですね」

「寮の施設なんだ。幸太の私物は一つもないよ」


 幸太の部屋はクリーム色で統一されたワンルームだった。

 幸太が去った後も手入れしているのか、埃一つ見つけられない。この調子だと手がかりになるようなものはないかもな。


「散らかさない程度に頼むぞ」

「悪いな、急に押しかけておきながらここまでさせてもらって」

「いいさ。幸太のためにしてくれているんだろう?」


 机の中やベッドの下などを調べる俺たちと同じく、仁和も手掛かりになりそうなものを探してくれている。本当にできた人間だ。

 ……それに比べて。


「助平なものとかないですかね、こうビッグなやつ!」

「……ボクのレーダーが反応してる」

「ふ、二人ともやめなよ。女の子向けならまだしも……」


 この三人ときたら幸太の家で調査したときといい楽しむことしか考えていない。もここも注意しているようでちゃっかり手伝っている。


「にぎやかだな」

「……恥ずかしいかぎりで」


 男同士わかりあえる仲間がいてよかった。こうやって幸太ともばかみたいなことをやっていたのかと思うと、いっそう拳に力が入る。


「……?」


 俺は妙な違和感を覚えた。

 なぜ喧嘩中の仁和がこうまでして幸太の力になろうとしているのか。喧嘩の真っただ中ならば相手のことを嫌っていて当然のはずだ。

 仁和にその様子はない。

 これに関して質問するのは少し野暮ったいかと悩んだが事件の解決につながるかもしれない。

 思い切って彼の名前を呼ぶ。


「おい、これを見てくれ!」

「……っ」


 しかし俺の声は仁和の切迫した声にかき消された。

 仁和の手ににぎられているのは一枚のA4用紙だ。


「本棚の隙間にこれが挟まってた」


 彼の台詞に思わず眉をひそめる。本棚のあたりは俺が調べ切ったはずだからだ。

 机の上に置かれる『それ』を目にする。



 ノ本には気をつけろ



 横書きで記された難解な文章が紙面のど真ん中に居座っていた。筆記体はどこか呪いの紙に似ている。

あまりに意味不明な内容で俺たちはつい押し黙ってしまった。呪いの紙とはまた違った謎を持つ『二枚目の紙』の出現に頭が痛くなる。

 こういう場合、決まって第一声をあげるのは琴葉だった。

 期待通り、彼女が言う。


「なんじゃあこりゃあ……」


 よくぞ申した、我が部長。

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