みつどもえの怪奇:参

 夜が明けた。

 つい先ほどのまでの喧騒がまるで夢だったかのように、すがすがしく、空気の澄んだ青空だった。残暑真っ盛りの九月なのにそよ風が心地いい。

 俺は折り畳み式テーブルに頬杖をついていた。

 見つめているのは明後日の方角。明日の兆しは見えそうにない。


「幸太くん、大丈夫ですかね?」

「これでも三日耐えた猛者なんだ。何とかやるさ」

「だといいですが……」


 正座する琴葉が太ももの上に手を重ねてうつむく。私服のスカートがめくれそうで少しドギマギした。恥じらいをもってほしい。

 この場に幸太の姿はない。

 夜明けに目を覚ました彼は青ざめていた。本人も『ハイヒールの音』『壁を叩く音』『腕をつかまれる』を感じていたらしい。

 さすがに精神が堪えたらしく気分転換に友達の家へと遊びに出かけた。俺たちが残っているのは心霊現象の手がかりを探るためだ。

 お葬式のような息苦しい空気が横たわっていた。

 そこで我らが部長が一言口にした。


「心霊現象はおきましたけど……肝心の手がかりは見つかりませんでしたね」

「そんなことはない」

「ええっ!?」


 あっけなく琴葉の言葉を否定してやった。実のことをいえば意外と解決の糸口をつかめていたり、なんて。

 こう返されると思わなかったのか、琴葉は口を開きっぱなしにしてアホの子みたいになっていた。開いた口が塞がらないとは上手く言ったものだ。


「さすがゆうやくんですっ! 度肝を抜かれました!」

「大層なことじゃないけどな」

「そ、それで何が分かったの?」

「『腕をつかまれる』って現象があっただろう? 三つのうち一つの」

「はい」


 三つの項目の書かれた白い紙を取り出す。


「これの原因が分かったんだよ」

「詳しく聞かせてくださいっ!」

「あ、あぁ……」


 身を乗り出し興奮気味な琴葉。

 とりあえず前置きをしておこう。


「この中で幸太が腕をつかまれているのを目撃したやつはいるか?」

「現実ではなかったです。でも幸太くんの見ている世界には間違いなくいましたよ。ゆうやくんも見ましたよね?」


 あめ玉を舐めた直後のことだろう。

 琴葉の言う通り、幸太の見る世界には白装束の女がいた。

 しかしそれはあくまで幸太の見る世界での話だ。身もふたもない言い方をするが、結局は幸太の頭の中でしか具現化していない。


「俺が聞きたいのは現実にいたかってことだな」

「それなら見てないです」

「他の二人は?」

「わ、私は……目をつむってたから……」

「……ボ、ボクはパーカーに守られたから」

「…………」


 思わず顔を手で覆った。終始見ていたのは俺と琴葉だけかよ……。

 想定内といえばそうだ。

 話を続けよう。


「幸太が腕をつかまれたのを見たやつは誰もいない。つまり幸太の腕を握る幽霊なんて存在しないんだ」

「でも八坂くんはつかまれたって……」

「そうだな」


 ビシリと指摘されたもここの肩がびくっとはねる。

 無意識のうちに俺は立て板に水のごとく語っていた。


「腕を握る幽霊は存在していない。一方で幸太はつかまれたと実感している。これってどういうことだと思う?」

「勘違い、ですか」

「花丸だ」


 この心霊現象の答えは『勘違い』そのものだ。

 それに異議を申し立てたのはもここだった。


「心霊現象は毎日起きてるんだよね? さすがに毎日勘違いは考えにくいような」

「もちろん証拠はあるぞ」

「証拠です?」

「要するに毎日勘違いする現象が起きていればいい。本人の気づかないところでな」

「本人が気づかないことといえばなんでしょう」

「……あっ」


 泡子がなにやら思いついたようだ。


「……いびきとか? 寝てる本人は気づかない」

「理屈にかなってはいますが、いびきが原因って……」

「イイ線いってるぞ」

「そうなんですかっ!?」


 泡子のいびき説に呆れかけた琴葉が驚愕する。

 焦らしていても特にメリットはない。俺は端的に答えを述べた。


「寝相だよ。『腕をつかまれる』心霊現象の正体は寝相なんだ」

「「寝相……?」」


 琴葉ともここの二人がそろって疑問符を浮かべる。

 論より証拠。再現したほうが早そうだ。


「俺が幸太の寝相を真似してみる。よく観察すればわかると思うぞ」


 俺はベッドの上で横になった。想像以上に心地のいいベッドだ。徹夜明けの体にはつらい。寝てしま

う。


「どうだ。何かわかるか?」


 襲いくる睡魔に抗いながら必死に体現してみた。

 琴葉が手のひらをポンと打つ。


「腕を組んでるんですねっ!」

「その通り。幸太の癖は腕を組んで寝ることなんだ」


 昨晩、幸太がうめき始めたときに気づいたことだ。

 彼は腕を組んで眠っていた。


「腕を組んで寝ると何が違うの?」

「腕を組んでみなよ」


 三人がならって腕を組む。

 リアクションはすぐにあった。


「そっか! 腕を組んだら自分の腕をつかむことになるんだ」

「添えるって言い方が正しいのかもしれないけどな」


 腕の組み方は人それぞれ違うが、必ず一方の手が二の腕あたりに触れることになる。


「幸太が腕をつかまれたと思うのは決まって他の心霊現象のあとだ。人間、恐怖を感じるとどうなる?」

「……手に力がこもる!」

「そういうこった。手に入った力を『誰かに腕をつかまれた』と勘違いしてたんだろうな。寝起きは脳が半覚醒状態だ。可能性は十分に高い」

「決まりですねっ!」


 琴葉が決まり文句を口にする。

 これで一つ、問題は消去できた。白い紙に書かれた『腕をつかまれる』の欄にバツ印が加わる。

 とはいえ解決できたのはこれだけ。


 一つ、『謎のハイヒール』

 二つ、『壁を叩く音』


 残る問題は二つ。

 昨晩はハイヒールの音も壁を叩く音でさえ全員が耳にしている。オカルトだと頭から否定することはできない。科学的見地から証明する必要がある。

 試しに部屋の壁をノックした。


「…………」


 反響はない。

 向こう側との距離は厚いことになる。隣の部屋で壁にぶつかったもしくは何かを落とした程度の衝撃で音が届く薄さではない。鉄バットを使えば話は別だろうがしょせん机上の空論だ。


「あの音はいったい何が原因なんだ?」


 つぶやいた瞬間、どうしようもない静寂が蔓延した。出口の見当たらない洞窟に迷い込んでしまった錯覚に襲われる。

 それを切り裂いたのは意外な人物だった。

 パーカーかぶり泡子だ。


「……ボク、八坂くんの寮時代の話を聞いたことがある」

「寮時代?」


 脈絡のない内容に困惑するが、続く言葉が道をつくることになった。


「……寮にいたときも『壁を叩く音』を経験したとか」

「なんだって?」


 この部屋に限らず別の場所でも心霊現象が起きていたってことか? だとすれば昨晩の出来事も偶然の産物なんかじゃない。


「調べてみる価値はあるな」

「ちなみに幸太くんは元演劇部です。いざこざがあって辞めたそうですが」

「なら演劇部を訪れるのが早い」

「決まりですっ!」


 次なる目標は演劇部。

 幸太の過去を知ることから始まる。

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