みつどもえの怪奇:弐

 幸太の家に集合したのは午後十一時のことだった。一度帰宅して支度を済ませることになったからだ。夜遅くに女子を出歩かせることに抵抗はあったが、三人は『げんかく』の部活寮に住んでいるため少し気が楽だった。

 俺のあとに三人が到着し、三分後に幸太がやってきた。


「遅かったな」

「男の子にも色々準備が必要なのよ」

「そうかい」


 適当に相槌をうっておく。

 そうして我らがげんかくwith幸太は出発した。アパートはそう遠くなく徒歩十分程度だった。俺の家とは方角が違うものの通学時間は似たようなものだ。

 暗くてよく見えないが外装はとても綺麗そうだ。

 二階建てで部屋数は四つほど。


「いいところに住んでるんですね!」

「新築だからね。建って三年目らしいよ」

「家賃も高くつくだろう」

「幸太くんの実家はお金持ちですから」

「実はそうなんす」

「あっさり認めるお前はすごいよ」


 しかし堂々としたアパートがそれを物語っていた。蜘蛛の巣一つない柱にしっとりとしたブラックカラーの階段。メッキ調の手すりは高級百貨店に備え付けられていても疑わない。俺たちのような一般学生には場違いに感じられた。

 一歩踏み入れる。泡子がためらっているのに気がついた。


「大丈夫か?」

「……魔力が震えている。やつら、いるぞ」

「そっちかよ」


 品のある敷居へまたぐのが恐ろしいわけでないらしい。中二病を発動しているだけだった。心配するだけ損だと肩をすくめたが、


「ぐぉぉっ! やっぱり強烈な幽霊なのか!」

「……これは即刻お祓いが必要なレベル」

「やめろやめろ。幸太がうるさいから」


 問題は幸太が荒ぶるところにあった。このまま二人には黙っていてもらいたい。

 躊躇する泡子の背中を押してやり、例の階段をのぼる。


「スニーカーだと音がしませんね」

「私の靴も」

「でしょでしょ? だからこそ怖いんだ」


 金属性の階段にゴムは反響しない。謎の足音がハイヒールという仮説は正しいようだ。

 階段をのぼり終えて立ち止まる。

 二○一号。ここが幸太の部屋らしい。


「ただいまーっ」

「お邪魔します」


 玄関の戸をくぐって廊下を進むと十畳程度の大きな部屋が広がった。白を基調とした壁紙に綺麗なフローリング。部屋のすみの机にはノートパソコンがあり、反対側には小型のテレビも置かれてある。よくよく観察すれば片付けの痕跡がわかった。集合までの時間に済ませたのだろう。


「独り身には手に余りそうな部屋だな」

「とはいってもワンルーム。ちょうどいいのさ」


 お金持ちの坊ちゃんのことだからこれが普通なのか。俺の部屋なんて六畳もないのに。

 部屋を見回しているうちに、もここがなにやら発見した。


「あれ、もしかしてロフト付き?」

「お見事! あれに魅かれて部屋を選んだといっても過言じゃないね」


 彼女の指さす先を目で追ってみる。天井付近の壁に凹の空間があった。ロフト付きの部屋を借りる高校生なんて相当な贅沢者である。けしからん。


「……のぼってみてもいいか?」

「もちもちろんろん」


 それから俺たちは色々と物色した。当然、個人のプライバシーを害しない程度にだ。他人の部屋を観察するのも思いのほか面白い。その人物の趣味・嗜好が言葉を語るより分かる。もしも自分がここに住んだらという無意味な妄想も楽しめる。


「いいお家で羨ましいですな、幸太くん!」

「私も住みたくなっちゃった」


 各人からの高評価をいただいてご満悦そうな幸太。ただ曰くつきであることをお忘れなく。

 見学も一段落済んで、部屋の中央に出された折り畳み式テーブルでくつろぐ。幸太の家に温かいお茶があるとはこれまた意外だった。

 テレビ台に置かれたミニ時計が示すのは午後一時前。


「時間も時間ですしそろそろ寝ましょうか。幸太くん、お布団とかってあります?」

「掛布団なら人数分あるよ」

「さすがおぼっちゃん!」

「よしておくれ」


 和気あいあいと、まるで修学旅行の夜みたいに楽しむ彼女たち。

 ……異議あり。


「なぜ寝ようとする?」

「「「え?」」」


 布団を並べ終えた全員がそろって顔を向けてくる。

 はてなマークを浮かべていた。

 ……こいつらときたら。


「あのなぁ、ここに来た理由を思い出してみろ」

「お泊り会じゃないんですか?」

「幸太。琴葉を部屋からつまみ出せ」

「YES」

「えぇーっ! なんでですかー!」


 冗談抜きに忘れたとは能天気にも程がある。

 俺はため息をつき、一から言い聞かせてやった。


「いいか、ここに来たのは心霊現象が本当に起きるかを調べるためだ。パジャマパーティーをしに来たわけじゃない」

「みんなと夜更けまでお喋りして楽しむのはナシです?」

「ナシです」

「ぐぬぬっ。それじゃ何のために泊まりに来たんですかぁーっ!」

「だから心霊現象を解決するためだっつーのっ!」

「まぁまぁ二人ともここはあいだをとろうじゃないか」

「「……あいだ?」」


 思わぬ提案にドスの効いた俺たちの低音ボイスが重なる。

 俺は真剣に心霊現象を確かめたい。琴葉は布団に入りながらみんなと楽しくお喋りがしたい。どうすればこの間が取れるというのだ。

 幸太は片目をつむって人差し指を立てた。


「心霊現象が起きるまで怖い話をするんだ。そうすればみんなとワイワイ出来るし、心霊現象解決の糸口も見つかるかもしれないだろう?」

「……なるほど」

「ん、んむ……」


 俺と琴葉は口もとに手をやって悩む。確かに他の心霊現象の話でもすれば別の側面からの視点を得られるかもしれない。


「夏も終盤に差しかかりますけど怖い話は夜更かしの鉄板ですからね」

「お、おなじく。せっかくのお泊りなんだしワイワイしながら心霊現象が起こるのを待ったほうがいいのかも。こわいけど……」

「……ボ、ボクも頑張る。幽霊なんて滅してやるぅっ!」


 どうにもこの部活には怖がりの強がりが多いらしい。

 先が思いやられる……。

 まあ、いい。


「そうだな。どうせなら怖い話でもして待つか」

「決まりですねっ! それじゃ掛布団の続きを」

「これでラストだよ」


 支給された布団の手触りに思わず再確認してしまう。お金持ちは俺たちとは違う世界に住んでいらっしゃるようだ。

 ……などとふざけているうちに事態は急展開をむかえた。


「それじゃおやすみなさい」

「「「え!?」」」


 渦中の張本人である幸太がベッドに潜り込み、しまいには寝息を立て始めたのだ。よほど寝不足だったらしくすでに夢の中だ。


「いいんですかゆうやくん! 幸太くん寝ちゃいましたよ?」

「まあ問題ない」

「で、でも本人が起きてないと……」


 胸の前で手をわちゃわちゃ動かしてもここが不安そうにするが、すべては考慮してのことだと伝える。


「一つ確かめたいことがあるからな」

「確かめたいこと?」


 琴葉が不思議そうに首をかたむける。

 直後のことだった。


「……んごおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーッッッッ!!!!!」


 いびきと思われる強烈な爆音が不意に炸裂し、俺たちの鼓膜を殺しにかかった。隣の部屋どころかアパート全体を揺らしている。

女子のように華奢な身体のどこからこんなものが出てるんだ……っ! 暴走族にだって引けをとらないぞ!

 心臓殺しのいびきにかき消されないよう声を張り上げた。


「ロフトにでも避難しよう!」

「そうですね!」


 幸いにも四人ほどのスペースはあったはずだ。少々息詰まるが致し方ない。

 俺たちは懸命になってロフトへと移動した。

 別空間のためか耳の痛みが少しマシになる。

 ロフトこそ至高だ……と思いきや、


「おい」


 そこに三冊ほどの成人本があった。


「こ、こいつはぁ! まさかのトレジャーですぜ!」

「……魔界から零れ落ちた幸!」

「だ、ダメだよ二人とも」

「ちらっとだけですから」

「……ちらっとなら、まあ」

「……むふうっ! こ、これは」

「けしからんですね、けしからんです!」

「ちょっと見えないよっ」

「やめんか」


 ハイエナのように群がる三人の女子を追いはらい成人本をロフトから放り投げた。隠すならしっかり隠しておけ。

 気を取り直すように借りておいたミニスタンドライトをつける。三段階に光量を変えられて便利だ。一番弱い設定にして、一息つく。


「……ひどいもんだったな」

「まさか小さなお胸もお好きだったとは……」

「そっちじゃない! いびきのほうだよ」

「あら、これは失敬」


 ちろりと舌を出したからって許されると思うな。そう文句をいってやりたいけれど、話が進まないのでぐっと飲み込んだ。

 俺はあくまで心霊現象の謎にせまりたいのだ。

 ごほんと咳ばらいして、こう切りだした。


「さて、怪談を始めようか」

「…………」


 ごくりと誰かが生唾を呑み込んだ。

 冷房は効いているはずなのに、ロフトの中は微妙に熱がこもっている。じっとりとした汗が一滴となって背中をつたった。


「…………では言い出しっぺのわたしから」


 ひかえめに手を挙げ、琴葉がその場の注目の的となった。

 スタンドライトが気味悪く彼女の顔を照らし出す。

 まるで縁の下の害虫が地を這うように、声をひそませて、語り出した。


「これは学校のそばにある病院でのお話です。わたしの母の友達がよく霊安室に行かなくちゃいけない業務らしいんですけど、それはもう冷たい夜だったそうで。その日も霊安室に行こうとエレベーターに乗りました…………」


 …………

 正直に吐露しよう。

 琴葉の話は肝が冷えるほどに恐ろしかった。俺自身オカルトを信じるタイプではない。にも関わらず、琴葉の話を聞いていると耳を塞ぎたい気持ちでいっぱいになった。

 その先の真実を知れば後戻りできないような感覚。

 それでいて先を知りたいと思う人のさが。

 話自体が怖かったのか、それとも琴葉の語り口が絶妙だったのか、それは今となっては分かりかねる。


「…………その友達は今も行方知れずなんだそうです。あの目はいったい誰のものだったのでしょか」


 彼女の唇がとじる。

 俺は無意識に小さな拍手を送っていた。


「怖い話で拍手されるのは成功といっていいんですかね……」


 いささか困惑する琴葉。けれど、まんざらでもなさそうだ。

 他の二人はカタカタと怯えていた。もここは三角座りをして身を縮め目の端に涙を浮かべている。泡子はトレードマークのパーカーを深くまでかぶって額を床にこすりつけていた。


「終わりましたよ、二人とも」

「……ガタガタガタ」


 空想の話を耳にしただけでこのありさまだ。もしも心霊現象に遭遇したりでもすれば心不全になりかねない。

 仕方ない。ここはひと肌脱いでやるとしよう。


「二人とも顔を上げてくれ。次は俺の番だ」

「……ふぇ?」

「……どうして笑顔なの?」


 雰囲気にそぐわない俺の表情が二人の注意を引いた。

 すべりだしは順調だ。


「この話を聞いた者は、聞く前の気持ちがすっかり消え失せているらしい。そんな世にも奇妙で不思議な物語…………」


 身振り手振りを余すことなく言葉をつむぐ。

 話の概要は至ってシンプル。

 幼少期からともに成長してきた少年と愛犬のお話。

 主人公が大学生になった頃、その愛犬は死んでしまった。

 悲しみに心を沈める主人公の周りで追い打ちをかけるように心霊現象が起こる。

 しかし結末は死んでしまった犬が最後のお別れを告げるために起こった現象だということを知った。

 どこかで一度聞いたことのあるようなありふれた物語。

 ただ、話し方に工夫を凝らしていた。

 序盤は幸せそうな主人公と愛犬の日常を描く。中盤、ガラッと転調してホラーに。そして終盤、一気に心温まる語り口に。

 緩急のギャップを生み出し、聞き手の心をコントロールするのだ。

 この際ポイントになるのが言葉の取捨選択。一つの言葉で相手に与える印象ががらりと変わる。

 その結果。


「ひぐっ……ぐすっ……ちーちゃん……」

「……なんで死んじゃったの……っ」


 ハンカチじゃ間に合わないほど涙ませることに成功した。


「俺の話はこれでおしまいだ」

「うぐわぁぁあっ! ちーちゃぁぁあんっ!」


 琴葉の場合、人一倍感受性が強いみたいだった。

 号泣されるのはまずい。下では幸太が熟睡している。


「気持ちはわかるが静かに頼む。幸太が起きるだろう」

「だってちーちゃんがぁぁあっ!」

「ちーちゃんのことは忘れろ」

「ひどいですっゆうやくん! ちーちゃんのことを忘れろなんて……っ!」


 泣きべそをかきながら俺の肩を揺らしてくる琴葉。

 頭がぐらつく。



 ――――っ



「……?」

「うわっはぁーんっ! ちーちゃ」

「静かに」

「むぐっ」


 泣きわめく琴葉の口を手でふさぐ。

 今さっき何か聞こえたような…………コツンっ。


「……まさか」


 ポケットのスマホを引き抜いて時間を確認する。

 午前三時。幸太がいつも心霊現象に見舞われている時間帯だ。


 コツンっ。コツンっ。

 コツンっ。コツンっ。


「むごごっ」

「は、はわわわわわ……っ!」

「……聞こえない聞こえないボクにはなにも聞こえない……っ!」


 俺の空耳ではない。各々の反応がその証拠だ。


 コツンっ。コツンっ。


「階段をのぼってる……?」


 ハイヒールという推測に間違いはない。もう少し聞き耳を立てるか。

 次の瞬間、


 ドンドンドンドンッ!!


 幸太の眠るベッド側から何者かが壁を叩くような音が鳴りはじめた。


「むごごがぉっ!」

「……お母さんっ!」


 冷や汗が止まらない。

 呼吸の仕方を忘れた。

 息が止まる。


「なんだ、これ……」


 心霊現象なんて信じてもいなかった。

 なのに。


 ドンドンドンドンッ!!


 現実を見せつけられてはどうしようもない。


「クソッ!」


 必死になって頭を働かせる。

 とにかく冷静さを失ってはいけない。

 目を閉じ落ち着きを取り戻そうとして、


「うぅ……ッ」


 幸太らしきうめき声が耳に入った。

 ロフトから顔を出して確認する。

 前髪がべったりとくっつくほどに彼は汗をかいていた。表情も苦しそうだ。


「まさか、腕を掴まれている?」


 幸太の腕に焦点を移す。

 しかし何者かの手が彼の腕を握っている形跡はなかった。


「……いや、待てよ」

 

 目に映る世界――――ではないとしたら?


 途端、混乱に陥っていた思考は通常運転を再開する。俺の仮設が正しければ『つかまれた腕』の謎は解決するはずだ。

 そのとき。


「ゆうやくん!」

「こんなときになんだ」

「とりあえずこれを!」


 琴葉の指先にはよだれのついたあめ玉が。


「…………」


 冷や汗が流れる。

 少しのためらいをもってから口にした。


「あれが幸太くんを苦しめている正体では……?」


 琴葉の指さす先。

 そこに科学では証明できないとされる存在があった。

 薄暗くよく見えないが、それでよかったと思う。鮮明な正体を認識してしまえば後戻りできなくなりそうだからだ。

 冷たい女が、幸太の腕を握りしめていた。

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