『呪いの手紙:第二章』

みつどもえの怪奇:壱

 入部から三回目の放課後のこと。


「頼み事がありますっ!」


 部室でなぞ解きに頭を悩ませていると嵐のごとき琴葉にそう宣言された。

 嫌悪が顔に出てしまったのか、むすっとして俺の肩を揺さぶってくる。

 読めない読めない……。


「ゆうやくんは冷たすぎます。もっとわたしたちに寄り添ってもばちは当たりません」

「現象学研究会なんだから研究くらいさせてくれ」

「とかいって変な問題解いてるじゃないですか!」

「これも研究のうちだ」

「ええい、研究なんて二の次ですっ!」

「それを言っちゃ終わりだろう……」


 曲がりなりにも部長なんだからしっかりしていただきたい。

 しかしながら部長さんの意識はすでに別のところに狙いを定めているようだ。どうにも上の空というか。

 そのとき何者かが入り口からこちらを覗き込んでいる気配がした。


「誰かいるのか?」


 琴葉の身体を避けるように首を動かすが、ひょいと逃げられてしまう。

 好機ここにありとばかりに琴葉は切りこんだ。


「実はですね、ある友人から相談を受けてまして。ゆうやくんの手をお借りしたいなんて思ってたんです」

「また厄介なことを」


 これ以上俺の自由な日常を奪われてはたまらない。話を聞くだけ聞いてさじを投げればいいか。

 そう決めてしぶしぶ受け入れたように取り繕う。


「とりあえず話を聞くだけなら」

「ありがとうございます! 決まりですねっ!」


 こうたくん、と俺が知らない名前を外に向かって呼びかけた。

 ひょっこり影の主が顔をのぞかせる。


「入っても大丈夫なのかな?」

「もちろんです」

「それじゃ遠慮なくお邪魔しまーす!」


 甲高い声でためらうことなく部室に足を踏み入れてきたのは、高一にしては背の低い童顔の男子生徒だった。

 髪質は俺と似たような感じでクセが強い。目元はメイク後の女性よりもぱっちりしていて鼻筋も通っている。女子中学生と間違われてもおかしくはない。女装すれば千人に一人くらいしか見抜けない容姿をしていた。


「八坂幸太(やさかこうた)くんといって、わたしの幼なじみですっ」

「八坂です! 気軽にやっちゃんとか、こーちゃんって呼んでください」


 緊張する様子もなく八坂は自己紹介した。

 この顔……どこかで見たことがあるような?


「そうか、他の男子と喧嘩していたやつだ」

「バカーっ!! それを言っちゃダメでしょう!」

「むぐっ!?」

「……?」


 俺としたことが配慮が欠けていた。

 この男子生徒は以前教室を案内されているときに見かけた片方だった。琴葉の友人だとは聞いていたが、まさかこんな形で知り合うことになるとは。


「八坂です!」

「わ、私は下鴨小恋です」

「八坂です!」

「……し、知ってる。私は三室戸わにゃ」

「わにゃ、って珍しい名前だね」

「あ、泡子!」


 選挙活動に勤しむ議員にも劣らないフットワークだ。泡子なんてグイグイ来られて中二病の設定を忘れている。八坂のことを知っていたのは意外だが。


「八坂です!」


 俺に番がきた。クラスメイトと同様に明るく演じるのも悪くない。ただ現象学研究会内であざとい顔を出すというのは嫌だ。

 この調子でいくとしよう。


「稲荷だ。稲荷佑哉」

「琴葉から聞いてるよ。君が僕の悩みを解決してくれるんだってね?」

「とりあえず話を聞くだけだ」

「よろしく! 佑哉って呼んでもいいよね? 僕のことは幸太で!」

「あ、あぁ……」


 勢いよく手を差し出されたものだから思わず握り返してしまった。

 各々の自己紹介も終わり本題へと入る。

 窓際の机を囲み、配置はいつものように俺を中心として、隣にもここ、正面に泡子、斜めに琴葉だ。ちなみに幸太は追加の椅子を用意して議長席のような位置にいる。


「話っていうのは?」


 面倒なことはさっさと済ませたいので俺から話題を振る。

 途端、にこやかだった幸太の表情が雲がかった。どうやらあまり明るい相談じゃなさそうだ。そもそも明るい悩みは悩みでない。

 しばらくの間、幸太の反応はなかった。口元はかすかに動いているのだが声になっていない。よっぽど深刻なのだろうか。


「幸太くん。言いにくいなら、わたしから話しますよ?」


 心配そうにのぞき込む琴葉が助け船を出す。

 しかし幸太は首を横にふった。


「僕から話すよ。これは僕の心の問題だから」


 心の問題? 遠回しな物言いにひっかかりを覚える。

 腕を組んで彼の言葉を待った。


「…………」


 幸太の口が開くことはなかった。

 代わりに持ち出されたのは一枚の紙きれだ。いいや、紙切れにしては異様な雰囲気を漂わせている。中央にでかでかと一文字が書かれているのだ。

 それを目にして俺はつい口をこぼしてしまった。


「『呪い』…………だと?」


 正確には『呪い』とは書かれていない。左と右上の『ロ』の部分が→になっているのだ。イメージでいえば、


ロロ

 人


上記のような『呪い』が、


→ →

 人


 このように紙面丸々描かれていた。


「なんだか不気味だね……」

「これだけじゃない! よぉく矢印の部分を観察してみて」


 幸太に指示されるがままに確認してみる。鼻先直前まで近づかなければわからないほどのうすい痕が残っているのに気がついた。それは『ロ』というようにかたどられている。


「もともとは『呪い』って書かれてたってことか」

「そうなんだ! これが数日前のポストに入っていて」

「気持ち悪いな」


 幸太が誰かの恨みを買うような人柄には見えない。近所の子供のイタズラってオチではない、よな。

 呪いに似た文字を不思議に見つめていると、幸太が思い切ったように口を開いた。


「僕の悩みというのはね、『呪い』の紙のせいで幽霊にとり憑かれたかもしれないってことなんだ」

「…………っ」


 これまた予想の斜め上をいく相談ごとだった。

 泡子の得意そうな話題だ。


「ゆ、幽霊って……あの幽霊ですか?」

「あの長い髪をした着物の女性の!」

「それだと京都は魑魅魍魎だな」


 着物を身につけた長い髪の女性はみんな幽霊だ。


「とにかく死んだ人の霊なんだ! 生きとし生けるものを襲うこわぁーい奴!」

「きゃーっ!」


 幸太が身を乗り出して怖い顔をしたものだからもここが耳をふさいで悲鳴をあげてしまった。やめてさしあげろ、うさぎにも負けないくらい怖がりなんだから。

 それにしたって珍しいこともあるものだ。さっきから泡子のやつが話に入ってこない。いつもなら『キタっ!』とか言って爛々とするだろうに。

 何気なしにちらりと泡子のほうを横目で盗む。


「……ガタガタガタっ」


 頭の上に本をかぶせて机に伏せていた。ガタガタと口でいうほどに怖がっている。

 泡子め、なんちゃって怖いもの好きだったのか。本のタイトルには『実録 本当にあった恐ろしい話』なんてあるのに、シュールにもほどがある。

 それはともかく、だ。

 幸太の話に本腰が入る。


「思い返すだけで身震いがするんだけど、これから話すのは全部僕の身に起こった話だから。しかも、つい最近の。夜中に起きた出来事で、超怖い話」


 前置きが妙にしつこい。

 怖い話特有の導入だ。


「それじゃあ…………」

「…………」


 ごくりと誰かが生唾を飲み込んだ。

 気づけば外は曇っていて暗い。

 開きっぱなしの窓を通って風が誘われる。

 カーテンをもてあそんだ。



 …………



 一週間前のこと。

 何一つ兆しのない平穏な月明りだった。


「おやすみ、ジェニー」


 枕元にある金髪幼女のぬいぐるみをなでて幸太は目を閉じた。

 カチカチと一定のリズムで時を刻む。

 息苦しい熱帯夜でなかなか寝付けなかった。枕にタオルを巻いた保冷剤を詰め込みようやっと夢にありつく。

 

 カチカチカチ


 ふと、目が覚めた。

 うっすらな視界の先で時計が示すのは丑三つ時。起床するにはまだ早すぎる。保冷剤は溶けきっていたが気にすることなく再び眠りにつこうとした。

 そのときだ。

 コツン、コツン。コツン、コツン。

 秒針よりも鮮明な音が鼓膜をふるわせた。

 コツン、コツン。コツン、コツン。

 無視して眠ろうとはするけれど、一度気になればなかなか頭から離れない。

 コツン、コツン。

 音の発生源はどうやら外の階段らしい。幸太が住んでいるのはアパートの二階。金属の階段が部屋の外にあった。こんな時間に誰かが通るとは珍しいものだ。

 コツン、コツン。

 …………。

 階段を登り切ったらしく、ようやっと音がやむ。

 これで安心して眠れるぞ。

 そうやって、気を緩めた直後、


 ドンドンドンドンッッ!!


「……ッ!」


 ベッド側の壁から怒声とも思える爆音が鳴り響いた。突然の出来事に心臓が跳ね上がる。反射的に身体を起こそうとするが、どういうわけか動けない。


 ドンドンドンドンッッ!!


 次第に壁を叩く音は破竹の勢いで増していった。

 まるで抑えきれない怒りをぶつけるように。

 隣人に悪いことでもしただろうか。そういった思考に至るものの、あり得ないことだと即座に結論づける。

 隣には誰も住んでいないはずなのだから。


ドンドンドンドンッ!!


 意識してしまうと、もうダメだった。

 誰もいないはずなのに壁が叩かれ続ける。

 今すぐにでも逃げ出したかった。本能が逃走しろと駆り立てる。

 出来なかった。身体が動かないのだ。

 恐怖は細菌のように増殖していく。

 一秒、十秒、一分、十分。

 何も見えない暗闇の中で絶望だけが絶え間なく連鎖する。

 未知との闘争が永遠と続くような気がした。

 めまいが止まらない。

 どれくらいの時間が経ったろう。

 見えない綱渡りの行き先の末、



 ――――腕を掴まれた。



 …………



「これが三日目前の出来事。それから毎晩、もう気が気じゃなくて」

「毎日、ですか」

「うん」

「わ、私……もう……」


 ばたんきゅーっと目を回し、もここがノックダウンする。

 これで脱落者は二人目。一人目は最初からうつ伏せ状態の中二病だ。

 首に手をあて、とっかかりを探す。


「幽霊がおっぱいの大きい女性だったらよかったのに」

「…………は?」


 頭が真っ白になった。絶句とはまさにこのことだ。

 唖然とする俺に、琴葉が幸太に関する個人情報を晒す。


「幸太くん、昔からすけべえさんなんですよ」

「だからってこの場で言うかね」

「それが幸太くんです。わたしも散々胸のことでからかわれました」

「…………」


 初めて琴葉に同情した気がする。変わり者の友人を持つと苦労するのだろう。それより俺の目の前で自分の胸をもみしだかないでくれ琴葉……。

 せっかく気が乗り出してきたのに変人どものせいで集中できやしなかった。


「頑張れ、俺」


 自己暗示をかけて必死に首をさする。

 癖というものは不思議なものだ。それだけで安心感が生まれ、集中力が増す。


「さて」


 心霊現象というものは大抵、一般的な現象を恐怖心が脚色して誕生する人間特有の産物である。

 例えば心霊写真を取り上げよう。人の顔が映っただとかはよくある話だ。そのほとんどがシミュラクラ現象と呼ばれる脳の働きで説明ができる。人間の脳には三点を見ると人の顔として認識しようとする性質がある。心霊写真はたまたま揃った三点を顔として誤認しているだけに過ぎない。

 つまりは人間の錯覚によって生まれる虚像なのだ。

 ただし、今回はそういうわけにはいかなかった。


「『階段の足音』に『壁の音』、それに『つかまれた腕』か」

「階段の足音はハイヒールだったかな」

「ハイヒール?」

「普通の靴とは違ったんだ。硬いものが金属に当たる音みたいな」

「ほう」


 そうなると、この心霊現象は三つのポイントに分けられる。


 一つ、『謎のハイヒールの音』

 二つ、『壁を叩く音』

 三つ、『つかまれた腕』


「三つの現象がほぼ同時に起こる。それも『呪い』の紙がやってきてから」

「そういうことだね」

「これは奇怪です」


 俺、幸太、琴葉の三人が机の中心に置かれた『呪い』の紙に集中した。

 話を聞いた限りでは何一つわかったもんじゃない。

 現状、解決は不可能ということだ。

 …………仕方がない。


「幸太。今日の晩、予定があったりするか?」

「特に何もないよ」


 幸いにも明日は土曜日。

 今日しかない。思い立ったが吉日ともいうからな。


「お前の家に泊まりに行ってもいいか?」

「いいけど……うちに来て大丈夫?」

「心霊現象の謎を解くためだ。自分で体験しないと始まらない」


 その瞬間、室内にいる全員の視線が俺に集まった。

 目を見張った琴葉がわなわなと戦慄しこう放つ。


「あのゆうやくんが乗り気です……っ!」

「今日は雨がふるかも」

「……ボク、傘持ってきてない」

「…………」


 散々な言われようだった。目の前に山があれば登山家は登ってしまうだろう。ただそれと同じだけなのに。

 少しの間があって勢いよく挙手したのは琴葉だった。


「わたしも行きますっ! 部長として放っておけません」

「お前が持ってきた事案だろう」

「わ、私も行く。怖いけどことはちゃんと頑張りたい!」


 もここは胸の前でキュッと手を握りしめながらもそう口にした。万が一心霊現象が起きてビックリ死しないか心配だ。


「…………」


 そんなわけで残ったのは一人。

 自然と俺たちの注目が彼女へ移る。


「あ、ぅ……。なら……ボクも行く……」


 泡子は汗だくだった。

 彼女の勇気にささやかな賞賛を。


「……ありがとう」


 沈んでいた幸太の表情に、少しばかりの明るさが戻っていた。


「準備は整ったな部長さん」

「決まりですっ! それではこれから打ち合わせを始めましょう!」

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