後ろから赤坂:弐
部室はだいたい十畳ほどの広さがあった。棚には堅苦しいタイトルと胡散臭いオカルト本ばかりが並べられている。部屋の窓際に四人掛けの机とパイプ椅子が配置されていた。ここで本を読んだりするのだろう。
ここまではいい。
「…………」
異質な存在が机の上にどんと構えている。
「…………」
禍々しい表紙の本。
ロウソク。
それにマッチがポツンと置かれてあった。
「……悪魔でも呼ぶつもりか」
その結果、伏見・ヴァンパイア・琴葉が召喚されたわけだが。
「これはそのっ! 昔の人みたく暗闇で読書したら雰囲気が出るんじゃないって話になったから……っ!」
俺たちの愚行を最初に発見した部員が必死に言い訳を並べる。手の動き方が半端じゃない。ボディランゲージの域を通り越していた。
「いいアイデアですね。さすがもここっ!」
「えへへっ、ありがとう、ことはちゃん」
もここと呼ばれた女の子が照れくさそうに頭をかく。
「もここってあだ名か?」
「本名が下鴨小恋(しもがもここい)だから、しもがもの『も』とここいの『こ』で」
「素敵でしょう!」
素敵かどうかは別として、なるほどもここと名付けられるだけのことはある。
ふわふわな短髪はいわゆるボブヘアというやつだ。身長は低く、少しぽっちゃりしているかもしれない。太っているわけではないのだが少し丸い輪郭だ。全体的にもふもふした雰囲気の漂う彼女は桃色の印象が強い。なんとなく気弱な感じがする。
赤ぶちのメガネがトレードマークのようだ。
「それでこちらがばぶるんです!」
「ば、ばぶるん……?」
「……私のことは気にするでない」
あだ名といい口調といい、生まれてこのかた出会ったことがないタイプだ。
こちらは全体的にシャープな印象。前髪を横に流しているため片目だけが隠れている。後ろで結わいた髪はいわゆるポニーテールだ。眠そうな目をしているが怒ると鋭い目つきになりそうだった。残暑全開の九月だというのにブレザーの下に薄手のパーカーを羽織っている。手で袖を隠しており、これがいわゆる萌え袖なのかと一種の感動を覚えたのは秘密だ。
「えっと、本名は三室戸泡子ちゃんっ」
困惑する俺に下鴨さんが助け船を出してくれた。
気配り屋な彼女だ。
「聞くまでもないがばぶるんってのは」
「……私の真名、泡子の泡をかけてだな」
「あの、ばぶるん」
「……なんだ?」
「いつからそんな喋り方になったんです?」
「……ちがっ! これはそのっ! 違うのっ!」
なんだなんだ。人が変わったようにあわて始めたぞ。
三室戸さんは耳の先まで真っ赤になるほど恥ずかしがっていた。苦笑い気味の下鴨さんがまたもや耳打ちしてくれる。
「あわこちゃんは極度の人見知りなの。初対面の人にはいつも変な口調になっちゃって。私が言えた口じゃないんだけど……」
「そ、そうか」
色濃いメンツがそろってるな、これ。
「ちなみにわたしは人見知りじゃないですよーっ」
「身に染みるほど存じてます」
どの口が言うんだ、まったく。
伏見さんといると調子が狂う。俺はもともとこんなツッコミ気質だったわけじゃない。
肩に大きな鉄のかたまりが乗っかった気分でいると、
「ふふっ。稲荷くんってなんだかことはちゃんと十年来の友達みたいだね」
「昨日初めて喋ったばかりなんですけどねーっ!」
「……勘弁してくれ」
自由を謳歌する俺の人生が遠い彼方へと羽ばたいていくイメージが焼き付いてならなかった。
俺たちは窓際のパイプ椅子に腰かけた。俺の隣に下鴨さんが、正面に伏見さんで斜めに三室戸さんといったポジショニングだ。
差し出されたコーヒーで舌をしめらせる。
いい機会だ。ここで昨日の疑問を切り出したほうがいいかもしれない。
そう思い至った俺はカップを置いて口火を切った。
「伏見さん、あんたに質問があるんだ」
「なんです?」
「単刀直入に聞く。なんで俺につきまとう?」
彼女の特質な力については昨日のうちに一通り聞いているし、ついさっきも体験したばかりだ。
彼女には『他人の世界を覗く』力がある……らしい。
「そもそも他人の世界ってなんだよ」
「ハイデガーという哲学者を知っていますか?」
「いいや初めて聞く」
「彼の研究分野は現象学でした。世界像と世界の違いについて論じています」
「……?」
哲学的概念に首をかしげる。
伏見さんは続けた。
「物理的に存在している『世界』はみんなに共通だと思います。ですが『世界』を見ようとすれば人によって歪みが生じる。その歪みこそが『世界像』です。極端な話、大金持ちの人の見る世界は何でもできる幸せなものでしょうし、貧乏な人から見れば絶望的な世界かもしれません」
「ふむ……」
わかりやすいのが例のおばあさんかもしれない。
俺たちと出会ったばかりのおばあさんの世界は相当暗かったそうだ。何もない世界に自分だけ独り。それがおばあさんの見ている世界だった。だから伏見さんは言葉を失っていたようだ。
それも俺が嘘をついたことですっかり変わってしまった。猫が家族をつれて帰ってくるという言葉がおばあさんの世界に大きな影響をもたらしたのだ。俺が見た猫に囲まれているおばあさんの姿はまさにその世界なのだという。
ではなぜ、俺が他人の世界を覗くことができたのか。
伏見さんの舐めたあめ玉だ。どういう理屈か分からないが彼女の舐めたあめ玉を口にする者は同じように他人の世界を見ることができる。細かいことを言えば、そのあめ玉を舐めているときだけらしいが。
それらを踏まえた上での質問。
どうして俺につきまとうのか。
答えは明快だった。
「あなたの世界が見えないんです」
「俺の世界が見えない?」
「稲荷くんが転校してきたとき違和感を覚えました。この人の世界は何も見えないって。黒いとか白いとかそういうものじゃなくて。空っぽっていうんですかね。すべてが透明なんです」
俺の世界が空っぽ。そんなことはないはずだ。ここには稲荷佑哉という確固たる人物が存在している。 誰もが首を縦に振るだろう。
しかし俺の世界が見えないというのも、また事実。
「だからことはちゃんは稲荷くんに興味を持ったんだね」
「結果的に探偵ごっこもバレちゃったんですけどね」
「……なにそれ、カッコイイ。ボクもやりたかった」
「今度は一緒にやりましょうっ! ターゲットは稲荷くんで」
「……了解、マイマスター」
「やらんでいいやらんでいい」
伏見さんと三室戸さんが手を組んで協定を結ぶ。妙な同盟は作らないでほしいものだ。
ともあれ俺が興味を持たれた理由は判明した。
「じゃあ、あれか。ここにきたのも入部させて謎を解明したかったからか」
「いえ、それもありますけど」
「……けど?」
それ以外に何があるというんだ。愛想のいい目以外はとりえのない俺を勧誘する理由なんてないだろう。
彼女ははっきりと言葉にした。
「稲荷くんといるとすごく楽しいから、みんなとならもっと楽しいんじゃないかなって。ただそう思っただけです」
「…………」
くすみのない純粋な微笑み。
本当に高校生なのかと疑うほどの透明感だった。
隣の下鴨さんがこっそり教えてくれる。
「(気をつけて。私もあの笑顔にやられた一人なんだ)」
「(凶器。いや、狂気)」
いつの間にか三室戸さんもこちらにいた。
「…………はあ」
なんたることか。
自由をポリシーとする俺がこの部室で読書する未来予想図を描いている。彼女の魔力に毒されてしまったのか……。
それでも踏み込むにはまだ早いという気持ちが抗う。
「どうですか、稲荷くん?」
ずいっと顔を近づけてくる伏見さん。
顔を遠のけながら正直な気持ちを伝えた。
「…………もう少し時間をくれないか」
「と、言いますと?」
「こっちの生活に慣れてからがいいんだ」
「部活に入ると部活寮で生活できますよ? あまり変わらないのでは」
「いや、部活寮に入る気はない」
寮生活となると自由の領域を下足で出入りされることになるだろう。それだけは避けたい。なにより女子三人に囲まれての生活など考えたくもなかった。
「わかりました」
彼女は応える。
「決まりですっ。入部届け楽しみにしてます!」
何の変哲もなく、彼女は俺のわがままを受け入れてくれた。
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