後ろから赤坂:壱

 チャイムが放課後を告げる。

 いつのまにかリズムをとっている自分に気づいて驚いた。この学校に慣れ始めている証だ。


「バイバイ稲荷」

「おう」


 クラスでのポジションといえば相変わらず軽い挨拶を交わされる程度に落ち着いている。一緒に帰ろうかとは誘われない。

 俺から望んだことだ。


「さて、早いうちに帰るか」


 スクールバッグには中途半端なままのなぞ解きが眠っていた。早く完答したい。

 椅子から立ち上がると見知った顔が広がった。

 例の、伏見琴葉だ。


「あの、通れないんだけど」

「ダメです。帰しません」

「…………」

「…………」


 横にスライドしたら合わせて平行移動してきた。左に行けばまたも平行移動。後ろに下がれば垂直移動とストーカー顔負けの追尾力である。


「どいてくれませんかね?」

「稲荷くんに用事があるので」

「俺にとって必要のないことだろう。そんなものは用事じゃない」

「いいえ、稲荷くんにも関係あることです」


 俺にも関係のあること?


「わたし、クラスの委員長をしてます。先生から稲荷くんの学校案内を任されたんです」


 ……そう来たか。


「学校の施設はだいたい覚えたから不要だ。なにせ一週間もあったんだからな。というわけで帰る」

「どうしてそうまでして帰りたがるんですかっ!」

「うおっ!?」


 俺の腕を掴んできやがった。なんて馬鹿力だ!

 制服が嫌な音をたてながらも、俺は必死になって抵抗をみせる。


「帰ってやることがあるんだよ!」

「どうせゲームとかじゃないんですかっ!」

「ゲームじゃないなぞ解きだ」

「一緒じゃあっ!」


 ああ言えばこう言うやつだ。というか、そろそろ限界が近い……っ!

 思いのほか伏見さんには体力があるらしい。引きこもり気味な俺よりも頑丈なのは確かである。


「ほらっ! それじゃあ行きますよ」

「……くそう」


 世界の理不尽を知った高一の初秋であった。



 私立縣高校(しりつあがたこうこう)は部活動に力を注いでいることで有名だそうだ。部活合計数は百を超えており数人という小規模団体から何百人単位の大規模団体までが熱心に活動にしている……というのをクラスメイトから聞いた。


「気合いだーっ! ファイオッ、ファイオッ、ファイオッ!」

「次、レフトいくよーっ!」

「粉々に砕ける覚悟で行くぞーッ!」


 窓の外から聞こえる運動部のかけ声。

 なにやら物騒なことを叫んでいる。粉々に砕けるってなにがだ。骨か? 骨なのか?


「ふへへーっ。すごくないですか、うちの学校」

「自ら骨折を所望する高校生はなかなかいない。骨のあるやつだよ」


 文化部の活動にも熱気を感じた。

 今案内されているのが部室の密集する部室棟というやつで中央に並ぶ七階建ての三棟のうちの一つだ。全校舎の三分の一が部室というのだから相当力を注いでいる。校舎を包み込む吹奏楽部の演奏がそれを物語っていた。

 部活動も悪くないのかもしれない。自由との両立ができる部活であれば体験してみようかと思索していたとき、


「あれ?」

「急になんだ」

「いや、その…………」


 伏見さんにしては珍しく口ごもっていた。

 なにかと思って視線の先を追ってみると、ちょうど二人の男子生徒がすれ違ったところだった。

 ただそれだけのことで、殊更おかしなことはない。


「あれがどうかしたか?」

「ええっとですね……そうだ、これをどうぞ!」

「……っ」


 背筋を舌でなぞられたような気味の悪い感触を覚える。予想通り彼女が胸ポケットからあめ玉を取り出した。

 条件反射でのけぞる。


「俺はもう食べないぞ!」

「しょんにゃこといわじゅ……ほいっ!」

「むぐうっ!?」


 相変わらずの怪力を発揮し、為されるがまま唾液まみれのあめ玉をつっこまれる。今度はグレープ味。余計なことは考えぬよう風味だけに意識をやった。

 そのうち、俺の見る世界は激変する。

 視界にいる男子たちにも変化があった。


「……なんだ? すげえ黒いオーラに包まれてるぞ」

「そうなんです。二人とも普段は超仲良しで明るい世界なのに」

「知り合いなのか?」

「はい」


 なるほど。状況から察するすれ違った二人の男子は喧嘩の真っただ中なのだろう。

 ……しかし、だ。

 俺の興味はあめ玉のほうが強い。


「本当に不思議だな。なんだよ、この現象は……」

「ふふふっ。心配しなくてもすぐに分かります」

「奸計的な顔で言われても不安しか残らないぞ」

「……かんけい、ってなんですか?」

「悪だくみしてるな、って言ったんだよ」

「し、してませんヨ!」


 余計信じられない。

 吹けもしない口笛でごまかそうとする伏見さんはさておき、俺は遠ざかっていく二人の男子を目で追いかけた。

 奇妙な焦燥が渦巻き始めているようで一抹の不安を覚える。


「何もなければいいんだが……」

「そうですね」


 落ち着いた彼女の声音はおばあさんのとき以来だったから少し驚いた。二人の男子の背中を不安げに見つめている。

 姿が見えなくなり、伏見さんはパンと手を叩いた。


「それじゃ最後の紹介です! あっちのほうを見てください」

「なんで窓の外なんだよ」


 これまで科学実験室や視聴覚室などを紹介されたが、外に目を向けるのはこれが初めてだ。

 指で示される場所はただの住宅街だった。ここは部室棟の四階に位置するので街並みが一望できる。

大きなマンションが三つほど連なり、その隣に大・中・小の一軒家が立ち並んでいた。収入の格差は冷たくも顕著にあらわれている。


「あれと学校案内は関係ないだろう?」

「大いにありますよ。だってあれ学校の所有物ですから」

「はぁ!?」


 恥ずかしながら声を荒げてしまった。高校の所有物にしては規模がでかすぎる。聞けば窓の外にある住宅街のすべてが寮らしいじゃないか。


「それにしては建物の格差が大きいな……教育機関で平等はキーワードだろう」

「これもれっきとした規則ですから仕方ありません」

「規則?」

「部活の規模によって豪華さが変わるんです!」


 あれは部活動単位で暮らす『部活寮』というものらしい。野球部なら野球部の、サッカー部ならサッカー部の建物がある。

 野球部のような大規模団体かつ全国大会に出るような部活には大きなマンションまるまるが与えられるそうだ。内装に関しても非の打ち所がないようで。

 一方、現象学研究会通称『ゲンカク』とかいう部活があるらしいのだがそういった小規模団体にはファミリー向けの一軒家が与えられる。

 寮費はすべて均一。贅沢な高校生ライフを謳歌したければ部活動を活発になおかつ成果をあげろということらしい。


「高校生ですら競争社会の中で生きてるんだなあ」

「切実です」


 まあ実家暮らしの俺には関係のないことなんだけど。

 …………いや、待て。


「伏見さん」

「はい?」

「どうして俺に教えた? 実家通いなのは知ってるだろう」

「はい」

「……いや、はいって」

「はいって」

「オウム返しするな」

「はいって」

「……ん?」


 様子がおかしい。


「入って」


 ふと気がついた。

 俺の背後の扉が開いていることに。

 プレートには『現象学研究会』と書かれている。

 どこかで聞いたような……。


「……しまったッ!」

「いつかのわたしみたいですね。捕まえましたよっ!」


 運動神経抜群の凄まじい反応だった。

 皮肉にも彼女の奸計は巧妙で、気づいたと同時に手首をつかまれた。驚異的な握力だ。


「ようこそ『ゲンカク』へ!」

「うわああっ!」


 なんとあわれな姿かな。非力な男子高生・稲荷佑哉は女子高生に抵抗することもできず部室の中へと引きずり込まれた。

 ぴしゃりと扉がしまり、直後押し倒される。

 部屋の中はカーテンで閉ざされていて真っ暗だ。

 俺の上で伏見さんが馬乗りになってくる。

 なんだこの急展開!


「あなたのことがもっと知りたいんですよぉ……じゅるりっ」

「打って変わりすぎだろう! 帰ってこいあなたの理性!」

「わたし至って冷静です」

「なお悪いわ!」


 どうにもまずい。このままだと本当に一線を越えてしまう気がしてならない。

温かなぬくもりが布ごしに伝わってくる。下腹部にのしかかる重みが妙な現実感を帯び柔らかな感触と同化して麻酔のように思考を痺れさせる。


「はぁ……はぁ……っ」


 興奮気味の吐息が鼻先をかすめた。

 お菓子独特の甘さが脳裏をよぎる。


「だ、誰か……っ!」


 情けない声がこぼれたとき、一筋の光が差し込んだ。


「わわっ、まぶしい!」


 伏見さんはヴァンパイアのように光を嫌った。

 心理的な描写ではない。本当に光が差し込んだのだ。


「こ、ことはちゃん?」


 カーテンのひらかれる音とともに控えめで緊張気味な声が耳に入ってきた。

 貞操の危機に現れたのは後光のさした二人の女子であった。

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