あめ玉をひろった猫:参

 外に出るとオレンジがかった斜陽に目を奪われた。腕時計が示すのは午後五時ジャスト。小学生がかばん持ちゲームなんかをして下校している。少しすると右側に田んぼが広がった。赤とんぼがぽつぽつ飛んでいる。

 この先には公園があった。

 ちょうどいい。ここらでぱっと終わらせて、少しでも自由な時間を確保するとしよう。


「伏見さん。どうせなら公園で話していかないか?」

「いえいえ。このまま歩いていきましょう」


 ……まあたしかに、歩きながら話したほうが効率的ではある。

 けれど、いっこうに話が始まる気配はなかった。ちらちらと様子をうかがうが、どうも俺のことを見つめてくるだけ。いったい何を企てているのやら……。

 俺は無意識に遠くのほうをぼんやりと眺めた。

 視界の真ん中にソレが映る。


「…………っ」

「どうされたんです?」

「いいや、別に」


 俺はあえてそっけない態度をとった。

 ソレから意識をそらすために。


「んむ?」


 俺の見ていた方に伏見さんが目を凝らす。…………そんなふうに見るもんじゃない。


「あ!」


 声が出たと思ったら、彼女は顔をうつむけて黙り込んでしまった。


「……」


 猫が死んでいる。

 事故死ではないと思う。公園のフェンスと木陰のあいだに隠れるようにして倒れていた。あまり思い出したくない無残な光景だ。

 重たい空気がその場に横たわる。

 俺は何度もカバンの位置を整えた。肩にかけたスクールバッグが妙に落ち着かない。

 たまらなくなって俺の方から話を持ちかけていた。


「いい加減に話してくれ。もう着いちまう」

「あっ、ごめんなさい。なんだか話すきっかけが見つからなくて」

「結局何なんだ?」

「……実はですね」

「あのお、すみません」


 彼女の声はかき消されてしまった。いや、かき消されたというよりは中断された。

 二人して同時に振り返る。

 そこに七十代くらいのおばあさんがいた。鼠色の肌着に薄手のカーディガンを羽織っている。どこか寂しさを覚える身なりだ。


「どうかしましたか」

「実は聞きたいことがありまして」

「俺たちにですか……?」


 伏見さんが何も答えないので俺が代わりに返事する。彼女はただ大きく目を見開いていた。

 しわがれた声のおばあさんが言う。


「わたしの飼っていた猫が見当たらないんです。いつも外に出るのを嫌がっていた子なんですがね。昨日の夜から全然見当たらなくて」

「猫、って…………」


 猫といえばさっき見た。

 猫は自分の死期を悟ると主人のもとから去ってひとりでに息絶えるという。内気な猫が外に出たわけとは、考えるまでもない。


「…………」


 何が正解か迷ってしまった。真実を話すべきか、そうでないか。

 俺は隣に首をふった。

 クラスメイトの瞳は潤んでいた。そして、どこかおばあさんと同じ雰囲気が漂っている。まるで独りぼっちのように。

 言葉を探していると、


「あの子、寂しがり屋だったんです」


 向こうから声があった。


「探されている猫ですか?」

「ええ。きっと家族が欲しかったんでしょうね。ずいぶんと前に手術してしまったものですから、それは叶わなかったんですけど……他の猫を飼うようなお金もうちにはありませんでしたから」

「そうですか」


 本当のことを話さなくてはいけないと、何かが胸の奥からうったえかけてきた。

 大切な家族の最期だ。嘘はつけない。

 腹を決める。互いに傷つくのは覚悟の上だ。


「おばあさん。実は……」


「――――あの子、どうしているかしら」


「…………」


 ちっぽけな覚悟なんてものは砂山のように崩れ去ってしまった。夕焼けを見上げる老人の影に心を揺さぶられる。

 俺はこの人に幸せでいてほしい。自然とそう願っていた。

 だからこそ演じなければならない。

 お得意の言葉を、巧みに用いて。


「大丈夫ですよ、おばあさん。その猫は元気にしています」

「あの子のことを知っているの?」

「だって俺、今朝見かけましたから」

「…………本当?」

「はい」


 精一杯の作り物で、相手に応える。


「他の猫と一緒に歩いてるのも見ました。もしかすると恋人かもしれませんね」

「そうなの? あの子に恋人が……」


 おばあさんの声に潤いが戻っていく。

 俺は語り手として言葉を吐き続けた。


「きっと近いうちに戻ってくるんじゃないですかね。そのときには子供を連れて帰ってきたりするかもしれませんよ」

「でもあの子、手術してるから……」

「いいえ、去勢はペットの凶暴化を抑え込むために行われます。決して子供ができないわけじゃないんです」

「そ、それじゃあ本当に……? あの子が新しい家族を連れて……」

「いつか必ず」

「そう……そう……」


 何度も何度も同じ言葉を口の中で繰り返すおばあさん。それから俺たちに背を向けた。ポケットから花柄の布を取り出して。


「ありがとうね、お兄さんたち。おかげでいい夢がみれそう」

「まだ暑いですからお身体には気をつけてください」

「ありがとうね」


 そう言い残して腰の曲がった老人は俺たちの前から離れていった。

 小さな背中が遠ざかっていく。


「…………ふう」


 後ろ姿が見えなくなりそうなところで、大きな息を一つ、つく。

 直後に言葉があった。


「どうして」

「ん?」

「どうしてあんな嘘をついたんですか……?」


 うつむいたままの彼女の表情はうかがえない。

 どうしてって……。


「あれが正解だと思ったからだ。現実の猫はもういないけどさ、おばあさんの見ている世界じゃまだ生きてる。俺はただその手助けをしただけだ」

「だから嘘を演じたと」

「大きな声でいえないけどな」


 言葉というものは演じるためにある。

 そういうものだと俺は思う。

 しばらくは静寂が居座っていた。

 先に動きをみせたのは伏見さんのほうだ。


「……いいでしょう」


 彼女はおもむろに胸ポケットから何かを取り出した。袋に包まれたカラフルな球状の、どうやらあめ玉のようだ。

 彼女はぴりっと封を切って口の中に放り込んだ。

 非常に慣れた手つきだった。


「……え、いや。なんで食べる?」

「むごっ。にょ、にょっとまっちぇくだちゃい」


 ごろごろと口の中であめ玉を転がす。

 するとどうして、伏見さんはあめ玉をつまんで取り出した。ねっとりとした唾液が糸を引く。

 それを俺の目の前に差し出し、


「食べてください」

「…………は?」

「食べてください!」


 意味が分からなかった。

 理解しかねる。

 何を言ってるんだこのクラスメイトは!

 夕焼けのいたずらか、どこか赤らみを帯びた彼女が無理やりにでもあめ玉を突き出してくる。


「わ、わたしも男の人にあげるのは初めてだから緊張してるんです! はやく!」

「男以外なら経験あるのかよ!」

「わりと日常茶飯事ですね」

「変態かむごっ!?」


 ついに唾液まみれのあめ玉をねじ込まれてしまう。初めてのキスはストロベリーなんて都市伝説を聞いたことがあるが俺の場合はオレンジらしい。

 キスとは違うけれど、それくらいの意味を持つ行為だった。

 あめ玉が甘く、すっぱい。

 しかし。

 それを忘れてしまうくらいの衝撃が脳天を直撃した。


「…………なんだあれ?」

「ちゃんと見てくださいね」


 ――――俺の視線の先で、死んだはずの猫が存在していた。


 それも歩き去っていくおばあさんを寄り添うようにだ。死んだはずの猫と、同じサイズの猫がもう一匹、二回りも小さい子猫が三匹、おばあさんを取り囲んで幸せそうにしている。まるで家族であるかのように。

 この光景には身覚えがあった。

 俺が吐いた言葉の虚像。

 おばあさんにかけた魔法そのものだ。


「嘘が現実になってる……?」

「正確には『おばあさんの世界になっている』ですね」


 言葉を失った俺はただ彼女の顔を見つめることしかできなかった。

 何が、どうなってる……?


「稲荷くんの嘘がおばあさんの世界を変えたんです。猫のいない孤独の世界から、幸せに包まれた温かい世界に」


 つまり俺が見ているのはおばあさんの世界ってことなのか?

 こんなふうに見えだしたのはこのあめ玉を食べた直後だ。

 あめ玉が原因なのは間違いないだろう。

 伏見さんは優しい目でおばあさんの背中を見送っていた。


「……あのさ」

「はい」

「あんたいったい何者なんだ?」

「そんなバトル漫画みたいなこといわれても……」

「俺だってこんな恥ずかしい台詞言いたくなかったよ!」

「稲荷くんも照れるんですね。なんだか勝ち誇った気分です」

「うるさい!」


 なんなんだこいつは。急におしとやかになったと思ったら上品になったり黙り込んだと思ったら人の上げ足を取ったりと。


「どうなんだ」

「……えっと、実はこれが稲荷くんにお話したかったことなんですけど」

「あぁ」


 いったいなんだというんだ。

 わざわざ俺を尾行して、こんな摩訶不思議現象を突きつけた、その理由は。

 彼女は、一拍を置いて、口にした。


「わたし、他人の世界が見えるんです」

「…………は?」


 理解不能な内容で、許す許さないの問題にならなかった。

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