あめ玉をひろった猫:弐

「………………」


 視線を感じる。

 自己紹介や独り言の多い人間を見る目ではない。なんというか悪意やあざとさのような種類と異なる。純粋な興味か、それとも。


「ホームルームは以上です。また明日」


 担任の去った放課後も視線は残っていた。気になるなら探ってみればいい。とはいえ見つからないから困っている。


「これ以上考えるのも無駄かもな」


 一緒に帰ろうと声をかけてくる人もいない。スクールバッグを肩にかけ教室をあとにする。ちょうど下駄箱で靴を履きかえているときだった。


「ん?」

「わわっ!」


 何者かがひょこっと下駄箱の影に隠れたのをたしかに見た。どうやら俺のことを追っているらしい。迷惑な話でもあったが嬉しい気もした。俺は自由を謳歌したい寂しがり屋だ。自覚はある。


「少しカマでもかけてやるか」


 尻ポケットに片手をつっこみ玄関を出る。一面コンクリートの道をまっすぐ行けば校門だ。ちなみに春にはこの並木道が桜でいっぱいになるらしい。クラスメイトに囲まれているときに教えられた。

 ちらりと後ろを盗み見てみるが誰かがついてくる様子はなかった。様子がないというよりは帰宅する生徒が多すぎて判別できないだけだ。

 視線はいまだそこにある。

 学校から自宅まで徒歩十分。本当は自転車通学にしたいが引っ越してからは自転車を持っていない。購入するまで歩き勢というわけだ。


「どうしてやるかな……」


 このまま直進して帰るのも悪くはない。人通りの少ない道を選べば視線の犯人を見つけ出すこともできる。

 しかし名前も知らないやつに住所を知られるのは気が進まない。


「そういえば学校の隣にはスーパーがあるって言ってたっけ」


 いいことを思いついた。名無しのクラスメイトに感謝だ。

 校門を抜けると左右の道に分かれていた。

 左が帰宅に続く道、右がスーパー。

 右方向へと曲がる。


「……っ」


 視線もついてきた。そのままスーパーを目指す。

 歩いて数分、目的地の屋根が夕焼けと一体化していた。赤い看板がトレードマークの綺麗な建物だ。

 この地域一帯は住宅街であるため意外と規模の大きいスーパーだ。駐車場も含めて中学サッカーのグランド一つ分はあるかもしれない。……少し盛った。

 自動ドアをくぐり抜けると冷たい風が首元をなでた。やはり冷房は格別だ。


「さて、買い物っと」


 俺は買い物カゴを手に取った。もともとコンビニで夕食を済ませようかと思っていたがもののついでだ。野菜もそろそろ取っておきたい。


「…………」


 このタイミングで後ろの様子を確かめてみる。

 今さっき入店した長髪の女子生徒が一人。

 続いて三人組の男子グループ。

 そして現在進行形で入店する短髪の女子生徒。

 視線は今もなお、ある。

 犯人はこの五人のうちの誰か。ほぼ同時に入店した彼らの中から判別するのは難しい。犯人もそれを狙っての行動だろう。

 しかしそれも関係のないこと。

 すでに犯人の目星はついている。あとは言い訳ができない状況に追い込むだけだ。

 しばらくの間、俺は普通に品定めをしていた。

 このスーパー、安い。


「なんだか小学生の『せんせいトイレ』みたいな感想に似てるな」


 言葉とは不思議なものだ。

 せんせいトイレ。

 せんせい、トイレ。

 句読点一つで意味合いがガラリと変化する。前者は先生=トイレという意味になるし、後者は呼びかけと名詞の組み合わせによる意志の表示となる。

 ついでにいえば、ひらがな、カタカナ、漢字の与える印象も異なってくる。


 せんせい、といれ。

 先生、トイレ。

 師、厠。


 どれも同じ意味なのに、使ってる人物の年齢をはじめ、その背景が浮かび上がる。このような言語論は他にもたくさんあり、これがまた面白い。

 キャベツ、玉ねぎ、豚肉が安い。

……焼きそばだな。


「あとは主役を探してっと」


 半玉のキャベツをカゴに入れて麺売り場へ向かう。

 忘れそうになるが視線もついてきていた。

 こちらもそろそろ終わりにしよう。


「…………」


 商品棚を曲がったところですぐに立ち止まる。ちょうど後ろから追ってくる相手には見えない位置に。

 回れ右して向きを変える。

 数秒したところで、


「うひゃあっ!?」


 なんとも間抜けな悲鳴が店内にとどろいた。高校生にしては甲高く幼い声だ。

 驚いた他の客に頭を下げながら長髪の女子生徒は立ち上がった。


「し、心臓止まるかと思いました……」

「大丈夫か?」

「はい、ありがとうございま――――」


 彼女の声が途中で止まり、代わりにわなわなと唇が震えだす。

 その果てに口からついて出たのは、


「しまったぁ……っ!」


 いたずらのばれた五歳児みたいだった。

 同じ高校の制服を着た彼女は手遅れになった言い訳を滔々と並べ始める。


「いや違いますよ? たまたまこの角を曲がろうと思ったら稲荷くんがいたもんだから驚いているだけで!」

「あんたが俺をつけてたんだな」

「ノーノー! というか、わたしが入店したのは他の人と同時だから稲荷くんには誰が犯人かわからないはずでしょう?」

「それを告白してる時点でもうダメから」

「しまったぁーっ!!」


 ……元気なやつだと呆れた。

 追い打ちをかけるようにこの子が犯人である根拠を提示してやる。


「まず、どうして俺の名前を知っている?」

「そ、それはあれです。転校生ですからクラスメイトとして名前ぐらい覚えてますよ」


 なるほど。

 やはりこの女子は俺と同じクラスなのか。


「そもそもの話をするぞ」

「んむ? そもそもの話とは」

「俺を探してた視線は授業中にもあった。つまり犯人はクラスメイトの誰かになる。あんたは自分からクラスメイトだとゲロったな」

「ぐぬ……っ」

「それに一日中付きまとわれてるんだ。いくら視線の主がわからないとはいえ、そこに居合わせた人はなんとなく分かるよ。いつもあんたの姿があった」

「ぐぬぬっ。でもそれだけじゃわたしが犯人だってことにはならないですよ?」


 それはどうだろう。


「実際、今は視線を感じていない。俺は意外と繊細なんだ」

「ぬあーっ!」


 頭を抱え天井にむかって叫び出すクラスメイト。恥ずかしいからやめてほしい。ほら、バイトの店員が注意しようか迷ってるぞ。

 彼女はあっけらかんとしていた。

 その末には、


「……白状しましょう。そう、わたしこそが稲荷くんの追い求めた女子なのです!」


 こんなことをのたまいだした。

 言葉足らずも甚だしい。その言い方じゃ俺の理想の女性みたいだろう。


「誤解のないように補足するけど、あんたが俺の探していた犯人だよな」

「いえす!」


 薄い胸を誇らしげに張って、鼻息を荒くした。控えめにいっておバカだ。

 銀色のように見える明るい毛先のはねた長髪。恐らくこの子のチャームポイントであろう八重歯と大きな瞳には少しばかり子供っぽさが残っている。澄んだ黒い瞳に長いまつげ。ちょっとばかり垂れた眉から不思議なことに大人っぽさを感じられる。

 子供っぽい大人というよりは、大人びた子供のほうが的を得ている気がした。身長が平均よりも少し低いので、より一層そう感じるのかもしれない。

 それにしても。


「どうして俺なんかを追ってたんだ? 接点はないだろうに」

「ふふふ……この場では語りきれないくらいの理由がありますが、さて、どこからお話しましょう」

「もう帰ってもいいか」


 まともに喋れんのかとは言わなかった。

 八重歯の彼女は不敵に笑う。


「冗談です。でも場所を選ぶお話ですので……この後予定とかってあります?」

「……このまま歩いて帰るつもりだけど」

「ちょうどいいですね。お家までご一緒しても?」


 家にあがる気か? それは遠慮してほしい。

 露骨な態度が表に出てしまったのか、何かを察したらしい彼女はいやいやと顔の前で手を振った。


「お宅にお邪魔する気はありません。あくまで帰り道でお話でもしようかと」

「長いんじゃなかったのか?」

「今日はかいつまんでお話しするだけです。また後日、お時間があるときにでも」


 いずれ俺の自由な時間が潰されるってことなのか……。本当はお断りしたいところだが正直気にもなりつつある。

 興味関心にあらがえないのも悪い癖だ。


「わかった、心づもりはしておくよ。とりあえずさっさと会計済ませてくる」

「はい。外で待ってますね」


 妙に上品な言動に俺は一瞬戸惑ってしまった。さっきまでの破天荒はどこにいったんだ。……そういえば。


「あのさ」

「はい?」

「あんたの名前、聞いてなかったと思って」

「クラスメイトなのに知らないんですか?」


 彼女の頬がむすっとふくらんだ。焼き餅が頭のすみから顔を出す。


「いやいや転校してきて一週間だぞ」

「一理ありますね」


 腕を組んで考えこむ銀髪もどき。

 彼女は顔をあげ、こう名乗った。


「わたしの名前、琴葉です。伏見琴葉(ふしみことは)。よろしくお願いします」


 伏見さんが丁寧にお辞儀する。

 整えられた前髪がふわりと揺れた。

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