部室を出た俺は正門を右に曲がって寮を目指した。

 ゲンカクの部室寮には何度か訪れたことがあるから道はわかる。小規模な団体ということもあり、敷地の隅っこという大変不遇な場所だ。近くには川や公園もあり、もはや一つの町である。


「ええっと……たしかここを曲がって……」


 そのときだった。



 ひとりめのしょうねん、ゆうかいされて死んだ♪



 どこからともなく、まるで冬の住宅街を縫って走る拡声器のような歌声が耳をつんざいた。

 童謡を歌う、第二次性徴前のこどもたちのコーラス。

 あの声で、死んだ、と唄った。

 幻聴だと思いたかった。

 それでもこの心臓の高鳴りが否定する。

 凝り固まった目がそれを目にした。

 

 建物と建物の隙間の陰で、子供のようなシルエットした何かが、イスにくくられ頭(こうべ)を垂れている。


 まるで死んでいるかのように。


「――――?」


 目をこするとソレは嘘のように消えてなくなっていた。

 見間違いにしてはおかしい。幻聴だとしても、たしかにこの耳で聞いた。

 はっとなって思い出す。

 琴葉たちが何か怪しい素振りを見せていたじゃないかと。


「……そうか。俺が十人のインディアンを気味悪がっていたから、それを利用して俺を怖がらせようってわけか。面白い……っ!」


 幻聴や幻覚だって、琴葉の力があれば説明がつく。

 たぶん泡子やもここにあめ玉を舐めてもらって、強制的に『十人のインディアン』の世界像を作っているのだろう。それを何らかの形で俺だけに見せている。

 タネが分かれば簡単だ。


「もう怖くないぞ!」


 と安堵した瞬間に次の歌が鼓膜を揺らした。



 ふたりめのしょうねん、ぶらんこからおちて死んだ♪



 グシャア、と。

 台所から肉の塊を落としたときの音がどこからかした。


「さ、さすがに反則だろう。俺はなにも見てない見てないからな……っ!」


 声の震えているのが自分でもわかる。だってしょうがないだろう。頭の砕けた子供の死体なんか見たいものか! 幾度グロテスクな化け物たちを目の当たりにしてきたとはいえ、慣れないものは慣れないんだ。


「さっきの椅子の男の子だって胃に来てるのに……」


 ほんとやるせない気持ちになってくるが、ともかく進まないことには終わらない。

 俺は腹を決めた。



 さんにんめのしょうねん、くすりで死んだ♪

 よにんめのしょうねん、くびおって死んだ♪

 ごにんめのしょうねん、つかれて死んだ♪

 ろくにんめのしょうねん、あなにおちて死んだ♪

 ななにんめのしょうねん、のどにつまって死んだ♪

 はちにんめのしょうねん、おぼれて死んだ♪



 薬物死。

 脊髄損傷。

 過労死。

 転落死。

 急性アルコール中毒。

 溺死。



 いずれも現代社会にありふれた死に方だった。

 もう限界だ。

 短時間でこれだけの死を見せられては心がもたない。

 ゴールはもうすぐ。

 この小さな橋を越えれば『ゲンカク』の部活寮がある。


「ガンバレ、オレ……」


 もはや片言のような言葉しか出なかった。

 それでも、一歩進む。

 橋の反対側に出ようとしたとき、


『』


 小学一年生にも満たないような男の子が俺の前に立ちはだかった。

 顔はよく見えない。



 きゅうにんめのしょうねん、うたれて死んだ♪



 空気の乾いた音だった。

 同時に少年の形をした何かが倒れ、宙の中へと霧散していく。


「……はあっ、はあっ」


 しばらくの間は動けなかった。呼吸を整えるのに精一杯。

 橋を渡り切って、進む。

 遠くを見れば、見慣れた小さな建物が我が家のように待ってくれていた。


「はは……はははっ!」


 ぐっと腹に力を込めて全力ダッシュ。日々の活動で鍛え上げられた脚力は伊達じゃない。たまった鬱憤を晴らすかのように稲妻となった。

 勢い余った指でチャイムを押す。間の抜けた音色は強張った俺の筋肉を弛緩させるのにちょうどよかった。

 返答の声はない。

 代わりに玄関の扉が開かれる。


「ゆうやくんっ! お待ちしてましたっ!」

「お待ちしてましたってお前なぁ……」


 琴葉の顔を見るとどうしてかどっと疲れが湧いてきた。期末テストだってこんなに疲れるようなもんじゃないぞ……。

 頼まれていた手鏡を差し出してはこう言う。


「相当手の込んだ作戦だったが……俺の勝ちだ、琴葉」

「作戦ですか? ……はっ、まさか見破られていたとでもいうのですか!?」

「残念ながら丸わかりだ。内容以前の問題だぞ」


 そんなあ、と琴葉のアホ毛があからさまにしんなりした。


「それじゃあわたしたちの準備は無駄になるわけですね」

「無駄ではなかったぞ。俺の心はもうボドボドダ……」

「バレバレのサプライズなんかしても面白くないですよ!」

「いや、だから無駄じゃない……って……」


 言っている途中で妙な違和感を覚えた。唐突なことに、はてとアホ毛をはてなマークにする琴葉だがそれどころではない。

 俺は一つの可能性を見出した。

 今の今までは見向きもしなかった、一つの可能性を。


「……なあ、琴葉。その作戦を詳しく教えてくれないか?」

「ばれちゃったら仕方ないですよね……。わたしたち、お化け屋敷を用意してたんです。十人のインディアンをモチーフにしたお化け屋敷を」

「…………」

「だってゆうやくん、行き詰ってたじゃないですか。十人目のインディアンはどう捉えるべきかって。考えて出ないときは肌身で感じるのが一番です」

「…………」

「……ゆうやくん?」


 じゃあ、だ。

 今の今までの出来事はいったいなんだったというのだ?

 俺はあくまで琴葉たちが作りだした世界像を見せつけられているものだと思っていた。けれど琴葉は家の中でお化け屋敷を用意してたと言う。俺に世界像を見せようとしていたわけではない。

 改めてみればおかしなことばかりじゃないか。ファンシーで平和な思考回路を持つ琴葉たちがあんな残酷な世界像を見せつけるはずがない。

 そもそも、あめ玉を舐めなければ他人の世界像は見えない。あめ玉を舐めていない場合だって、誰かと誰かの世界像が重なって生じる特別なときだけだ。

 じゃあ。

 つまり。


「…………あれはなんだったんだ?」


 ただ俺の妄想がふくらみにふくらんで生まれた幻覚かもしれない。もっと言えば俺の持つ世界像が具現したのかもしれない。……いや、それはあり得ない。

 俺の世界像は琴葉にすら見えないんだ。

 となれば残された可能性は……。

 …………。


「あっ、そういえばゆうやくん」

「なんだ……?」

「十人目のインディアンなんですが……その、誠に申し上げにくいんですけど。わたしたちにも分からないところがあって、実は完成できてないんですよね」

「よくそれでサプライズしようと思えたな……」


 十人目のインディアンのヒントを与えるために準備したはずなのに、肝心の十人目のアイデアが思いつかなくちゃ何の刺激にもならない。

 いやまあ……刺激はもうこりごりなんだけど。


「とにかく、入ってくださいな!」

「はいはい……」


 琴葉に手を引かれ、真っ暗な家の中へと入っていく。


「わ、わんっ!」

「……コロスゾ」

「わたしの家来にしてやろうかーっ!」


 驚かせ役の三人はそれはもう生き生きとしていた。

 それじゃあ誰も怖がらないだろうとは思いつつ。

 俺もつられて笑っていた。



 後から思い出したことだ。

 結局、あの出来事の中で十人目の現象は起きなかった。

 俺の中に十人目のイメージがなかったからかもしれないし、全力ダッシュの最中に実は起きていて気づかなかっただけかもしれない。

 いずれにしても真実は闇の中というわけだが。

 お化け屋敷で盛り上がった後、この話を三人にしてみると。

 琴葉がこんなふうに漏らした。


「もしかすると、ゆうやくんがその十人目だったりするんですかね?」

「俺が十人目……?」

「だって他の九人の子供の姿を見たのはゆうやくんだけじゃないですか。それって子供たちと遊んでいたと考えられませんか?」

「…………」


 学校の校門を出た時点で九人の子供たちが俺の周りにいて。

 俺以外の九人が死んでいった。

 俺を最後の十人目として。


「だとすると、ゆうやくんは誰に連れられて消えるんでしょうか」

「はい?」

「だって十人目の少年はいなくなるんですよね。女の子と結婚して」

「そ、それは……」


 琴葉にじっと見つめられて、俺は思わず目をそらしてしまった。

 しかしその先には泡子がいて、いつものような眠たい目を向けられていた。

 気まずくなってまた変えると今度はもここと目が合った。慌てて視線を外されたものだから俺も気まずくなって下を向いた。


「いったい誰なんでしょう、十人目の男の子って」


 それは童謡の男の子を指してるのか。

 それとも出来事の渦中にいる俺を言ったのか。

 十人のインディアンはもうコリゴリだ。

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