新聞部を訪れたのち、俺たちは次の現場へと向かった。

 道中のことだ。


「ゆうやくん、何をもらったんです?」


 琴葉が俺の手元を覗き込んでくる。


「藤森の話があっただろう、被害者が出たっていう記事のコピーだ」

「廃刊になったんじゃなかったっけ?」


 と、もここ。

 俺は藤森からの情報を共有した。


「学校に出回ってないだけで大元は残ってるんだと。詰めが甘いよな、学校側も」

「最低限騒ぎにならなかったらそれでよかったのかもね」


 もここの推察がもっともなところだろうな。

 そうこうしているうちに目的の場所へとたどり着く。

 一目見た泡子が戦慄した。


「……禍々しいオーラを感じるぞ。やつら、いる……っ!」

「でたらめいうな」

「いてっ」


 必殺いなりんチョップをお見舞いするものの泡子のいうことは分からんでもなかった。

 夕闇の差す踏切はどこか物々しい。自殺防止を図ってか、文字通りブルーなライトが設置されている。青色は人を冷静にさせる効果があるとの研究は有名だ。

 青い蛍光灯の中を赤いランプが左右に点滅する。ややあって、甲高いクラクションを鳴らした四両ほどの電車が通り過ぎた。

 俺は三人に確認をとった。


「それじゃ調査開始だな。『くるみ割り人形』の噂になりそうなヒントを探そう」

「どんなものを探せばいいんでしょうかね?」

「人形とか、くるみとか、もしくはそれに類似した何かだろう。割れた頭部と人形に見えそうな条件さえあればいい」

「事件があってからもう十年以上経ってるよ?」

「…………」


 なんとなく目ぼしいものが見つかればいいと考えていたのが安易だった。事件はすでに十年以上前のこと。噂が再熱したのだって藤森が記事に取り上げたからだ。

 現場から得られるものは何一つとしてないかもしれない。

 ……けれど。


「やるしかないだろう。俺たちの目的はフィン先生を安心させることだ。たとえ真実じゃなくたって、フィン先生がよかったと胸をなでおろせれば、それが真実になる」


 嘘ってのは悪いことじゃない。

 そもそも人は自分がつくりあげた虚構の世界で生きている。

 だったら事実じゃないことでも、ある人の世界においては真実となるかもしれない。

 その真実が誰かの明日への活力になるのなら、俺は存在していいと思う。

 ……と、誰かがくすりと笑った。


「まったく、ゆうやくんには敵わないです」

「ふふっ、そうだね」

「……いなりんに付き合えるのは私たちくらい」


 敵わないのはこっちのほうだよ、と俺は心のうちで苦笑した。

 これだから俺はゲンカクから離れられない。

 入部を決めたときから何一つ変わらないんだ、こいつらは。


「よおし、それじゃレッツラゴーですな!」

「「おおー!」」


 部長が先陣を切ると、もここと泡子があとに続いた。

 俺も遅れまいと一歩踏み出したとき、


「……あれ?」


 琴葉が向かう少し先の物陰から金髪の男性がこちらを覗いていることに気が付いた。あの海外特有の筋肉は間違いない。

 フィン先生だ。

 琴葉たちも目に入ったようで、こちらに視線をむけてくる。

 是非もない。


「確保ォ―!」

「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」

「What!?」


 文系ハッスル派と海外教師による逃走劇は十分ほどにしてようやく幕を閉じた。



「で、何をしてたんですか?」

「ウッ……」


 近所のコンビニのベンチで圧をかけられる二十六歳独身の男性は目をきょろきょろさせ押し黙った。傍からみれば高校生にからまれる外国人の危なっかしい図。


「先生……おおん? 何してたんですかっ?」


 雰囲気に流されやすいもここなんか完全に女ばんちょーしてた。普段は温厚な生徒の変貌っぷりに挙動不審が加速する先生。

 鼻先にまで顔を近づけられたときだ。


「……ワカリマシタ。白状シマス」


 と観念した。

 さすが学校一の人気を誇る先生だ。往生際がいい。

 大きなため息が一つ。

 それをきっかけに先生は口火を切った。


「思イ出ニフケッテイタンデス。私ガ学生ダッタ頃ノ」

「先生の学生時代……ですか?」

「ハイ……」


 そこから十分ほど先生の過去話が始まった。

 なんと先生は十年前のうちの生徒だったらしい。他の生徒たちにも話していないことのようで、内緒にしててほしいと釘を刺された。

 海外から日本にやってきてすぐ転入したこと。

 不慣れな文化を支えてくれた親友ができたこと。

 人に話すのも恥ずかしい甘酸っぱい恋愛談。

 なるほど、たしかに生徒には内緒にしておきたいことばかりだった。

 そうしてあの踏切にも思い出があったらしく……。


「……私ノ親友ガアソコデ亡クナリマシタ」

「…………」


 先生の表情は見るに堪えなかった。

 友人を失う痛みなど俺にははかり得ない。それほど深い交流を持つタイプではないからだ。

 けれど、その顔を見るだけで息苦しさが伝播してくる。

 夕焼けの空までもが暗黒に包まれ光を失くしたようで……。

 ……。


「…………?」


 空を見上げると、すでに夕日の姿はなかった。

 時計が示すのは午後四時半。

 十月にしては日が暮れるのが早いのではないか……?


「……いいや、違う」


 少ししてやっと違和感の正体を見破れた。

 人の絶えることのないコンビニに人っ子一人見当たらないのだ。店員でさえだ。照明の色も心なしか薄紫色のように見える。

 月もない。

 風もない。


 カチッ


「――――っ」


 音があった。

 カチカチカチ、と。

 まるで何かをすり潰して下ごしらえするように。

 金属をこすり合わせ。


 カチカチカチッ


「ヒイ……ッ!!?」


 悲鳴をあげたのはフィン先生だった。

 視線の先のナニかを目の当たりにして青ざめている。歯の根が合っていなかった。

 ごくりと誰かが生唾を呑み込んだ。

 視界に、ソレを、入れる。



 ……ロシテ。……レヲ。



 悪寒が全身を駆け抜けた。高熱で床に伏し、布団の中でうなされたいたときのほうがまだマシだったはずだ。


「……っ!」


 俺と同じ背丈をした木製の人形がそこに立っていた。パッと見、そこらの男子校生だと間違えてもおかしくない。

 だが、その存在は異質だった。

 スイカでも入りそうな大きな口が根拠の一つだ。ドイツのくるみ割り人形と変わらず人一人の頭を咥えられるくらい開閉しそうな大口。金属製の丈夫な顎で襲われたら最後。それこそくるみのように簡単に砕かれてしまうだろう。

 特筆すべきは人形の頭部だ。

 見るも無残な亀裂が額から後頭部にかけて走っている。中からドロリとした赤い液体が顔中を覆っていた。

 まさに死者の憑りついたくるみ割り人形。


 オレ……ヲコロシテ。……ロシテ。


 きわめつけに『俺を殺して』ときたもんだ。


 カチカチカチッ


 首をカクカク揺らしながら口を開閉させるバケモノが徐々に迫ってくる。

 即座にからだを翻した。


「逃げるぞ……ッ!!」

「で、でもどこへ!?」

「どこへでもだ! 一旦避難できればそれでいい!」

「いつも通りですね、了解です!」


 いつも通りとかいうなよ、とか叫びたくなったがとにかく後ろのヤツが怖すぎるので走ることだけに集中した。


 ロシテ……。オレヲコロシテ……。

 カチカチカチッ


「怖すぎるだろこいつ!! 人の気持ちとか考えたことある!?」

「ゆうやくん! ふざけてるとこけま――うべっ!」

「お前がこけてどうすんだ!?」


 大事なところでお約束を忘れない琴葉は本当に琴葉だ!

 踵(きびす)を返し、琴葉に手を差し出した。


 カチカチッ!


「うわっ!?」


 間一髪、人形のかみつきを回避する。前髪の先っぽを持ってかれた。間一髪とはまさにこのこと……とか言ってられない!

 隙のできた人形のボディに情けない蹴りを一発かます。

 俺たちは構うことなく駆けだした。


「稲荷君、今のすごかったね!」

「……いなりんも成長した」

「褒めるなら無事に帰ってからにして!」


 俺たちは無我夢中で走り回った。誰かがふざけて青春してますねとかほざいたが、こんな命がけの青春はまっぴらごめんだ。血にまみれた赤春の間違いだろう!

 だんだん俺たちと人形の距離がひろがっていった。

 この調子なら助かる!

 と、希望を見出した直後だ。


 ザッ


 今しがた通り過ぎた倉庫の物陰に誰かいたような気がした。

 いいや、見間違いなんかじゃない。


「なんで藤森がここに!?」


 足をとめて振り返ると、やはりそこで藤森が身を隠していた。ちょうど彼も俺たちが走り過ぎていったことに気が付いたようで、どうして僕がいることが分かったんだと言いたげな顔つきだった。

 別に今は藤森の存在を問い詰めようとは思わない。

 問題は藤森がくるみ割り人形の存在を認知していないことだ。

 このままだと藤森が危ない。


「おい、藤森! いいから俺たちについてこい!」

「え?」

「いいから早く! 走れ!」


 カチカチ……


 予期しうる限り最悪のシナリオが現実となった。

 それまで俺たちを標的としていたくるみ割り人形の意識が確実に藤森のほうへと移ったのだ。顔に当たる部分がカクリと機械じみて動く。

 もはや遅かった。

 

 ガチガチガチッ


 いっそ激しい音を立て、くるみ割り人形が藤森を襲う。

 琴葉たちは手で顔を覆い隠した。ザクロが地面に叩きつけられたときのような惨劇から目をそむけるために。


 ガチガチガチッ!!


「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」


 その強固な顎を大きく開き、彼の頭部をかみ砕こうとした。

 直前!


「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!」


 フィン先生の強烈なタックルがくるみ割り人形を遠くへと吹き飛ばした。数メートル宙を飛んだあと地面に叩きつけられ、人形の右腕と左足が無残に放り出される。

 予想だにしなかった。くるみ割り人形と口にしただけであれほど怯えた先生が、まさか立ち向かうなんて……。


「ゼエ、ハアっ。逃ゲマスヨ!」

「は、はい!」


 先生に手を引かれ、藤森が俺たちの輪に加わる。

 それから五分ほど走り続けたところで歪んだ世界は元の形へと戻っていった。



 自室のベッドで、しみじみと思う。

 今日のバケモノは歴代の中で群をぬくほど恐ろしかったと。


「……なのにすげえよな、先生のやつ。あんなバケモノに向かっていくなんてさ」


 もうこれ以上犠牲者を出したくないから。

 なんて言ってたけど、海外の人ってのは誰でもヒーロー思考なのかねえ。こそくな日本人にも教えてやりたいものだ。……人のことは言えないが。


「…………」


 考えることが山積みだとなかなか寝付けない性質(たち)だ。

 胸のうちで何かがずっと引っかかっている。


「……よし」


 俺はベッドから起き上がり、紙とペンをとった。

 気になることをまとめるためだ。

 ペンを走らせ、頭の中の文字列が並んでいく。

 要約するとこんなものだった。


 なぜ、先生はくるみ割り人形を恐れるのか。

 なぜ、先生はこのタイミングで学生時代の思い出巡りをしていたのか。

 なぜ、藤森があの現場にいたのか。


 そもそも、どうしてくるみ割り人形が出現したのか。


「そうだ。これも気になるんだった」


 ふと思い出して紙に書く。


 なぜ、くるみ割り人形は「オレヲコロセ」と呟いていたのか。


 意味もないのにオレヲコロセとは言わないだろう。

 自殺志願のバケモノなんて聞いたことがない。

 …………。

 ……。


「……ん?」


 自殺志願。


 くるみ割り人形。


 俺を殺せ。


 フィン先生。



 ――――瞬間、ぼやけていた世界が顕現する。



 

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