『くるみ割り人形』
壱
「ゆうやくん、これ見ましたか」
「ん?」
昼休みの終わりごろ。
うたた寝しかける俺のもとに琴葉が飛びつくようにやってきた。また平和が崩れ去る予感がして嫌になる。
彼女が手に持つのは一つの新聞紙だった。どうもウチの学校のゴシップを記事にする新聞部発行のものだ。
俺は眠たい目をこすった。
「『怪奇! 徘徊するくるみ割り人形』……なんだそれ?」
「ちまたで話題のアレですよ! 学校近くの踏切で聞こえてくるそうです。何かをひたすらに割る音が……パキパキ、パキパキって!」
「ねずみでもいるんだろう」
「ノリが悪いですよゆうやくん!」
新聞部のやつも上手いものだ。くるみ割り人形なんて絶妙に気味の悪いものを取り上げて脚色するとは。どうせ被害者ってのも新聞部の部員だとかってオチだろう。
チャイムが鳴った。
「ハーイ。授業ハジメマスヨ」
次は英語の時間。自称進学校なだけありスピーキングにも力をいれているため、ネイティブの先生が授業を受け持っている。
金というより銀に近い髪色をしたフィン先生。甘いマスクの一方で海外サイズの巨体にほれぼれする生徒も少なくないとか。
甘いのはマスクだけでなく。
「ホラホラ、授業ハジメルヨ」
中身も非常に甘い。
授業が始まっても私語を続ける生徒に優しく注意する。フィン先生の怒る姿を見たら願い事が叶うと言われるまで彼が怒ることはなかった。
さて。今日の内容は少し興味深いものだ。
LとRの発音の違い。どちらも日本語でいうラ行に近い発音になるのだが正確には異なる。日本人の耳では聴き分けづらいのは仕方のないことだ。
ちなみに日本のラ行の発音はLとRのどちらでない。これもまた難しい話だ。
「なんでにやけてるんですかね、ゆうやくん……」
「…………」
隣の席の琴葉が呆れたようにため息をついた。夢中になったら我を忘れる癖もそろそろ注意しないといけない……。
フィン先生の声だけが教室を支配していた。
しかしいつの間にかコソコソと話が顔を出す。
「あの噂……知ってる……?」
「見られたら最後。頭を……」
「……こええ」
まあ高校の教室によくある風景だろう。 フィン先生も便乗して授業に遅れが生じるのが通例だった。怪談話の好きな彼のことだ。今日もまたここらで授業が打ち切られるのだろう。
そう思っていた。
「……くるみ割り人形」
「Shut up!!」
「ッ!!?」
鼓膜をぶち破るような怒声だった。大人の、それも海外の男性の圧倒的な迫力に、からだの芯から震え上がる。
こえめかみに血管が浮かび上がっていた。
少ししてハッと我に返ったらしい。
彼は何事もなかったかのよう授業に戻った。
「スミマセン……授業中ハシズカニネ」
それから誰かが声を発することはなかった。先生も自覚があるのか挙手をさせることなく淡々と一人で授業を進める。
終わりはあっけなかった。
チャイムと同時に先生は苦笑いして教室を去っていった。
先ほどの出来事は胸の引っかかりとなって俺を悶々とさせた。
放課後になった今でもそうだ。
部室の机でほおづえをつき、明後日の方を眺める。
「稲荷くんどうしたの?」
「フィン先生の件はお話したでしょう? それ以来変なんです」
「……なるほど。わたしにはわかったぞ」
泡子の目がきらりと光った。
たぶんロクなこと考えていない。
「……それは恋」
「わわわっ!!」
もここの目がきらりと光った。
最速のデジャヴだ。
「へえ、へえっ。稲荷くんが先生のことをねえ!」
「どうしたんですもここ。やけに興奮してますね」
「興奮も何も、だって生徒と先生だよ!」
「……思わぬ火をつけてしまった」
「山火事もんだろ、これ……」
つい俺も会話に参加してしまった。とりあえず放火魔の泡子にチョップをかましておく。
そのときだった。
「スミマセン。ダレカイマスカ?」
とびらが叩かれたと思ったら噂のフィン先生が顔を出した。
もここの視線が俺と先生を行き交いする。しまいには、
「……あわわわわ〜っ」
目を回して倒れてしまった。何をどうしたら卒倒に至るんだ……。
エンジン全開のもここは琴葉たちに任せくとして。
「どうしたんですか先生。こんなところに用でも?」
……言っておいて思い出した。
交流の少ない人物がこの部室を訪れる場合は、例のアレに限られる。
俺の直感は見事に的中したようで、フィン先生はバツの悪そうな顔をしてこう言った。
「実ハ調ベテ欲シイコトガアルンデス」
「調べてほしいこと?」
「……エエ、ソノ……」
なんとも歯切れの悪い様子だ。
もしかすると……、いや間違いない。
「くるみ割り人形、ですか?」
「……ッ!」
途端フィン先生の顔が青ざめた。たとえ極度の怖がりだとしても、この反応はまずない。というか先生は怖いもの好きなはずだ。
そこで俺の肩が叩かれる。
「ゆうやくん、これ」
「あめ玉……何かあったのか?」
しきりに頷く琴葉。今彼女の見る世界はそれほどせっつくようなものなのか。
あめ玉を受け取り、口に入れる。
世界の色が変わった。
フィン先生の周りだけが異常に浮いている。
古びたくるみ割り人形。
電車。
夜の廊下。
ギシギシと揺れる床。
ざくろ。
そして、激しい後悔の感情。感情が目に見えるのかといえばそうではないのだが、あめ玉を舐めると直感的に感じられた。
絶対に何かある。
ともすれば、だ。
震える先生に俺は一声かけた。
「先生……くるみ割り人形のこと知ってるんですか?」
「ナ、ナニモ知リマセン! ワタシはナニモ」
「だったらどうしてそこまで怯えるんです?」
「ソ、ソノ日本ノ幽霊トカガ昔カラ苦手ナンデス」
なるほど。あくまで本人は口に出したくないらしい。
まあ、いい。隠したいにも関わらず俺たちにヘルプを求めてきたんだ。だったら聞かないってのが人情ってやつだろう。
「ゆうやくんも板についてきましたね」
「いつから心まで読めるようになったんだお前は」
「勘ですよ、勘」
にへらと笑う琴葉に俺は返す言葉も見つからない。呆れて、の意味だ。
いまだ落ち着かない先生に俺は手を差し出し言った。
「わかりました。俺たちに任せてください」
「エ……?」
「くるみ割り人形のこと調べてみます。それで何か不安が取り除けるのであれば」
「ア、アリガトウゴザイマス!」
ガシリと、手が粉砕したかと思うくらいの力強さで握り返してきた。さすが海外の男性だ、琴葉以上に力がつよ痛たたたたたたッ!
「ア、ゴメンナサイ」
「へ、平気っすよ」
「むう」
「……どうして不満そうな顔をしとるんだお前は」
「なんでもないですっ!」
一見すればヤキモチを焼いたヒロインのようにも見えるが、いいやおかしい。馬鹿力の専売特許を奪われてふてくされるヒロインがどこにいようか。
ごほんと咳ばらいを入れ、ゲンカクの部員の視線を集める。
「目的は『くるみ割り人形』の情報を集めること。あわよくば噂の原因まで解決したい」
一同が頷く。
視線はおのずと部長に集中した。
琴葉はピンと指先を天井に向け、
「決まりですっ! 調査開始ですよ!」
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