翌日の早朝。

 俺と琴葉それに中原先生の三人で一組の教室を訪れていた。

 目的はただ一つ。


「先生。おはようございます」

「……ええ、おはようございます」


 気持ちのいい挨拶を交わしたその人物と話をするためだ。

 二つくくりの髪に灰色のセーターをきっちり着こなした健康的な女子高生。少し話しただけで心の壁も乗り越えそうな誠実な笑顔はまさしくその名にふさわしい。


「一組の委員長、で間違いないか?」

「そうだけど……あなたはいったい」

「突然悪いな。あんたに聞きたいことがあるんだ」

「はい……?」


 誰もいない早朝の教室。名前も知らぬ生徒の机を借りて一息つく。

 さて、どこから話したものか……。


「そうだな。まずはこれを見てくれるか?」


 と、カバンの中から『それ』をとりだした。


「……これって」

「私のカツラじゃないですかあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ~~~っ!」


 まるで行方知らずだった愛しの我が子を抱くように手に取った先生。事情を知っている俺たちでも引いてしまった。

 委員長なんかなおさらだ。


「え、えっとお……先生のなんですね」

「ええそうです! 昨日からずっと見つからなくて……本当に良かった! 稲荷くん、いったいどこで見つけたんですか?」

「それを今から説明します」


 ここからが正念場だ。

 言葉一つ間違えただけで謎が逃げてしまう。

 深く息をした。


「…………」

「…………」


 空気の波長がぴたりと重なったとき。

 第一声を放つ。


「今回の『かみかくし』騒動の主犯はあんただろう、委員長」


 その場に緊張の糸が張った。何も知らない先生は息を呑んでいる。

 対して委員長は冷静に見えた。


「なんの話かな? 『かみかくし』って」

「なら聞きたい。どうしてクラスメイト全員にクッキーを配ったんだ?」

「それは……クッキーを焼きすぎちゃったから食べきれなくて」


 ほう、食べきれなかったと。


「あんたも食べたってことでいいのか? あのクッキーを」

「そうね。我ながらおいしくいただいたよ」

「なるほどなあ。クッキーを食べたクラスメイトはみんなお腹を壊していたのに、あんたはおいしくいただいた、と」

「…………」


 その会話に先生が反応を示した。お腹を壊していたのは自分だけじゃなかったんだという顔をしている。


「昨日一組のやつらに聞いたんだ。クッキーを食べてから調子が悪くなったって」

「……あなた、みんなに会ったの?」

「ああ、不思議なことにみんな旧校舎にいたよ」


 これは千葉が顔をみせたあとの話だ。

 図画工作室を出ると一組の連中がぞろぞろと旧校舎から帰るところだった。建物中をくまなく探したのに、いったいどこにいたのか。

 答えは意外なところに隠されていた。


「個室だよ。トイレの個室」

「え、でもゆうやくん男子トイレを確認したでしょう」

「落とし穴があったんだ。あのとき個室はすべてしまっていた。人間、全ての状態がそろっていると使用されていないと錯覚しがちになる」

「つまり男子トイレの個室は全部使用中だったわけです……?」

「しかも旧校舎内のすべての個室がだ。こればかりは俺が悪い。すまん」


 ただしこの状態は日常的に考えればあり得ないことだ。男子トイレの個室が、それも使われていない旧校舎のものが大混雑しているなんて。


「うーむ」


 これらの事実に琴葉は首をかしげていた。

 立て続けに質問する。


「どうして旧校舎のトイレを使ってたんですかね? 新校舎のほうが一年生のフロアだけでも十分な数があるのに。変です」

「トイレットペーパーが切れてたんだ」

「へ?」

「さっき一年の男子トイレを全て調べてきた。どの個室にもトイレットペーパーがなかったよ。女子トイレも同じだろうな。保健委員の仕事は掃除の時間だから、今は昨日の放課後と変わらない状態にある」

「……むむむ?」


 琴葉の頭にはてなマークが連続で浮かぶのを見た。

 わかりやすいやつだ、まったく……。


「準備室のトイレットペーパーの山を見たろ。あれは本来男子トイレにあったやつだ」

「え、あれってトイレから持ってきたやつだったんです!?」

「誰もいないときに運び出したのかね。あの量相当大変だったろう」

「いやいやゆうやくん! わざわざそんなことする意味がわからないです!」

「らしいぞ、委員長」

「…………はあ」


 そのため息、どうやら俺の仮説は正しいらしい。

 彼女は両手をマスクのように口にあて肩を落とした。勘違いして恋する乙女のように見るやつもいたかもしれない。

 ゆっくりと、口を開いた。


「そうよ。わたしが全部やったの」

「そんな……君がやったなんて信じられない!」

「すみません先生。でも、真実ですから」


 一度自白してしまえば最後。

 立て板に水のごとく、すらすらと言葉が流れてくる。


「すごいね探偵さん。噂で聞いたけど、まさか見破られるなんて」

「トイレットペーパーを隠したのはクラスメイトを旧校舎に誘導するためってのも正解か?」

「お見事」

「…………」


 これですべてが決まった。

 わざわざクッキーを配り、一年のトイレから紙を隠しわけ。

 クラスメイトの苦痛を利用してまで旧校舎に呼び寄せた理由。


「教えてください。どうしてそんなことをしたんですか?」

「琴葉。彼女の名前を知ってるか?」

「え……すみません、存知ないです」

「ふふっ、ひどいなあ。人気者の伏見さんに知られてなかったとは」

「……ごめんなさい」

「冗談だって。この際だからわたしの名前覚えてほしいな」



「わたしはね、半戸佐江(はんどさえ)っていうんだよ」



「……半戸?」

「聞いたことない苗字でしょ」

「あ、いえ……」


 琴葉が戸惑っているのは決して名前が珍しいからではないだろう。

 たぶん、それは……、


「あの彫刻と同じ『半戸』だからだよな、琴葉」

「ゆうやくん……」


 彫刻の言葉が出たとき、半戸の目が大きく開いたのを俺は見逃さなかった。

 早朝からここに来たのは、なぞ解きをしたかったから。

 それと、彼女の真実を知るためだ。


「半戸。あの彫刻とお前がどんな関係なのか、聞かせてくれないか」

「……こんな日が来るなんて思ってもみなかった」


 彼女の声音が一気に弱くなる。

 これがきっと事件の発端につながる彼女の原点だ。


「いいよ。聞かせてあげる」

「…………」


 しばらくの間、静寂が続いた。

 少し乱れた半戸の呼吸音が教室に消えていく。

 息が失せた。


「あの彫刻はね、わたしの死んだお姉ちゃんの作品なの」

「お姉さん……?」

「うん。三年前、交通事故で亡くなったお姉ちゃん」


 彼女には三つ上の姉・半戸光がいた。

 彫刻をくまなく愛す姉だったがスポーツマンの妹はいつも姉を変だとからかっていた。

 けれど嗜好は違うとはいえ姉妹は大の仲良しだった。ご飯を食べるも、ショッピングに行くも、いつでも一緒。

 姉の高校卒業をひかえた日のことだ。


『ねえ、サエ。あなたに見てもらいたいものがあるの』


 姉に連れてこられたのは彼女の通う高校だった。このとき妹は姉の背中を追って同じ学校を受験し見事入学を勝ち取っていた。

 ただ歳の関係上、姉と妹は入れ違いになってしまう。

 少しさびしいと思った姉が思いついたのがこれだった。


『見てこれ! サエをイメージして作った彫刻!』

『これお姉ちゃんが……?』

『もちろんだよ! 我ながら最高の出来栄えなの!』

『……すごい』


 魔力を秘めた神の芸術だった。見る者すべてを引き込む世界を持っている。モデルになった妹でさえ虜になるほどに。

 姉は笑った。


『これで私が卒業しても一緒にいられるね!』


 妹は泣いた。

 そして、姉につられて笑った。


「その日の帰り道。大学の準備をしなきゃって別々の帰り道になったの。お姉ちゃん嬉しそうだったなぁぁ。そしたら————お姉ちゃんは帰ってこなかった」

「……ひぐっ」

「泣かないで伏見さん。これ使う?」

「ありがどうござびばず……」

「…………」


 机がえらいことになっていた。

 他人の世界が直接見える琴葉には、姉との幸せだった日々が『世界像』となって見えてしまったのだろう。あめ玉を舐めていなくてよかったと心底思う。


「お姉ちゃんがいなくなった今でもさびしくないの。だってこの学校にはあの彫刻があるから」


 決して泣いてないからな……くそっ。

 ともかく、だ。

 これで彼女のことを知れた。

 残るは動機の部分。


「きっかけはね、旧校舎の取り壊しの噂を聞いたことなの」


 背筋に悪寒が走った。

 予感は見事に的中してしまう。


「旧校舎の彫刻も破棄してしまおうって話になったらしくて。そんなの絶対に許せなかった! 許せなかったけど……わたしにはどうすることもできなくて……っ」


 現実はいつでも非情だ。

 学校側としては生徒の安全面を考慮してのことだろうに個人としての想いを踏みにじってしまう結果となった。

 誰が悪いというわけではない。冷たい世界だ。


「だからね、せめてクラスメイトには覚えててほしかった。いつかの同窓会のときにでも話の肴になればいいなって。『呪いの彫刻』があったよなあ、なんてさ」

「……その噂知ってたのか」

「委員長って色んなとこから情報が回ってくるんだよっ?」

「…………」


 大切な姉の想いをそんなくだらない虚構まみれにされて、彼女はどんな気持ちでいるだろう。時として無意識の快楽は誰かにとっての毒になってしまうことを忘れてはならない。

 しかし彼女は強かった。


「いいんだ、わたし。覚えててくれれば、それでいい」

「……あんた」

「本当の思い出はちゃんとここにあるから」


 彼女は両手を胸にあてる。

 遠い記憶に想いを馳せて。


 

 これは噂で耳にした話だ。

 一人の生徒の想いを知った教師が土下座までして上に掛け合ったという。

 その結果、例の彫刻は新校舎入り口に立て直されることが決定した。

 もう一つ。

 いずれ特別講義のために外来の講師が招かれることになる。

 彼女は有名な芸術家であった。

 入り口で起こる運命の出会いは、そう遠くない未来の話だ。



 事件は無事に幕を下ろした。

 俺は部室でのんびりとなぞ解きしている。今更だけど俺の趣味は言葉を用いたなぞ解きだ。

 例えば『呪い』のロの部分が↑になった文字がある。これを用いて『ノ本』の読み方を答えよ、なんて問題だったり。

 言葉には無限の可能性を感じることができる。

 ……が。


「頭が回らん」


 今日はせっかく部室を貸し切りだというのに勿体ない。邪魔者たちはお菓子パーティーを企画すべく戦争に出向いていた。

 俗にこれをお留守番という。


「ふう」


 コーヒーで舌をしめらせて肩の荷を下ろす。

 改めて振り返ると今回はまさしく『かみかくし』を冠するにふさわしい事件だった。

 神隠しに紙隠しに髪隠し。


『クラスメイトはトイレを求めて旧校舎にいた』

『新校舎のトイレを使わせないためにトイレットペーパーを隠した』

『たまたま拾った』


 なんていう理由ばかりだ。

 三つ目についていえば、


『朝早くに廊下を歩いていたらカツラが落ちてて。わたしの計画も上手くいくか不安だったから縁起物として飾っておいたの。ほら、『髪』と『神』が掛かってるでしょ』


 彼女の安易な駄洒落のせいで俺たちはとんだ災難に巻き込まれたわけだ。

 神隠しは人さらいや事故死や口減らしなどの説があると事件後に調べて知った。本当に恐ろしいのは人間かもしれない。といえば綺麗なオチがつくだろうか……?

 右手に追われたときは本当に死ぬかと思った。

 ちなみに。

 なぜ右手に襲われ、呪いの彫刻が出口でガラスをたたいていたのか、おおかたの見当はついている。

 多くの怪奇現象にまみれてきたけれど、たいていはある法則に当てはまっていた。

 

 ———琴葉のいう『世界像』。


 これがなぞを解く鍵になるわけだが……、


「ただいまですゆうやくん!」

「……勇敢な戦士の帰還」

「ただいま~っ」


 残念ながら例の三人が帰って来てしまった。

 これもまた、のちの機会で話すとしよう。


「ん、おかえり」


  また騒がしい日常が始まる。

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