参
旧校舎は本校舎から少し離れたところに建っている。かつてはここで授業が行われていた。庭も広く、まるで孤立した学校みたいだ。
「一ヶ月後に建物の解体が始まるらしいですけどね。耐久力も限界なようで」
「そりゃ貫禄あるもんなあ。出るもんも出るんじゃないか」
「……こんなところで冗談は通じないっ!」
神経が逆立っている泡子は涙目になってまで抗議した。俺の背中にかくれて制服のそでをつかんでいる。小刻みな振動に泡子の恐怖心がよく見える。からかうのはここまでにしよう。
旧校舎で待ち構えていたのは一つの彫刻だった。女性生徒を模したらしいそれは見事な出来ばえだ。『三年二組 半戸光(はんどひかり)』と記載されているところをみるとうちの生徒の作品っぽい。
「すごいですね。私が審査員なら百二十点あげちゃいます」
「二十点分はさておき気持ちはわかる。今頃は有名な彫刻家になってるんだろうな」
「……二人とも……怖くないの?」
「……まあ、泡子の言いたいことも一理ある」
一見すれば素晴らしい女生徒の彫刻だ。教師もさぞかし鼻が高いことだろう。
しかし、彼女のある部分が異彩を放っていた。
右腕の手首から先が、ないのだ。ミロのヴィーナスは両腕がないからこそ美しいと評価されているが果たしてこの彫刻に当てはまるものか。
いずれにしても異質な不在だ。
「……こんな噂がある。夜になると旧校舎のなかを彼女の右手がさまよっているそう。奇怪な足音を立てる五本指の姿はまるで蜘蛛のよう」
「ストップです、ばぶるん! トイレに行けなくなっちゃいます……っ!」
「……右手を見たら最後。あなたは……」
「ばぶるうう~~~んんっっ!!!」
「……もごっ」
「なにしてんだか」
右手を失った女生徒の彫刻。素人から見てもその完成度に圧倒されるが、どこか物悲しさを感じさせる不思議な作品だった。
とにかくだ。
「問題は『かみかくし』だろう。千葉を探しながらついでにカツラも見つけたい」
「ですね! 中原先生もそろそろご帰宅される時間でしょうし」
そんなこんなで俺たちは旧校舎のなかへと入った。今では備蓄倉庫として使われていることもあり思ったよりほこりっぽくない。
ただ木製のきしむ廊下を歩くだけでそれっぽい雰囲気に飲み込まれてしまう。
「……こ、こんなのは早く終わらせて都市伝説の本を読みたい」
「矛盾してるぞ。怖いなら普通読まないだろうに」
「……人は矛盾する生き物」
「さよですか」
ぎしぎしと音をたて奥へと進んでいく。
日も暮れはじめ、より一層薄暗い雰囲気が加速した。
「千葉くんがここを訪れた理由はなんなんでしょうね?」
「理由はわからんがたぶんトイレに用があるだろう。あいつの『世界像』には旧校舎とトイレが映っていた」
「……トイレ。また恐ろしい場所に……っ!!」
泡子の反応がいちいちうっとうしい。気持ちはわからんでもないから口にはしない。同じ敷地内にあるはずなのに新旧ではまったく違う世界にいるようだ。
しばらくしてシンプルな構造をした人型のマークが見えてきた。
例の青と赤のシンボルだ。
「ひとまずはここからか。女子のほうは頼むぞ」
「ええっ、ゆうやくん男の子でしょう! 二つとも見てくださいよ」
「お前はたまに常識の壁をぶち壊すよな」
男子だから女子を守るの構図はもはや古臭いと思うが俺のイメージはそいつで定着してしまっている。だからといって女子トイレを探索するわけにはいかないぞ、……まったくけしからん。
「とりあえず男子のほうを見てくるよ」
「……絶対に帰ってくるって約束して」
「お前は俺を殺す気か」
フラグなんて立てるもんじゃあない。
怖がる二人はおいておき男子トイレを確認した。くすんだ鏡に一昔前のスリッパ。タイル状の床はまさしく過去の遺産って感じだ。
個室のとびらはすべて締め切られており、小便器にも見る影はなし。
「誰もいないみたいだ。女子トイレはどうだ?」
「今更なんですけど千葉くんは男子なので調べる必要はないかと」
「……言われてみればその通りだが『完璧な言い訳見つけたぜひゃっほい』と顔に書いてあるぞ琴葉」
「……ぎくぅっ」
「そこ音を立てない」
……まあいい。男子トイレを調べるだけでも千葉は見つかるだろう。
一階のフロアを全て調べきり二階へと突入する。二年生用として使われていたため一年の俺たちが入るのは少しためらいがあった。これが日本人特有といわれるアレなのかもしれない。
ただ二階のトイレも収穫なし。カツラも見つからずにいる。
残るは三階の三年生のフロアとなった。
……のだが。
「——誰もいない」
校舎のトイレを回るなど時間がかかるはずもなく、残された道はあっけなく閉ざされてしまった。
トイレにいないとなると入れ違いになってしまったか、そもそもこの旧校舎にいなかったの二つが考えられる。
「まずいな……このままじゃふりだしからやり直すことになる」
「とはいえ千葉くんの行方も見当がつきませんし」
「……用がないなら早くここを出るべき。もうじきやつらが動き出す時間になる」
泡子に言われてハッとした。辺りはもうこんなに暗くなっている。
カツラを探すとはいえ今日はもう限界か。中原先生には悪いが、また明日にでも始めるとしよう。
そう決めたときだった。
コトコト……っ
なにかの物音が耳に入る。
「琴葉、何か言ったか?」
「いいえ、わたしはなにも。ゆうやくんこそ『ことこと』なんてあだ名でわたしを呼びました?」
「今後一切呼ばないだろうな」
「ですよね」
なんてくだらないやりとりをしていると、
コトコト……っ
「…………」
「…………」
たしかに聞こえた。
コトコトコトコト……っ
まるで退屈な授業でリズムをとるように。
指で音楽を奏でるように。
目の前の曲がり角から聞こえる死の音色。
「…………」
心あたりがあった。
この旧校舎には出るものが出ると。
離れ離れになった本体を探す放浪者。
音はすぐそこまで近づいている。
筋肉が硬直し喉は干上がっていた。
「…………っ」
誰かの生唾を呑み込むが鼓膜にこびりつく。
…………コトっ
それは現れた。
ひとたび触れれば折れてしまいそうなすらりとした指。
打って変わってひび割れた手の甲と凹凸の激しい指先。
誰かが口にした。
「呪いの右手……っ」
『そいつ』に表情なんかなかったけれど。
——こちらに意識が向いたのをたしかに感じた。
「走れ二人ともッ!!」
「「ひっ!」」
「全力ダッシュだあああああッッ!!!」
「「ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!」」
俺の合図をきっかけに俺を含めた三人は全速力で駆けだした。きしむ床が抜けそうでこわいとか、そんなこと考えている暇はない。
タタタタタタタタタタタタタタタタタッッ
背後から最悪の足音が追ってくる。
ちらりと盗み見たのが間違いだった。
五本の指を高速で動かし追跡してくる姿は、本当に心臓に悪い。
「降りるぞっ! 旧校舎から出ればこっちのもんだ!」
「了解であります……っ!」
階段を一段とばしで駆けくだり一気に一階へとたどり着く。文科系のクラブながらも陸上部顔負けの走りをみせていた。
幾重の怪奇現象と戦ってきた賜物だ。
タタタタタタタタタタタタタタタタタッッ
右手は今もなお俺たちを狙っていた。
それもあと少しの辛抱。
数メートル先には出口がある。
しかしここで琴葉がやらかした。
「こういうときホラー映画だと出口に化け物が待ってたりしません?」
「思っても口にするんじゃないっ!」
現実は非常なもので。
出口は全て締め切られていた。
そしてガラスのとびらを叩く者が一人。
「……っ!」
右手のない女生徒。
動くはずもない彫刻が、まるで閉じ込められた誰かを救い出そうとしているように。
何度も、何度も、何度も。
繰り返しガラスを叩いていた。
右手のないその腕で。
「最悪だっ! これじゃあ外に出られないぞ」
「……ぼくもう倒れそう……っ」
「気を確かに持ってくださいばぶるん! まだ希望はありますよ!」
フラグをたてたお前が言うか!
とにかく考える時間が欲しい。状況を打破するための作戦を練らなくては。
出口を諦め、曲がり角を曲がったところで図画工作室にあたった。
やつの姿が見えないうちに俺たちは身を隠す。
息をひそめて右手が通り過ぎいくのを祈った。
タタタタッ!
音が徐々に大きくなり、
タタタタッ……
次第に小さくなって、ついには消えた。
「……なんとかなった、のか?」
「どうでしょう。ひとまずは助かりましたね」
「……死ぬ思いだった。……ひいっ!」
どうしたと尋ねる前に俺の心臓もとまりかけた。
無数の手が俺たちを囲んでいたからだ。
しかし、目を凝らせば違った。
ただの粘土だ。
「図画工作室だっけ。タイミングが最悪だ……」
「……ここにいると呪われそう」
不幸中の幸いといったところか。
考える時間はできた。
カツラ探しはひとまず中止だ。ここから出ることだけを考えよう。
「出口にあの彫刻がいるんじゃあ出るにも出れないな」
「……ゆーやんは拳に自信ある?」
「殴り合うつもりは毛頭ない」
あ、いや、今のはカツラとかけたわけじゃないから。
木製の彫刻に勝負をけしかけたところでこちらの手が痛むだけだ。
「……他の出口はどう?」
「使われていない旧校舎だぞ。内側からロックを解除できるか分からないうえリスクが高い」
「……ぬぬっ」
泡子の提案も可能性として考えられるが、やはり入ってきた場所から脱出を図るのが一番確実で安全だ。
問題は右手のない彫刻にどう対処するか。
「何かいいアイデアがあればいいんだが……お前はどうだ、琴———」
葉と言おうとしたところで彼女がいなくなっているのに気がついた。
肝が一気に冷える。
突然姿を消すこの現象には心当たりがありすぎた。
「……まさか神隠――」
「ゆうやく~~~んっ!」
嘘みたいにずっこけた。この声は今まさに神隠しにあったはずの琴葉のものだ。呼ばれたのは準備室のほうから。
全身から力が抜け、大きなため息を一つついて腰をあげる。
「これ見てください!」
「———っ」
彼女が見つけたのはトイレットペーパーだった。
それも一つや二つではなく学年一つ分の量が並べられている。場所としてはあってもおかしくないもの。だが使われていない旧校舎にこの量は変だ。
もう一つ。
ピラミッド型に並べられたトイレットペーパーの頂点に。
奉るようにカツラが供えられていた。
「これ、中原先生のカツラか……?」
「きっとそうですよ! やりましたねゆうやくん」
「……あ、ああ」
なんともシュールな光景に言葉が見つからない。
カツラは……まあ見つかってよかった。
けれど。
「なんでトイレットペーパーなんてあるんですかね。保健の備蓄室じゃなく、それも隠すようにして」
「っ」
———瞬間、すべてがつながり、一つの仮説が生まれる。
「そうか。そういうことか!」
「何がそういうことなんです?」
「『かみかくし』事件の真相がわかったんだよ。あとは確証を集めるだけだ」
「え、確証って」
「今日のうちに確認しておかないとな。忙しくなるぞ」
「もおー! もったいぶらず教えてくださいよおー!」
「ばかっ、静かにしろって。俺たちはまだ逃げ切ったわけじゃ……」
コンコン……っ
「「~~~っ!!」」
最悪だった。
準備室のとびらがノックされる。
逃げようとしても遅かった。
背中を向ける前にとびらが開かれる。
「君たち、こんなところでなにしてるの?」
現れたのはあの白い右手ではなかった。
俺たちと同じ制服を着た男性生徒だ。
それも、
「千葉くん……?」
「まさか誰もいない校舎で……うらやまけしからんっ!」
一組所属の千葉だった。
校舎全体を探したのに、どうしてここにいる……?
頭はパニックを起こしていた。
何も言えない俺たちに、千葉が一言。
「え、ここにトイレットペーパーあったんだ!」
仮説を固める、重要なことを軽々と。
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