伏見琴葉は不思議な力を持っている。

 他人の『世界』が見えるという頭のおかしな力だ。

 かつてハイデガーという哲学者がいた。彼の研究分野は現象学で『世界像』と『世界』の違いについて論じている。


「物理的に存在している『世界』は万人に共通。けれど『世界』を見ようとすれば人によって歪みが生じてしまう。その歪みこそが『世界像』だ。極端な話、大金持ちの見る世界は何でもできる幸せな世界だろうし、貧乏人から見れば絶望的な世界かもしれない……だっけ?」

「ほぼわたしの言ったまんまじゃないですか。よく覚えていますね」

「お前とは違って物覚えがいいんでな」

「むくううっ!」

「意味の分からん擬音はやめい」


 話を戻そう。

 伏見琴葉という人間は他人の『世界像』が見えるらしい。ホラー映画を見た直後の人間なら化け物に狙われているかのようなスリルな『世界像』。好きな人とごっつんこしたならふわふわピンクの『世界像』といった具合にだ。

 早い話、他人の頭の中が見える。


「実は中原先生が相談に来たときから見えてたんです。先生ってば黒いもじゃもじゃに包まれたス○モみたくなってました」

「スー○いうな。見えてたなら先に言ってくれ」

「わたしだって『かみかくし』が『カツラさがし』だとは思いもしませんでしたもん! 『世界』が見えても人の心までは読めないんです」

「ドヤ顔さえなきゃいい話っぽいのにな」


 何気にとんでもない力を持って生まれた彼女だったが、それだけではない。

 あめ玉だ。

 琴葉の舐めたあめ玉を口にすると不思議なことに彼女の力をそのまま会得した状態になる。原理はまったくもって不明だ。

 わかっているのはあめ玉が溶けきるまでは他人の『世界像』が見えるということ。

 実際、今あめ玉を舐めている俺の目にも他人の『世界像』が映っている。


「さっきの男の子、いつもは水着の女の子に囲まれた『世界像』なのに今は旧校舎とトイレなんて変な組み合わせでしたね……まさか助平なことでもする気でしょうか! けしからんですね、あとで聞きに行かないと」

「せんでいいせんでいい」

「たしか一組の千葉君だったような」


 琴葉のあめ玉を舐めなければいけないものの、慣れてしまえば便利な力だった。こうして調査するのに勝手がいい。

 文字通り一目で事件に関わっているのか判別できる。


「それにしてもおかしいですね。さっきから旧校舎のことで頭がいっぱいの生徒さんがたくさんいます」

「ああ……」


 一年のフロアに向かう途中、俺たちは何人かの生徒とすれ違っていた。そのいずれもが使われていない旧校舎のイメージを浮かべている。


「イベントがあるとは聞いてないけどな」

「わたしもです。旧校舎に用事があるとかですかね」

「あんなにたくさんか? どうだろう」


 奇妙には思うが、とりあえずは『髪隠し』集中したい。

 中原先生がいうにはトイレに行って戻るまでの間に落としている。だが落とし物には届いていない。

 考えられるのは誰かが拾ったということ。いたずら心で隠しているのか、それとも拾ったことを言い出せずに悶々としている可能性もある。


「人に当たって話をきくか、カツラの『世界像』を持つ生徒を探すかの二択になるぞ」

「カツラの『世界像』を持つ人なんて滅多にいないで…………あーっ!!!」

「急に大声を出すな」

「で、でもだってっ!」


 つんざく声に耳をいためながらも琴葉の指差す方向に従ってみる。

 目に入ったのは○ーモみたいにもじゃもじゃの『世界像』をした男子生徒だった。


「あーッ! ま、まさかあれ……っ!」

「ゆうやくんも声が大きいですよ!」

「もごごっ」


 声が出てもおかしくない衝撃だった。だってそこにスーモがいるんだぞ。

 いや、落ち着け。冷静に考えてカツラで頭がいっぱいの男子高生をそうは見かけない。つまりはカツラを拾って頭を抱えている証拠だ。


「……よし」


 意を決し、俺はさっそく男子生徒に声をかけようとした。

 しかし。


「だ、だめですゆうやくん!」

「なんでだ。あれは完全にクロだろう」

「そうじゃなくて……」

「ん?」


 琴葉の指先が少し斜め上に向いていることに気がついた。

 なぞるようにしてその先を追うと。

 彼の頭が焼け野原であることを知る。


「……もしかすると素直にカツラが欲しいと悩んでいるのかもしれません」

「デリケートォ……」


 こればかりはどうしようもない。

 俺たちは顔をふせて彼の横をゆっくりと通りすぎることにした。ささやかな風圧で残った生命が飛んでいかないように。まるでタンポポみたいだ。

 それから一年のフロアをまわった。

 放課後の教室はそれほど騒がしいものではないが人っ子ひとりいないわけでもない。

 けれど有益な情報は得られないままでいる。

 残すは中原先生が担当する一組の教室だ。


「ここが一番のポイントですからね。期待したいです」

「さあな」


 あまりいい気はしないが、どうなることやら……。


「失礼しまーす!」


 琴葉がとびらを引くと窓から差す夕焼けに目をほそめた。

 視界が慣れるのに数秒を要する。


「……ん?」


 直後から違和感があった。

 真っ赤な海のように染まった教室は静謐に満ちている。



 ——まるで『神隠し』にでもあったかのように。



 誰一人として残っていないのはあり得ない話ではない。

 それでも、この静けさはあまりに不気味だった。


「ゆうやくん?」

「……おかしい。何かがおかしいぞ。中原先生の教室に限って生徒がいないなんてさ」

「たまたまとかじゃないです?」

「今までに偶然で片づけられる事件があったか?」

「それをいわれると弱いですけど……」


 この現象には何らかの原因がある。俺はそう踏んだ。

 ゲンカクに舞い込んできた『かみかくし』は『髪隠し』だけで終わらないらしい。


「とにかく一組のやつを探そう。話はそこからだ」

「あっ!」

「どうした?」

「一組といえばさっきすれ違ったじゃないですか!」

「っ」


 いわれてみれば例のスケベ男子は一組だった。そいつをとっ捕まえれば何かの進展につながるかもしれない。


「……ははっ」


 結局、俺たちらしい事件になるんだな。

 面白くなってきた。

 踵を返し、一歩踏み出す。


「旧校舎にいこう」





 旧校舎に向かったスケベの千葉氏を追うべく俺たちは新校舎を出た。実技棟、部室棟を抜けて旧校舎に急ぐ。

 そこで意外な人物と遭遇した。


「あれ、ばぶるんです?」

「……これは閣下、おひさしゅう」


 お菓子狩りに出陣していた三室戸泡子(みむろどあわこ)だ。泡子の泡から取ってばぶるんと呼んでいる。

 見た目は全体的にシャープな印象で前髪が横に流れているため片目が隠れている。後ろで結わいた髪はいわゆるポニーテールだ。眠そうな目をしているが怒ると鋭い目つきになる。残暑全開だった九月でもブレザーの下に薄手のパーカーを着込んでいたパーカー愛好家だ。手で袖を隠しており、これがいわゆる萌え袖なのかと一種の感動を覚えたのは秘密である。

 特殊なのは見た目だけじゃない。性格も一癖二癖ある強者だ。


「手ぶらなところを見るに何も買えなかったのか?」

「……戦争に負けた。家庭を守る戦士はおそろしい」

「もここは一緒じゃなかったです?」

「……彼女もまた戦士。旅に出た」


 要するにお菓子のタイムセールで不作だったから違う店に行ったらしい。なんでこうも遠回しな言い方をするのか。会話をするだけで一苦労だ。

 ちなみにもここというのがもう一人の部員のことである。


「泡子、ちょっと付き合ってくれないか」

「……突然の告白は、その……困る……」

「今のは俺が悪いね。お前の力が借りたいのね」

「……むう、面白くない」


 頰をふくらませ不機嫌そうにするが、この反応は俺たちに同行してくれる合図だ。ふてくされているようで意外と付き合いがいい。

 俺は『髪隠し』のことから一組で起きた『神隠し』に至るまでの経緯を説明した。


「……か、神隠し……こわいっ!」

「大丈夫ですよばぶるん! なにせ髪の毛一本落としただけでも『髪隠し』なんですからね!」

「……ぶふっ! ことはんに座布団一枚」


 泡子は俺たちにはない知識を持っている。

 神隠しや呪いの人形といったオカルトものが大好物なのだ。一方で怖い話を聞いたり体験したりするのが大の苦手だったりする。

 怖いもの好きの怖がりだった。


「……『神隠し』に関する説は色々ある。けどこの学校で聞いたことはない」

「なるほど」


 やはり俺たちに残されているのは一組の千葉を追いかけることだけだ。

 行動に移すのは早いうちにかぎる。

 泡子の背中を押してやり俺たちは再び歩みを進めた。


「……ど、どこにいくの?」

「ん、旧校舎」

「……あの『呪いの彫刻』がある……?」

「話を膨らますんじゃない」

「いいいい~~~やああ~~~~だあああ~~~~~~~~っっっ!!!!」


 今までとは打って変わった態度に俺と琴葉は苦笑した。

 素が出てるぞ、泡子。

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