コトハのあめ玉
空超未来一
『かみかくし』
壱
「ゆうやくん、これどうぞ!」
「…………」
穢れ一つない笑みで差し出されたのは、一つのあめ玉だった。
俺・稲荷佑哉(いなりゆうや)はなぞ解きが好きだ。今もこうして雑誌に掲載されたなぞ解きを紐解いているほどには。
糖分補給という意味で彼女もあめ玉をくれたのだろう。
ただ一つ言わせてほしい。
———女子の舐めたあめ玉を誰がすすんで口にしようと思うか。
それも、唾液にまみれたあめ玉をだ。
「どうしたんです?」
「……いや」
それをこいつに求めるだけ無駄なことを知っている。
伏見琴葉(ふしみことは)。
銀色に見える明るい長髪から前髪が一本ひょこりと背伸びしている。恐らくこいつのチャームポイントであろう八重歯には子供っぽさが残っていた。澄んだ黒い瞳に長いまつげ。ちょっとばかり垂れた眉から不思議なことに大人っぽさを感じられた。
子供っぽい大人というよりは大人びた子供のほうが的を得ているだろう。
「早くしないと『世界』が通り過ぎちゃいますよ?」
「わかってる……ただ察してくれ」
「まさか……今になって照れてるんですか! もー、ゆうやくんにも可愛いところがあるんですね~、このこのぉーっ!」
このとおり非常に厚かましく、うっとうしいやつだ。
「なんて言ってる間にいっちゃいました」
「俺か? 俺の頭が逝ってるのか?」
女子の舐めたあめ玉ほどよからぬものはない。ましてやそれを食べるなんて青春まっさかりな男子高校生にとって猛毒に違いない。
しかし琴葉が面白いというのだからよほど珍しい『世界』だったのだろう。
「はあ……」
こわばった肩から力がぬける。
そのとき部屋の扉がひらいた。
姿をあらわしたのはどこか見覚えのある中年の男性だった。
「中原先生じゃないですか」
琴葉が口にして思い当たる。
誰かと思えば古典担当の中原先生ではないか。本人には申し訳ないが、いつもより髪のボリュームが少ないのですぐにわからなかった。さてはつけるのを忘れたな。
授業外ではあまり関わりのない教師なのでここに来たことを不思議に思う。
先生は部屋を見回し足を踏み入れた。
「ここが『ゲンカク』の部室で間違いないかな? 不思議な事件を解決してくれるって噂の……」
「はい! なにかお困りごとが?」
「……またか」
俺は顔に手をあて大きなため息をついた。いつから駆け込み寺になったんだ。
ここは『現象学研究会』通称『ゲンカク』の部室だ。部員は俺と琴葉をのぞいて残り二人。今頃お菓子のタイムセールで目を血走らせていることだろう。
本来は現象学という学問を研究したりその発表をする部活である。
しかしその実態は怪奇現象を解決する『陰陽師集団』と化しつつあった。学園超能力バトルものでは決してない。そんな馬鹿げた話は中学で卒業している。
俺たちはあくまで友人らの悩み相談にのっていただけだ。たまたま奇怪な相談内容が多かっただけで……。
「どうぞ楽にしてください」
「すまないねえ」
入り口近くのソファをすすめ、コーヒーまで出す始末の琴葉。
俺は彼女の肩をこづいて部屋のすみにやった。
「(また面倒ごと引き受けるつもりか? そろそろ収拾がつかなくなる)」
「(とか言いながらいつも一番ノリノリになるのはゆうやくんじゃないですか。わたしたちをおきざりにして事件解決しちゃうんですから)」
「(なんで唇を尖らせてるんだ)」
「(わたしだってたまには活躍したいんです!)」
理不尽な嫉妬だった。たしかになぞ解きとなるとつい肩入れしすぎてしまう癖があるのは認めるが……。
とにかく、と琴葉は改めた。
「困っている人がいればわたしは見過ごせません。それを一番知っているのはゆうやくんでしょう」
「まあ、そりゃそうだけど」
こうなってしまえば仕方がない。俺もソファに腰を下ろした。
伏見琴葉という人間は困っている他人を放っておけないのだ。他人の感情をダイレクトに受け止めてしまうのだから。
やると決まればちゃっちゃと済ませるに越したことはない。
俺はさっそく相談に入った。
「何があったのか詳しく教えてもらえますか?」
「……はい」
様子をうかがうに妙に重苦しい雰囲気だ。
垂れる頭(こうべ)に組んだ両手を乗せている。じっとりとした汗がにじんでいた。
ややあって、先生が口をひらく。
「実は『かみかくし』にあったんです」
「「か、かみかくし?」」
突飛な言葉に、つい俺たちの声がそろってしまった。
これまた奇怪な事件が舞い込んできたものだ。都市伝説で聞いたことはあるが、まさか身の回りで起こるとは。
神隠しといえば『神社で遊ぶ子供たちがいつのまにか消えていた』なんてものがメジャーどころだと聞く。
つまり……、
「先生の子供が神隠しにあったとか?」
「ええっ! そんなの警察沙汰ですよ!」
「いちいち大げさなリアクションをするな琴葉。話が進まない」
「むむ~っ」
頬を膨らませながらも口をつぐむ琴葉。机の下で俺の太ももをぽかぽかと叩くことも忘れない。小柄なのに力が強いんだからやめてほしい。い、痛い……。
対して中原先生は黙り込んでいた。
言い出しにくい事情でもあるのかもしれない。
念のため一声をかけておくとしよう。
「俺たち秘密は守りますんで大丈夫ですよ」
「……本当ですか?」
「はい! こう見えて実は口が堅い女なんです!」
その言い方だと口が軽い女に見られてるぞ、とは口をはさまない。
中原先生はうつむいたままだ。
ぽつりと、一言。
「———カツラがないんです」
「……は?」
「だからカツラがなくなったんですよ!!」
もう目が点になった。
あの琴葉ですら口をあんぐりさせている。
中原先生はためこんでいた感情を爆発させるようおもむろに立ち上がった。
「僕のカツラが今朝から見当たらないんです! どこを探したって髪の毛一本すら見つからない。おかげで生徒からは『体調大丈夫?』といたわられる始末です! あの優しさが逆に胸をしめつけますう!」
「ええっと……要するにカツラを探す手伝いをすればいいと?」
「後生です! 僕のカツラを、いや僕自身を探してください!」
「…………」
琴葉のほうに目をやる。
彼女も苦笑いを浮かべながら首をかたむけていた。
……いやまあ奇怪な事件ではないんだし、せっかく頼りにしてくれているんだから引き受けるのも悪くはない、のかな。
俺がうなづくと琴葉もわかりましたと相槌をうった。
もう何度聞いたかわからない彼女特有の決め言葉が口をついて出る。
「決まりですっ! わたしたちで先生の宝物を見つけ出しましょう!」
「二人とも、ありがとう……」
教師から頭を下げられる日がくるなんて思ってもみなかった。きらりと輝くてっぺんがまた俺たちの心と目を刺激する。
やることは決まった。ここからは本格的に調べていくとしよう。
話を聞いていて不審に思ったことが一点あった。
「カツラを失くしたのは学校で間違いないですか?」
「そうだよ。細かいことまでいえば職員室からトイレに向かう途中かな。鏡を見てカツラがなくなってるのに気がついた」
「通勤中に落としたとかはありませんかね?」
「朝一とはいえ他の先生方もいたからね。トイレに行く前と後じゃ視線の熱がまるで違ったよ」
「トイレに行く前はふさふさだったわけですね! それがこんなふうに荒れちゃって」
「うう……っ」
「いらんことは言わんでいい琴葉」
「えへへっ」
たまに小悪魔のようなことを言うだからしょうがない。天然なのか狙ってやっているのか。どちらにしろ恐ろしいやつだ。
まあ、これで話はまとまった。
中原先生はカツラをつけた状態で学校に着き用を足すまでの間に落としてしまった。
落し物ボックスには届いていないらしい。高校の落とし物にカツラが混入していたらすぐさまSNSにあげられて炎上するだろうなあ……。
まさしく『髪隠し』なる珍事件だった。
ぎゅるるるう……。
「うっ……すみません。急用を思い出しました」
「だ、大丈夫ですか?」
「ええ、まったく問題な(ぎゅるるるっ)……いです……から」
「変な物でも食べました?」
「お腹を壊すようなものは特に……強いていえば学級委員の生徒からクッキーをもらったことですが……どうでしょう?」
クッキーでお腹を壊すなんて聞いたことがない。たぶん本体(カツラ)が身体から離れたせいで体調を崩したとか、まあ、そのへんだろう。
中原先生の顔がみるみるうちに青ざめていく。
本人への質問はここまでにして早急に楽園を目指してもらうとしよう。
「そ、それではお願いしますね……っ!」
「……い、いってらっしゃいです」
とびらを抜けた直後の猛スピードといったら人間の限界を超えているんじゃないかと疑ってしまうほどだった。
しかし妙な依頼を受けてしまったものだ。
「最初にあたるべきは中原先生の担当する一年のフロアかな。というか俺たちの学年だから軽い散歩みたいになるけどさ」
「ですね。上級生のフロアには基本的に行けないですし」
うちの学校は変に厳しく、他学年のフロアに入ってはならないなんて校則があった。ちなみに一年が一階、二年が二階、三年が三階といったわかりやすい配置だ。
校舎は三つの建物から構成されている。通常授業を受ける新校舎、実技室等のある実技棟、部室が密集する部室棟といった具合にだ。
ちなみに今は使われていない旧校舎なんてものもある。
「じゃあいくか。気楽にやってこう」
「はい!」
「やけに気合いが入ってるな」
「そうじゃなくて、はいっ、です!」
彼女の言葉は返事としての機能を果たしていなかった。
突き出されているのは半透明の球体。ねっとりとした液体に包まれたそれには見覚えがある。もはや日常と化していった。
琴葉の舐めたあめ玉。
「どうせならすれ違う人の『世界』を見ながら調査しましょう。なにかのヒントになるかもしれませんから!」
屈託のないその笑顔に、健全たる男子高生の俺は「はは……っ」と引き笑いすることしかできなかった
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