ポラリス

AIHoRT

ポラリス

 私が彼を初めて診た時,彼は既に狂っていて,起きれる薬をくれないかと喚いていた.みすぼらしい風貌で痩せこけており,虚ろだが敵意の炎を灯した瞳で周囲を常に睨みつける彼は,きっと私が初めに彼の話を真に受けたふりをして内面を探ろうとしたせいなのだろう,私を唯一の味方だと勘違いし,出せるはずもない薬を求めて縋りついてくる.

 眠りが怖いわけじゃない,ここが夢の中だからおれは起きなければならないと.




 今世紀最高のスーパースターとはおれのことだ.最高の仲間とスポットライトを一身に浴び,それに答えギターをかき鳴らす.拍手喝采の頂上に立ち,誰もが疑わぬ成功者,栄光の祝祭の主賓,それこそがおれだ.


 ツアー最終日の控室は237号室だった.連日の無理がたたり皆疲労困憊であり,もう少しで区切りだから頑張ろうぜと笑って元気づけてくれる陽気なドラムの優しさが染みた.時間になったら起こしてくれとソファに深くもたれかかりそのまま動かなくなるベースを責めるものはいなかった.実際次のステージには1時間ほどの余裕があったし,ドラムもシンセも釣られるように瞼を閉じてしまったからだ.

 おれも眠くないと言えば嘘になるが,全員が寝てしまえば起こすものがいなくなるため,仕方なく静かな控室でぼんやりと寂しいギターを鳴らして時間を潰す.日は傾き始めており,うっすらと星々が見え始めていた.退屈しのぎにそんな星々を挑発する.そんなか細い光じゃライブ会場の熱狂ですぐに見えなくなってしまうぜ.


 いつの間にか控室の入り口に小さな女の子が立っていた.身長は100センチあるかないか程度なのだが,真っ赤な帯の和装に身を包んだそのたたずまいの上品さから,VIPの誰かの子供がいたずら好きな性格のためにこんなところに入り込んでしまったのだろうかと想像した.パパとママはどうしたんだいお嬢さん,と抱き上げようとして,そこで初めて少女の不気味な笑顔に気付く.瞳孔が開いた眼でおれの方を見上げ,今にもけらけらと笑い出しそうなそれ.おれは久しく忘れていた背筋が緊張する感覚,恐怖の感覚を思い出した.


 少女が窓の外を指さした.釣られて振り返ればそこに北極星ポラリスがあった.煌めく銀河が浮かぶ天頂の変わらぬ位置から,昼の覚醒の世界も夜の夢の世界も常におれを見下ろすポラリスは,気のせいか今日はいつもよりずっと輝いて見える.ぼーっと見つめていれば,ちかちかと妖艶な輝きに吸い込まれそうになる.眠ってしまいそうだ.いや眠ってはならない.今眠りに落ちることは仲間とファンを裏切ることだ.


 ポラリスは柔らかな声で囁く.

 眠れ.眠れ,夢見よ,夢追うものよ.友を忘れ,約束を忘れ,心地よき一時の安寧を得るがよい.


 星が語り掛けてきたことに驚くよりも前に強烈な眠気が訪れ瞼を閉じようとする.ふらふらと後ずさり椅子に引っかかり無抵抗に倒れる.軽くない衝撃が体中に伝わったにもかかわらず,睡魔に抗えずを闇へ引きずり込まれる.少女がおれの顔を覗き込みにやにや笑う.

 やめろ,おれは眠くない.眠らない,眠りたくない!

 しかし瞼は重く.抵抗は儚く.おれは無力.少女が笑う.星が笑う.




 気が付けば夢の中だった.じめじめとした暗い部屋,差し込む光は微かで部屋中には物が散乱し枕がひっくり返り端にはカビすら生えている.まず後悔と絶望が頭を支配し,次にそれは焦燥へと変わる.おれは裏切り者だがまだ間に合う.一人きりの借家を飛び出してそこにいた有象無象へ吐きかける.

「今すぐおれを殴って目覚めさせろ.おれを信じたやつらが待っている.期待に応えて戻らなきゃならない」


 有象無象はげらげら笑った.

「狂った夢想家め,またその話か.殴れば家賃でも出てくるのか.捌けないCDの山に臆して仲間はとっくに逃げた.一文無しの現実を直視できずお前も夢に逃げた.まさにお前こそが敗北者だ」


 違う!

 おれこそが勝ち組,世紀の大スターだ.おれのことを逃避や病気だと宣う夢の中の有象無象にはやはり何を言っても無駄だ.向こうの真実を見せてやりたい.どちらが夢でどちらが現実なのか!

 だから早くこのクソみたいな悪夢からおさらばしたい.

 誰か目覚め方を教えてくれ.狂わされたおれを救ってくれ.星が全てを狂わせた.天頂よりおれを見下し嘲笑するポラリスが.あのぎらつくポラリスが.

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ポラリス AIHoRT @aihort1023

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ