第30話 おねえちゃん

 今でも思い出すのは、かくれんぼの記憶。


 今から思えば、あの時からその"片鱗"はあったのだろう。すりむいた膝を舐める姉に対する。助けに来てくれた姉に対する。


 紅い百合と白い百合。幼い胸に孕んだ二つの想い。


 そのどちらもが、ふたつのアケビを隔てなくこう呼ぶのだ。



ヘヴンズリリィ:オムニバス


『おねえちゃん』



 イクコは後悔していた。あまりにも軽率だった。確かに負傷の痕跡は隠すべきだったが、それにしても方法というものがあるはずだった。


「ぼ、ぼくはばかだ」


 実の姉をラブホテルに連れ込み、今、イクコはベッドの上でシャワーの音を聞いている。イクコは少なからず"清楚"なイメージを自負していた。

 それが今はどうだろうか。二日連続同じホテルに、それぞれ別の女性と訪れている。それぞれ事情があるとはいえ、とても清楚とは言い難いことに間違いはなかった。


「お先、イクコ」

 バスタオル姿のアケビが出てきた。この光景にはデジャヴを感じるが、昨日見た光景よりもアケビの身体は肉感的だった。

 イクコよりも健康的な色の肌。日頃から運動しているおかげか張りがよく瑞々しい。乳房はイクコのそれよりかは少し小ぶりだったが、平均的なサイズよりかはずっと大きい。


「どうしたの、まじまじと見て」

「い、いや、なんでもない」

 目線を膝元にある若草色のワンピースに落とす。血は落ちそうになかったため、パッチで穴ごと塞ぐ応急処置を施していた。

「あ、塞がってるじゃん!さっすがイクコ」

「完全に同じ色はなかったから本当に応急処置だけどね」

 遠目から見る分には問題ない仕上がりだった。イクコが受けた打撲などの負傷も《レット・ミー・ヒア・ノエル》によって治癒されているため、これで外見を理由に職務質問を受けることはないだろう。

「……じゃあこっちも確認してくれる?」

 その声に応じ、アケビに目を向ける。


「な……!」

 アケビはバスタオルを落とし、一糸纏わぬ肢体を晒していた。仄かに上気した頬。瑞々しい乳房の登頂につんと立った桜色の乳頭。くびれから丸く広がる滑らかな腹。そこから下に見える、髪と同じ色の、控えめなアンダーヘア。

 イクコはくらりとめまいを覚えた。日常生活で何度も見る機会があった姉のはだかが、今は特別な意味を持っているように思えた。


「目を背けないで」

 アケビに窘められ、ハッと息を呑む。伏し目がちな茜色の双眸は、イクコに向けられていた。

「……どう、かな。傷になってない?」

「だ……大丈夫だよ。"きれい"だよ、おねえちゃん」


 言ったあとに、何を言っているのだと自分を責めた。顔が熱い。

「イクコ……そっちに行っていい?」

「え……」

 今何が起こっているのか、イクコは必死で考えた。以前にも彼女の思わせぶりな行動は多々あった。飴玉を食べている時、映画を見ている時。

 だからきっと今も、イクコのことをからかっているか、あるいは何の意識もしていない恐れがあった。

「いい、よ」

「ん」

 だがイクコは気が付けば承諾していた。いつもならば服を着ろと窘めていたかもしれない。けれどそうしなかった。


 生まれたままの姿のアケビが隣に座る。緊張で俄然身体がこわばってきた。自分の髪をいじっていたアケビは、目線を下に落としたまま、ぽつりぽつりと呟きはじめる。

「また二人きりになっちゃったね」

「え……うん」

 セペットのことを言っているのだろう。何故今彼を話題に出すのかは分からないが、イクコは相槌を打った。

「卒業したらさ……働こうと思うんだ。お父さんが残したお金もそれくらいにはなくなるだろうし……大学の学費なんてとても払えないしさ」

「……うん」

 イクコにとっては気の早い話だった。まだ今の学校生活にすら溶け込めていない。それ以前の段階で何度も足踏みをしていたのだから。

「あ、でもイクコ一人だけなら大学なんとかなるかも。ほら、イクコはあたしと違って……賢いじゃん。だからさ、勿体ないと思うんだよね」

「……おねえちゃん?」


 いよいよ要領を得なくなった。なぜそんな先の話をするのか。アケビに向き直って、ふと首筋に目が留まる。


「"傷"……」


 《フル・ムーン》の後遺症で吸血鬼化した時、アケビに噛みついた時の傷がそのままだった。それを認め、反射的に手を伸ばした時だった。


「あ──」


 手首を掴まれ、アケビの方へ引かれた。自ずとイクコはアケビに覆いかぶさってしまうような体勢となる。ベッドに横たわるアケビの双眸が、前髪の隙間からじっとイクコを見つめていた。

「ちょっと……おねえ、ちゃ……?」

「ごめんねイクコ。あたし、知ってるの」

 とくん、と心臓が鳴った気がした。血流が増え、身体が火照る。

「イクコがあたしをどういう"目"で見ているか……」

 間違いなかった。今度の今度こそは、"思わせぶり"な行動ではない。アケビは自らが行った行動の意味を理解している。


 緊張で喉が焼け付き、うまく言葉を出せるか不安だった。言い淀んでいると、アケビが再び口を開く。

「イクコが帰ってこなかった日、色々と考えてたの」

「あ……」

 罪悪感が張り付く。あの日はダチアのことで頭がいっぱいになっていて、結局イクコは昨日家に帰っていなかった。

「ご、ごめんおねえちゃん。別に当てつけとかそういうのじゃ……」

「ううん、良いの。あたしが悪かった……ダチアに、イクコを取られちゃうと思って……酷いことしちゃった」

「ダチアに?」


 それは思いもしない視点だった。イクコはてっきり、かつて命を奪いに来たダチアを排除するためだけに殺意を顕にしているものとばかり思い込んでいた。

「待って待って!違うよおねえちゃん、ダチアとは何にもないから!」

「……ふふ、分かってるよ」

 ベッドの上ではだかの姉を組み敷いている。姉は組み敷かれたまま喋っている。奇妙な光景だったが、アケビの言葉はそれまでにはない"重み"が感じられ、今を聞き逃せば二度と聞けないような気がした。


「──ねえ、だから。"いい"よ?イクコ」

「…………え?」

「あたしを、イクコのしたいようにしても」


 蠱惑的な声が耳を撫でた。全身の肌が粟立つのを感じられる。まだ、想いを伝えてすらいないというのに。焦がれた肉体がすぐ目の前に迫っている。

 イクコは生唾を呑み、アケビの身体を隅々まで視た。しかしなかなか手を出す気にはなれなかった。


「……それともやっぱり、イヤかな。あたしみたいな、"化け物"相手じゃ」


 その一言で、イクコの中で何かが切れた。アケビの頬に手を添えて、その唇を容赦なく奪った。

「んっ……?」

 戸惑うアケビをよそに、イクコは舌を潜り込ませる。熱い吐息を感じつつ、彼女の舌をかき分けて、口蓋に舌先を這わせた。

「ふ、ぅ……っ」

 アケビはくぐもった声を出し、身を跳ねさせた。舌を絡めて吸う。彼女の唾液を呑む時、咽頭が嚥下する音を立てたのが少しだけ恥ずかしかった。


「おねえちゃんも"ここ"、弱いんだ……」

「イ、イク コ」

「イヤかどうかだって?ぼくにそれを訊くの?」

 膝立ちの姿勢になり、ストッキングを脱ぐ。羞恥心で頭が爆発しそうだったが、イクコはスカートをたくしあげて、あえて彼女に見せつけた。

「"これ"でイヤがってると思う?」

「わ……すごい濡れて……」

 いつからそうなっていたか、もう覚えていない。タイミングとしてはあまりにも最低だったが、最早言うしかなかった。


「おねえちゃん……好き。好きなの。家族としてじゃなく、一人の女として」

「……うん。大丈夫だよ、イクコ。あ、あたしもだから……」

 ちくりと何かが胸を刺したような気がしたが、そんなことなど気にならないくらいイクコは夢心地だった。

 ずっと慕っていたアケビをようやく自由にできる。そう考えるだけで達しそうになった。手始めにアケビの手首を両手で押さえ、乳房に顔をうずめようとした。

「あ……イクコ」

「なに?おねえちゃん」

「…………や、やさしくし──」

 言い終わる前に、彼女の乳頭を口に含んだ。舌で転がすたびに声にならない嬌声がアケビの喉から漏れる。

 それが何よりもうれしくて、イクコは反応を楽しむために噛んだり、舌先でつついたりした。


「痛っ……イクコ ォ」

 見た事もない顔だった。不安げで、切なそうで、いつもの頼れるアケビからは想像もつかない、か弱い乙女の顔だった。

 乙女といえば、アケビは"まだ"なのだろうか。乳房を揉んでいた手を腹に這わせて、下腹部へ運ぶ。

「ひっ……!」

 小さく背中を跳ねさせたアケビの声と共に、指先に熱くてぬるぬるしている粘膜の感触を得た。


「おねえちゃん……濡れてる」

「ちがっ……これは……」

 乳首を噛みながら指先を小刻みにスライドさせると、彼女の弁明はたちどころに喘ぎ声へ変わった。

「ふふ、おねえちゃん、かわいい」

 あえて音を立てて愛撫することで、アケビの羞恥心を刺激してみた。案の定彼女は真っ赤に染めた顔を両手で覆い、必死に隠そうとしている。

 くぐもった声と、荒い呼吸の音が妙に生々しくて、イクコはすぐに我慢が利かなくなった。


「──ごめん、おねえちゃん。ぼく、もう……」

 にちゃ、と粘液が滴る二本指を見る。この具合なら、恐らく抵抗なく入るだろう。

「いいよね?"入れる"……から、ね?」

 意思を確かめるように一度その手を太腿に置いた、その時だった。


「…………おねえちゃん?」

 柔らかであるはずの脚が、固くこわばっているのを感じた。奇妙に思い肩に手を置いてみて、その疑問は確信に変わった。


 アケビは、震えている。恐怖に身をこわばらせている。


「ちょ──っと……おねえちゃん?顔、見せて?」

 アケビは顔を隠したまま、力いっぱいかぶりを横に振る。手首をつかんで引き剥がそうとしても、強い抵抗によってなかなか退かせられずにいた。

「ねえ!おねえちゃんってば!」

 無理やり引き剥がして、イクコは見た。顔を真っ青にして、涙を流しているアケビの顔。まるで悪漢に襲われでもしたような、恐怖に支配された顔。


「…………どうして」

 煮えたぎっていたイクコの頭が、急速に冷えていく。全ての暗闇は照らしたと思っていた。しかしここにきて、胸中に暗雲が立ち込めているかのようだった。


「どうしておねえちゃんが泣いてんのッ!」

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