第29話 決着

 ジョーカーにとどめを刺したのは、アケビではなくダチアだった。動かなくなった亡骸からナイフが引き抜かれる。

「あ 悪趣味が過ぎる ぞ。アケビ」

「ダチア!どうしてあなたが!」

 たまらずイクコはアケビから離れ、ダチアのもとへ駆け寄った。ジョーカーを見るが、完全に死亡している。手遅れだった。


「こ ここ、こいつはわたしを追っていた。わたしは神社に追い詰 つ つめられ 応戦し そしてかか返り討ちにした」

 ダチアは汚れた手で汗をぬぐった。そのせいで彼女の頬には血がついてしまった。

「わ わたしが逃げなければ こ、こいつが追うこともなかった。罪はわ わたしがかぶる」

「そんな……だめだよそんなの!ぼくが勝手に助けたいって言いだして……みんなに迷惑かけたのに!」


 このままでは元の木阿弥だった。ダチアはジョーカーの殺害を手土産に県警へ戻るつもりでいる。そうなれば今度こそ処分されてしまうだろう。

「いい んだ イクコ。おまえは わ わたしの希望だ。おまえは 不思議なち 力を持っている 希望を 引き寄せる 力だ」

 ダチアはそう言いながら、青灰色のジルコンを差し出してきた。

「……これは?」

「わたしの 能力がこもった ネクタイト だ。量産品だから たた、たいした効果は期待できないが」

 受け取ったネクタイトを握りしめる。引き留める言葉は次々に思い浮かぶが、そのどれもが声にならなかった。


「おまえは 生きろ。それがわたしの さ さいごののぞみだ」

「ダチア……」

 いつの間にかすぐ後ろまで来ていたアケビが、イクコの肩に手を置く。ダチアの決心は固かった。最早どうすることもできなかった。



『ステイステーイ。もういっそ逃げればいいんじゃね?』


 緊張した空気をぶち壊しにしたのはセペットだった。

「……は?」

『いや、県警はこれ絶対ダチアの仕業だと思うだろお?ならもうみんなパァーッと逃げちまえばいいんじゃね』

 ダチアは呆れたようにため息をついた。


「セペット お おまえは馬鹿か。逃げ切れるわけがないだろう。そそ それにいたずらに時間をかけると 嫌疑はイクコたちにも及ぶ」

『及ばなくね?』

 にべもなく突っ返すセペット。

『え、だってそうだろ?アンタそのためにわざわざ"ラド"でとどめ刺したんじゃねーの?』

 ダチアの目が丸くなった。

「ラド……?セセ、セペットおまえ きき き、記憶が戻ったのか?」

『ステイステーイ!なんの話ィ?』

「い、いまナイフじゃなくて "ラド"と言った。 その名前を知っているのはセクリシュティだけだ」

 返り血を浴びた緑色に発光するナイフを振りかざすダチア。奇妙な形状をしているが、確かにイクコにはナイフにしか見えなかった。 


『あ……?ほんとだ。なんでオイラ、そいつがラドって分かるんだ?』

「もしかして、記憶が戻りかけているとか?」

 イクコは憶測を口にした。思えばダチアがセペットを"同志"と呼んだ時も、セペットの反応が違ったような気がした。

『……いや、悪いがよう、自分でもさっぱりだ。んー、でも、そうだなあ』


 セペットには顔がない。ネクタイトが彼の身体だからだ。だが、今のセペットはきっと新しいいたずらを思いついた子供のような笑顔を浮かべている。イクコはそう思えた。

『アンタと一緒に居りゃ、その内まるっと思い出すかもなぁー。ナイスガイなオイラだもんなぁー。でもアンタが捕まって処分されるなら間に合わないかもなぁー』

「セペット、お おまえ……」

 微かに震えるダチアに対し、セペットは一転して落ち着いた声で諭すように言った。


『なぁ、ダチアとか言ったか。"オレたち"は別に死に場所を選ばなくても、死ぬ時ゃ死ぬんだ。ならギリギリまで粘ろうぜ。ギリギリまで笑ってようぜ。"拾われた命"でも、それくらいの権利はあんだろ』

 ダチアの目から涙が零れ落ちた。彼女は泣き笑いの表情で、セペットを両手で握りしめた。


「ああ ああ 同志セペット……!おまえはどうして あの時と同じ言葉を!」

『チョーク!チョーク!極まってるから首に……!オイラ首ねぇけどぉー!』

 二人のやり取りを見ていると、アケビがイクコの手を取った。

「……行こっか」

 これ以上は野暮だと判断したのだろう。確かに十数秒までと異なり、今の彼らは安定しているように見えた。

 彼女たちが実際に逃げ切れるのかは分からない。だが、今の彼女たちならば最後の最後まで希望を持って生き抜けるだろう。



「イ イクコ」

 神社から立ち去ろうとすると、ダチアから声がかかった。振り返ると、そこには少女らしい笑みを浮かべながら涙を拭うダチアと、その傍らで浮遊するセペットが居た。

「こ こ、今度こそお別れ だ。 だが と 共に生きよう。離れ離れになったと しても 心はおまえの か、傍らに ある」

『名残惜しいがよう、そういうわけだ。ダチアはオイラに任せな、ベイビー』


 イクコはアケビの手を強く握り、笑顔で応えた。

「またどこかで会おうね。勝手に死んじゃってたら、許さないから」

 アケビも苦笑しながら続けた。

「あたしとしては複雑な気分だけど……イクコが世話になった"友達"だもんね。あたしの妹を、がっかりさせないでよね」


 彼女たちがどこへ行くのか、知る術はない。しかしダチアとセペットは彼らなりの決着をつけ、明日へ進んでいくに違いなかった。


 次はイクコの番だった。イクコは、この戦いの中で"答え"を見つけた。アケビに対する想い。自分の立ち位置。全てが照らされた。

 この甘苦い時間に決着をつける必要があった。ネクティバイト争奪戦を制し、無事に退院できたあの日から、ずっと遠回りを続けてきたこの迷宮から脱する必要がある。


 そうすることでイクコはようやく地続きの明日へ行ける。そう確信していた。




「おねえちゃん」

「ん?どしたのイクコ」

 街に降りた辺りで立ち止まり、呼び止める。振り返ったアケビは先ほど人ひとりを殺したばかりとは思えないくらい清々しい顔をしていた。

「けが、大丈夫?」

「うん?ああ、大丈夫大丈夫。ノエルのネクタイトのおかげで、すっかり元通りだからさ」

「いや、そうじゃなくて」

 傷はふさがっていても、穴の開いた服と血を吸った生地はそのままだった。


「目立つんじゃないかなって」

「……あー、家までまだ距離あるしね」

 この状態で警察に声をかけられると非常に危険だった。だがそれも今のイクコにとっては、建前でしかなかった。

「万が一ってこともあるしさ、ちゃんと身だしなみ整えてから移動した方が良いと思うんだよね」

「うーん、でもこの辺に休めるところなんて」

 言い終わる前に、アケビの手を取った。半ば強引に引き連れて小路へ入っていく。


「ちょ、ちょっとイクコ?どうしたの、ねえ」

 《ジェミナイ・シーカー》は見逃さない。イクコは一度見たものは決して忘れない。道順は頭の中に映像記録されていた。

 ぐねぐねした道を曲がって、暗がりの中へアケビを連れていく。今だけは苦手な暗闇が、心強く感じられた。

 程なくして辿り着いた目的地の目の前で立ち止まる。

「もー、なんなのイクコ。ここ何処よ」

 心拍数が上がっているのは、早歩きをしたからではない。きっと今は耳まで赤くなってしまっているだろう。

 しかしここで臆するわけにはいかなかった。振り返り、繋いでない方の手で髪を撫で払う。


「じ、じゃあさ。"此処"で休憩……してかない?」

「え……此処って」


 そこは、今朝までダチアと泊まっていたラブホテルだった。

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