第28話 ジョーカー
イクコには考えがあった。空間転移と感応能力という強力無比な
「ダチアとぼくが同時に仕掛ける。セペットは"ぼくに"《フル・ムーン》を撃って」
『はあっ?』
驚愕を隠そうともしないセペット。その理由は大きく分けて二つあるはずだった。
第一に、作戦を声に出してひけらかしたこと。イクコの声は勿論ジョーカーにも聴こえている。第二に、《フル・ムーン》をイクコに撃つ命令をだしたこと。
確かに《フル・ムーン》を受ければ身体能力は大幅に向上するが、その代償として理性のない吸血鬼になってしまう。
「正気か、イクコ」
ダチアも心配そうに言った。二つの理由はどちらも致命的な悪手でしかなかった。ただしそれは、ジョーカー以外の人間を相手取る場合の話である。
「ジョーカーはおねえちゃんと同じ能力を持っている。多分精度はジョーカーの方が高い……作戦を暗号でやり取りする時間はないし、できたとしてもあいつにだけは筒抜けになっちゃう」
『で、でもよう!《フル・ムーン》をイクコに使えってのはどういうことだい!あれがどんな代物か、アンタ分かってるはずだろお?』
「分かってるよ。でも撃たれて一秒や二秒ですぐダメになるってわけじゃないでしょ?」
アケビのケースでは《フル・ムーン》を受けてから発症するまでほぼ丸一日の潜伏期間があったことを、イクコは覚えていた。
『そ、そりゃそうだが、吸血鬼化と身体能力の向上性能は比例してんだ!あのジョーカーと渡り合うレベルまで上げるなら、多分五秒持たないぜ!』
「五秒…………」
五秒。そんな、五秒で理性が焼き切れるだなんて。
「"すごく良い"。最高だよセペット。ジョーカー相手に五秒"も"持つなんて」
申し分なかった。玉砕覚悟のジョーカー相手ではどの道五秒以内に決着する。それでいて《ジェミナイ・ハイドシーカー》の効果時間である四秒を満たしている。
限界いっぱいまで動けることが保証されていた。
『イ、イカれてやがるぜ』
「ぼくは冷静だよ。五秒以内にどちらかが死ぬ。言い換えれば、五秒以内ならジョーカーにも勝てる」
現実的な勝算はこれしかなかった。それ以外の道は全て閉ざされていた。
「……ク、クク、"読めた"ぞ常盤イクコ」
喉を鳴らして嘲り嗤うジョーカーもまた、あえて声に出して宣言をしてきた。
「貴様は二通りの"勝利する未来"を同時に視ているな?仲間を盾にして
否定も肯定もしなかった。イクコは自らが考えていることを隠そうともしなかった。
「これは……
この思考術は、アケビがテネシィ・ハニーとの会話で見た思念回路だった。テネシィは相反する二つの思念を同時に持つ技術を持っていた。
感応能力を持っているアケビと事故現場で出会った時、一度は完全に騙してみせた技。イクコはそれを見よう見まねで再現していた。
「……イクコ。わたしは構わないぞ。切るならわたしを切れ」
『なぁに言ってんだよう!イクコォ!オイラだ!オイラなら葬式にも金がかかんねえだろ?』
「クク、麗しい友情ごっこだな。虫唾が奔る……いくら譲り合おうが、"カス"を掴まされるのはひとりだ。慎重に選べよ、常盤イクコ」
ババ抜きでは必ず誰かひとりがジョーカーを引く。これは読みあいだった。ジョーカーはイクコの手の内を知っているが、土壇場になるまでどちらの手で来るかはテネシィ流の
イクコもまたジョーカーがそれぞれの未来でどう動くかは視えているが、もしもジョーカーが決め打ちで対応して来ればそれもどうなるかは分からない。
ジョーカーの読みが当たればイクコが死に、外れればジョーカーは負ける。シーカーの覚醒という不確定要素に、三対一の有利対面を足してようやく五分五分まで持ち込めた。
「ジョーカーさん」
ひとたび動き出せば、ものの数秒で全てが終わる。そうなる前にイクコは彼に声をかけた。
「仮にぼくたちが殺されたら、あなたは救われますか?」
ジョーカーは目を眇めた。
「クク、その前に己の問いに答えてもらおうか。何の大義もない害虫の分際で、どうしてそうも我々に盾突く?自らを悪と自認して尚も抗う意味などあるのか?」
イクコは自分自身の心に問いかけた。何が真実なのか。今ならば暗闇で輪郭が暈されることもない。全てが自在だった。
「……"信じてる"から、ですかね。ぼくたちみたいな人間にも、穏やかな"日常"があるって」
「そうか…………」
ジョーカーは、染み入るように、重々しく頷いた。今ならば満身の力を込めた握り拳をほどき、彼と分かり合えるような気がした。
「"正義"に救いは無いッ!
「《ジェミナイ・ハイドシーカー》!」『《フル・ムーン》!』
セペットの針がイクコの首筋に刺さる。その瞬間、全身に漲る力を感じ、踏み込む足に確かな手ごたえを感じた。
爆発的な初速を弾き出し、空間転移からダチア方面に出現するジョーカーの方へ方向転換と前進を同時に行えた。
「わたしが盾になるぞ、イクコ!」
「──いいや、ダチアは防御を!」
ダチアは、信じられないとでも言いたげな顔で振り返った。だが次の瞬間にはジョーカーが繰り出したソバットは、ダチアの身体をすり抜けていた。
《同期性空間稜線転移》を発動したダチアは無敵状態になっていたのだ。
「ならばまずは!」
『ぐっ……!』
ダチアへ向けられていた殺意がセペット一体に集まる。今の一手で、ジョーカーはイクコがセペットを切る事を選択したと断定したようだった。
「ハイドシーカー!」
だがセペットへの攻撃は、イクコから離れた《ジェミナイ・ハイドシーカー》の
それを見たジョーカーは驚愕し、そして──嗤った。
「窮したか常盤イクコ!まさか自分自身を切るとはな!」
「イクコ!」『イクコォ!』
一切の防御手段を失ったイクコのすぐ目の前に、ジョーカーが空間転移する。戦闘開始からここまでで僅か二秒。
その時、ずっと俯せになっていたアケビが不意に起き上がった。
「《レット・ミー・ヒア・ノエル》!」
貫かれた腹の出血が止まっている。ネクティバイトにダイヤモンド型のネクタイトを差し替えていたアケビは、悟られないように自分の傷を治していたのだ。
イクコ一人になった矢先に現れた最後の伏兵。極点に沈む茜色の双眸と、ジョーカーの焼け爛れた双眸がぶつかり合う。ここまでで三秒。
だが。
「ククッ」
それでも嗤うのはジョーカーの方だった。
「馬鹿が!それしきの搦め手、"読めて"いないとでも思ったか!」
ジョーカーは、あえて空間転移の位置を調整していた。アケビが倒れていた地点と、ジョーカーの立ち位置との間に、丁度イクコが挟まるように。
アケビが貫手を喰らってしまった時と前後だけが入れ替わった布陣だった。イクコは避けられない。ジョーカーの攻撃がアケビに当たってしまうからだ。
そして前後が変わったことにより、今度はアケビも攻撃できない。位置的にジョーカーではなくイクコに当たってしまうからだ。
「これで"四秒"!貴様らの敗けだ!常盤!」
イクコは目の前のジョーカーではなく、背後にいるアケビへ振り返った。敵に無防備な背中を晒す。
「おねえちゃん」「イクコ」
イクコは、笑って頷いた。アケビもまたそれに応えるように、獰猛な"あの目"をイクコに向けた。
『 Check it Ooooooooooooooooutttt!! 』
「なにィッ!」
《レット・ミー・ヒア・ノエル》は、構うことなくイクコの殴りぬいた。正確にはイクコの身体ごとジョーカーを打擲したのだ。
「おねえ ちゃ──!」
胃がひっくりかえるような衝撃を受けながらも、イクコは追撃を促した。ジョーカーは完全にバランスを崩している。
そしてここからは。これからはイクコも未来視できていない五秒目。《フル・ムーン》の代償が発動する未知の未来だった。
「《レット・ミー・ヒア・ノエル》!」
『Check──』
青白く光る拳がジョーカーの腹にねじ込まれる。
『── it ──』
四肢の関節を砕くように連撃が次々と叩き込まれる。
『──Out!!』
反動の波紋がケプラーアーマーを砕き、肉を波打たせる。連撃の雨に晒されるジョーカーは、まるで空中で踊らされているようだった。
最後の一発が顔面を捕え、ジョーカーはそのまま石段の近くまで吹き飛ばされた。
「げ はぁ……ば、化け物め、気でも違ったか……この馬鹿力で……自らの妹を……」
「イクコ、大丈夫?」
起き上がったイクコは、アケビの肩を借りる。多少ふらつくが行動に支障はなかった。その光景を見たジョーカーは今度こそ驚愕した。
「な、なぜだ……一発とはいえ、あの拳を喰らってただで済むはずが……」
「う、ぁあ、おねえ ちゃ」
だがイクコはそれどころではなかった。目の前にあるアケビの首筋からたまらない香りがする。理性がまるで働かず、気が付いた時イクコは既にアケビの首に噛みついていた。
「っ……もう大丈夫だよ、イクコ」
だがアケビは全てを分かっていたかのように、イクコを受け入れた。血を吸うイクコを抱きしめ、頭を撫でたのだ。
「ま、まさか、あの《フル・ムーン》は……」
「イクコは初めから、あたしが起きることを"信じて"……あたしが殴りぬけることを"信じて"、防御のために自分に《フル・ムーン》を撃たせていたの。あんたとは覚悟が違う」
『あっ、やべえ!解除だ解除!』
セペットの針が抜けた瞬間、どうしようもなく照り付けられるような渇きから解放され、イクコは理性を取り戻した。
自分を抱きとめてくれているアケビを見て、そして倒れているジョーカーを見て、全てを理解したイクコはその場で脱力してしまった。
「おっとと。大丈夫?イクコ。強化されてたとはいえ手加減無しだとやっぱきついかな」
「……はぁ。おねえちゃんってば、ほんとサイコパス」
優しい姉としてのアケビを見られたのはこれが最後だった。再び彼女が目線をあげる時、そこにはもう慈悲の欠片もない極点の目に変わっていたからだ。
「ジョーカー。最後に言い残したいこと、あれば聞くけど」
「な、にを……勘違いしている?己はまだ、戦え──」
ジョーカーの顔色が変わった。一瞬で脂汗が顔中に浮かび、喉を詰まらせたかのように顔をゆがめる。
「か──っ?」
空を仰いで深呼吸をしたが、絞り出すような声と共に血管が浮き上がってきた。
「ど、どうした?何が起こった?」
『オイオイ、なんか様子が変じゃねいか?』
ダチアとセペットは何が起こっているか理解できていないようだった。勿論ジョーカーもだろう。この場で今彼の身に何が起こっているのか、理解できているのはイクコと、アケビ本人だけだった。
「おねえちゃん、やっぱりこれって」
そう言っている間にもジョーカーの容体は悪くなる。生爪が剥げるまで石畳を掘ろうとしていたかと思えば、シャツのボタンを自ら引きちぎって喉をかきむしり始めたのだ。
何度か呼吸を試みているが、気道がひゅうひゅう鳴り、顔色はマスクメロンのように青白く変わりつつある。
「溺死の"死痛"を思念波動で流した。あたしが体験した、あの死痛を再現してもらう」
《レット・ミー・ヒア》の能力はただ心を読むだけではない。思念を送り込み、会話を必要とせず意思の疎通を図ることが出来る。
そしてこれを応用すれば、ダチアの時のように、五感が伴う"体験"をさせることができた。アケビはネクティバイトを巡る戦いで一度は確かに死んだはずだった。
あれはイクコが視た"悪夢"などではなかったのだ。つまりアケビは今、あの時の"死"そのものをジョーカーにそっくりそのまま体験させていた。
いくら呼吸をしようと意味はなさない。むしろ過度な深呼吸は低酸素症を引き起こし、精神だけでなく肉体に直接のダメージを与えてしまう。
ジョーカーは必死だった。どうにかして逃れようと、あるいは耐えようと試みていた。しかし彼は既にこの死痛を"十数回"経験できるほどの思念波動を浴びている。助かる見込みは万が一にもなかった。
『オ、オイオイ!マジかよオイ!じょ、冗談だよな?な!』
セペットはいつもと変わらずおどけた調子で言うが、若干声が震えていた。
「こ こんなことが ありうるというの か」
固唾を呑むダチアには再び吃音の症状が見え始めていた。動揺するその瞳が、様子を窺うようにアケビへ向けられる。
「──苦しんで死になさい。ジョーカー」
目の毛細血管が破裂し、血の涙を流すジョーカーを。のたうつような激しい痙攣と小康状態を周期的に繰り返す瀕死のジョーカーを。
アケビは嗤って見守っていた。ダチアが口元を覆ってえずいたのは、ジョーカーの悲惨な姿を見たからではなかった。
妹を抱き、地上で溺れ死のうとしている男を嘲る"化け物"を、視てしまったからだ。
『も、もう良いだろ!もう十分だろ!やめようぜ!なあオイ!』
セペットの声を全く耳に貸さず、アケビはただいつその瞳孔が開ききるのか観察しているようだった。
イクコは少しだけ、いや、とてつもなくジョーカーが羨ましかった。頭の中で何度もアケビに蹂躙される自分自身の妄想に耽った。視界には最早アケビの顔しか映っていなかった。
「あ」
我に返ったのは、アケビが間の抜けた声を挙げてからだった。深淵に沈むような"あの目"は形を潜め、いつものアケビに戻ったのだ。
「どうしたの、おねえちゃん」
ハイライトが戻ったアケビの視線の先を追う。そこには横たわって動かなくなったジョーカーと、彼の胸にナイフを突き立てたダチアの姿があった。
それを見たアケビは、ただ一言だけ呟いた。
「死んだ」
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