第27話 ジェミナイ・ハイドシーカー

 永く感じた時間だった。しかし実際はほんの一秒にも満たない短い時だった。


『Is that True?』


 それは問いかける。神社に響く甲高い声に、誰もが動きを止めた。それは《ジェミナイ・シーカー》の残骸から聞こえていたからだ。

「なんだ、これは……」

 ジョーカーもまた狼狽していた。ダチアにとどめを刺すよりも、この正体不明の声を突き止めることを優先しているようだった。


『Is that True?』

 また同じ問いを寄越された。イクコだけが、それが自分に充てられたものであると確信していた。


「──さまよえるあなたに"標"を」

 伏しているダチアとアケビをそれぞれ一瞥する。

『Is that True?』

 それは再び問いかけた。再確認するように。イクコの意志を試すように。


「なんだそれは……往生際の悪い犬どもめ……」

 ジョーカーの敵意はイクコに集中する。ほんの数瞬あれば、対抗手段を持たないイクコは簡単に縊り殺されるだろう。だがイクコは恐れなかった。


『Is that True?』

「見えない自分に"篝火"を」

 答えは決まっている。当然だった。答えは自分自身の中にあったのだから。


「やめろ……貴様らが何を成してきた?我らの同胞を殺め、その首謀者を匿い……何かひとつでも生み出してきたというのか?奪い去っていっただけじゃないのか?」

 ジョーカーの静かな声は、ほとんど怨嗟だった。イクコ個人に対してではなく、能力者すべてに向けられた破綻寸前に憤怒だった。

「貴様らは害虫だ。害悪だ。他人の日常を食い荒らす事でしか生きられない寄生虫だ」

 イクコはジョーカーを見た。目深にかぶった帽子の先には、哀しい"目"があった。彼はイクコのような人間ではない。かといってアケビのような人間にもなれない。

 ちょうど端境でもがき苦しみ、独りで戦っているかのようだった。この場にいる追手が彼以外に存在しないこともまた、然るべき理由があるのだろう。


「ジョーカー……正しいのはぼくたちじゃなくて、あなただと思います」

 彼の口角が吊り上がった。笑っているのではなく、威嚇しているように見えた。こともあろうに、優位に立っているはずのジョーカーが怯えていたのだ。

「ぼくたちはこれまで何度も奪ってきた。これから何かを生み出せたとしても、その事実は変わらない」

 指の隙間からネクタイトの破片が零れ落ちる。このようにしていくつもの命を、手段に代えて使い潰してきた。その事実は否定できない。

 まだ露見していないだけで、イクコとアケビは立派な罪人だった。

「それでもぼくはみんなと生きていたい。自分たちに何ができるのか、考え続けたい」

「貴様らにその権利はないッ!苦しんで死ねッ!害虫どもめ!」


 《ジェミナイ・シーカー》の残骸が浮かび上がる。それは三度、イクコへ問いかけた。


『Is that True?』

「暗闇の"輪郭"は、ぼくが照らす!」


 ジョーカーが空間移動する。間違いなくイクコへとどめを刺すために。延髄に向けて、まっすぐ手刀が振り降ろされる。

 イクコは全く反応できなかった。



『 OK COOL 』



 《ジェミナイ・シーカー》が、その一撃を受け止めていた。いや、正確にはそれはこれまで扱っていた異能具現体アイドルではなくなっていた。

 大きく外れた顎から飛び出る眼球は露出したままで、継接ぎに縫われていた袖は腕ごと千切れ落ちている。

 その代わり服の下に潜んでいた、眼筋にも似た剥き出しの筋組織が糾うように束ねられ、それらが腕のような役割を果たしてジョーカーの攻撃を食い止めていたのだ。

 襟元から無数に飛び出る神経の集合体。まるで蛸足のようなそれらは胸から腹、さらにその下まで伸び、てらてらと妖しく光っていた。

「なん、だ……この化け物は……!」

 大きな眼球はそれ自体が顔の役割を果たし、眼前のジョーカーを真っ直ぐ見つめている。新しく生まれ変わった《ジェミナイ・シーカー》。ネクティバイトに頼っていたイクコが発現させた、イクコ本人の新たな能力。


「《ジェミナイ・ハイドシーカー》!」

『Gotcha!』


「ただただ死ねッ!常盤イクコ!」

 次の瞬間、ジョーカーの貫手ぬきてが新たな異能具現体アイドルの眼球を貫いた。彼はそのまま肩から体当たりし、ハイドシーカーを跳ね飛ばす。

 無防備になったイクコは当身を食らってしまい、そのままの流れで腕を圧し折られた。

「──ッ!」

 悲鳴をあげることも叶わなかった。一呼吸で背後へ回り込んだジョーカーによって、その首を百八十度捻じ曲げられてしまったからだ。

 何もできずに崩れ落ちる。首から下の感覚がない。視界が暗くなっていく。折角の覚醒は何の役にも立たず、ただただ死ぬしかなかった。



「──…………え?」


 だが、"目の前にジョーカーが居た"。何が起こったのかすぐには理解できなかった。ただ確かなのは、《ジェミナイ・ハイドシーカー》も、イクコ本人も、全くの無傷だということだった。位置関係もほんの数秒前の状態まで戻っている。

 呆然としていると、業を煮やしたジョーカーが雄叫びに近い怒声をあげた。

「"ただただ死ねッ!常盤イクコ!"」

 繰り返される言葉。イクコの身体は反射的に動いていた。繰り出された貫手ぬきてをハイドシーカーの腕で受け流し、続く突進は逆にその勢いを利用して重心を刈った。

「──ッ? な」

 ジョーカーの身体をいともたやすく投げることに成功した。イクコに柔術の覚えはない。タイミングを完全に理解していたから、たまたまジョーカーとぴったり息を合わせることができただけだ。


「これしきのことッ!」

 跳ねるように起き上がったジョーカーが、イクコへ当身を繰り出す。だがそれがCQCへの予備動作であると"知っていた"イクコは、あえて喰らいながらカウンターの要領で肘をジョーカーの鼻っ柱に当てた。

「がッ……!」


 想定外の反撃に怯むジョーカー。するとイクコは再び、自らが"惨殺される"光景を見た。下手に踏み込んだところを低い重心のタックルで崩され、そのまま関節技で全身の骨を砕かれる光景だった。その手慣れた一連の流れを繰り出す前に、彼はこう言っていた。


「ド素人が!」

 位置関係が"戻った"時点で、イクコは踏み込む動作を中断し、そのまま何もない空間に膝を振り上げた。

「おご……ッ?」

 それは面白いように命中した。まるでジョーカーが自分から当たりに来ているかのように、吸い込まれるかのように顎へ炸裂した。勿論イクコに近接格闘術の心得はない。

 イクコは見た。《ジェミナイ・ハイドシーカー》の眼球は蒼い光を帯び、その間もじっとジョーカーを見つめているのを。そして理解した。既に能力は発動しているのだと。


「《ジェミナイ・ハイドシーカー》!」

『OK,Cool.Let’s hang out now!!』


 ジョーカーが如何に変則的な動きで攻めようと、イクコはその全てを叩き潰す。一度でも喰らえばそのまま即死へ繋がる致命的な連携も、その初撃から悉く打ち払う。

 瞬間移動をされたとしても、あらかじめ出現位置が分かっている為簡単に迎撃できた。

 それらはできて当然だった。彼が実際に動き出す数秒前から、既にその動作の全てを把握しているのだから。ましてや映像記憶が可能なイクコが、一度見た映像を見逃すはずがなかった。


「ハイドシーカー!」『Fooo!!』

 よろめいたジョーカーへハイドシーカーが背後から手刀を叩きつける。その動作に合わせてイクコは前方から頭突きを放ち、跳ね返ってきたジョーカーの頭部を射抜いた。

「あっがああ!」

 咆哮と共にジョーカーはその場に倒れる。出血したのか、額を押さえながらもんどりうっていた。《ジェミナイ・ハイドシーカー》には"未来視"の力があると確信した。

「……!」

 

 だがイクコは不用意に追撃しなかった。正確には、できなかった。次に視えた映像は、どう対処してもイクコかダチア、あるいはアケビかセペットが死ぬような動きを、ジョーカーは画策していたからだ。

 その躊躇いが付け入る余地を与えてしまった。ジョーカーは明らかに踏みとどまったイクコを見て、嗤ったのだ。


「クク……た、"躊躇った"な?読めたぞ。貴様の考えていること……貴様の能力が!」

 ジョーカーはたっぷり時間をかけて起き上がる。その間もハイドシーカーで未来視を続けていたが、攻撃を差し込む隙は全くなかった。

 彼は玉砕覚悟になっていたのだ。どんなに痛烈な一撃を食らおうと、構わず無防備な奴から殺すと決意していた。

「ジョーカー、あなた……」

 ここにきてジョーカーは変貌していた。"破綻者"になっていた。追い詰めすぎたことが、彼に最後の一線を踏み越えさせる原因になったのだ。


「常盤イクコ……《ジェミナイ・ハイドシーカー》。"未来視"の能力だな?だが発露して間もない貴様に読める未来は精々四秒……ド素人の貴様らでも五手から六手は仕掛けられる時間ではあるか」

 アケビと同じテレパスの力も併せ持っているジョーカーに、次々と情報が盗まれていく。

「だが仲間を見捨ててまで己を殺す度胸はないと見た。五手六手、"いいだろう"。好きなだけ己を打て。己が死ぬまでに一人か二人は道連れにしてやる」

「どうして、そこまでに……」

 帽子を脱ぎ捨てた彼の顔が明らかになる。顔の上半分が火傷の痕によって爛れていた。

「さあ来い常盤イクコ。死ぬまで奪い合おう。それが貴様らの望んだ未来だ。おれは貴様らにとっての"ジョーカー"だ」


『いい加減にしやがれよう、黙って聞いてりゃあよう』

「全くだ。見苦しいにも程がある」

 セペットとダチアが立ち上がった。満身創痍だが、その言葉の端には確かな闘志が滲んでいた。

『このダチアって女がオイラの何なのかわからねえ……だがよう!その"覚悟"はオイラのナイスガイソウルに響いたぜ!ここで戦わなきゃ男が廃るってもんだ!』

「一度は捨てたこの命、好きに使え、イクコ。"われわれ"はもう大丈夫だ」

 二人と一石がジョーカーを包囲する。アケビは傷が深いせいか依然として俯せになったままだったが、イクコはこの状態からジョーカーを攻略する方法に思索を巡らせた。


「──わかった。セペット、ダチア……ぼくに力を貸して」

「何人で来ようと同じことだ。ひとりずつ縊り殺してやる、害虫ども」


 破綻者を止めるには相応の覚悟が必要だった。一手誤れば全てを失いかねない戦いの中で、イクコはひとつの決意を固めた。

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