第26話 ヘヴンズリリィ
ゆらりと立ち上がったジョーカーは、目深にかぶった帽子のつばを押さえながら、逆の手でアケビに人差し指を向けた。
「常盤、
「……だったら何だっていうの」
帽子に隠れてジョーカーの顔は半分以上見えない。だが、口元にはいびつな笑みが貼り付けられているのが、イクコの目からも見えた。
「おおかたこの《ジェミナイ・シーカー》と連携して俺を視ていたのだろう。だから潰してやった……が、せめてもの"ハンディキャップ"だ。
「……」
アケビはジョーカーから目を離さないように大回りで歩き出す。イクコの前を位置取った時、頭の中に思念が流れ込んできた。
『罠かもしれない。イクコにも聞いてもらうけど、いいよね?』
イクコは答えずに肯定の意思を浮かべた。アケビはこれからジョーカーの思念を読むつもりだった。そしてそれはアケビを介してイクコに流れてくる。
普段は前髪に隠れている《レット・ミー・ヒア》の瞳が、ジョーカーを捉えた。
『常盤アケビ、貴様の魂胆は読めているぞ』
読まれていることを前提に、意図的に表層へ出しているであろうジョーカーの思念がイクコにも伝わってくる。
『ダチアを盾にして
『違う、イクコ。鵜呑みにしないで』
すかさずアケビの思念がイクコに流れ込んでいた。罠というにはあまりにもお粗末な小細工だった。だがジョーカーの真意は異なるところにあったと思い知ったのはその直後だった。
『──そうだ、違う。貴様の言う通りこれは己のハッタリだ』
その思念は明らかに、アケビの思念に対して答えたもの──のように思えた。
『こいつ、まさか』
『そうだ、そのまさかだ』
『そんなはずがない。こんなのはただのハッタリよイクコ』
『"そんなはず"がないことはない。貴様は知っている。常盤イクコも知っている』
『あたしと同じ──』
『そうだ。常盤アケビと同じ"能力"。《カーテン・コール》は瞬間移動と感応能力のハイブリットだ』
ジョーカーの姿が消える。
『理解したか?』
瞬きする間もなく、アケビの目の前に出現する。
「理解したらまとめて死ね、"化け物"」
ハメられたのだとすぐに理解した。ジョーカーのこの応酬は、アケビに警戒を促し、イクコと直線状に並べるための布石だった。
この位置関係だと真正面から来られた場合、アケビは回避行動がとれない。避けてしまえばジョーカーの攻撃はそのままイクコを貫いてしまうからだ。
「《レット・ミー・ヒア》!」『Check it Out!!』
「いいや、"聴く"のは貴様の断末魔で十分だ」
ゆらりとゆらめくようなジョーカーの体運びは、L.M.Hの連撃を悉く躱してゆく。最小限の動きで最大の効果を出しながら、ジョーカーはその
「貴様の動きはよく"読める"ぞ、常盤アケビ」
「が……ふ」
「おねえちゃん!」
アケビの喉まで出掛かっていた悲鳴は、吐血により遮られる。後ろにいるイクコから見ても致命傷だと判断ができた。
引き抜かれたジョーカーの五指にはべっとりと赤黒い血が付着していたからだ。
『アケビィー!くっそぉ、《フル・ムーン》!』
飛び出したセペットが自身の身体の一部を削り取り、針として放つ。だがジョーカーはそれをかわしながら、後方へ振り上げた足裏でセペットを掬い上げた。
『あ──?』
「変わったネクタイトだな。だが死ね」
「セペット!」
アケビが崩れ落ちるのと同時に、ジョーカーの正拳がまっすぐセペットへ突き出される。ただでさえ脆いネクタイトがそれを食らえば、粉砕されてしまうのは明白だった。
『あー 悪ぃイクコ。ナイスガイはここまでみてえだわ』
「い いや "まだ早い"」
鈍い音が響く。ジョーカーが抉りぬいたのは、セペットではなくダチアの胸だった。胸骨が拳骨の形にひしゃげ、セペットもろとも吹き飛ばされる。
よく見ると飛ばされているのではなく、自ら後方へ跳ぶことで破壊力を受け流しているようだった。
「ダチア」
だがそれでも威力を殺しきれないほどジョーカーの一撃は重かった。起き上がろうとするダチアの口から、ぼたぼたと血が垂れる。
『ば、馬鹿かアンタっ?なんでオイラなんて』
「ぐ ふ……ど どど、"同志"を見捨てるわけには いかないから な」
ダチアは致命傷を受けながらも笑っていた。
「た たた たとえ わたしを憶えていなくても おまえは さいごの同志だ。げ、現当主様が……いや」
泣きながらも笑っていた。
「"亡き"党首様が思い描いた理想郷が滅びようとも、わたしが居る。おまえが居る。"われわれ"が最後のセクリシュティだ」
ダチアの吃音がぴたりと止まった。濁っていた瞳に、強い"燈"が灯っている。静かに燃える、意志が宿っている。
死を目前にしながらも、ダチアの目は確かに生きていた。
『同……志……?』
「われわれが東欧最後のプロレタリアートだ。われわれこそが刳り貫かれた国章だ。同志のために身を捧げると誓った、"ダチア"の轍だ」
ジョーカーが身体ごとダチアに向き直る。イクコは何度も願った。
「シーカー!《ジェミナイ・シーカー》!」
何度も《ジェミナイ・シーカー》の名前を叫んだ。無力な自分を呪いながら、もう動かない
「……下らん。過去に囚われた敗残者め」
「わたしは敗けていない。守るべき同志と、"友"が居る限りは」
《ジェミナイ・シーカー》の名前を呼ぶ。その時、ダチアと一瞬だが目が合った。彼女は一度だけ頷き、そして柔らかく微笑んだ。
これから訪れる死を全く恐れていないかのような、勇敢な笑みだった。
「ならばその友もろとも葬り去ってやる。薄汚い異能者ども」
「お願い動いて!《ジェミナイ・シーカー》!」
力の限り叫んだ。右手首を強く握る。やがてその握力は──『ネクティバイト』に填まっているムーンストーンを砕いた。
気が付けばイクコは波打ち際に居た。月夜に照らされた、暗闇の海が背後に広がっていた。波に乗って無数の紅い百合の花が流されてくる。
そして砂浜の先には、明るい光に照らされた『太陽』の壁画があった。アケビの後ろ姿もそこにあり、オレンジ色の髪が穏やかな風に靡いている。
「おねえちゃん」
「──イクコも来たんだ。此処に」
暗闇の海に太陽の壁画。百合の香りと穏やかな風。それはまるで天国のような光景だった。だが、イクコの脚は動かなかった。
「……どうしたの?来ないの?」
「…………」
「あたしは此処に居るよ。イクコの探していたあたしは」
振り返ったアケビは、紛う事無き"化け物"だった。そこにあるべき双眸は漆黒に塗りつぶされ、タール状の液体が流れ出ている。いびつに弧を描く口も同様だった。
その内アケビの周りにある百合だけが、それが百合ではなく人間の手首から先であると理解できた。血に濡れ、天へ突き出される五指。
地獄のような光景を見て。おそろしいアケビを見て。
イクコは確信していた。イクコは、目の前に居る"
目の前の"
「どうしたの?イクコ。おいで。あたしの
甘美な声。害意に満ちた目。そのすべてがイクコを奮い立たせ、下腹部を熱く疼かせる。待ち望んでいた瞬間は、すぐ目の前にあった。
「 ううん。そっちには行かないよ 」
風が凪いだ。寄せては返す潮の流れさえも停止し、辺りは完全な静寂に包まれる。
「どうして?イクコは おねえちゃんがきらい?」
「好きだよ。愛してる。答えはぼくの中にあった。ぼくはおねえちゃんが好き」
「ぼくひとりが長い長い回り道をしていた。答えをあえて避けて、あの日から……一歩も前に進めずにいた」
「あたしが イクコをつれていってあげる」
「それじゃダメなの」
イクコの周りに漂っていた赤い百合が、"漂白"されてゆく。紅から白へ変貌してゆく。
「この迷路は、ぼくが迷った迷路。だからこの答えはぼくが出さないといけない」
「イクコ あたしを おいていくの?」
「置いていかないよ。あなたもおねえちゃんだもん」
水平線のかなたから、眩い日の出が暗闇を切り裂く。
「あなたを迎えに来たの。"答え"はあっちのおねえちゃんに言わなきゃいけないから」
「イク コ」
イクコははにかむように笑った。
「ひとりで言い出すのは恥ずかしいからさ」
「イクコ」
本物の太陽が、暗闇を打ち消してゆく。ぼやけていた輪郭の全てが明るみに晒される。やがてそれは血濡れた手を打ち払い、『太陽』の壁画を風化させてゆく。
「うん。だから」
「──助けに来たよ、おねえちゃん」
"極点"に渦巻く闇を、放射状の光が消し飛ばす。ここはどん詰まりだ。行き着く者が決着する果ての世界だ。
だから、引き返さなければならない。
『 Is that True? 』
イクコのものではない。アケビのものでもない。甲高い声が問いかけてきた。
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