第21話 亡国のダチア:破

「なぜわたしが"脱獄した"ことを知っている?初対面なら ありえないことだ。わたしはおまえを知らないが おまえはわたしを知っている」

「…………」


 《ジェミナイ・シーカー》を手元に戻す。効果は薄いが、"感染"させれば数秒は稼げるはずだった。臨戦態勢に入った事を気取られたのか、ダチアは興味を失ったようにそっぽを向いた。

「勘違いをするな。言っただろう 戦う意味はなくなった と」

 ダチアに好戦の意思はなかった。諦念のこもった声で続ける。

「わたしは 桐生に連れられて日本へやってきた。あの日と地続きの"地獄"を与えてやると言われ、奴に従ってきた」

 そう言いながら、ダチアはベンチに腰を下ろす。そこで一度言葉を切り、イクコの方を見上げてきた。隣に一人分のスペースが空いていることを目配せして示している。あまり気乗りはしなかったが、無下にするのも悪いと思い、大人しく隣に座った。


「わたしは 秘密警察だった。異端を監視し、炙り出し、粛清する。この《同期生空間稜線転移》の能力も、そのためにあるものだ」

 恐らくはダチアが用いる、スイッチが入っている時だけ無敵化する能力のことを言っているのだろう。

「桐生は忠実に……忠実に私に"地獄"を与えてくれた。県警に潜り、"ヴィアツァ"……おまえたちはネクタイトと呼んでいたな。これを接収し 情報を得て ネクティバイトを炙り出す。あの息の詰まる感覚、パンの味。桐生は わたしのことをよく知っていた」

「それは、桐生はあなたを利用していただけなんじゃないの?」

「そうだ」

 ダチアはあっけなく肯定した。

「建前である事は分かっていた。桐生は、わたしのことなど見てはいない。桐生が欲しいのはわたしの身体ちからだけだった」

 若干の語弊は感じるが、言いたいことは伝わった。

「わ わたしは故郷を失った身だ。最早か、か帰る場所はない。そそれでも、それでも微かな面影をか感じさせてくれるのであれば ば なんだってよかった。わたしもま、また桐生を利用していたのだ」

 吃音がひどくなっていく。どうやら興奮しているようだった。かと思えば急激に冷めたような顔になり、声のトーンも落ち着いていく。

「……だが あの女に現当主様の崩御を再現され わたしは気づいてしまった。どこまで地獄を追い求めても、あの地獄には最早帰れないのだと」

「あなたは……あの時代に取り残された人なのね」

 イクコも一般常識の世界史レベルでしかないが、聞いた事があった。ある政権の政策により、大量に産み落とされた落とし子が居る。その何割かは孤児院で飼われ、政府に心酔するエージェントとして育て上げられていく。年代から考えるとあり得ないほど若く見えるが、ダチアはその世代の秘密警察だったのだろう。


「わたしの全てを奪ったのは現当主様だ。だが わたしの全てを与えてくださったのも現当主様だ。親は二束三文でわたしを売り払った。逃げてからは寒さと飢えとの戦いだった。誰もわたしを見なかった。現当主様以外は」

 救われない話だった。どこかで誰かが手を差し伸べていれば、こうはならなかったのかもしれない。誰も助けなかった結果、彼女は行きつく極点ところまで行かざるを得なかったのだ。

「だが それももう終わりだ。わたしはじき県警に捕まり、処分されるだろう」

「そんな……処分だなんて」

「甘いな、あの女によく似た娘。おまえは"しあわせすぎる"んだ」

 ダチアは立ち上がりながら言った。

「異能犯罪の罪は立証が難しい。法律では裁けない。無法には無法で裁かれるのが定石だ。わたしがブカレストに帰れば粛清されるのは言うまでもないが……ことこの件に関しては 日本もそう大差ない。どちらにせよ わたしが生還する見込みはないだろう」

「だ、だったらこんなことしていられないじゃない!」

「同情のつもりか?止せ わたしはつかれた 勇気を振り絞って日本まで来たみたが 結局わたしの帰るべき場所はどこにもないと 再確認するばかりだった わたしは疲れたんだ、あの女によく似た女」


「──イクコ」

 脈絡もなく名乗り上げる。当然ダチアは目を眇めて訝った。

「ぼくの名前はイクコ。能力は半径一キロまで見渡せる《ジェミナイ・シーカー》。ぼくの傍にいる限り、決して県警なんかには捕まらないと"断言"できる」

「…………何のつもりだ?聞こえなかったのか、"イクコ"。わたしは もう」

 自分でも何のつもりなのか分かっていなかった。安い同情だと言われればそうなのだろう。だがどういうわけか、イクコは全く似ても似つかないダチアに強い親近感を覚えていた。ここで彼女を見殺しにしては、一生の後悔に繋がると確信していた。

「ダチア。ぼくはあなたを見殺しにしたくない。物凄く身勝手なことだとは分かっているけど、あなたには生きてもらわないと"困る"の」

「……理解できない。そんな安い三文芝居で おまえのことを信じろと?」

「信じなくてもいい。あなたは実際どん詰まりの袋小路に居るんだと思う。でもそこで諦めることを認めたら、きっとぼくは……」

 続く言葉は思い浮かばなかった。確かな意志はあるのだが、それを言語化することができない。この無鉄砲な原動力がどこから湧いてくるのか、自分でも理解できなかった。


「……イクコ。おまえは あの女とよく似ているが 全く似ていないな」

「え?」

 唐突な言葉に当惑した。

「目が違う あの女は そう 化け物だった。おまえは人間だ」

 出所が不明の怒りが突如として腹の底から沸き上がった。姉のアケビを馬鹿にされたことに対する怒りとは明らかに違うものだった。

 立ち上がり、声をあげて否定しようとしたその瞬間だった。


「──イクコ」


 聴き慣れた声が背後からかかった。理屈のない怒りは一瞬で形を潜め、全身を冷水で打たれたような衝撃を受けた。アケビの声。ただし、熱を全く感じない冷徹な声だったのだ。

「誰と話しているの、イクコ」

 恐る恐る振り返ると、そこには姉のアケビが立っていた。買い物袋を持ったまま佇むアケビは、しかし明確な害意を瞳に宿し、ダチアを睨んでいた。

「おねえちゃん……ち、違うの。ダチアはもう戦う気はなくて」

「"誰と話してる"のって聞いてるの」

 アケビの反応も無理からぬことだった。二度に渡り戦い、一度は危うく殺されかけたのだ。結果的に生きているだけで、日常を奪いかけた相手であることに違いはない。アケビは、"日常"を踏み汚す者に対してはどこまでも残忍になるきらいがあった。

「待って!聞いておねえちゃん!ダチアはもう戦えないの!それどころか脱獄したせいで県警に追われてて……捕まったら処分されちゃうって!」

「それが何の問題なの?」

 やはり話が通じるような相手ではなかった。分かっていたことだが、アケビはこの場でダチアを殺す気だった。だがそれはイクコの望むところではなかった。

 ここは諦めてアケビについて、どうにか県警へ通報するように説得した方が良いだろう。そうすればダチアは助からないが、少なくともアケビが殺人者になることは避けられる。

 うしろめたさから、ダチアに振り返る。そしてイクコは見た。


「…………帰るべき場所に帰れ、イクコ。おまえのことは 羨ましく思う」

 言葉とは裏腹に、哀れなほど震えるダチアの姿を。彼女はアケビの害意を全身に浴びて、心底恐怖していた。ただでさえ一度は決定的なトラウマを見せつけてきた相手だ。次は何をされるのかと思うと、気が気じゃないのだろう。

 そしてそのか弱い姿を見て、イクコは壊れかけていた決意を繋ぎ直した。一歩前に出て、ダチアの姿を隠すように立ちはだかったのだ。


「どういうつもり?イクコ。ジョークだとしたら笑えないんだけど」

「ジョークなんかじゃないよ、おねえちゃん。ダチアには手出しさせない。それでも退かないっていうなら……ぼくが相手だ」


 アケビの口端が引きつった。僅かではあるが、煩悶の色が見えた。心を読むことはできないが、アケビは今間違いなくショックを受けていると断言できた。

「止せ、イクコ。何を考えている。そんなことをしても何にもならない」

「ダチア……あなたは自分にうそをついている。あなたが"それ"をやめない限り、ぼくは絶対に退かないよ」

 最早迷いはなかった。例えアケビが相手であろうとも、もう追従する素直な妹には留まらない。常盤イクコとして、一人の人間として、この意志を貫くと決意を固めた。

 アケビは不意に脱力した。細くため息をつき、いつもと変わらない笑顔をイクコに向けてくる。

「──そっか。泣き虫イクコが大きく出たじゃん。そうだよね、もう高校生だもんね、あたし達」

「そうだよおねえちゃん。ぼく達ももう高校生だもん。自分の道くらい、自分で選べるよ」

 イクコも笑顔で答えた。穏やかな風が頬を撫でる。


「《レット・ミー・ヒア》!」「《ジェミナイ・シーカー》!」

『Check it Out!!』『Fooo!!』


 L.M.Hの拳と、シーカーの手刀がぶつかり合い、衝撃波が広がった。光のないアケビの双眸が、"あの目"がイクコを射抜いていた。


「じゃあ覚悟はできてんでしょうね、イクコォ!」

 全身総毛立ち、膝が笑うほどの恐怖と、得体のしれない高揚感が一瞬でイクコを支配した。あの目が、あのおぞましい殺意が、今この瞬間自分に向いている。待ち望んだ瞬間にようやく"会えた"興奮に、武者震いを覚えた。


「いつまでも前を歩いていられるなんて思われてちゃいい加減鬱陶しいんだよ、アケビィ!」


 きっと無事では済まない。けれどそれでいい。構わない。


 ダチアの言う通りだった。彼女の為に戦うはずだったのに。


 今はもう、アケビしか見えていない。

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