第18話 耳

 それを行うには、神経を使う。臆していては良いところまで届かない。かといって欲張れば、ともすれば相手を傷つけてしまう。

 それを行うには、静かで、穏やかで、リラックスしていなければならない。イクコは集中していた。道具ごしにアケビの感触を確かめ、もう数ミリ、奥まで進めてみる。

「んっ……」

「痛かった?大丈夫?」

「だ、だいじょうぶ」

 僅かな声、反応がかえってくるたびに、一瞬手を引っ込めてしまいそうになる。アケビは暖かく湿った吐息をつき、こう続けた。

「気持ち良かっただけだから」

「……じゃあ、続けるね」

 一度呼吸を整え微笑みかける。そして狭いアケビの中、その奥まで挿入した。


「あ~っ、そこそこそこ~!」

 イクコの膝上に頭を置いているアケビが気持ちよさそうに喘ぐ。綿棒とはいえ、耳掃除は毎回神経を使う作業だった。とはいえどこまで入れていいか感覚は既に掴めた。あとはひたすらアケビの耳孔をいじくりまわすだけだ。

「そっかあ、おねえちゃんはここが弱いんだあ」

「あ~だめだめ、力抜けちゃうからあ」

「良いじゃんぼくに任せちゃいなよ。うりうり」

「ああ~」

『気持ちよさそうだなあ。オイラも後でやってくれよ』

「あなた耳ないでしょ」

 喋るネクタイト、セペットの申し出を聞き流す。風呂から上がって湯冷めする前に終わらせる事も重要な事だった。特にアケビは、今となっては元気だが、つい此間まで風邪で寝込んでいた。ここでぶり返させるわけにはいかなかった。


「はいおしまい。どう?」

「ふわあ……ありがと、なんかすごく聞こえやすくなった気がする」

 起き上がったアケビが首を回す。まだ若干呂律が回っていなかった。

「なんか最近、《レット・ミー・ヒア》で思念が聞こえづらいと思ってたんだよね」

「耳関係なくない?」

「ないけど気分的にさ」

 能力を使う機会は減ったが、使い方を忘れないように思い出した頃合いに訓練がてら動かすことはあった。

 片づけをしようとすると、アケビがおもむろに正座して新しい綿棒を取り出す。

「はい、イクコ」

「なに?」

「次はイクコの番」

 アケビは自分の膝をぽんぽんと軽く叩いていた。

「は?いや寝なよ。まだ本調子じゃないんでしょ」

「授業中寝ちゃってたから眠くないんだよね」

「そんなだからテスト爆死するんじゃん……しょうがないな」


 だがやぶさかではなかったので、イクコは大人しくアケビの膝に頭を預けることにした。ほんのりと同じボディソープの香りがする。柔らかな脂肪の下にうっすらついた筋肉が心地よかった。

「じゃあいくよー?」

「ゆ、ゆっくりでお願いね」

「大丈夫大丈夫。こういう時のための《レット・ミー・ヒア》でしょ」

 アケビの背後に腕を組んだ異能具現体アイドルが現れる。確かに僅かな感情の機微を読み取り、声に出すよりも早く対応できる《レット・ミー・ヒア》は、この手の繊細な作業には向いていた。

 綿棒を持ったアケビの手が迫ってくる。

「んっ……」

「イクコって敏感だよね。まだ先っぽが入っただけなのに」

「だ、だから優しくしてって……ひゃっ」

 ごそごそと綿が動くような音と、血流の音。むず痒さのようなものが合わさって、変な声が出てしまうのを抑えられずにいた。


「んっ、あ……はぁ……」

「……イクコさぁー」

「な、なに?」

「ちょっとエロい声出すのやめてくれる?集中できないんだけど」

「だ、出してないよそんな声!」

 頬が熱くなる。口に出して言われると悪いことをしているような気になってしまった。

「じゃあさ、なんか話してよ。話してればそっちに集中して気にならなくなるかもよ」

「えー、またそういう無茶振りする……」

 四六時中顔を合わせている中で、今更話題なんてないかのように思えた。しかしこれ以上喘ぎ声を出す気にはならない。

 必死に考えていると、ふと此方を見つめている《レット・ミー・ヒア》に気が付いた。

「そういえばそのL.M.Hさ」

「なにそれ、エルエム……?」

「《レット・ミー・ヒア》の略」

「文字数減ってないじゃん」

 言われてみればそうだった。だが気にせず続ける。

「なんか勝手に喋るけど、もしかして自我とかあったりするの?」

「えー、どうなんだろ。考えたことなかったな」

「自分の能力なのに考えたことなかったの?」


 イクコの《ジェミナイ・シーカー》は自我がある異能具現体アイドルだった。心の中で命令すればその通りに動くが、長時間命令せずにいると勝手に動き出すことがある。

「てっきりL.M.Hもぼくのシーカーと同じだと思ってたんだけど」

「うーん。どうなの?《レット・ミー・ヒア》」

『Check it Out!!』

 満足のいく答えは当然帰ってこなかった。父の遺産であるネクティバイトを身に着けるようになってから当然のように共存しているが、異能具現体アイドルについて知っていることはあまり多くない。

「まあでもこうやって受け答えしてるから自我あるのかもね。でもどうして急に?」

「いやどうってことはないんだけど……なんていうか、L.M.Hもシーカーも、元々はお父さんとお母さんの能力だったわけじゃん?」

 《ジェミナイ・シーカー》を呼び出し、《レット・ミー・ヒア》の隣に浮かせる。すぐ傍にはアケビが居て、イクコは三人に囲まれているような形となった。

「こうしてるとなんだか家族みたいっていうか、お父さんとお母さんの分身みたいだなって」


 そこまで言ったところで、頭部に電気が流れたような衝撃が奔り、イクコは身を跳ねさせた。

「痛ったあ!」

「ご、ごめん。奥まで入れすぎちゃった」

「もー、だから言ったのに」

 慌てて手を引っ込めるアケビ。イクコはたまらず起き上がり、距離を取る。

「ごめんごめん。今度こそ気を付けるからおいで」

「もういいよ。身体冷えちゃうし。おねえちゃんも早く寝なよ」

 自室に戻ろうとリビングを出たあたりで、セペットが後ろから浮遊して追い抜いてきた。

「……なに?」

『ん、いや。今日はそっちで寝ようかな~って』

「ぼくとおねえちゃんはいっつも同じ部屋で寝てるじゃん」

『いやまあそうなんだけどよう』

 言葉を濁しながら、セペットはそのまま階段を上がっていった。まるでリビングから離れたがっているかのような態度だったが、心を読めないイクコにその真意は計りかねた。


「おねえ──」

 振り返り、声をかけようとしたが、なぜかそれは躊躇われた。リビングには片づけをしているアケビの背中がある。廊下に居るイクコからはその表情は見えない。


 理由は分からない。


 だが、なんとなく。なんとなく今日は顔を見ない方が良いような気がしたイクコは、そのまま声をかけることなく階段を登った。

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