第16話 フル・ムーン:急

 捜していた"違い"を発見したのは、皮肉にも《ジェミナイ・シーカー》ではなくイクコ自身の双眸だった。自らの手首を押さえつけるアケビの左手。その『ネクティバイト』には、サンストーンが嵌っているはずだった。

 だが今は暗緑色に赤い血液が散ったような色合いになっている。まるでブラッドストーンのようだった。

「シーカー!」

 《ジェミナイ・シーカー》の鋭い五指が『ネクティバイト』に向けて突き出される。それが当たる瞬間、ブラッドストーンは独りでに『ネクティバイト』から外れて宙に舞った。


『おおっとアブねい!おいおい割れ物は丁寧に扱うべきだぜ』

 石が喋った。渋い男性の声だった。

『まさか見つかるとはオドロキ桃ノ木トロツキーだ。名残惜しい寝床だが、こういう時はスマートに立ち去るのが良いオトコの秘訣──』

 《ジェミナイ・シーカー》が素早くその石を掴み取った。親指と中指の間で挟み、力を入れる。

「……ぼくの非力な能力でも、ネクタイトを粉砕できる程度の握力はあるよ」

『オーケーオーケー、ネゴシエーションオーケー。話し合おうじゃあないかプリティガール』

「今すぐおねえちゃんへの攻撃を解除するか、このまま砂になるまですり潰されるか、好きな方選んで」

 イクコは本当に実行するつもりだった。このネクタイトが能力者であれば、潰した時点でアケビにかかっている能力は解除されるはずだった。

『グッド。開放するさ。オイラは話の分かるオトコだからな……《フル・ムーン》!』

 アケビの手首から棘のようなものが抜ける。それが喋るネクタイトと一体化すると、イクコを拘束していたアケビの力が急速に抜けていった。


「おねえちゃん!おねえちゃん大丈夫?」

「う……イクコ」

『命に別状はねいぜ。オイラの《フル・ムーン》はラヴアンドピースな能力だからな』

 実際アケビの呼吸や脈拍はおおむね正常だった。息が荒いのと体が熱いのは風邪のせいだろう。イクコは自由になった身体を起こすと、横たわるアケビの身体に毛布をかけた。

「さて、と。おねえちゃんを苦しめたクズ石を始末しないと」

『ステイステーイ、話が違うぜプリティガール。ちゃんと能力は解除しただろーう?』

「ぼくはイクコ。次プリティガールって言ったらすり潰す。質問の答え以外無駄口叩いても潰す」

『オーケーイクコ。なんでも話すぜ。オイラは我が身が可愛いオトコだからな』

 本当ならば今すぐにでも粉末にしてやっても良かったのだが、この石が『タランドス』か桐生一派と関係しているのかどうかだけははっきりさせておく必要があった。


「あなたは何者なの?何が狙いでおねえちゃんを攻撃したの?他の事件を起こした理由は?」

『オーケーひとつずつアンサーを返そう。まずオイラが誰なのかだが……実のところオイラもほとんど分からないぜ』

 《ジェミナイ・シーカー》の握力を追加した。

『ステイステーイ。うそだと思う気持ちは分かるが残念ながらマジなんだ。オイラが覚えているのは、オイラの名前が"セペット"ってことくらいさ。なんでこんな姿になっているのか、オイラは何者なのか、一切マジに覚えてないときた』

 粉砕する手を止める。イクコに読心する力はないが、うそを言っているような雰囲気ではなさそうだった。

『あとはそうだな。オイラがナイスガイだということと……《フル・ムーン》の効果くらいか。こいつは見ての通り刺した相手をパワフルな吸血鬼に変えちまう。パワーと無限の渇きを同時にギフトする能力って寸法さ』

「無限の渇き……?」

『血を吸わないと半日待たず干からびて死んじまうってわけだ。誰もがゴビ砂漠のど真ん中で水なしじゃ生きらんないのと同じように、吸血鬼は生きる為に血液ってやつがどうしても必要なわけだ。オーケー?』

「オーケー」

『ステイステーイ。なんでいま力強めたかなー?質問には答えたろーう?』


「イクコ……そいつうそはついてないみたいだよ」

「おねえちゃん!」

 毛布を身体に巻いたアケビが上体を起こす。その後ろには《レット・ミー・ヒア》の異能具現体アイドルが正座してセペットと名乗った石を見つめていた。

『で、次に狙いってやつだが……ぶっちゃけオネーチャンを攻撃した格別の理由ってのはないんだぜ』

「アケビ」

『アケビを攻撃した格別の理由ってのはないんだぜ』

 セペットを読心するアケビからの指摘はない。姉の名前を知らなかった辺りからも、その言葉が真実である事が分かる。

『オイラ自身も《フル・ムーン》の代償を受けてるのか、オイラは血液がないと生きていけない身でね。石なのに生きてるってのも妙な話だがな』

「無駄口は良いから続けて」

『オーケーイクコ。だから通りかかる人間に針を刺して、そいつの血液を針に吸わせてたんだ。能力を解除すれば頂いた血液が本体であるオイラに集まるって寸法よ』

 先ほどアケビの身体から抜けた針は、どうやらセペットの一部だったらしい。ネクタイトが喋るという状況からしてこれまで一度もなかったが、その能力もまた異質なものだった。

「……そういえば、あたし昨日帰ってきた時に血が出てた」

『雨の日に走るロンリーガールほど狙い易いものはなかったんでね。その上オイラのような石がぐっすり眠れそうなバングルまであった。オイラは三食寝床付きという良物件を見逃さないオトコだぜ』

 攻撃は昨夜の時点で完了していたということになる。いくら《ジェミナイ・シーカー》で捜しても見つからないはずだった。

「じゃあ他の事件を起こした理由ってのは」

『ないぜ。《フル・ムーン》は精神を凶暴化させちまうのが玉に瑕でね……オイラとしちゃ血を分けてもらうだけで十分だったんだが、ああも痛ましい事件に発展しちまうと流石にちょいとばかし良心が痛むな』


「……おねえちゃん」

「うん、うそはついてない。ていうかイクコ」

 アケビが此方に向き直る。

「よくあたしが異能攻撃受けてたって分かったじゃん?そりゃいきなり噛みつかれてびっくりはしただろうけど……あたし自身これが異能攻撃だって気付いたのはセペットが出てきてからだし」

「えっ、いや、ほら……ぼくたちっていつ狙われてもおかしくない身分じゃん?だからおねえちゃんがおかしくなったのもそのせいなのかなーって」

 アケビのジト目がこちらを見ている。《レット・ミー・ヒア》が此方を向きそうになったら、その時はまた目つぶしをする必要があるかもしれない。

「……まあいいわ。おかげで助かったし。それで、セペットって言ったっけ」

『なんだいアケビ』

「あんた行くところないんでしょ?ならうちに来れば?血と寝る場所くらいならあげるからさ」

「ちょっとおねえちゃん何言ってんの!」

 聞くべき事を聞いたら始末する気でいたイクコは呆気に取られる。だがアケビはイクコに向き直ると、冷静にこう返した。

「こいつ潰すのは簡単だけどさ。喋るネクタイトなんて絶対おかしいじゃん。こいつ自体は単独犯でも、もしかしたら裏で『タランドス』や桐生達が手を引いてるかもしれない」

「引いてないかもしれないでしょ」

「それをはっきりさせるためには、セペットという男が何者だったのか調べる必要があると思うの。もしかしたら、あいつら以外にももっとヤバいのがこの街には潜んでいるのかも……」

 結局こうなるのかと項垂れた。カイリの情報がバレようとバレなかろうと、攻撃を受けていた時点でこうなる事は時間の問題だったのかもしれない。

「で、でもだからってわざわざうちに置かなくても」

「野放しにしたらこいつまたこういう厄介事起こすでしょ。今は大丈夫でもその内茨城県警に捕まっちゃう。それならうちで握り込んじゃった方が良いじゃん。その内何か思い出すかもしれないし」

「いや、でも……セペットだっていやでしょ。自分のこと潰そうとした女が居る家なんてさ」

 セペットを一瞥する。最早期待できるのは彼だけだった。


『アケビ……オイラは今、物凄く感激しているぜ』

 期待するだけ無駄だった。

「それはオーケーって意味?」

『オーケーもオーケー超倍オーケー!女神のようなおおらかな心を持ったアンタに永遠の忠誠を誓おう。オイラは恩義を忘れないオトコだからな、世話になる分できる事ならなんだって力になるぜ』

 元々セペットにとっては断る必要のない話だった。提示された条件の全てが彼にとっては都合がよく、上げ膳据え膳のようなものだっただろう。

「そっか。じゃあ、これからよろしくね、セペット」

『オーケーオーケー!よろしく頼むぜアケビ、イクコ!』

「…………」

 こうして常盤邸に賑やかな家族が一人─あるいは一石─増えた。薬のおかげでアケビの体調は数日で良くなったが、今度はイクコが心労でダウンする羽目になった。熱に浮かされて見る悪夢の中に、実の姉に血を吸われて悶える自分というものが新たに加わったが、それを誰かに打ち明けることはおそらくこの先一生ないだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る