第11話 熱帯夜:後編
ドアを閉めて踵を返す。どの道アケビを守れるのは自分しかいなかった。両手を翳し、意識を
踊り場を踏み、身体の向きを変えるところまでしっかりと視えている。そしてさらにもう一歩進んだ時、出し抜けにイクコは侵入者の前に飛び出した。
「なっ──?」
「遅い!《ジェミナイ・シーカー》!」
「うおっ!なんだこりゃ!」
「今だ!」
ふらついたところで感染を解除し、《ジェミナイ・シーカー》に手刀を叩き込ませる。バランスを崩していた相手はその衝撃で後ろへ倒れ、階段を転がり落ちていった。
「やった!今のうちに追撃を……!」
だがそこまでだった。すとんと膝から崩れ落ち、立てなくなる。足に全く力が入らない。
「ふぅー……あぶねえところだった。恐ろしく早ぇ
侵入者は立ち上がり、自分の顎に手を置く。そのままゆっくり首を九十度傾ければ、頚椎の辺りから良い音が鳴った。首や肩を回し、身体のあちこちを鳴らしている。スーツを着崩したくたびれた雰囲気の日本人男性だった。
「《ドア・イン・ザ・セント》。気づかなかったかお嬢ちゃん、お前さんは既に攻撃されていたんだぜ」
「う……こ、の」
後ろに気配を感じ力を振り絞って振り返ると、顔面が桃色の花で出来ている人型の
「もっとも、お嬢ちゃんの
脱力の原因が強い睡魔である事に気づくまで時間は要さなかった。思考さえも靄がかかってきて、まともな対策を考えられなくなる。それでもここで寝てしまえばすべてが終わる事だけは理解できた。
「くぅ……ジ、ジェミナイ……シー」
「やめときなって。はりきってもしょうがないぜ。人生ってのはな、大抵はどうにかなるがダメな時はとことんダメなんだ。諦めが肝心なわけだ。分かるか?」
「ジェミ、ナ……あがっ!」
腹部を思い切り蹴り飛ばされ、息が詰まった。激痛に悶えるかと思えば、痛みさえも鈍くなっている事に気づく。既に肉体は睡眠状態に入っているのか、体の感覚が半分以上失われていた。
「悪いようにゃしねえさ。俺は足るを知る大人だからな……適当なところで十分さ。サラリー時代もそうやって生きてきた。まあもっとも」
無精ひげの濃い顔が歪む。嗤っているのが視えた。
「"味見"くらいは許されるよな?なあに、実感はねえさ。お嬢ちゃんは夢心地。恵まれない俺も夢心地。それで"充分"じゃあねえか」
距離を取ろうとしても身体が動かない。一方的に詰められてゆく。今にも閉じられそうな目蓋をこじ開け、彼を睨みつける。睨むことしかできなかった。
「《レット・ミー・ヒア》!」『Check it Out!!』
侵入者の顎に群青色の拳が叩き込まれ、顔が変形する。
「へぶっ?」
「お、おねえ、ちゃ……」
「そんなに夢心地が良いなら、見せてあげる」
『Check it,Check it,Check it,Check it,Check it,Check it...』
前後不覚に陥っている侵入者の胴体に目にも留まらぬ連撃が叩き込まれる。一発ごとに衝撃波が生まれ、空気が破裂するような音が鳴った。
「とびっきりのやつをね」『Check it Ooooooooouttttt!!』
「おっばあっ!」
打ち上げるようなアッパーで顎を射抜かれた侵入者は、真上に吹き飛び天井に突き刺さった。集中力が切れたせいか、彼の
「お、おねえちゃん、どうやって」
急速に頭が冴えてくる。身体も動くようになるのを実感した。
「勝呂ミチヒサ四十七歳。五年前に退職してから能力が発露。単独で空き巣や強盗を繰り返すも、未だ逮捕歴なし」
イクコのもとへ歩み寄りながら、アケビはつらつらと言葉を並べる。
「口癖は"十分"。能力は強い導眠効果のある花を咲かせる《ドア・イン・ザ・セント》。射程五十メートル前後。壁も貫通できるけど一度に複数の場所には咲かせられないのが玉に瑕」
「す、すごい。よくこの短時間でそこまで……」
アケビが目覚めたのは、途中でイクコを攻撃してしまったせいだろう。そのせいでアケビの部屋に咲いていた大量の花が消えてしまったのだ。
「こういう独り善がりな人間はね、自己顕示欲の塊だから探りを入れなくても勝手に心の中で自分語りしてくれるの。あ、『タランドス』や桐生の刺客じゃないみたいから安心して」
言われてみれば、聞いてもいない事をあれこれ喋っていた気がする。隙あらば自分語りとはいうが、この場合隙だらけだったのは彼自身だったようだ。
「いひぃ~……お、俺に近づくなぁ~」
「能力は立証できないけど……勝手に家に入った挙句、イクコに暴力振るったのは事実だから逮捕はできるよね。高良さんに通報しなきゃ」
「あの、なんか呻いてんだけど」
気絶していると思いきや、頭だけ天井に埋まった状態で騒いでいるようだった。
「ああ。大量のゲイに追い回される思念波動をしこたま叩き込んだから、しばらくは"夢心地"なんじゃあないの?」
「……おねえちゃんってばほんとサイコパス」
「イクコに手を出そうとした罰よ。まだ軽いくらいだけどね」
アケビはそう言いながら、イクコに向けて手を差し出してきた。
「それにしても助かったわイクコ。もしあんたまで同じ部屋で寝てたら、それこそ一網打尽にされてただろうしね。"あたし"が夢に出てきてたのも、なんかの警告夢だったのかも」
手を取りながら、イクコは微笑み返した。結局最後は助けられてしまったが、自分でも役に立てたのだと思うと満更でもなかった。
が、ここでひとつの違和感を覚える。
「……ん?"あたし"が?」
「あ」
「おねえちゃん、なんでぼくの夢におねえちゃんが出てきてた事知ってるの?」
イクコは夢の内容までアケビには話していない。話せるはずがない。アケビが出てきたとは一言も言っていない。
「お、おねえちゃんまさか……ぼくに《レット・ミー・ヒア》を……」
「ち、ちがうの!事故!そう、事故なの!あいつの思念を読み取る時にイクコも視界に入っちゃったから」
イクコはここ数日ずっと淫夢のことで悩んでいた。鉄火場の最中であろうと、思念を読まれれば表層で煮こごっている数々の情景を視られてもおかしくはなかった。
不可抗力である以上、アケビを責める事はできない。が、イクコは恥ずかしさと焦りで顔が真っ赤に染まり、いっぱいいっぱいになった。
「ち、ちちちちがうの!ぼくがあんな夢見てたのは……こいつ!そう、こいつの能力のせいだから!無理やり見せられてただけだから!」
「……イクコ。すごく言いにくい事なんだけど」
アケビは目を逸らして続けた。
「《ドア・イン・ザ・セント》に特定の夢を見せる効果はないし……あいつがうちに来たのは今日が初めてみたいだから……その」
「つ、潰れちゃえ!」『My Eyes!!』「ああっ!《レット・ミー・ヒア》ァー!」
《ジェミナイ・シーカー》の目潰しが《レット・ミー・ヒア》に炸裂した。問題はなにひとつとして解決していないが、この件についてはあまり深く考えない方が良いと結論付けることにした。寝苦しい熱帯夜はまだ続きそうだ。
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