ヘヴンズリリィ:オムニバス
第9話 甘酸っぱい飴玉
味蕾が察知した甘味に唾液腺は弾け、その表層を溶かしてはさらなる甘味を享受させてくれる。
常盤イクコが口にしたのは、オレンジ味の飴玉。リビングのソファで姉と二人座ってテレビを眺めていた時、口さみしくて手に取ったものだった。
隣にいる姉、アケビを見る。彼女もまたニュースを見ながら口に飴玉を含んでいた。頬の一部が球体の形に膨らんだり、歯に当たる音が鳴ったりさせながら、忙しなく動く顎をイクコはぼんやりと眺めた。
「それ、何味?」
「ん?」
イクコは姉がどの味のキャンディを口に入れたか見ていなかった。何気なく聞いただけだったが、此方を向いたアケビはきょとんとしている。
「あっ」
妙な間をあけて、アケビは口の中の飴をガリガリとかみ砕き始めた。これ見よがしに嚥下するところまで見せつけ、しまいには大口を開いて舌を出す始末。
「何味だったでしょーうかっ」
「あっそーゆー態度なんだ。ふーん」
無視しても良かったのだが、煽るような態度が気に食わなかった。
「おねえちゃんの事だしどうせ白桃味でしょ」
「うそっ、正解なんだけど。まさかテレパス持ち?」
「ふふん。それはおねえちゃんの能力でしょ」
勝ち誇ったように鼻で嗤う。本当はアケビが口を開いたとき、ほんのりとピーチフレイバーな香りがした為、答えを導き出すのは容易だった。アケビはイクコと違って詰めが甘い事が多かった。
ニュースにも飽きたイクコは、まだシャワーを浴びるには早い時間だったこともあり、小説の続きを読み始めていた。口の中で飴玉を転がしながら紙面の文字を追う。
「……なに?」
いまひとつ目が滑るのは、すぐ傍でアケビがじっとこちらを見つめているからだった。
「いや、それ何味なのかなーって」
考える事は同じだった。
「《レット・ミー・ヒア》で答え視ればすぐじゃん?」
「えーそんなの味気ないじゃん」
「じゃあ当ててみなよ」
構ってくれて嬉しいのか、アケビは目を光らせながら考えるそぶりを見せた。
「うーん、ハッカ味?」
「ぶっぶー。変化球で攻めすぎでしょ」
「うーん、イクコと言ったらコレ!って味あんまりないもんなー」
それなりの時間舐めていたため、良い塩梅に溶けた飴玉から柑橘フレーバーの甘酸っぱさが染み出てくる。姉を手玉に取るのは何となく楽しかった。
「そう?ぼくの好物なんて結構分かりやすい部類だと思うけどな」
「イクコの好物……イクコの好物……わかった!ジンギスカン!」
「飴玉にしてまで食べたくないよ!好きだけどさあ!」
「でもキャラメルはあるらしいね」
イクコは長年の経験で、このままだらだらと付き合っていたら小説の続きを一ページも読めないまま就寝時間になる未来を察知した。早々に答えへ誘導した方が得策だった。
「もー、じゃあヒントあげるよヒント」
そう言ってイクコは口を開け、舌を突き出した。舌先に乗っている溶けかけたオレンジ色と香りで、すぐに答えは導き出されるだろう。
「どれどれ」
しかしアケビは事もあろうに、舌先の飴玉を指先でつまみ、自分の口の中に放り込んだ。予想だにしなかった奇行にイクコは目を眇める。
「はぁっ?え、ちょ、なにしてんの!」
「あ、そっかあオレンジ味かあ」
「オレンジ味かあ、じゃないよ!ばかじゃないの!信じらんない!」
生まれた時からずっと一緒だが、イクコはたまに姉の事がよく分からなくなる時があった。突拍子もない事の連続で、時折本当に血を分けた双子の姉妹なのか疑わしくなる。
「ごめんごめん。はい、返すから」
そう言いながらアケビは飴玉を乗せた舌を突き出してくる。
「要るわけないでしょ!」とイクコはそっぽを向いた。
これだけ言ってもアケビは飴玉を一個得した程度にしか考えていないのか、「わーい」などと気の抜けた声で喜んでいる。おそらく妙に意識してしまっているのはイクコ本人だけなのだろうと考えるとやたら悔しくて、イクコはそっぽを向くことにした。
「ねえねえ、イクコ」
「…………なに」
不機嫌な声で返す。するとアケビは顔を乗り出し、耳元でささやいてきた。
「──甘酸っぱいね」
イクコの顔から火が噴いた。耳を手で隠しながら睨みつけると、アケビはいたずらっぽく笑った後、スマートフォンに目を落とした。まるで何事もなかったかのような振る舞いだが、イクコの耳だけがジンジンと熱を持ったままだった。
「ほんっとーにイミわかんない!サイコパス!スケコマシ!シスコン!」
「はいはいシスコンはイクコもでしょー」
結局手玉に取られていたのは此方の方で、イクコも飴玉のように溶かされてしまいそうだった。この姉には近いうちに必ず復讐する。そう誓った夜だった。
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