第6話 テネシィ・ハニー

 カフェ・マロニエに入って一時間が経過した。頼んだミックスグリルは丸一日ぶりの食事だったため一瞬で完食し、昨日食べ損ねた白桃サンデーを食べながら窓の外を見ていた。


「俺を呼び出すたぁ調子づいてんじゃあねえか……へへっ」

 ボックス席の向かいに入ってきたのは、テネシィだった。アケビは食べる手を止めずに彼を一瞥する。出発する前、あらかじめサミュエルから渡されていた番号に連絡していたのだ。電話に出たのはテネシィだったが、アケビにとってはどちらでも良かった。

「ひとりで来たんですか?」

「あ?オウ、ボスは忙しいからな。まあ俺も忙しいんだけど?ガキのおもりもラクじゃねえぜ」

「そういうことじゃなくて」

 スプーンを口から離す。


「ひとりで良かったんですか?って意味だったんですけど」

 テネシィの顔から薄ら笑いが消えた。

「言うようになったじゃねえか。たった一日でよお」

「いえ、また"ビビらせて"しまったらかわいそうかなと思っただけなんで」

『ちょ、ちょっとおねえちゃん!なんで挑発してんの?』

 鋭い眼光はアケビを刺すかのようだった。だが心を読むことができるアケビは、それが表面上のものでしかない事を知っていた。そしてそれさえも間もなく、何事もなかったかのような笑顔に変わるのだ。

「なんてな。どうせネタは割れてんだろ?多少の生意気くらいは許してやるぜ」

「いえ、それはまだです。あたし今夜で死ぬかもしれないんで、その前に確認しときたい事がありまして」

 水を飲むテネシィの手が止まった。

「オイなんだそりゃ。なんでテメエが荒事に巻き込まれてんだよ。サツに潜ってんじゃなかったのか」

「根っこはもっと深いってことですよ。で、確認なんですけど」

 アケビの中ではほぼ確信だったが、そこを確かめる必要があった。


「『愚者の黄金』を持っている、もみ消された事件の犯人って、"桐生"って名前の警察官ですよね?」

「……ほー。仕事はしてるみてえだな。だったらなんだっていうんだ」

 これでアケビは全てを理解した。『愚者の黄金』を持っている桐生と、茨城県警が膠着している理由。恐らくこれは、『タランドス』は勿論、『茨城県警』も正しくは理解していない。アケビと、あとは恐らくは桐生のみが知っている事だった。

「いえ、確認がしたかっただけです。多分明日の朝にはお届けできると思います」

「水くせえ事言うなよアケビちゃんよお~。俺には分かんだぜ。テメエはもう大方答えを掴んでる。そうだろ?だからそれを裏付けるために無茶やろうとしてんだ。わかるぜその気持ち、仕事ってのはそうじゃねえとな。だが事前に俺が知っておけばバックアップができるかもしれねえだろ?俺は善意で言ってんだぜ」

 テネシィが身を乗り出してきた。心配しているのはアケビ本人ではなく、アケビが掴みかけている情報であることも筒抜けだった。

「心配してくれてるんですか?思ったより優しいんですね」

 心にもない世辞を言う。

「でも結構です。あたしが死ぬかもしれないって言ったのはあくまで可能性の話ですから」

「だがよ、テメエのその口ぶりだと神出鬼没な桐生のクソがちょっかいかけてきたんだろ?いくら何でもあいつ相手じゃ」

「あの、もしかして」

 昨日そうされたように、スプーンの先を突きつける。

「あたしが負けると思ってます?」

 静かだがはっきりと牽制の意図をもって言い放った。テネシィの心の奥底にあるアケビへの恐怖心をぶり返させるように。


「……いやほんと、見違えたぜ。すっかりイイ女になっちまってよ。そこまで言うなら野暮な口出しはしねえぜ」

 案の定テネシィは引き下がった。無論、ハッタリだった。イクコと二人がかりで挑んでもダチア一人倒せなかったのだ。桐生の実力は未知数だが、必ずダチアも近くに居るだろう。交戦しなければならなくなった場合、勝ち目はほとんどなかった。

「無理を言ってすみません。それでも心配なら、ネクタイトをいくつか回してくれるとより成功率は上がると思いますけど」

「テメエさては端からそれが目的だな?生憎だがガキの小遣いで買えるようなものは扱ってねえよ」

「そうですよね。じゃあいいです」

 すぐに引き下がり、白桃サンデーを再び食べ始めた。テネシィの薄ら笑いは変わらないが、その心中で少しずつ焦燥が募っているのが視える。


「…………参ったなクソが。へへっ、これ俺の責任か?そうなんだろうなあ~ボスのお付きは辛ぇなあマジで」

 彼はポケットから小さなフィルムケースを取り出した。ほんの数秒だけ蓋を開け、中を見せてくれる。その中には藍色と緋色、二つの宝石が入っていた。

「良いんですか?」

「んー……まあ、あれだ。テメエは『タランドス』のファミリーじゃない……が、俺のダチだからな」

「と、ともだち」

 思ってもみなかった言葉に面食らう。《レット・ミー・ヒア》は咄嗟の思いつきで生まれた思念はどうしても読み取るまでにタイムラグを要した。

「なんだよ不服だってのか?」

「い、いえ別にそういう意味じゃ」

「『タランドス』はファミリーを何より大事にする。ガキから墓場まで面倒見るんだ、ダチならこれくらい訳無えよ」

 いつの間にか注文していたようだ。テネシィのもとにホットケーキが運ばれてくる。

「あ……イエガーさんの事はほんとうに」

「言うな」

 彼はホットケーキにたっぷりハチミツをかけながら続けた。

「イエガーは確かに俺の相棒だった。だがこんな稼業で、俺達は今肩身の狭い状況なんだぜ」

 やがてホットケーキはハチミツに埋まり、どちらがメインなのか分からなくなった。

「日本は俺達が生きるにゃクリーンすぎるが、美味い汁は多い。そいつを啜り続けるためにはよ、どう落とし前をつけるかより、足りなくなった人材をどう補うか考え続けなきゃならねえわけよ」

 ハチミツをスプーンですくい、舐めとりながら彼は言う。顔には不適な笑みが張り付いたままだった。

「ま、アケビィ、テメエがもし無能だったら落とし前として死ぬよりキツイ目に遭ってもらうとこだったがな。仮に死んだのがイエガーじゃなく俺だとしても、ボスは同じ判断を下したろうよ」

「……テネシィさんはそれでいいんですか」


 ホットケーキをほおばりながら、彼は眉をハの字にした。思念を読んでも本気で何を言っているのかわからないといった具合だった。

「いいに決まってんだろ?ボスが居なけりゃ俺らはゴミカスだ。特に俺以上に可哀想なクズは……へへっ、そうそう居ないからな。捨て駒だろうと人間扱いしてくれるだけずっと"マシ"ってもんだぜ」

 そういうとテネシィは腕を伸ばし、フィルムケースをアケビの胸の谷間に押し込んできた。

「友情の証ついでに極秘情報教えてやるけどよ。テメエが求めてる治癒能力者、実はもう入国の手配は済んでんだ。明日の朝には水戸に着く。情報との引き渡しはスムーズに進むだろうよ」

 その情報を聞いて、アケビは決心した。これから明日までにやるべきことが全て整った。

「ま、そういうわけだ。短い間になりそうだがよ、よろしく頼むぜ、アケビ」

 彼は本心からそう言っていた。アケビに対する恨みが無いわけではなかったが、それとは全く別に彼は友情を感じているようだった。相反する想いを同時に飼う気持ちは理解できなかったが、少なくともテネシィはアケビが思っているほど悪人ではなさそうだった。

 その笑顔を見ると、アケビは良心が痛んだ。日が沈んだらアケビは桐生に会う。そして首尾よく進めば明日の朝には再びテネシィへ連絡し、求められていた情報を渡す。そしてその後は。

「……ええ。短い間だけど」


 テネシィ含め、彼ら全員始末しなくてはならないのだから。


「よろしくね、テネシィさん」



 夜が更け、アケビは自宅を出た。街灯から街灯へ、灯りから暗闇へ、自転車で滑走する。ライトで照らす道以外は全てが暗闇だった。それは、アケビが今立たされている状態によく似ていた。

 テネシィ、イエガー、サミュエル、桐生、ダチア、カイリ。この数日で出会った人物の事を順番に考えていた。誰一人として、アケビは本音で語っていなかった。その一方で、テネシィだけはアケビに対して本音で語ってくれていた。彼の事を考えると、胸が痛んだ。自分が走っているこの灯りの先は、周囲とは比べ物にならない暗黒の巷なのではないかとすら考えた。

『なにかんがえてるの?』とイクコが訊ねた。

「ん、いや、なんでもないよ」

『うそついても意味ないって。おねえちゃんの思念はぼくにも流れてきてるんだから』

「プライベートのかけらもないなあ、今更だけど」

 アケビにとっての光は、最早イクコだけだった。テネシィは友情がどうとか言っていたが、少なくとも今のアケビに友人と言える人物は一人も居なかった。

『全部終わったらさ、学校行こうよ』

「学校?」

『そう、二人で並んで登校するの。今年から高校生じゃん、ぼくたち』

 つい先日までは考えていた事だが、ここ数日は完全に頭から抜けていた。転入の手続きは済んでいる。その気になれば、アケビはいつでも登校する事が可能だった。

「今更追いつけるかな、授業」

『大丈夫だよ。ぼくが居るじゃん。全部暗記しちゃえば満点だよ』

「それじゃ満点取れるのはイクコだけじゃん」

『テストの時こうやって思念を送り合えば余裕でしょ?』

 アケビは笑った。純粋な気持ちで笑ったのはほんとうに久しぶりだった。

「ふふ、カンニングじゃん」

『これから人殺しをする人がカンニングなんて気にするの?』

 イクコの口調は、責めているようなものではなかった。どちらかというとおどけているような、冗談を言うようなトーンだった。


「イクコ。やっぱりあたしだけでやった方が良いんじゃない?こんな事さ、背負うのは一人だけで──」

『おねえちゃんが犯罪者ならぼくも犯罪者だよ』

 どこかで聞いたような台詞だった。

『もっと早く共犯者になってあげていればこうはならなかったかもね』

「……ううん。あたしがイクコの気持ち、全然考えてあげられてなかったのは事実だし」

『姉妹揃ってダメダメだね。うん、だからいいよ。おねえちゃんが捕まるならぼくも捕まるし、万が一死んじゃう時が来たら、その時は一緒に死のう?それならほら、どう転んでもこわくはないよ』

 強がりである事は明白だった。彼女の思念は、これから起こる事を恐れていた。恐怖を隠しもせず、表面上は取り繕って、優しい妹としてのイクコを見せてくれていた。

「…………どうせならあたし、イクコに逮捕されたいな」

『へえ、そういうプレイ?』

 二人してまた、笑った。自転車はまもなく交通事故現場に辿り着く。何の根拠もないが、此処に来れば桐生に会える。そう確信していた。事故に立ち会ったのは偶然じゃないとカイリは言っていたが、それは真実だった。初めからアケビ達は此処へ導かれる運命だったのだ。


 静謐な暗闇の中、路肩に白バイが停められているのが見える。


 その傍らには──


 ──張り付けたような笑みを湛える桐生が佇んでいた。

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