第63話 『克服した恐怖』

 総指揮官たるシグナムとその副官、トールが激闘している最中、行動選択の自由を与えられたオニキスは魔王軍が押し寄せる前にルーイット村の村人たちに避難指示を送っていた。開戦しても避難せずに村に居座っていただけあってオニキスの避難指示に難色を示す村人が多くいたが、視界に入る距離で激化する戦闘の苛烈さと命を落としていく兵士たちの断末魔によってようやく現実を実感する。一見、戦時中に呑気な連中だと思うかもしれないが、戦争の恐怖というのはまじかに迫るまで実感が湧かないのも事実。物価の高騰や食糧や日用雑貨の流通が滞るような間接的な被害に直面することは多くても、戦場での起きる命の駆け引きはどこか遠い地域の話程度の実感しか湧かないのだ。


 だが、それも眼前で起きる光景を目にしたことで強く実感した村人たちは恐怖に駆られて我先と逃げ出す。そこにオニキスや彼の避難指示を手伝う王国兵士の声は届いていない。恐怖が混乱を極めて収拾が追いつかない。それでも戦場から遠ざかる姿はオニキスが目的とした戦場の避難を最低限に熟せたと判断できる。


 ――これで気兼ねなく戦える。


 守る対象がいなくなれば騎士も敵を葬ることだけを考えて剣を振ることができる。口が裂けても言えないが、それでも国民という存在は時に枷となる現実は否めない。


 本来ならば騎士が戦場に出張ることはない。騎士の役目は守護。文字通り首都や各街に滞在して外敵から街や国民を守ることが使命だ。だから命を失うことが日常茶飯事となる戦場でも、そこに国民がいれば騎士としての使命を優先してしまう。職業病とも呼べる使命感はオニキスにとって胸を張れる誇りだが、ここ事に至っては使命感は邪魔と判断した。


 遠くなる村人の背を見届けたオニキスは姿勢を振り返らせて、村の入り口に視線を送る。視線の先には若い容姿をした魔族の青年を先頭に数百人の軍勢が陣を敷いていた。


 魔族を率いるのはリンドウだ。イーヴァルと共に挟撃する形で王国軍を襲った彼は、仲介役として魔法による通信を繋げているミリアからの指示で目的通り村を優先して進撃した。


「一足遅かったが――」


 当初の目的だった村人を巻き込む襲撃作戦は未然に防がれた。そのことで戦況が大きく変化することはないが、魔王軍の脅威を人類に示す度合いが低くなってしまう。それでは危険を冒してまで王国軍を追撃した意味がない。


「だが、過ぎてしまったことをいくら悔いても仕方ないか……」


 力無き村人の犠牲も厭わない魔王の恐怖に植え付けられなくても、戦力で劣る魔王軍が王国軍を壊滅させたという結果は実績となって他国の目と意識を大きく変化させることに繋がる。


「ここから貴様たちの思い通りに事が運ぶと思うなよ?」


 立ちはだかったオニキスは騎士剣を胸元で縦に構え、柄を両手で握った。その手は僅かに震えている。その様子をリンドウは見逃さない。


「まるでありえたかもしれない自分を見ているようだ」


 震えるオニキスの姿と自分を重ねたリンドウはありえた可能性の未来を予期した。オニキスはもちろん、リンドウにしても今回の戦が初戦に等しい。そこにあるのはお互いに恐怖心だ。ただ二人に差があるとすれば置かれた立場だけである。戦況の優劣によって心に余裕があるかないかの違い。


 ――だが、心してかかれ。戦況の優劣などすぐに変わる。


 ミリア越しに伝えられたアデルの言葉をリンドウは胸の内で反芻した。生き物と比喩される戦場で戦況の変化は日常茶飯事。そして、それは何をきっかけで生じるか分からない。そのときに戦況の有利性だけで勢い任せの行動は自分の首を絞める行為でしかないのだ。


「だから俺は脅えるお前を前にしても一切、油断はしない!」


 身の丈と同じ長さを誇る槍をリンドウは構えた。穂先にオニキスの姿を映す。そこには若干に引き摺りながらも確かに笑みを浮かべているオニキスの姿が映っていた。


「……感謝するよ。こんな臆病な俺にも真剣に立ち向かってくれることを!」


 オニキスの闘志は闘気と進化して彼の体を鎧のように纏っていく。それは次第に恐怖で縛られていた体を解放していく。


「騎士、オニキス。最後の最期まで諍わせていただく!」


 恐怖を克服したオニキスは自ら攻撃を仕掛けたのだった。

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