第64話 『意志と覚悟と存在意義』

 アデルと剣を交えながらトールは人間と魔族の違いを考えていた。


 ――果たして人間と魔族にどれほどの違いがあるだろうか。


 魔族は凶暴で人類の敵。これは人類史の中で継承されてきた常識だが、昨今ではその考え方を改めようとする者たちも現れた。その背景には歴史の中で必ず勃発する人類同士の戦争。そしてそのたびに魔王が出現しては人類の敵となって世界に混沌と調和があった。その関係性を調べるうちに人類が戦争の一途を辿ろうとする時に魔王が降臨するシステムに気付いた。


 だがそれを公表することは禁じられた。確定でない情報を無闇に広げることはいたずらに混乱を招いてしまうと、もっともらしい理由を並べているが、その本心は自分たちの行動を不利にしたくない権力者たちのわがままである。人心を操作するのに絶対悪という存在ほど扱いやすいものはない。


「本当に――」


 本当に人とは愚かでどうしようもない生物だとトールは心の中で嘲笑する。歴史を紐解けば子供だって分かる程の愚鈍ぶり。それを知りながらも知らないふりをする人間のいやらしさには嫌気が差す。そしてそんな人間の本質を認め、受け止めながらも、それでも人の世に執着して生き残ろうとする自分に反吐が出てしまう。


「……君はどうして人を救おうとする?」


「救う? 今もこうして多くの人を殺していく俺たちが人を救っているように見えるのか?」


「ああ、見えるよ。君たちが人の未来を視て動いているのがはっきりと見える」


「…………」


「だからもう一度、訊かせてくれ。君たちはどうして自分たちの命を賭してまで人を救う?」


 魔王とその眷属たちが人類を救うために動いていることは分かっていても、その行動を起こす理由まで人類は知らない。否、これまで知ろうとはしなかったと言うべきだろう。自分にとって不都合な情報は自己的に遠ざけて目を逸らすのは人の本能とも呼べる悪癖である。


「それが魔王。そして魔王に付き従う者たち。ただそれだけのことだ」


「人類を救うためだけに君たちは生命を与えられたとでも言うのか⁉」


「その通りだ。俺たちはお前たち人の為に創られた存在だ。そこに与えられた役割は人類の繁栄」


「人類の繁栄……。確かに人同士が争えばそこにあるのは破滅だけだが……」


 とても受け入れられる役割ではないとトールは思う。少なくとも人の生を謳歌してきた自分には無理である。それは戦争を止めた所で人類が必ず繁栄するという保証がどこにもないからだ。仮に特定の人物や国であれば戦争も成長の契機となり得たかもしれないが、どのみち戦争で得た成長は新たな火種を生むことに繋がってしまうだろう。


「何を悲嘆する必要がある?」


 魔王の使命に心を痛めるトールの心情がアデルには分からなかった。死に痛みを覚えないわけではない。同族を失えばアデルも心を痛めて嘆くが、他の種族となればこの限りではない。


「同族すら容易く殺してしまうお前たちが他種族の死を嘆く道理はないはずだ」


「そ、それは……」


 図星ではない。それでも否定することがトールにはできなかった。アデルから発せられた短い言葉はまさしく人間の本質を突いていたからだ。


「――やりにくい。実にやりにくい!」


 アデルは咆えた。心に揺らぎの色を見せていたトールはその程度の咆哮で尻込みしてしまう。


「お前たち人はただ自分たちだけのことを考えて突き進め!」


「なにを――」


「そうでなければ俺たちの決意も意志も存在意義すらも酷く滑稽に思えてしまうだろうが!」


 アデルは心に渦巻く激情を吐露した。人類を繁栄させる為だけに創られた存在。それを知った人間が狼狽えてしまうことは自分たちを否定されているようにしか思えなかったのだ。


「常に自分だけを愛せ! 常に自分の大切な人を愛せ! 常に自分の居場所だけを愛せ! 他の者に、他の物に、けっして目を奪われるな! 心を寄せるな! 人こそがこの星で一番の生物なのだと胸を張れ!」


 アデルは交える剣を言葉と共にトールに押し込む。力でも言葉でも心でも押される形でトールの姿勢は反り返る。


「そうでなければ俺たちは何のために戦えばいい……。俺たちは何のために創られた……。俺たちは……」


 この世界で何を願って動けばいいのか分からなくなる。魔王の存在理由が希薄なったから人類滅亡を本気で狙う決断をした。それが人類繁栄に繋がる最善の一手だと考えたからだ。だが、その人類が魔王の使命を容認してしまったら決意も覚悟も無駄になってしまう。


 アデルは押し込む力を利用して自身の体勢を少し引き、僅かに出来た隙間を縫うように魔剣を払ってトールを後方に弾き飛ばす。


「トール=リンクス。今の言葉を忘れるな。胸に刻み、そして強くなれ。魔王は敵なのだと、魔族は絶やすべき敵なのだと、そう自分に言い聞かせ、仲間に言い聞かせ、そして人類を導く旗を振れ。そしてお前の意志に賛同する者たちを集い共有しろ。自分たちの行いこそ未来を創りだす最善の行動なのだと」


「お、俺は……」


 トールは膝から崩れ落ちた。それはアデルたちの意志に抗えるほどの意志が自分にはなかったから。


 これまで知りながらも見ぬふりをして隠し通そうとしてきた世界という名の仕組み。その仕組みの歯車として運命を定められた者たちの決意と覚悟。その前で人類の脆弱な心はいとも簡単に打ち砕かれてしまった。


 膝から崩れ落ちて戦意を失ったトールに目もくれず、アデルはその横を通り抜けて足を進めるのだった。 

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