第60話 『決断の時』
イビキ隊と軍事拠点からの撤退が遅れた兵士たちは魔王軍が率いる魔獣部隊に蹂躙されていく最中、無事に撤退を済ませた者たちはシグナムを筆頭に部隊を再編成してルーイット村を目指す。長期化する戦争の中で募った疲労と連戦後の抜けきれていない疲労が重なった兵士たちの顔色は優れない。そこに不慣れな撤退戦が追撃ちをかける。
「…………」
新兵の優れない顔色の中に僅かな気の緩みを感じたシグナムは危機感を覚えた。ここには開戦当初に第一線で戦っていた古兵はいない。長期化した戦争で次々と命を落とし、その影響が実戦経験のない新兵を最前線に送るはめになった。つまり本来は段階に積むべき経験を一切なしの状態で彼ら彼女らはこの戦場にいる。おそらく顔色に気の緩みが見え隠れするのは撤退戦の危険性を知らないから。新兵たちにとっては戦場から遠ざかることに解放という名の救いを感じてしまったようだ。
だが経験ある者たちならば撤退戦ほど危険性を孕んだ作戦はないと肝に銘じている。なにせ背後に敵軍が迫る最中に背を向けて逃げ出しているのだ。戦場で無防備に背を見せるなど殺してくれと言っているようなもの。だから撤退戦には必ず殿として部隊が配置される。それをイビキ隊が自ら志願したわけだが、撤退の最中に魔王軍の飛空艇から放たれた紫色の光柱とその後に起きた大爆発をシグナムは見ていた。
――あの一撃をくらって無事だとは思えない。
それを決定づけるように撤退に出遅れた兵士たちの悲鳴が後方から聞こえてくる。制限時間を設けた撤退命令に間に合わず放置してきた兵士たちの断末魔だ。この声を耳にして新兵たちも緩んでいた緊張の糸が再び修繕されたのが顔つきから分かる。
「シグナム様……」
「何も言うな。私だって辛いわけじゃない……」
オニキスの声を止める。彼の悲痛な気持ちはシグナムも十分に理解していれば実感もしている。軍人として国を優先する選択をしたとはいえ、非情な決断がシグナムを苦しませないわけではない。むしろ付き合いの長さから関係性が深いシグナムの方が苦しみは何倍にも強いだろう。
「せめて! せめて我々だけでも無事に逃げ切って態勢を立て直し、本隊からの救援を待つ間、凌ぎ切らなければならない! そうでなければイビキ殿たちの犠牲が無駄になってしまう!」
それだけは避けなければならない。軍人にとって犬死にほど不名誉なことはないからだ。
それでも現実とは自分の願い通りに事が運ばない。シグナムは現実の厳しさを理解しながらも、それでも事ここに至っては平常心を保ち続けるのは困難だった。
目的地であるルーイット村を視界に収めた、シグナムを始めとする撤退部隊の移動が足早になる。本来ならば敵兵が潜伏していないか確認しながら慎重に行動するべき場面。だがシグナムたちはそれを怠り、伏兵として潜伏していた魔王軍の奇襲部隊の存在に気付くのが遅れた。
ルーイット村を挟むように膨れ上がる丘の上から魔王軍が姿を現して撤退部隊を挟撃した。
「私としたことが⁉」
「シグナム様‼」
「各自、迎え撃ちながら村へ急げ! そこを拠点に態勢を持ち直す!」
シグナムの命令に各自が動く。身に降りかかった命の危機に全意識が働くことで一般人とその村を巻き込む選択に誰も口を挟まない。それはオニキスも同様だ。騎士としての在り方から一般人を巻き込むような方法を否定した彼も自身の命を前では優先するものが変わった。
「ここを! ここを凌ぎ切れば――!」
その願いもむなしく、後方から魔王が率いる魔獣部隊が姿を現した。
「もう追いついたのか⁉」
「背後の魔獣部隊は自分にお任せください。シグナム将軍はこのまま村へ!」
「……死ぬなよ」
「もちろん。まだこの間の賭けで勝った金を貰っていませんからね」
「ふっ。生きて帰ったら倍にしてやるよ」
「その言葉、忘れないでくださいよ」
冗談を交えながらシグナムは副官の男、トールを送り出す。
「リンクス隊は俺に続け!」
トールの号令に彼の部隊が一斉に迫り来る魔獣部隊へと駆け出した。戦力的にはこちらが有利。だが戦況は完全に魔王軍が優勢だ。それも戦力だけでは覆せないほどに自軍の士気が低い。それは各兵士に伝播して軍全体を覆い被さり、次第に絶望へと変貌した。耐え切れずに降参する兵士もいれば、武器を捨ててひたすら逃げ出す兵士もいる。その逃げ先はルーイット村。村人はこの惨事に混乱して大騒ぎするだけの始末。逃げることも応援することもなく慌てるだけだ。そんな状態で兵士がなだれ込めば態勢を立て直すどころか一度で押し潰されて終わるだろう。
だが今さら遅い。絶望に染まった兵士たちにシグナムの声は届かない。
「……オニキス」
傍で互いの背を守るように魔王軍を迎え撃つオニキスに向けてシグナムは話しかけた。
「こうなっては収拾をつけることは難しい。だからお前はお前の思う道を行け。自分の命を優先しても構わない。俺のように国を優先しても構わない。お前の父親、ヒドゥルさんのように王国民の盾となっても構わない」
「ち、父は王国民の盾となって……」
父親がどのように戦死したのかオニキスは初めて知った。それは父親の掲げた騎士道に殉じていた。王国民を守ってこその騎士、それがヒドゥルの口癖だった。
「お前はお前の望む選択をしろ。願わくばそれが後悔のない選択であることを願うよ」
「シグナム様――」
オニキスの声は空を切り、シグナムは魔王軍に特攻に挑みに行った。その後ろ姿を見送りながらオニキスは父親の言葉を思い出す。
――いつか理想と現実という名の壁が立ちはだかる。そのときに初めてお前の理想とする騎士の在り方が問われるときだろうさ。
「……はは、それが今ってことか。もっと先の話だとばかり思っていたよ……」
絶体絶命のなかでオニキスは自身の騎士としての在り方が問われる場面に直面するのだった。
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