第58話 『現実と理想の狭間』

 軍事拠点の前に魔王軍が陣を展開する。アデルを先頭に立ち、その隣にはユミルとジル。背後に決起軍の半数とユミルが使役する魔獣の群れが列を成す。部隊の大半を魔獣が占めているのは魔王軍として情けない現状ではあるが、この機会に運用の目途が立つのであればユミルには魔獣の軍勢を形成することもアデルの考えの中に出来ていた。人間側からすれば魔獣も魔王の配下にあると考えられていることから存在が脅威に追加されることはないが、単純に戦力の数として表面化されるのは効果覿面と言える。ただアデルにとって懸念があるとすればユミルの想いだ。彼女にとって魔獣は家族そのもの。その家族を戦場に出陣させるとなれば恨み言の一つあってもいい。


「皆も納得した上で力を貸してくれているから大丈夫。だからアデル様が気に病むことはないよ」


「そう言ってもらえると助かる」


 アデルの心情を察したユミルの言葉に罪の意識が和らぐ。


「でも、ジルまで付き合わなくてもいいんだよ?」


 ユミルは隣に立つジルを気遣うも、ジル本人は不満な顔で見上げる。


「我に遠慮など不要だ」


 幼き頃からユミルの傍らで見守ってきたジルにとって下手な気遣いはこれまでの関係を否定されている気分になった。声を荒げることはなくとも表情に出てしまった辺り相当に気分を悪くしたようだ。


「ただし勘違いするな。お前たちと違って我は人類繁栄に興味は一切ない」


 人語を扱える長寿の謂れから神狼に昇華したジルも本質は魔獣と同じである。そこにあるのは弱肉強食の世界を生きる闘争本能であって魔王のような使命はない。


「協力するのはユミルと小僧、お前たちの行き着く先に興味があるからだ。その結果、人類が勝とうが魔族が勝とうが、そんなものはどちらでもいい」


 どちらが勝利したところで魔獣の立場が変化することはない。或いはジルのように人語を扱い、感情を操り、自らの意思を尊重できるような魔獣が次々と誕生すれば世界に与える影響力も変わってくるが、ジルのような魔獣は突然変異した稀少な存在だ。


「そもそも魔王の運命は破滅。そう神々に定められているのであれば結果など求めたところで意味はなかろう」


「ジ、ジル⁉」


 不謹慎だと言わんばかりに声を荒げたユミルをアデルは制す。


「ありがとう、ユミル。だが、ジルの言っていることは正しいことだ。どれだけ諍っても俺が死ぬ運命が変わらない。それだけは何故か確信できる」


 それはおそらく魔王を創造する過程で刻まれたものなのだろう。


「それでも人類の壊滅はできなくても、半壊程度ならば不可能ではないはずだ。……否、そうしなければならない。人類がこのままの道を歩まさない為にも!」


 このままでは人間同士の争いで人類が滅亡してしまうとアデルは警鐘を鳴らした。再び明確な敵、即ち魔王という存在を絶対的な脅威だと記憶に焼き付ける必要があるのだ。


「そのためには罪なき人民の犠牲も厭わない」


 アデルは腰帯に差す刀剣の柄を握って魔力を注いで魔剣と化し、抜刀して剣先を前方に突き付ける。


「容赦なく、一片の慈悲もなく、ただ蹂躙し尽くせ!」


 アデルの号令と共に魔王軍が進軍した。


                   ◇


 一方、王国軍の軍事拠点では警鐘が鳴り響く。


 魔王軍の進軍を報せたものだ。突然の襲来から逃れて一息、吐こうとした矢先の強襲に兵士たちは慌てた様子を見せる。それは戦争が長期化したことで、軍学校を卒業して間もない新兵たちが次々と前線に送られた結果だ。なかには前線に送られて月日が経つ新兵もいるが、彼ら彼女らが経験してきたのは大軍対大軍による大規模戦闘。今回のように拠点の防衛戦の経験は皆無に等しい。


「慌てるな! 落ち着け!」


シグナムの声は兵士に通らない。完全に動揺が収まっていないところを強襲されたことが混乱を増長させた。


「シグナム殿! 我々の部隊が足止めをする故、その間に態勢を立て直せ。最悪は更なる撤退を決断する必要かもしれぬ」


「イビキ殿! ……了解しました。ご武運を」


「うむ」


 イビキは馬を反転させて視線先を進軍してくる魔王軍に向けた。


「これよりイビキ隊は魔王軍の進軍を阻む! 王国兵士としての気骨、ここに示せ!」


 イビキの鼓舞に彼の部下は呼応すると、その勢いと共に駆け出した。


「オニキス! まずはこの状況を立て直す」


「イビキ将軍の手伝わなくてもよろしいのですか⁉」


「イビキ殿は現状を立て直すことを望んで出陣なされたのだ。その意味を図り間違えて時を無駄にするな」


「……それはイビキ隊を見捨てるということですか?」


「……そうだ。彼が足止めしている間に態勢を立て直して後退し、そこで魔王軍を迎え撃つ」


「正気ですか⁉ 仲間を見捨てろと⁉」


 シグナムは反論するオニキスの胸倉を掴んで持ち上げた。


「これは戦争だ! これが戦争だ! 目の前の犠牲だけを見るな! 感情を優先にして物事を判断するな!」


 突き放すように胸倉を離されたオニキスは背中から地面に落ちた。


「我々は軍人だ。個人ではなく国家を守るために戦っていることを忘れるな」


 シグナムは手綱を操って馬を反転させてオニキスに背を向けた。


「わかったなら疾く立ち上がって手伝え。時間がないぞ」


 揺らぐオニキスの心など関係なく命令したシグナムは混乱する兵士を纏めるべく動き出した。


「……僕は……」


 現実と理想の狭間にオニキスの信念は大きく揺らぐのだった。

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