第3章 『父に誓いし騎士道の咆哮』

第52話 『恐怖との出逢い』

 青年にとって父の背は大きく広いものだった。ベオグラード王国の近衛騎士として王族を守る立派な仕事を熟す姿は憧れであり目標でもあった。そこに少しでも近づこうと幼い頃から出来る限りの努力と研鑚を積み重ねた。学校も主席で卒業して将来を有望視される人材の一人に数えられるほどになるが、目標であった父は王国軍に入隊する直前で戦死した。


 戦死したのは帝国西部で激化している戦場。本来ならば王族を守ることが任務とされる近衛隊が赴く地ではないが、長期化する戦争に疲弊の一途を辿る国内情勢から近衛隊の騎士も出陣の命令が出されたのだ。


 目標を失った青年は近衛隊の推薦を蹴って、最前線に当たる帝国西部行きを志願した。彼を取り巻く人物たちからは考え直すように意見が飛び交ったが、断固として志願を取り下げようとはしなかった。それは父を殺した帝国軍に一泡吹かたいという意思からくるものだった。


 その判断を後悔するのに時間はそうはかからなかった。父の敵討ちをしたいという一心だけではどうにもならない地獄絵図が最前線の戦場には広がっていた。最前線では命の奪い合いは日常茶飯事で多くの人が大量に死んでいく。そこでは青年のような心の持ち主はごまんと存在するのだ。そして敵討ちを果たせることなく地に伏せていく。その現実を突き付けられた青年を襲ったのは恐怖だった。怖気ついた体はまともに動かすこともできず、隠れるように座り込んだ形で体を縮ませて震える毎日を過ごす。その最中でも仲間は勇猛果敢に戦っては次々とその命を落としていった。


「貴方、このような所で何をしているのですか?」


「――っ⁉」


 戦場の中でも凛として透き通った声で誰に呼び掛けられたのか青年は理解した。


「ベ、ベアトリクス司令官⁉」


「確か新兵のマクレインでしたね」


「は、はっ! オニキス=マクレインであります」


「改めて訊きます。ここで何をしているのですか?」


 蛇のように鋭い視線に睨まれたオニキスは震えすら姿を隠すほどに体を硬直させた。まさしく蛇に睨まれた蛙の気分である。


 オニキスは言葉を詰まらせる。それは何も恐怖からくるだけのものではない。現状のオニキスは上官の命令を無視して敵前逃亡をしている状態だ。軍隊における上官の命令は絶対のなかでこの行動選択は軍法会議もの。入隊してすぐに除隊となってもおかしくはない。だがこうして黙り続ける行為も自分の首を絞める結果になってしまう。


 オニキスは覚悟して心の内を吐露した。


「きょ、恐怖のあまり体が竦んでしまって……」


「そうですか……」


 ベアトリクスが傍に寄ってくる。お叱りを受けると覚悟したオニキスは両目を瞑るも鉄拳は下りてこない。


「目を開けなさい」


 ゆっくりと開かれていくオニキスの目をベアトリクスは確認する。


「怒るつもりはありません。誰だって戦争というのは怖いものなのですから」


「……それはベアトリクス司令官もですか?」


「もちろんです。恐怖するということはそれだけ死に敏感となって命を重んじることに繋がります」


 座り込むオニキスの腕を取って立ち上がらせる。


「覚えておきなさい。ただ殺し合うだけは獣と変わらない。戦いに意味を見出すのです。どうして人は命を奪い合ってまで争うのか。どうして自分は戦っているのか。そこに答えがなければ私たちの成長はそこで止まる。それでは――」


 それでは申し訳が立たない、という言葉を呑み込む。それが誰に対しての配慮なのか、それを追及してしまえば人類の歴史の在り方が何によって支えられてきたのかを認めてしまうことになる。頭では理解していても認められないのは人間の弱さかもしれない。


「ついてきさない。この戦い私の傍でその剣を奮い、意味を見出すといいでしょう」


「は、はい!」


 これも何かの縁、お互いにその想いを胸に歩きだす。それはこの帝国西部で激化している戦場では些細な出逢い。それでも若きながら女将校として重圧を背負うベアトリクスも、父という目標を失って戦争の恐怖に震えるオニキスにとっても、今後の人生に多大なる影響を及ぼす出逢いとなった。

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