第48話 『母と子』

 移動の最中に吹雪は形を潜めて灰色の空が光を取り戻し始める。分厚い雪雲も姿を消して太陽が顔を見せ、白銀の大地を照らす。陽射しを浴びた雪が煌めき、上昇する気温に雪解けていく。吹雪と同様に風もなく、無風の気候が続いて体感温度が緩和されていった。それでも数値上の温度に大きな変化はない。それは日が落ち始めた夕暮れを迎えようとしていたからだ。


 顔を見せた太陽が次第に茜色へと染まっていく。それを背景に着々と準備が進められていた。動くのは主に捕虜となっているユリウスの部下たちだ。それを監視の役目も含めてミュウたち断罪機関のメンバーが指揮を執る。魔王軍の面々は外からの襲撃に備えて警備に当たり、アデルはニールセンの制御が利かない最悪を想定して傍で待機する。


「……大丈夫か?」


「泣き疲れて眠ってしまっただけみたいですね」


「ベヨネッタのことではなく君の方だよ」


 膝の上で眠るベヨネッタから視線をアデルに向けた。その仕草は母親そのものである。


「問題ありません。もう死に恐れるような感情は乗り越えましたから」


「自分と他人の死では恐れの在り方も変わる。たとえそれが親や親しき人の死と直面していたとしてもだ」


「……ふふ、そうですね。その通りです」


 細く笑いながらもニールセンの身体は小刻みに震えていた。どれだけ死と直面する経験をしたとしても、それは自分ではないという安心が自然と生まれる。両親と家臣の死に直面しながらもニールセンから生命の気力を失わせなかったのは無自覚に命あることに安心感を覚えたからだ。。もし復讐心だけが原動力だったとしたら今頃、彼女は廃人となっていたことだろう。


「両親や私を逃がしてくれたあの人もこんな気持ちだったのでしょうか?」


 今はそれを知る方法はない。だがアデルは明確な答えを用意する。


「もし君と同じ気持ちを抱いていたとするならば、それは両親だけだろうさ」


「……どうして断言できるのですか?」


「君の両親と違って、その逃がしてくれた人物は戦いの最中で命を落としたからだ」


 戦いの最中に死を意識する者はいない。それは死に際でも一緒だ。死を意識することもないまま命を落とす者たちに恐怖する暇はない。我が身を投げ捨ててでもニールセンを守ったのならば尚更だろう。


「では、貴方はどうなのですか?」


 震える体を抑えながらニールセンは問う。


「おそらくこの世界で死に最も近くて呪われているのは魔王である貴方。そこに恐怖はないのですか?」


「…………」


 待てどアデルからの返事はない。その様子にニールセンは再度、声をかけて意識を引き戻す。


「すまない、少し考えごとをしていた」


 一端、考えごとを頭の片隅に追いやってニールセンの質問に口を開いた。


「怖いわけではない。たとえ創られた命だとしても生を実感する今を失うことは怖いさ」


 だけど、とアデルは続ける。


「だけどそれ以上に魔王としての使命を果たせないことの方が怖くて辛い」


 この感情が果たして自分の中で芽生えたものなのかは分からない。使命感すら創られたものかもしれないが、事の事実はアデルにとって些細な問題だった。彼にとっては今が自分の全てなのだから。


「君が命を賭して世界救済を試みようとしていることと一緒さ。君はそれを今ある魔女のためと言ったが、本当はベヨネッタのためなのだろ?」


「それは……」


 ニールセンは改めてベヨネッタに視線を落とす。


「時間が繫がりを強くするとは言うが、俺はそう思わない。長くても短くても、決めるのはそこに寄せた想いの強さだ」


 アデルにとってそれは魔王としての使命感であり、ニールセンにとっては教え子に当たるベヨネッタの未来だった。


「そうでなければ知り合って間もない教え子に命を懸けるようなことをしなかったはずだ」


 復讐心がなくなったとしたら尚更のこと大切でもない相手のために命を懸けるような行為などしない。


「……自分でも驚いています」


 起こさないように優しい手つきでベヨネッタの髪を指で梳く。


「娘を想う母親とはこういう気持ちなのでしょうね。一日、一分、一秒、時計の針が時間を刻むように私の心にも愛が刻まれていった」


 髪を梳く手を離して胸に当てる。陽気のような安らぐ暖かさがニールセンを包み込んでいく。愛情とは暖かいものだと良く言うが、ニールセンは自身をもって体験する。


「残されるこの子はきっと泣くのでしょうね」


 それだけが心残り。


「辛くて、痛くて……。それは癒えることのない傷となって残ってしまう……。きっ

とこの決断も我が儘でしかないのでしょう」


「それはきっと親の特権なのだろう」


 子を想う親だからこそ持つ優しい我が儘である。


「そうですね。えぇ、そのようにしておきましょう」


 屈託のない笑顔を浮かべたニールセンはベヨネッタが起きないように丁寧に膝から下ろして立ち上がると、眼前で準備されていく設備に向けて歩き出した。その先には自分の母親であるマリアがいる。


「あの時、見せしめとして晒された母の首。それがこのように扱われていることに憤りを覚えますが、やすらかな表情はあの頃から変わっていないですね」


 それは母の最期が娘を救えたことに満ち足りていたからだろう。


「父と母に救われた命を教え子のために使う。そして母は原初の焔が封印された自動人形として目覚める。きっとそれは親不孝なのでしょうね……。きっと怒られるのでしょうね……」


 あれだけ笑顔を保っていたニールセンの表情が歪み、涙腺が崩壊した。双眸から大量の涙を流しながらマリアが入るカプセルを抱き込む。


「目覚めたときに娘の記憶があるのかは分かりません! 原初の焔を封印した元凶だと罵っても構いません! それでもどうかニールセンという人間が生きていたことだ

けは覚えていてほしいと切に願っています……」


 縋るような声でニールセンは生まれて初めて母親にお願いをした。

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